2004年11月25日木曜日

三登山(みとやま)トレッキングコースのこと


 10月24日(日)、私は若槻コミュニティ・センターで行われ
た三登山トレッキングコース開設記念式典に出席しました。台風23
号による被害が市内あちこちで発生していましたので、その日のト
レッキングが可能かどうか心配でしたが、コース愛護会の皆さん、
城跡保存顕彰会の皆さんにより、コースの安全確認を実施していた
だいており、その結果、コースの一部変更もありましたが、無事ト
レッキングが行われることになりました。

 三登山トレッキングコースは、2年前のみどりのテーブルでの要
望からスタートした事業ですが、その後、地域の皆さんには、ルー
トの検討、安全確認、地権者の同意取り付け、案内看板の位置確認
など、実際に歩いて汗をかいていただきました。また、パンフレッ
トの作製では、担当課と一緒に知恵を絞っていただき、地域の歴史
や文化を盛り込んでいただきました。市民との協働を掲げる市の政
策として、モデルケース的な事業と言えるでしょう。

 三登山はご存知の方もいらっしゃると思いますが、牟礼村との境、
長野市の北側にそびえる山で、頂上にいろいろなアンテナが立って
いるあの山です。長野市街からはよく見える山ですから、あの頂上
へ行けばきっと素晴らしい眺望が望めるはずですし、あれだけアン
テナが立っているからには、長野市街だけでなく、かなり遠方まで
見渡すことができるはずと私は前から思っていました。

 若槻という地名は、戦国時代、若槻氏の城があった場所であった
ことから付いた地名です。2年前私は地元の皆さんに案内していた
だき、若槻山城跡まで登りました。木を少し切ると素晴らしい眺望
が望める場所と感じていました。さらに上には番所があること、少
し下には若槻小学校をこの春卒業した6年1組の皆さんが発見した
出城(遺跡名「若槻山城跡堂沢出城跡(わかつきやまじょうあとど
うざわでじろあと)」)があるなど、歴史を感じさせる場所のよう
です。

 若槻の公民館協議会の皆さんが作って当日配布してくださった
「ふるさと史跡めぐり」事業の資料によりますと、若槻団地にある
里城と山の中腹にある山城は、12世紀鎌倉時代初期、若槻頼隆に
よって構築されたと伝えられているそうです。頼隆は八幡太郎源義
家の孫でこの地に入って若槻氏の祖になった・・・いろいろな変遷
があったらしいのですが、とても私には説明できません。詳しくは
「若槻史」(昭和57年発行)をご覧いただきたいと思います。
「若槻史」は、市役所行政資料コーナーや若槻支所などで見ること
ができます。

 ふもとの蚊里田八幡宮は立派なお宮ですが、当日トレッキングに
集まった皆さんに対し、私の高校時代の先輩・桜井一郎さんの名調
子の案内ぶりは、皆さんを満足させるに十分なものでした。観光地
には“語り部”が必要ということはかねがね私が申し上げてきたと
ころですが、物語が存在するということは、人にロマンを感じさせ
る素晴らしいことです。そのほか古いお寺の跡もあって、昔から開
けた場所であったことがうかがえます。

 トレッキングコースは三登山だけでなく、髻山(もとどりやま)
コース、史跡散策コースも設定されていて、田子池や山千寺など、
過去メルマガで取り上げた場所も含まれています。

 私達は普段車で移動し、舗装された道を歩くことが多くなってい
ますが、山の道は土や落ち葉の上を歩くので、柔らかく歩きやすい
し、葉っぱの色、木の香り、小川の水の音など、全身で季節を感じ
ることのできる場所が市街地からこんなに近くにあることは、本当
に嬉しいことです。トレッキングの問題点の一つは、交通アクセス
ですが、この場所は近くにバス停もあり、かなり行きやすいコース
と言えるでしょう。

 山の道は手を入れないと、無くなってしまいます。大勢の人が歩
くことで道がつながり、人々もつながっていく・・・・そんなこと
を期待したいと思います。

2004年11月18日木曜日

防災メモリアル「地附山公園」の開園


 平成13年度から建設工事を進めてきた地附山公園の一部が完成
し、10月23日(土)開園することができました。本当に素晴ら
しい公園です。山の上の方ですので、行くのは大変ですが、その分
景色は素晴らしいです。ぜひ大勢の皆さんに利用していただきたい
と思います。

 昭和60年7月26日に発生した地附山地滑り災害では、老人ホ
ーム松寿荘に入所されていた26人の尊い生命が失われ、また湯谷
団地等へも土砂が押し寄せ64戸もの住宅を押しつぶすなど、多く
の被害が発生しました。この大災害の犠牲になられた方々に対しま
して、ここに改めて深く哀悼の意を表すると同時に、災害時におけ
る行政の対応、施設管理者の危機管理意識等について、深く考えさ
せられた災害でした。

 地附山地滑り発生の日の夜、私も近くに住んでいるため、長野高
校の体育館に避難しました。地滑りの位置からすれば、「長野高校
の方が危険だ」などと思いながら、生まれて初めての避難生活を経
験しました。翌朝、報道関係のヘリコプターが多数飛来して大変な
騒ぎになったことを記憶しています。地附山の斜面が崩れて、地肌
が見えており、テレビでは湯谷団地へ土砂が押し寄せ、家を押しつ
ぶしていく悪夢のような映像を繰り返し報道していました。そして、
予測していなかった松寿荘の方向へも土砂が押し出し、素速い行動
がとれなかったお年寄りが26人も犠牲になってしまったのです。

 地滑り被災地は、国から激甚災害の指定を受け、長野県を主体と
した関係機関の懸命な復旧対策により、今では安定した地附山へと
復元され、緑もかなり回復しました。オリンピック開催前、平成5
~6年ぐらいの頃だったでしょうか、地滑り跡地の緑を回復しよう
ということで、大勢のボランティアが集まり、幼苗植栽でナラや
ブナ等の広葉樹の植林を行いました。私も何度か参加しましたが、
きつい傾斜地での作業、皆さん一所懸命に頑張ったことを覚えてい
ます。その私達が植えた場所も今ではすっかり緑に覆われていて、
どのあたりだったのか正確な場所は分かりません。

 地附山公園は、その地滑り跡地約25haのうちの約6.3haにつ
いて、地元地区の代表者や学識経験者、関係機関等を中心に構成さ
れた「地附山公園計画検討委員会」で整備の方法が検討され、設計
コンペで採用された案をもとに議論し、「基本構想」が策定されま
した。その後、平成12年には「みどりのテーブル」で広く市民の
皆さんのご意見をお聴きし、施設設計等に反映し、平成13年から
本格的に整備工事に着手しました。そしてこの度、公園区域の約4
割に当たる約2.5haを開園したものです。

 長野県が施工した災害復旧工事も完了し、地滑り災害復旧に係る
情報を提供する場として「地附山観測センター(地滑り資料館)」
も整備され、地滑り災害学習の場としても大いに利用されることに
なるのではないでしょうか。このようなことを踏まえて、長野市は
地附山の地滑り災害を忘れないよう、公園の名称に「防災メモリア
ル」という冠を付けたものです。

 公園施設はとても綺麗です。木製遊具が沢山設置され、芝生広場、
展望台、そして斜面にはローラー滑り台があって、子供達は大喜び
です。サクラの丘にはソメイヨシノが80本、ライオンズ・クラブ
の皆さんが寄付してくださり、エントランス広場の時計塔は国際ソ
ロプチミスト長野の皆さんからいただいたものです。皆さんの善意
のお陰で素晴らしい公園整備ができました。ありがとうございまし
た。

 開園式のアトラクションで、湯谷小学校の6年3組の皆さんが、
この地域の石器時代を題材に創作劇をやってくださいました。そし
て地滑りの場所の上部に素晴らしい塚がある、そこまで公園を広げ
てほしいというようなアピールもありました。

 大変申し訳ありませんが、この公園は冬の間は利用できません。
11月24日から3月31日まで冬期休園になります。年内はあと
数日しか利用できません。利用時間は、午前8時30分~午後4時
30分(入口ゲートは午後5時に閉鎖)とし、施設の保全と安全上
の観点から、当面夜間は閉鎖します。ただ、来年度の夏期(6月~
8月)からは閉鎖時刻を2時間延長し、午後6時30分(入口ゲー
トは午後7時に閉鎖)にする予定です。本当は24時間開園したい
のですが・・・。もちろん入園は無料です。

 最後になりましたが、災害復旧の事業主体である長野県など関係
機関の皆様、公園事業にご理解とご協力をいただいた地元第二地区
など関係の皆様、並びに公園建設に携わっていただいた設計及び施
工業者の皆様、ありがとうございました。

2004年11月11日木曜日

長野市でたくさんのイベントが開催されました


 この秋、長野市ではいろいろなイベントが行われ、とても賑やか
でした。今日はその元気を象徴するようないくつかのイベントを紹
介します。

 まず「エコール・ド・まつしろ」の関連行事です。春・夏に続い
て賑やかに行われました。

<10月9日~10日>「松代藩真田十万石まつり」
 俳優の田村亮さん、タレントの井坂綾さん、そして知音都市交流
でお付き合いのある自治体の首長さんにも参加していただいた大名
行列が白眉でした。

<10月9日>「童門冬二と辿る・まつしろ歴史探訪講演会」
 童門さんは佐久間象山の小説を執筆した歴史小説家です。

<10月23日~24日>「黛まどかと詠む・まつしろ大吟行会」
 俳人・黛まどかさんを迎えての開催。町を巡って句をひとひねり、
俳句を通じて松代の魅力を発見。
 
<10月30日~31日>「沼田早苗と撮る・まつしろ大撮影会」
 写真家・沼田早苗さんを迎えての開催。人とふれあい、城下町の
暮らしを写す、紀行写真教室。

<11月6日>「松代城復元記念植樹祭」
 「エコール・ド・まつしろ」運動を未来に育む植樹祭。大地の恵
みに感謝する収穫祭も開催して、みんなでお祝い。

 次にスポーツ大会を見てみましょう。

<10月3日>
第18回NAGANO飯綱高原健康マラソン大会

<10月23日~24日>
長野県マーチングバンド大会

<10月30日~31日>
長野・群馬・山梨3県対抗水泳競技会

<10月30日~31日>
SBC杯第11回全日本スピードスケート距離別選手権大会兼2004
/2005スピードスケートワールドカップ派遣選手選考対象競技会
兼第22回ユニバーシアード冬季競技大会派遣選手選考対象競技会

<10月、11月>
長野県高等学校新人体育大会(弓道、陸上競技、ソフトテニス、バ
レーボール、卓球)

 これから開催される大会です。参考のため紹介します。

<12月4日~5日>
2004/2005 Essent ISU
スピードスケートワールドカップ競技会・長野大会

<12月18日~19日>
アジアリーグアイスホッケー2004-2005

<12月24日~26日>
バレーボール北信越高等学校新人大会

 いよいよスケートシーズンの始まりです。トリノに向けて頑張っ
て欲しいものです。秋の国体へも大勢の選手を送らせていただきま
した。

 このほかにも、学会・学術会議等の全国大会が長野市で開催され
ています。特に私が注目しているのは、信州大学の遠藤教授が研究
を進めている「“ナノ・カーボンの科学と技術”に関する国際シン
ポジウム2004長野」でしょうか。10億分の1メートルレベル
の超微細な世界で展開される「ナノテクノロジー」は、製造技術を
根本から変えるといわれる最先端技術であり、「ナノ・カーボン」
は、ナノテクの代表的な素材です。さまざまな特性をもち、その応
用範囲は電子、エネルギー、医薬品など多岐にわたり、世界中の研
究者はもちろんのこと、企業や投資家たちからも大いに注目を集め、
「21世紀の新素材」と呼ばれているものです。

 長野市としても、現在、信州大学と協働してナノサイエンスによ
る産業活性化を目指して「ナノサイエンス産業都市構想」の策定を
進めるなど、新技術の発信地としてこの分野を積極的に応援すると
ともに、「元気なまちながの」に結び付けていきたいと思っていま
す。

 最後に市民の皆さんが中心となって開催された賑やかなイベント
を3つ紹介します。

<10月10日~17日>
第1回みすずかるしなのNAGANO映画祭

<10月16日~17日>
2004信州ふるさと自慢大集合

<10月24日>
若槻三登山トレッキングコースオープン記念トレッキング大会

 映画祭は、本年第1回ですが、今後続けていきたいイベントです。
若里市民文化ホールや市内映画館の協力を得て、往年の名画「伊豆
の踊子」や「喜びも悲しみも幾歳月」などが上映されました。また、
大林宣彦監督の最新作「理由」は監督のトークと合わせて素晴らし
い企画でした。日本映画の草創期を支えた池田義信監督は、長野市
三輪(宇木)に生まれたとのこと。その息子さんが「長野に思いが
あり、映画祭のことを聞きつけ」飛び入りで参加してくださったの
も楽しい出来事でした。

 「信州ふるさと自慢大集合」は、本年で19回目を迎えました。
はじめは城山公園で行われたのですが、オリンピック施設のビッグ
ハットに会場を移し、毎年賑やかなイベントです。

 若槻三登山トレッキングは、昨年の七二会陣場平コースのオープ
ンに引き続き、2コース目のトレッキングコース設置となり、記念
のトレッキングを行いました。地元の皆さんが中心となり、台風23
号の影響で多少のコース変更はありましたが、若槻三登山から善光
寺平を見下ろすダイナミックなコースに、市内外からの参加者の皆
さんで賑わいました。

 たくさんのイベントを紹介しました。もし何か紹介もれがあった
らお詫びしますが、本当に長野は元気なんです。大都市を除けばこ
んなにいろいろなイベントが行われている都市は、まず無いのでは
ないでしょうか。交流人口を増やそう、観光を当面の最大の産業に
育てようという長野市の政策としては、大いに自慢して良いのでは
ないでしょうか・・・と自画自賛しています。

 これもオリンピック、パラリンピックによって培われた市民のホ
スピタリティ(おもてなしの心)といったソフト面と市内に沢山で
きたホテルや会議場の施設、そして新幹線や高速道のハード面が整
備されたこと、名所と言われるものが沢山あることなど、いろいろ
な要素の相乗効果でしょう。ありがたいことです。

2004年11月4日木曜日

「地方分権シンポジウムin城下町まつしろ」が開催されました


 10月30日(土)、長野青年会議所(JC)の招きで、麻生総
務大臣が忙しい日程の合い間をぬって、「地方分権シンポジウムin
城下町まつしろ」のため長野市を訪問してくださいました。ここに
至るまでのいきさつは、今年の春、私が昔の仲間を訪問して「エコ
ール・ド・まつしろ」の宣伝をした折、麻生総務大臣から「一度行
ってみたいな、ただ公式な訪問は難しいなあ」との話になり、「そ
れならお互いJCの仲間だったのだから、長野JCに頼んで、長野
に来てもらえる企画を何か作ってもらうよ」ということになって、
半年以上にわたり内容や日程等について調整が行われ、ようやく10
月30日に決まりました。7月の国政選挙などの関係で随分遅くな
ってしまい、しかも内閣改造で、もし彼が大臣でなくなったら・・・
失礼ですが、正直に言うとちょっと心配でした。

 私は偶然にも28日の午後から東京での会議が続いておりました
ので、30日の朝、東京駅で麻生総務大臣をお迎えし、新幹線の車
内で昔話をしたり、三位一体改革や市町村合併の話、そしてその日
のシンポジウムの打ち合わせ等をしてきました。

 総務大臣が、現段階において大変微妙な立場におられることは承
知していました。特に三位一体改革について、地方6団体の意見が
提出され、そのことに各省庁が反対、与党の自民党も反対表明とい
う状況であり、総務大臣は間に挟まれて悩んでいる。また、度重な
る台風や新潟中越地震の影響で長野へ来ることが果たして可能なの
か。さらに、マスコミも注目していることでしょうし、彼独特の自
由な発言ができるのかどうか、心配でした。「悪いなあ!行けなく
なったよ」と言われる可能性は充分あったわけです。

 でも電車の中で話をしていくうちに、彼の論理は揺らいでいるわ
けではないことを確信でき、私の心配は、失礼なことであって全く
杞憂だったことが分かりました。安心して長野へ、そして松代へ来
ていただくことができました。

 松代ロイヤルホテルで長野JCの倉石理事長、パネラーをお願い
する作家の童門冬二さん、長野市の助役、収入役など、関係者を交
えて打ち合わせを兼ねた食事をとり、この席で長野JCが取り組んで
いる「信州松代真田地鶏」を中心にした弁当をご馳走になりました。

 午後1時、シンポジウムがスタート。第1部は麻生総務大臣の基
調講演があり、この中で国と地方の関係について、歴史的な視点を
交えて講演をいただきました。印象的だった話は、まさに地方分権
の時代であった幕藩体制から、明治維新は列強に負けまいとして中
央集権国家を作り上げ、富国強兵に努力した明治の先人たち。その
中央集権の流れは敗戦後も続いて、国民は豊かになった、それは間
違っていなかった。

 でも豊かになったが故に、みんながいろいろ考えるようになって、
自分達のことは自分達で決める、いわゆる地方分権の流れが出てき
て、その結果として平成12年施行の地方分権一括法が成立した。
その時点で議論の末、国家と地方の役割をきちんと決めてある。そ
して今回、三位一体改革で、地方分権一括法になかった税源の話に
踏み込んだ、すなわち権限だけでなく、その財源も地方に渡そうと
いうことである。まさに地方分権の正念場だ・・・・というもので
した。歯切れがよく、分かりやすい話でした。

 そのあとのパネルディスカッションでは倉石理事長にコーディネ
ーターを務めていただき、パネラーは総務大臣、作家の童門冬二さ
ん、そして私(市長)の3人で、三位一体改革の話、市町村合併の
話等について意見交換を行いました。童門さんは、作家になる前、
東京都の職員だった経験のある人で行政をよく知っている。その上
で作家としての知識を生かし、江戸時代は100%自治の幕藩時代
だったという話をする中で、殖産興業を一所懸命やって産業の育成
をした藩だけが生き残ったということを語ってくださいました。

 このパネルディスカッションの中で私からは、
1.麻生大臣の立場を考えると、三位一体改革、すなわち地方6団
  体がまとめた3兆円の税源移譲と3兆2千億円の補助金・負担
  金の廃止は何としてもやらなくてはならない。地方は苦しくと
  も受けるべきで、それが将来の真の地方自治につながるはず。
2.市町村合併をしなくても、現在ある広域連合に徴税権を与える
  など、特別地方公共団体の権限・機能を充実することにより、
  実質的に合併と同じ合理化は期待できる。
3.現在の地方自治法では、地方公共団体という場合、県と市町村
  を一緒に扱っているが、県と市町村では役割分担が大きく異な
  っており、現在の枠組みは随分乱暴である。
4.政令指定都市と中核市の間にあるハードルを低くしてほしい、
  具体的には都市計画の決定権と教員の人事権は中核市としてほ
  しい(広域連合の権限にしてもらっても良い)。
5.市町村間のトラブルは県が裁定する、それは結構だが、県と市
  町村間のトラブルは誰が裁定するのか、そのシステムがない。
  今後県と市町村は対等の関係だとすれば、国はそのシステムを
  作るべきであろう。
6.具体的な話として、平成16年度予算で、交付税と臨時財政対
  策債の減額は大きすぎた。こんなに一度に減額されたら、地方
  は成り立たない(国や県は直接住民に接していないから無理に
  推し進めようとする、数年は我慢できるが長くは続かない)。
  地方は中央を信用しなくなるのではないか。あまり急がないで
  ほしい。

 といったことを中心に主張させていただきました。

 麻生大臣は、三位一体改革は地方分権の流れの中で大切とした上
で、交付税や補助金を減らして税源移譲をすると、人口の多いとこ
ろは税収がたくさん上がることになり、小さなところはやっていけ
ない。その辺をカバーするのが地方交付税である。ある程度の財政
補償処置はやらざるを得ないといった話をされました。

 それぞれの立場で活発な意見交換が行われ、80分のパネルディ
スカッションは大変刺激あるものとなりました。

 シンポジウム終了後、小雨が降る中、松代をご案内しました。真
田邸では善光寺木遣り松代分会の皆様に木遣りでお迎えをいただき、
邸内の座敷では着物姿の女性の方々からお茶の接待を受けましたし、
文武学校では、弓術所での作法やお花の会等、いろいろな展示会を
見学しました。

 また、象山神社では、佐久間象山先生が幽閉中、多くの維新の志
士が訪れ会談した高義亭を訪ねた後、松代城跡を回って、松代を後
にしました。観るだけではない、利用して保存する文化財という発
想に、大臣は大変賛同してくれました。

 その日の夜、大臣の歓迎を兼ねて「信州松代真田地鶏」のお披露
目記念パーティーが開かれました。長野JCが今年から始めた「ま
つしろ遊食プロジェクト」で、松代でしか味わえない新たなる食文
化の創造を目指し企画したものですが、倉石理事長が挨拶で曰く、
「10年後には信州松代真田地鶏が日本を制覇する」と凄い入れ込
みようでした。麻生総務大臣は、「エコール・ド・まつしろ」や
「まつしろ遊食プロジェクト」の取り組みが、地域の活性化につな
がると話しておられました。

 麻生総務大臣との付き合いは彼が昭和53年の日本JC会頭の時
以来ですが、当時から吉田茂という大宰相の孫だけに、なかなかの
発想の持ち主とは思っていました(同じ発想という意味ではありま
せん)。今回じっくりお付き合いしてみて、失礼ながら、凄く大き
くなったこと、役人とは違う民間感覚に優れた感性の持ち主である
と改めて感じました。