2003年11月27日木曜日

市長就任以来、2年間が経過しました(その2)


 先週は、市長に就任してから変わったことや感じたことを書かせ
ていただきました。今週は、市長として取り組んできたこの2年間
を振り返るとともに、今後の2年間に向けて私が考えていることに
ついてお知らせしたいと思います。

 まず、この2年間の取り組みですが、1点目として取り組んだの
は、「もんぜんぷら座」です。私にすれば、「街の真ん中に大きな
空洞ビルを何年も残せない、街の求心力が無くなってしまう。」何
とかしたいという思いは商工会議所の副会頭時代からのテーマでし
た。議会や市民の皆さんの了解を得て、何とか当面の課題を解決し
ました。

 2点目は、情報公開、説明責任をきちんとやることです。情報公
開ということは当たり前で、改革でも何でもない。ただ何を公開す
るか、誰にでも分かりやすい形で出来るか、ただしゃべる、演説す
るだけなら誰にでも出来る。行政特有の言葉でぼやかしたりせず、
分かりやすく、誰にでも分かる言葉で、最終的には説得責任を果さ
ない限り、行政の責務は果たせないと私は考えました。就任4か月
後に考えたことは、

 (1)メールマガジンを毎週出し、私の考えていることを多くの
    人に伝えたい。
 (2)長野市の職員と理念の共有を図りたい。「首長が絶対では
    ない、組織を大事にしたい」ということを分かってもらう
    ため、職員と議論したい。
 (3)市民会議等で、自由討議の時間を取って欲しい。そして、
    ただ説明しても理解は難しい、分かりやすい道具を使おう、
    それはプレゼンテーションとしてプロジェクターを使うこ
    とだ。

 以上のことを考え、実践してまいりました。

 3点目は、現場主義に徹しよう、自分の目で見ないと信用できな
い。同時に職員を信用して自分の個人的見解で外部にモノを言わな
いようにしようということです。

 就任直後に私は行政については素人であることを実感しました。
就任するまで行政のことは大体分かっているつもりでしたが・・。
行政のことは何も知らなかったということです。以来、勉強しまし
た。素人考えを行政に入れるためには、行政を徹底的に知って役人
の世界に負けないように頑張る、ということが必要と思いました。
自慢にはなりませんが、昔の大学受験の時代も含めて、この2年間
ほど勉強したことはないと思います。職員とのコミュニケーション
も随分やっているつもりです。まだまだ足りないとは思いますが・・。

 私も自分に課していることがあります。それは、しゃべる前に役
所内で充分議論し、職員を説得してから外部に向けて発表する、と
いうことが原則である、ということです。

 4点目は、これまでの2年間を大きく分けるとするならば、1年
目はPLAN(計画)の年、2年目はDO(実行)の年と位置付けてきた
ことです。

 1年目は行政改革大綱や長野市の総合計画後期基本計画の見直し
等、議論しプランを策定することに終わったように思っています。
今年(2年目)は、その計画に従ってDO、すなわち“やる”年と位
置付け、行動しているつもりです。1年で終わるような簡単なもの
はありませんが、少しずつ手応えを感じています。

 5点目としては、長野の最大の資産、恵まれた自然を市政にどう
生かすかということを、常に市の施策の中に取り入れるということ
です。トレッキングをやろうということで、七二会地区をはじめ各
地を結構歩き回りました。大きな実績となるにはもう少し時間がか
かるかも知れませんが、各地で少しずつ芽が出てきたように思いま
す。

 そこで、今後の2年に向けて、現在考えていることを申し上げた
いと思います。

 夢のような2年間、自分なりに頑張ってきたつもりですが、あっ
と言う間に過ぎてしまい、任期の折り返し点に立ってみて、あらた
めて自分の理想に向けての努力をもっとスピードアップしないとい
けないと痛感しています。

 市民に最も近い行政が市政ですから、あらゆる分野に総合的に取
り組む必要があるわけで、やらなくてはならないテーマを書き出し
たら切りがありません。浅川治水対策、中心市街地・中山間地の活
性化、商工農林業の活性化、福祉の増進、長野駅東口区画整理事業
の推進・・・・等々、事業の大小を問わず課題は沢山あります。そ
れらは相手のある話で長野市だけではどうにもならない、または方
向性は決まっており、それぞれの担当者が頑張ってくれれば実現に
向けて動くはず、あるいは国が動かない限り市町村ではやりようが
ない問題もあります。

 そんな中で、私は後半のテーマを一応5つに絞って考えています。
 (1)健全財政の堅持と行政改革の推進
 (2)市町村合併と都市内分権の推進
 (3)都市のインフラ(基盤)としての公共交通機関の実現
 (4)教育問題(皐月高校・小学校の統廃合・信州大学との提携)
    の解決
 (5)ゴミ問題の解決

 「エコール・ド・まつしろ」や2005年に世界大会が開催され
るスペシャル・オリンピックスの成功も大切です。各地で開催して
きた「元気なまちづくり市民会議」で提案されたテーマ・要望も、
最大限実現に向けて検討しなくてはなりません。

 任期いっぱいで、どこまで目途をつけられるか、それは分かりま
せんが、精一杯頑張ります。

2003年11月20日木曜日

市長就任以来、2年間が経過しました(その1)


 1940年生まれの私が、幸いにも皆さんのご支持をいただいて、
市長に就任した日は2001年11月11日でした。60歳を過ぎ
て、通常ならそろそろ自分の人生の総決算を考えるべき年代に達し
ていながら、新しい人生に挑戦するチャンスをいただいたことは、
大変だなあと思いながらも望外の喜びでもありました。

 振り返ってみますと、1962年(私が22歳の時)に父が48
歳で亡くなって、何も分からないまま家業を継いでから約40年間、
会社経営に携わってきました。東京オリンピック前の時代から高度
経済成長時代、1973年の第一次石油ショックと低成長時代、円
高時代からバブル絶頂期へ、そしてバブル崩壊から平成の大不況、
長野冬季オリンピック開催・・・・、本当に山有り谷有りの時代を
経験してまいりました。

 その間、仕事や業界団体の活動以外で、青年会議所(JC)活動、
PTA活動、長野市教育委員、長野商工会議所・県経営者協会・長
野都市経営研究所等、様々な活動を通じて社会とのつながりを学ば
せていただきましたし、私なりにJC時代に学んだ「明るい豊かな
社会」づくりのために努力したつもりです。ある程度、時間の余裕
をつくり、お金を使いながら社会活動をやってこられたのは、会社
の部下や仲間、そして友人が支えてくれたからこそ出来たことであ
り、今でも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 市長になって何が変わった?時々聞かれることですが、随分変わ
りました。

 第一は、時間の余裕が無くなったことです。以前は、講演会など
の案内が来ると、できるだけ時間をつくりフラッと出かけ、時には
居眠りなどをしながらも、数時間のんびり受講できたわけです。現
在はその時間は取れませんし、毎週開催しているロータリークラブ
の昼食会も年に数回出席できれば良いほうです。昼間時間が空いた
から、ちょっと友達の会社に寄ってだべってくる、本屋で立ち読み
しながら時間をつぶす、そんなこともなくなりました。休日がほと
んど無い、本を読む量が減った、忙しすぎる・・・・・私の性格に
もよるのでしょうが、計算外のことでした。

 第二は、市民の皆さんから負託されているという緊張感です。私
心を無くし、後ろ指をさされることは絶対にしないという決意は当
たり前ですが、市役所で一番高い給料をいただいているのだから、
一番働くのが当然と自分に言い聞かせてきました。それとは少しニ
ュアンスが違うのですが、私は給料をいただくという経験は初めて
でした(教育委員の時代は、確か月6万円ぐらいの手当をいただい
た記憶がありますが)。給料をいただくという事がこんなに有り難
く、同時に大きな責任を感じることとは思いませんでした。身の引
き締まる思いです。また、10年ぐらい先を見越して誤り無い判断
をすることの難しさ、ストレスを感じています。

 第三は、現場主義を標榜していますが、会社時代よりは現在の方
が実践しているように思います。
 今から考えると、会社時代は、東京を含む近県はもちろん、県内
の事業所へも私はほとんど顔を出しませんでした。しかし、市役所
に入ってからは、問題を感じた時はすぐ現場を見ようと心がけてい
ます。現場を見て初めて分かることがたくさんありますし、何より
も現場のスタッフや地域の方のお話しを聞くことは、机上では見え
ない背景や実情を実感できると思い、少しでも多くの現場に足を運
ぶように心がけています。でも、なかなか時間が取れなく、2年経
っても知らないことがたくさんあることは事実です。

 第四は、自分の意見を自由にそして気楽に言えないことです。以
前は公式・非公式を問わず、かなり乱暴な、あるいは思い切った意
見を人前で発言していたのですが、今はそれが許されなくなってし
まいました。簡単に性格は直りませんので、つい率直にモノを申す
こともあり、首長の発言としてはかなり不適当なこともあるようで
すが・・・・・。議会でも「市長発言の重みがわかったか!」なん
て与党の議員さんに言われ、頭を下げたこともありました。要望や
提案に対し「研究します。」と「検討します。」とは意味が違うと
いう話にはびっくりでした。

 次回は、この2年間で私が心がけてきた政策方針や、今後の目標
などについてご説明申し上げたいと思います。

2003年11月13日木曜日

全国史跡整備市町村協議会に参加して(その2)


 全国史跡整備市町村協議会北信越協議会の状況については、先々
週のメールマガジンでご報告いたしましたが、今週は、この協議会
の全国大会のことについて書かせていただきます。

 この全国大会は、10月8日(水)~10日(金)の間、北海道
の函館市で開催されました。

 私は、日程の都合により8日の総会にしか出席できなかったので
すが、この全国大会は来年長野市で開催されることが内定していま
す。そこで、どんな運営をするのか参考にし、「来年は長野市に是
非おいでください」という次期開催市の挨拶を行うとともに、史跡
の宝庫“松代”の「エコール・ド・まつしろ」の宣伝をするために
行かせていただきました。

 函館はとてもきれいな街です。坂があって、その坂を巧く生かし
た街づくりを感じました。函館は幕末の日米和親条約で、日本が開
港した二つの港町(下田と箱館)の一つで、港町特有の異国情緒が
残っているせいか、長野にはない、おしゃれな街という印象でした。
夜、みんなで函館山へロープウェイで登って世界三大夜景の一つを
楽しみ、帰りはホテルまで散歩しましたが、途中、昔の倉庫街を上
手に活用し、素晴らしい店作りになっている場所を通りました。街
づくりにいろいろなアイデアが生かされているのを見させていただ
きました。

 大会では、東北学院大学の榎森教授の記念講演が行われ、箱館
(函館)奉行所の歴史を教えていただきました。箱館奉行所は、戊
辰戦争最後の戦いとして有名な箱館戦争で、明治新政府軍と榎本武
揚や元新撰組副長の土方歳三などが属する旧幕府軍との戦いの舞台
となった五稜郭の一画にあります。講演では、実はこの奉行所は、
幕府が蝦夷地統治と貿易の管理、そして対ロシア政策のために設置
したものであるということを強調しておられました。

 記念公演は江差追分、第15回大会のチャンピオンご夫妻の熱演
でした。説明によると、毎年、江差追分をうたう大会があって、チ
ャンピオンになると大変な名誉のようです。びっくりしたのは、こ
の追分の源流は小諸馬子唄で、それが大名の参勤交代で越後に伝わ
り、その後、北前船で江差地方に伝わったのだそうです。そういえ
ば、調子は似ているように思いました。

 かなり前のことですが、地元民間放送局の番組審議委員をさせて
いただいた時、馬子唄の源流はモンゴルにある、というような番組
がありました。記憶は定かではありませんが、その時「確かに似て
いる」と感じた記憶があります。

 全国史跡整備市町村協議会の大切な役目は、全国の史跡整備
のために文化庁が予算獲得に頑張る、それを応援することであるよ
うに思います。確かに文化財というものは、誰しも保存しなくては
ならないと思ってはいても、どこも財政が厳しいから放っておけば
後回しになり、大切な文化財が失われることは目に見えています。
それを防ぐために、国(文化庁)は、土地買収については実に80
%の高率の補助金で地方を援助しており、整備したい史跡を持って
いる地方にとっては、涙が出るほどありがたい補助金です。三位一
体の改革で、補助金全廃が唱えられている中、総論賛成・各論反対
を絵に描いたような話で、我々の行動もつらいものがあります。

 来年は、長野で全国大会です。精一杯、おもてなしをしながら、
応援しなくてはと考えています。

2003年11月6日木曜日

「県出資等外郭団体見直し専門委員会」に出席して


 11月1日、長野県関係の外郭団体見直し専門委員会に出席しま
した。県市長会会長の佐久市長さんをはじめ、6市町村長が市町村
の代表として出席したものですが、この専門委員会の概要は、現在、
県が見直しを検討している54団体のうち、市町村から存続の要望
が多かった4団体について意見を求められたものです。

 市町村から存続の要望の多かった4団体とは、1.(社)県林業
コンサルタント協会、2.(財)県建設技術センター、3.(財)
県下水道公社、4.特別法法人県住宅供給公社でした。

 長野市として申し上げた意見の概略は、以下のとおりです(当日は
時間の制約があり、必ずしも充分申し上げられなかったこともあり
ますが、整理してみました)。

イ)全ての組織について言えることですが、組織維持のために補助
  金が出ている組織については、その組織の必要性について充分
  検討する必要があり、役割が終わった組織、あるいは必要性が
  薄れた組織については、当然やめるべきでしょう。

ロ)ただ、それぞれの組織は、過去その必要性に迫られてつくられ
  たものであり、その必要性については充分検討すべきです。特
  に、小さい市町村で直接的に担当する職員がいない、あるいは
  持てないという理由で委託などをしている外郭団体については、
  合理化は良いけれど、その機能は残すべきでしょう。そうでな
  ければ廃止することは、市町村への負担の押し付けになるでし
  ょう。
  具体的な選択肢として(1)県が直接やる(費用は高くつくし、
  サービスは低下するでしょうね)(2)民間委託する(積算や
  会計検査院対応まで行える民間会社が育っているかどうか疑問
  のようです)。

ハ)社団法人や財団法人は、本来、民間組織ですから運営補助をし
  ていないとすれば、県は最初の基本金を出しているだけの話で
  すから、存続かどうか県が決めることではないでしょう。やめ
  たかったら、県は自らの発注をやめればよい話で、市町村が発
  注するかどうかは、市町村が独自に決めればよいのです。それ
  こそ市町村の自主的判断です。当然、もっと安くきちんとやっ
  てくれる所があればそちらへ発注するでしょう。結果、仕事量
  が減って組織が存続できなくなったら、組織はリストラするな
  り、営業努力をもっとするなり・・・・・あるいは自ら解散す
  べきです。

ニ)外郭団体の中には、業務の類似した団体があります。リストラ
  を含め類似団体の統合も一考かと思います。例えば、同じ建設
  関連の組織を統合して技術集団として存続することも必要では
  ないでしょうか。

ホ)専門委員会の席上、委員の方のご意見で気になったことがあり
  ます。それは組織検討の問題と入札における落札価格問題を結
  びつける考え方です。しかし、それは入札制度の問題であって、
  外郭団体の存続の是非とは分けて議論をすべきです。
  入札については公平、自由競争ということが重要ですが、それ
  は発注者の問題であり、応札する人の問題です。設計を誰がや
  るか、市町村に全て行う能力があるか、という問題とは違うよ
  うに思います。

  更に申し上げれば、小さな市町村にとって、この入札問題は地
  域社会の産業問題であり、働く場の確保につながっていく重要
  問題です。県発注の工事を発注者である県が方針を決めてやる
  ことに、現段階で異論は申し上げませんが、市町村にとって地
  域産業が衰退していく中で、地元企業をどうすれば発展させら
  れるか、地域の雇用の場をどうすれば確保できるか、そのこと
  と公平性をどう担保するか・・・市町村の首長が一番苦しんで
  いる問題です。

ヘ)県下水道公社については、長野市としては千曲川流域下水道の
  上・下流処理区終末処理場でお世話になっていますが、これは
  既に維持管理が主体業務になっていますから、民間委託は充分
  可能でしょう。長野市も既に運転業務については一部民間委託
  を行っていますし、包括民間委託も視野に入れて検討していま
  す。また公社の業務の中に、従事者の資格試験業務や講習業務
  がありますが、これは民間委託で充分可能な業務と思います。

ト)県住宅供給公社については、民間でも充分出来るという意見が
  一般的です。確かに数量的には住宅が余っている時代ですし、
  国も自ら公営住宅をさらにつくる必要は無いとしているようで
  すから、県営住宅、市営住宅ともに量的な拡大はいらないと思
  います。ただ長野市としては、県住宅供給公社の融資によるリ
  バース・モーゲージ(注)を検討しています。高齢者が住宅を
  造る、あるいは改修する場合、民間金融機関はどうしても融資
  に二の足を踏むようで、資金力がある何らかの機関が関与すべ
  きところであり、この役割を担えるのは県の住宅供給公社しか
  ないと主張しました。高齢化率が高くなる今の時代、他市町村
  でも必要性は増すと思います。また、民間企業が大規模開発な
  ど元気が出ない時代、市街地の中で、果たしていただく役目は
  いくらでもありそうです。

 会議の終わりに自由討議があり、この中で(特)県農業会議とい
う組織について委員から質問が出ました。結果として、法で決めら
れた役割があるということで存続するようですが、農業関係につき
ましては複雑なシステムが今でもたくさんあるというのが実感です。

 私見ではありますが、県外郭団体等の見直しに関連して申し上げ
るならば、日本の人口は、3年後をピークに人口が減少する時代を
迎えると言われています。若い世代の労働力の減少や年金の負担が
増すことが予想されることからも、少なくとも65歳、できれば70
歳ぐらいまでは働くことのできる環境を整備すべきであると思いま
す。高齢者の持つ技術や経験を発揮する機会を確保することは、社
会にとって重要な資産であるとともに、人口減少時代における労働
力確保と社会システムを維持向上する上で、今後ますます重要とな
ってくるはずです。組織として必要性がありコストを抑えながらや
りがいのある組織であるなら、今後も残すべきではないでしょうか。

 以上、先日の会議について、長野市の主張したことについて整理
をしてみました。気になることは、この会議の後、午後の専門委員
会でいくつかの組織を廃止するという決定がなされたことです。私
達は組織の存廃はどうでも、機能は残してくださいと申し上げ、そ
れに対する答えがどうなったのか、はっきりしないことが心配です。

 委員の方々がわざわざ市町村長の意見を聞きたいとおっしゃった
こと、私達もそれに真摯にお応えしたつもりですが、それが結論に
どのように反映されたのか、新聞記事だけではよく分からないとい
うのが実感です。


(注)リバース・モーゲージ:高齢者が居住する住宅や土地などの不動
産を担保として、一括または年金の形で定期的に融資を受ける制度。
利用者の死亡、転居、相続などにより契約が終了した時に担保不動
産を処分することで、受けた融資を元利一括で返済する仕組み。