2014年5月2日金曜日

徒然の記 №24 オリンピックが終わって新しい長野がスタート (4/6)

** 甲子園といえば高校野球、Mウェーブといえば・・・ **

高校野球のメッカが甲子園であるように、いろいろなスポーツの種目について、日本中にメッカを創って、それを10年間続けようという試みが国の方針として発表され、国から募集があったとき、長野はスケートのメッカになりたい。それも中学生のメッカになりたいと手を上げ認めてもらいました。メッカとは多くのスケーターが是非行きたい、そこで滑りたいという気持ちが起きるような施設でなくては駄目ですよね。

以来、まだ10年は過ぎていないとは思いますが、かなりの年月が流れました。努力をしても、10年でメッカは無理ということでしょうか、選手強化は一歩一歩しか進まない、かなり焦りもあったのですが・・・。でもお陰さまで全中の役員会では、Mウェーブの努力も認めて下さったのでしょう。さらにこのプロジェクト(Mウェーブで全中大会を行う)を、5年間延長することが決まりました。15年継続すればメッカになれそうですかね・・・。

そしてさらに、本年はじめてのことですが、長野市から全日本中学生大会での優勝者が生まれました。(前にも長野出身者の優勝者は出ているのですが)なにせ中学生の日本一です。しかも日本人が苦手の長距離スケート種目です。嬉しい限りであり、ようやくここまで来たかという気持ちです。本当に嬉しいことです。私は事情があって本年の試合は観戦出来なかったのですが、Mウェーブの土屋社長が、大喜びで報告してくれました。

杉田俊介君 (若穂中2年生)   全中3000m 優勝
宮川鈴佳さん(徳間小5年生)   県ジュニア大会の大会新記録で優勝、オリンピックで活躍している小平奈緒さんに次ぐ人材と期待されている(妹の宮川笑佳さん(小学校二年生)と共に、期待の新星)

 全中大会では、Mウェーブクラブから6人の子供さんが決勝に進み、そのうち二人が入賞したとのことで、指導されている土屋先生のご苦労も少し実ったかなと感じています。

思い起こせば、オリンピックの翌年1999年の1月(勿論私のMウェーブ副会長時代)、県内の中学生大会をMウェーブで開催したのですが、長野市からの中学生の大会参加者が、なんと“0”人・・・、唖然とした記憶があるのですが、本当に隔世の感があり、嬉しい限りです。メッカになりたいなんて簡単には出来ないことわかっていますが、時間と地道な努力の積み重ねが大切だとつくづく感じています。

悔しいことに、私は事情があって、本年の大会を観戦できなかったのですが・・・、今後は何があっても観戦しようと決心しています。とにかく皆で応援して長野の主役になれるように育ってほしいと思っています。
Mウェーブの土屋社長にも、大切に育てて下さいとお願いしました。

中学のメッカを希望したことには理由がありました。即ち高校生の場合、試合になると単独で参加する生徒さんが多いけれど、中学生の場合は両親が付き添ってこられることが想定される。両親が来てくれた方が、長野市の旅館・ホテルに宿泊するはずですから、経済活性化になるだろう・・・、そんな予想をしたからでした。本当は社会人・大学・高校とすべての年代のメッカになりたかったのですが・・・、当時、このプロジェクトでの国の担当は、長野オリンピック時の事務総長だった小林実さんでしたので、図々しく交渉したのですが、「あんまり欲張るなよ」と言われてしまい、中学生に絞った経過があります。

メッカとは、聖地のことでしょう。条件とすれば、①「設備・環境」が優れていることは勿論ですが、②「満員のお客さんが応援してくれる」、③同時に「長野へ行けばあの強い選手と一緒に滑ることが出来る(対戦することが出来る)という夢が持てる・・・、そういうことが大切だと思うのですが、②も大変ですが、最後の条件③がなかなか難しい。選手強化面で北海道の選手が強力で、長野は見劣りしていてなかなか実現できませんでしたが、ようやくここまで来たということです。今後ますます強化してほしいものです。

心配もあります。スピード・スケートの屋内リンクの動向です。Mウェーブだけだった屋内リンクが北海道に出来て、さらに青森県の八戸にも計画があるように聞いています。沢山出来ることはスケート界にとっては嬉しいことでしょうが、競争相手が増えるということでもありますから、オリンピック会場という利点はあるものの油断は出来ません。