2004年8月12日木曜日

浅川ダムに関する長野市の意見(その1)


 先日、県議会の土木住宅委員会の委員長が長野市役所へお見えに
なり、8月25日の委員会に豊野町長・小布施町長と出席し、長野
市の浅川ダムを含めた治水問題について、思いを語って欲しいとの
依頼を受けました。承諾させていただいた上で、今回はきちんとお
話するべきであろうと考え、担当課と議論する中で発言内容を決め
させていただきました。

 まず、7月12日夜から13日にかけ、新潟・福島の両県で豪雨
となり、特に13日には、新潟県の栃尾市で30時間に427mm、
三条市で216mmを記録する激しい雨が降ったことは、自然の脅
威を改めて実感させられました。

 長野市の年間平均降水量は940mm前後ですから、栃尾市では
30時間の間に、長野市の年間降水量の約半分が降ったことになる
わけで、これは、浅川ダム建設の際、100年に一度の確率で採用
された治水安全度の計画日雨量130mmを遙かに上回る降雨があ
ったことになります。その後、福島、福井、富山でも水害が起こり、
台風10号の影響で四国でも水害があったことが報道されています。

 これらの地域での災害を対岸の火事だと傍観することはできませ
ん。長野にとっては偶然が幸いしたにすぎず、長野地域で同様な降
雨が今後予想されないと断言することはできないのです。長野市か
らも消防局が応援に向かいましたし、ボランティアの方も大勢行か
れたようです。一刻も早い復興ができることを願っております。

 ここで浅川治水に関し、その歴史的経過等を踏まえた思いについ
て、申し上げたいと思います。

1.昭和40年代、県は度重なる浅川下流域の水害に対応するため、
 河川改修で川幅を広げる案を提示したのですが、川幅が最大で約
 81mになるということから、優良農地や家屋が大きく潰れるな
 どの理由で、流域住民の了解は得られなかったようです。

2.昭和50年代に入り、県は方針を転換しました。川幅を広げる
 ことによって広範な潰れ地と20~30戸の家屋移転を余儀なく
 されるということから、反対が多かった当初案を改め、出水時に
 洪水調節が可能なダム計画と併せた河川計画を策定しました。ダ
 ム計画により新たに家屋移転が必要な一ノ瀬地区等に対し昭和51
 年6月ダム建設の説明会を実施した後、同年7月31日にはダム
 計画と併せた河川改修計画を策定し、「浅川改修期成同盟会」の
 了承が得られました。(ここまでの経緯については、平成14年
 9月に田中知事が長野市へダム建設を中止することの了解を求め
 て来られた時点で、全く理解はしていなかったと思われます。)   

3.昭和52年6月、計画高水流量毎秒350t(基本高水毎秒
 450t、ダムカット量毎秒100t)の計画について国の認可
 が得られ河川改修工事が開始されました。また、同時に進めてい
 た「浅川ダム建設事業全体計画」が平成7年3月31日に建設大
 臣の認可を得、浅川治水の全体像がこの時点で確定したわけです。

4.この間、「地附山地滑り災害」により通行不能になったバード
 ラインの代替道路として、また、ダム建設により埋没してしまう
 「県道飯綱高原浅川線」の代替としてループ橋を含む道路が建設
 されたことは、オリンピックの成功につながり、その後の飯綱、
 戸隠の発展につながっていると私は思います。

5.一方、ダム建設に反対する人々が主張するダムサイト(ダムを
 設置する場所)が不安定だとすることに対し、安全性を確認する
 ため、県では権威ある専門家10人からなる検討委員会を平成
 11年に設置して検討を加えました。7回の委員会を経て意見書
 が平成12年2月22日に提出されました。この意見書では、建
 設予定地にはダム建設に支障となる第4紀断層は存在しないとい
 うことが確認され、最終的に1人がダムを造ることに反対、9人
 が安全性については問題無しと判定し、ダムサイトの土木工学的
 な安全性が確定したわけです。

6.長野オリンピック(平成10年)終了後、いよいよダム建設に
 取りかかることになり、県議会でダム建設予算が可決され、平成
 12年9月19日ダム本体工事の契約がなされ、浅川治水が完成
 するめどがたったわけです。

7.その直後、平成12年10月、田中県知事が誕生したわけです
 が、知事は同年11月、浅川ダムの「一時中止」を宣言し再検討
 を表明されました。さらに、平成13年2月20日、長野県議会
 定例会で田中知事により「脱ダム宣言」がなされ、実質的に工事
 が中止されたことになります。(浅川ダムは、工事の費用負担は
 別として、長野県と長野市の共同事業です。一方の当事者と何の
 話し合いも無く、中止できるのでしょうか、契約違反は勿論です
 が、少なくとも良識では考えられない話です。)

8.反発した長野県議会では平成13年3月19日、「県治水・利
 水ダム等検討委員会設置条例」を提案、可決され「県治水・利水
 ダム等検討委員会」が設置されました。ただし、この戦略は、正
 当な議論が行われると信じた県議会の失敗でした。なぜなら、そ
 の委員会の委員の選任は、県知事の権限ということで、実際任命
 された委員は日本の国土や歴史性、河川の特性を踏まえたうえで
 治水対策をどのようにすべきかといった哲学を持たない委員、い
 わゆる、ダム不要論者が多かったのです(すなわち委員会ができ
 た時点で、結論は決まっていたと言わざるをえないと思います)。

9.県治水・利水ダム等検討委員会の下部組織として浅川部会が設
 けられ、関係行政機関として私も参加しました。その浅川部会で
 の検討の中身は、(1)ダム設置場所付近における、地質とか第
 4紀断層などに関連し、ダムは安全か危険か。(2)基本高水流
 量が適正か過大か。この2点が主なものでした。しかし、この浅
 川部会は、私の見る限りでは建設的で実質的な議論は無く、ダム
 肯定派と否定派の単なる主張の場であり、技術論は全くなされま
 せんでした。長野県はこの時点で、部会からの要請に応じて資料
 を提出する義務はあるはずですが、代替案を出すことと部会の結
 論を誘導する立場にはないと主張するだけでした。しかし、県が
 技術者としての方針を示さない限り、素人だけで責任ある議論が
 できるわけはなく、両派が言い分を言い合うのみに終始してしま
 いました(後になって冷静に考えてみると、ダム建設に至る過去
 の県の作業内容と手順は間違ってはいないことだけは証明された
 ように思います)。

10.浅川部会では13回の部会と1回の公聴会を開催しましたが、
 ダム賛成派も反対派も互いに説得することができず、ダム建設に
 対する意見をまとめることができないまま、出された意見の特徴
 をまとめ、両論併記の報告をするにとどまりました。

11.上位組織である「県治水・利水ダム等検討委員会」では、部
 会の意見報告の両論をそのまま併記しただけで、何らのコメント
 も示さず、多数決で「ダム無し」を答申しました。最終的に多数
 決でも仕方ないとしても、何らかの根拠を示すことが大切ではな
 かったのでしょうか?

12.知事は、答申の前提とされた基本高水を下げる根拠が無いの
 で、そのまま結論だけを尊重し、浅川ダムの中止を決定したとい
 うことです。また、代替案はあると言いながら具体的な内容が無
 い「枠組み」しか示されませんでした。こういう結果になるなら
 ば、浅川部会において県が具体案を出さないと宣言した時点で、
 我々は席を立つべきであったと後悔しております。また、検討委
 員会での少数派だったダム肯定派も、ただ傍観すべきではなかっ
 たと思います。

13.平成14年7月5日、長野県議会は田中知事不信任案を可決
 しましたが、「ダムに替わる案はある」と称して、田中知事は見
 事な選挙戦略で9月1日再選されました。しかし再選以降、既に
 2年を経過しようとしているにもかかわらず、あると説明されて
 いたダム代替案の具体案は示されていません。これは重大な選挙
 公約違反(国レベルの選挙で経歴詐称により辞任を余儀なくされ
 た方もいらっしゃいますが、それよりはるかに重大な公約違反だ
 と私は思います)であり、流域住民は相変わらず水害の危険にさ
 らされたままなのです。平成18年度(ダム完成予定年)以降に
 災害が起きた場合、県知事はどのような責任をとってくれるので
 しょうか?

14.以来2年弱の時間が経過しました。平成16年2月、県知事
 は、県議会定例会で従来の制度に基づき認可を得ていた「全体計
 画」をよりどころとして、河川改修を進めると発表しました。長
 野市としては、流域の安全度が少しでも上がるという意味で河川
 改修の再開は評価していますが、これはようやく正常に戻り始め
 たと言うにすぎません。要は約4年間、無駄な時間と議論をして
 きたということです。

15.さらに言えば、国が河川工事の再開を認可したこの方針は、
 (1)新河川法に基づき河川管理者は整備計画をたてる必要があ
 るが、暫くの間は既に認可した従来の全体計画に基づいて河川整
 備を進めることを認める。なぜなら、整備計画が策定されるまで
 何もできないということは現実的でない(洪水はいつ起きるか分
 からない)。(2)河川整備を進めるに当たっては無駄な二重投
 資など避けるため「大きな手戻りの無い範囲で」進めることを条
 件とする。というものであり、浅川の場合は砥川と違い、建設大
 臣(当時)が既に認めた旧河川法に基づく全体計画があったとい
 うことが工事再開の大きな要因になりました(脱ダムの方針が認
 められたわけではありません)。

16.これにより、河川改修の再開に当たっては、ダムを含めて継
 続扱いとなっている全体計画の下で河川改修だけを先行して行う
 ということですが、そこにこぎ着けるまでの間、市町村や県議会
 が国に対して浅川の実情を訴え、交渉と要請をしてきた内容を、
 まず国が理解を示し、ようやく県もそれに乗ったにすぎないこと
 を是非知っていただきたいと思います。

17.一方、県の治水担当者からは、一時期、新河川法に基づく整
 備計画を本年8月までに樹立して国の認可を得ると発表しました
 が、どのような理由があるにせよ、他の施設管理者との間で確た
 る協議もなされず、治水に係る数値等も確定していない現在、8
 月中の認可申請が無理であることは、県知事の発言でも明らかで
 す。結局その場限りの発言がまたもや繰り返され、問題の先送り
 をしているだけだと考えます。

 今週は、浅川の河川改修に向けた経緯を説明いたしました。次週
は、今後の河川整備に当たり長野市が懸念している事項や浅川治水
対策における関連事業への影響などについて、ご説明申し上げたい
と思います。