8月1日(日)、糸魚川市で知音都市交流15周年記念事業が開
催され、松代の皆さん45名と一緒に出席させていただきました。
この都市交流は、トルストイの「復活」の劇で歌われた「カチュー
シャの唄」にちなみ、演出家、作詞家、作曲家、女優の出身地が手
を結んだ大変ユニークなもので、島根県金城町(島村抱月の生誕地)、
新潟県糸魚川市(相馬御風の生誕地)、長野県中野市(中山晋平の
生誕地)、長野県長野市(松井須磨子の生誕地)との間で交流を行っ
ているものです。
「知音(ちいん)」という言葉は、親友、知友、すなわち昔から心
を知り合った友人という意味です。この交流は、金城町の社団法人
「活性活性かなぎ」の提唱に基づき、平成2年8月2日、知音都市
実務者会議で、交流の推進を行うことが確認され、以来今日まで相
互の友好関係が築かれてきているものです。
糸魚川市では、相馬御風の記念館や住居(新潟県指定史跡)を見
学し、式典の挨拶の中で私からは松代の宣伝、特に「エコール・ド・
まつしろ」の話をさせていただきました。その後、金城町の安藤美文
町長の記念講演がありました。
金城町として知音都市交流のプロジェクトのスタートを決意し、関
係市を訪問したときの話です。長野市を訪問し、当時の塚田市長に
趣旨を話し、ぜひ賛同して欲しいと申し入れたときの返事は、「松井
須磨子は女性でございます。男性から申し込まれては断るわけには
いきません」とお答えしたそうです。私は初めて聞く話ですが、塚田
市長もしゃれた返事をされたものだと感心しました。その後、塚田
市長が松代の市議会議員であった故中島邦雄さんに、「地元議員と
してこの交流を活発にして欲しい」と依頼し、今日に至っていると
いう事です。20分ほどの短いお話でしたが、大変印象に残りました。
会場ではそれぞれの都市の物産展が開催されていましたが、松代
からは地酒やお菓子、「エコール・ド・まつしろ」のグッズ等が出品
されていました。式典のあと、それぞれの都市のお国自慢を披露す
る文化交流が行われ、松代からは、松代マンドリン研究会の演奏が
行われ、大変好評を博していました。
松井須磨子の生誕地ということで、松代がこの交流を行っていま
すが、今回は彼女のことについて、パンフレットやインターネットで
理解した範囲で触れてみたいと思います。
松井須磨子は本名小林正子、旧松代藩士族、小林藤太の末子とし
て明治19年、埴科郡清野村(現長野市松代町清野)に生まれ、千葉
県木更津の旅館に嫁ぐが離婚。帰京して演劇学校の講師と再婚。夫
の勧めで、坪内逍遥主宰の「文芸協会演劇研究所」へ第1期生とし
て入学。夫と離別後、文芸協会第1回公演「ハムレット」でオフェリア
役を好演、芸名を松井須磨子と名付け、「人形の家」のノラ役で新し
いタイプの女を演じ、脚光を浴びました。
その後、演出家の島村抱月と親しい関係となり、文芸協会を追わ
れた須磨子は、大正2年抱月と共に芸術座を興しました。翌年トル
ストイの「復活」のカチューシャ役を演じ、劇中歌「カチューシャの
唄」が大ヒットし、日本初の流行歌と言われたそうです。また、日本
初の新劇女優でもありました。
6年間で国内外の上演回数は440回にも上ったそうです。しか
し、大正7年、抱月がスペイン風邪による肺炎で亡くなった後、芸
術座の経営にあたっていましたが、大正8年抱月の後を追って芸術
倶楽部で自殺、34歳の波乱の人生を終えたということです。
この都市交流の最後は、参加された皆さんが一堂に会し、地酒を
酌み交わしながら、交流を深めました。さらに糸魚川の港では花火
大会も開催されました。皆さん、既に顔見知りの方も多いようで、
和気あいあい、素敵な交流会だったと思います。
市町村の特色づくり、まちおこしが盛んですが、建物や文化で特
色を出すのは難しい場面もあります。しかし、人を中心に据えてい
くことは、他の自治体ではなかなか真似はできないはずですから、
アイデアとしては、素晴らしいと感じました。
秋に行われる松代の「真田まつり」には、今年は各首長が参加し
て馬に乗ることを約束してくださいました。金城町の町長さんは一
番遠い島根県から、毎年来ていただいて祭りを盛り上げていただい
ていますが、今年はさらに大勢の方が来ていただけるとのことで、
本当に有り難く、この知音都市交流の意義を感じました。
全国で市町村合併が進んでいますが、このプロジェクトを最初に
提案された金城町も来年、隣接する浜田市との合併が決まっている
そうですし、他もそれぞれ進行中だそうです。合併後もこの交流が
継続されることを祈念しつつ、長野市まで帰ってきました。