2003年9月、田中県知事が、「好きなまちへ住民税を納めた
い」と宣言して、住所を長野市から泰阜村へ異動しました。そして、
その後にも「好きなまちへ住民税を納めたい」という理由だけでは、
法的に認められないと思ったのでしょうか、いかにも住んでいる実
態があるかのように、泰阜村長さんの家の部屋を借りて部屋代を払
い、泰阜村の運動会など、数回の行事に参加したり、泰阜村からバ
スに乗って通勤するというパフォーマンスでマスコミの注目をあび、
いかにも「私は泰阜村の住人で、実際に県庁に通勤しています」と
いう印象作りに励んでおりました。でも、毎日片道3時間以上かけ
て通勤することは、県知事の仕事を考えれば、実際には不可能だっ
たのでしょう。結局、約半年の間ですが、実際には幾日お住みにな
ったのでしょうか?最初の動機の言葉は何だったのでしょうか?矛
盾だらけです。そして最後は軽井沢町へ転出されたとのことですか
ら、泰阜村にとっても、この騒動に振り回され、そのうえ少なから
ぬ裁判費用を負担させられ、何のプラスも無いという結果に終わり
ました。
この問題については、法的な問題点が二つありました。
一つ目は、公職選挙法に基づき市町村の選挙人名簿に登録・抹消
するかどうか。これは泰阜村と長野市の選挙管理委員会の問題でし
た。
二つ目は、住民基本台帳法に基づく住所がどこか?という問題で
した。
一つ目の公職選挙法に基づく問題は、昨年3月、泰阜村選挙管理
委員会が、定例委員会において「住所は泰阜村にある」と認定し、
村の選挙人名簿に登録しました。その時点で、長野市選挙管理委員
会は「田中康夫氏が転出した事実が確認できない」として、選挙人
名簿から抹消しませんでしたので、二重登録になってしまったので
す。それはおかしいということで、長野市在住の5人の有権者の方
が、急きょ泰阜村を訪問し名簿を縦覧したうえで、異議申し立てを
行いました。しかし、泰阜村選挙管理委員会はその異議申し立てを
棄却してしまいましたので、5人の方はやむを得ず、長野地方裁判
所に提訴したというものです(裁判なんてやりたくないというのが、
一般的な方の感情でしょう。法的には長野市という団体が訴えるこ
とができない。選挙人でなければならないと決まっているのだそう
で、あえて訴訟に踏み切っていただいたその勇気に対し感謝申し上
げます)。
この件について、長野地方裁判所から「住所は長野市である」と
いう判決が出され、泰阜村選挙管理委員会も納得し、上告しないこ
とを決めたのですが、「第三者訴訟参加申立人」として訴訟に参加
した田中康夫氏個人が最高裁判所へ上告したものです。時間はかか
りましたが、最高裁判所は田中康夫氏の上告を棄却し、先の長野地
方裁判所の判決が確定しました。ところが、長野地方裁判所の判決
が確定した後の参議院議員選挙で、知事は泰阜村で期日前投票を行
いました。選挙結果等には影響がないものの、法の盲点をつくよう
なことを敢えて行ったものです(この時点では二重登録状態でした
ので、長野市選挙管理委員会は投票所の入場券を本人あてに郵送し
ていました)。
二つ目の住民基本台帳法に基づく問題は、長野市の問題ですから
長野市が提訴しました。
長野市としましても泰阜村との話し合いを続けてまいりましたが、
不調に終わりましたので、住民基本台帳法に基づき、長野県知事に
対し「田中康夫氏の住所について決定を求める」ことを申し出まし
た(でも変ですよね。争いの当事者が市町村間の調停役である知事
ということは。矛盾しているのではないでしょうか?確かにこのよ
うな事案を想定していなかったということかもしれませんが、法の
不備であると総務大臣に申し上げてあります)。
しかしながら、知事は「県知事と田中康夫が同一人であるから、
審査委員会を設置して審議を求める」と称して、東京の学識者3人
を指名しました。その経緯については、私のメールマガジン108
号に詳しく書いてありますので省きますが、審査委員会の結論は
「田中康夫氏の住所は泰阜村」となり、知事はそのとおりに決定し
ました。
そこで長野市としては、「知事の決定は誤りである」ということ
で、長野地方裁判所に提訴しました。知事は途中、選挙人名簿が長
野市にあるという最高裁判所の判断が出たにもかかわらず、(住民
票の住所及び課税権は関係ないというようなことを言い)知事の決
定を変えるつもりはないことを強調していました。長野市としては、
選挙人名簿訴訟とは別に、知事が「住所は泰阜村である」と決定し
た事実が残ってしまうことは、地方自治の本旨からして見過ごすこ
とができないと考え、提訴に踏み切ったものですから、選挙人名簿
訴訟が最高裁判所で確定しても、長野市は訴訟を継続していたもの
です(もちろん、平成16年度の田中康夫氏の住民税が、泰阜村に
払われ、長野市に入らないことも法的には問題でした)。
昨年末になって、泰阜村から「最高裁判所の判決により、生活の
本拠は長野市にあると認定され、住民票の訂正が行われたため、課
税権も長野市にある」として、泰阜村の課税を取り消したいと、長
野市に対し協議を求めてきました。長野市とすれば、田中康夫氏の
課税資料が長野市に来ていないので課税できないだけですから、泰
阜村から課税資料が来れば、長野市は当然課税しますということで
お答えしました(泰阜村は受け取った住民税を田中康夫氏に返還し
ました)。その後、課税資料が届きましたので、2月10日付けで
課税したところ、課税通知に従って田中康夫氏が長野市へ納入され
ました。
その後も知事は、「県の決定は間違っていない」ということを繰
り返していますので、長野市としては判決を求めて訴訟は継続する
方針を堅持したいと私は考えていました。ただ、市の顧問弁護士さ
んの意見や市役所内部の議論では、
1.住所認定の考え方について「客観的な居住の実態に基づいた住
民登録を行うものであり、本人の意思があっても居住の実態が
なければ住民登録ができない」という長野市の考えが認められ
た。
2.住民税についても、泰阜村が課税を取り消し、本市への納税が
あった。
3.知事の決定については取り消すまでもなく、すでに意味をなさ
ない無効のものとして形だけが残っているに過ぎないことを確
認した。
4.よって、すべて本市の考えが正しいことが認められ、正常な事
務処理を行うことができた。
ということで、庁内で検討した結果、本市の完全勝訴であるのだ
から、訴訟を取り下げるべきであるとの結論に達し、また、顧問弁
護士さんいわく「今となっては、長野市に訴えの利益は無い」とい
うことなので、私も渋々ですが納得しました。
知事の誤った行動が引き起こした混乱は、既に1年半が経過して
おり、これ以上続くことは長野市としても望むものではありません。
そこで、知事決定が誤っていたことが明らかとなった以上、速やか
に事態の収拾を図ることが行政のとるべき最善の方法であると考え
直し、3月11日付けをもって、訴訟を取り下げたというのがここ
までの経緯です。
ただし、長野市がこの決定を発表した記者会見で、これだけ各自
治体や大勢の県民に迷惑や心配をかけた知事に対し、「この際、県
民に深く謝罪されるよう求めたい」と申し上げましたが、新聞報道
によれば、知事からは今もって謝罪の言葉は無く、発表されたコメ
ントは、「県の主張を長野市が認めてくださったことを感謝申し上
げます」だそうです。この発言に対し、2月県議会の総務委員会で
は批難の声が噴出し、一連の騒動について謝罪すべきだという指摘
が出ましたが、県幹部は「(知事の行動は)県民益にかなっている」
と謝罪を拒否しました。何とも理解しがたいという印象です。
※参考
「田中長野県知事の住民票異動について」=http://www.city.nagano.nagano.jp/topics/
「長野市メールマガジン第108号」=https://wwws.city.nagano.nagano.jp/mail-mgz/backno/2004/0513100911.html