先日、NPO法人「ながのこどもの城いきいきプロジェクト」の
皆さんから、もんぜんぷら座にあるこども広場「じゃん・けん・ぽ
のまち・くらしづくり活動賞」の子育て支援活動部門に応募したと
ころ、「内閣官房長官賞」を受賞されたのだそうです。
この「あしたのまち・くらしづくり活動賞」という賞は、財団法
人あしたの日本を創る協会、読売新聞、NHKなどの共催により、
地域の課題を解決するために取り組んでいる市民の活動などを顕彰
するために毎年実施しているのだそうです。
この賞には、子育て支援活動部門以外にも、まち・くらしづくり
活動、企業の地域社会貢献活動という部門もあり、部門ごとに内閣
総理大臣賞、内閣官房長官賞各1件のほか、主催者賞などがあると
のこと。今回、報告に来ていただいた「ながのこどもの城いきいき
プロジェクト」の皆さんからは、「内閣総理大臣賞をもらいたかっ
たのですが・・・」と、ちょっと遠慮気味に話がありましたが、実
質2位の賞なのですから素晴らしいものです。
「ながのこどもの城いきいきプロジェクト」は、平成9年に市内
の小児科医有志を中心に発足した会が前身で、乳幼児を持つ親と子
の子育てサロン、こどもの心とからだの相談室などの活動をしてき
たNPO法人で、「じゃん・けん・ぽん」を開設当初の平成15年
6月から(平成18年4月からは市の指定管理者として)運営して
いただいています。
この皆さんからは、私が市長に就任した当時から“こどもの城”
の必要性などについて要望をいただいてきましたから、活動経過な
どはある程度理解しているつもりでした。ただ、今回いただいた資
料を拝見し、認識を新たにしたこともありましたので、ここで少し
ご紹介させていただきます。
会の設立のきっかけは、前理事長で小児科医の有吉徹先生が「診
察に来る子どもたちや親の様子がおかしい」と問題提起したことに
始まるのだそうです。
それは、「母親が仕事と家庭との両立に悩んで疲れ果て、それが
子どもに影響して夜泣きなどの症状となり、診察を受けに来る例が
増えているのではないか」というもの。そして、「これは、小児科
医だけでは受け止められない。対応するには、ほかの職種の人たち
とも一緒になって、東京の青山にある“こどもの城”のような子育
て支援拠点を長野にもつくる必要がある」という考えを話したとこ
ろ、ほかの小児科のお医者さんの意見も一致したのだそうです。
その後、長野市ボランティアセンターを拠点に子どもに関する課
題に取り組んでいた「こどもプロジェクト」の方々とも合意し、一
緒に「ながのこどもの城づくりを進める会」を設立、活動が開始さ
れました。NPOとしての法人格を取ったのは平成14年とのこと
です。
会では、乳幼児を持つ親と子の子育てサロン、こどもの心とから
だの相談室の開催に加え、学習会の開催や情報誌の発行、子育て中
の親の意識調査も行うなど、設立当初から精力的な活動をされてき
ました。さらに、市に対しては「こどもの城」の必要性を提案して
いただいてきたのです。当時は、決まった活動拠点がなかったこと
から、ふれあい福祉センターの会議室などを利用していたそうです。
そして、平成14年に市がもんぜんぷら座を取得したことにより、
会の提案がようやく実を結び、長野市版の“こどもの城”、こども
広場「じゃん・けん・ぽん」が誕生することになりました。
「じゃん・けん・ぽん」の運営では、それまでの活動と会のネッ
トワークを生かして、小児科のお医者さんをはじめ、助産師、栄養
士、臨床心理士、保育士、歯科医師など、専門家の支援体制やほか
の団体との連携関係をつくり、相談の場を設けたり、さまざまな情
報を提供したりするなど、積極的な事業展開をしていただいていま
す。単に、乳幼児と保護者のための遊びと交流の場、というわけで
はないのです。
また、「子育て中のお母さんのためのリフレッシュ講座」、「休
日マタニティーセミナー」、「こどもの活動に取り組む人材育成事
業」、「チャイルドライン事業」など、新規の取り組みにも積極的
です。
今回は、これらの一連の活動が評価されたようです。やや難解で
すが、「内閣官房長官賞」の受賞理由には、「地域住民の子育て課
題に対し、子育て支援活動を地域住民と心通う連携により、専門職
のスキルを活用し、より健やかで安心安全な子育て、より科学的な
子育てのために効果的に機能しており、子育て支援のモデルである」
と書かれていました。
「じゃん・けん・ぽん」開設以来の利用者は、昨年の3月に30
万人を超え、現在すでに35万人に達しています。この数は、「な
がのこどもの城いきいきプロジェクト」の皆さんの取り組みが、い
かにニーズをとらえた事業であったのかを証明していると言えるで
しょう。
私も、仕事でもんぜんぷら座に行った際には、ガラス越しにのぞ
いて見るのですが、いつもにぎわっていると感じています。また、
利用者の皆さんからも高い評価をいただいているようです。「じゃ
ん・けん・ぽん」は、小さなお子さんを持つお母さんたちのよりど
ころとして、大変有意義な場所になったのではないでしょうか。
ただ、当然と言えばそうですが、お聞きしますと、このようにな
るまでには、さまざまなご苦労もあったとのことで、行政を巻き込
むことも大変だったようです。行政の壁が厚く、聞き入れてもらえ
ないことも多く、根気強く話をしていただいたそうです。
さまざまな視点から、行政の子育て・子育ち支援が求められる今
日ですが、この施設が長野市にあることは、「ながのこどもの城い
きいきプロジェクト」の活動なくしては語れないと思っています。
もっと言えば、「ながのこどもの城いきいきプロジェクト」の活動
がなければ、長野市のこども広場は、まだ誕生していなかったかも
しれません。
小児科のお医者さんの問題提起から、市民有志の皆さんの活動に
発展し、行政を巻き込んできたこの活動はとても素晴らしいと思い
ますし、それが評価されたことは、長野市としてもとてもうれしい
ことです。
平成22年度からは、住民自治協議会での活動が本格的に始まり
ます。住民自治協議会では、これまでも、地域の課題を解決するた
めの独自の活動に取り組んでいただいています。そのような活動が、
今回の「あしたのまち・くらしづくり活動賞」でも評価していただ
けるようになれば、活動の励みになると思っています。
なお、市内には、篠ノ井こども広場「このゆびとまれ」という、
「じゃん・けん・ぽん」と同様の施設がもう一つあります。こちら
の運営は、現在のところ市の職員による直営ですので、私とすれば、
早くこの施設にも指定管理者制度を導入したいのです。
市としての正式な手続きは、これからですが、「ながのこどもの
城いきいきプロジェクト」のように積極的な団体が名乗りを上げて
くださることを期待しています。
2009年1月29日木曜日
うれしい報告がありました
2009年1月22日木曜日
1月の諸行事に出席させていただきました
マクロ経済については、必ずしも明るい新年とはいえないスター
トですが、ミクロで見れば長野はそれなりに順調なスタートを切っ
たと思っています。“派遣切り”などにより住宅が無くなった方の
ために、昨年末に市営住宅を8戸用意したのですが、仕事始めの日
の報告では、申し込みはゼロとのことでした。3月末に派遣契約が
切れる会社が多いとのことですから、安心しているわけではありま
せんが、中央の状況とは少し違うのではないかと感じています。
県に倣って、緊急経済対策にも具体的に取り組んでいます。入札
差金を利用した工事の前倒し発注も既に行っていますし、国の二次
補正予算の成立をにらみ、3月市議会の開会を2月後半に早めるよ
うお願いしていますので、さらなる対策にも直ちに取り組みたいと
考えています。
ただ、国会情勢が流動的で、国会審議が大幅に早まり、もしかす
ると1月中にも二次補正予算が決まるのではないかという情報も入
ってきています。そうなると、市議会定例会を待たず、臨時市議会
の招集をお願いすることになるかもしれません。
経済対策とは違いますが、今回は、新年になってからの市内の主
な動きを報告します。
元旦の早朝、年賀状の元旦配達出発式に出席しました。郵政省時
代から毎年行っている行事で、郵便事業株式会社という民間会社に
なってからも続いているものです。
今年の年賀状は、全国的に昨年よりかなり多いとのことで、私が
お伺いした長野東支店の元旦配達持ち出し数は、211万3,80
0通で、配達先は6万5,000カ所とのことでした。ご家庭へ元
旦にお届けするために、学生アルバイトなども含め、配達員の皆さ
んが、出発号令のもと、まちへとび出して行かれました。
その後、長野運動公園で、元旦マラソンが行われ、市長としてス
ターターを務めました。このマラソンは、「長野走ろう会」が中心
になって、約30年間、JR長野駅前から善光寺の間で信号に従っ
て走るマラソンとして続いていたのですが、諸般の事情により昨年
は休止となりました。今年は場所が変わって、長野運動公園陸上競
技場を発着点に、第1回として再開されたものです。これからまた
長く続いていくものと思います。
私はスターターをさせていただきましたが、私の号砲により、皆
さんそれぞれのペースで気持ちよさそうに走り出していきました。
1月5日(月)、市役所の仕事始め式。私は職員を前にして、
(1)100年に一度の世界不況を、国や県の施策も利用しながら
何とか切り抜け、経済に少しでも明るい兆しが見えることを期
待したい。
(2)信州新町・中条村との合併内容がほぼ決まってきたので、準
備に万全を期すこと。
(3)春の善光寺御開帳では、多くのお客さまをおもてなしの心で
お迎えし、地域経済・観光の起爆剤にしたい。
と述べた後、以下のことを具体的な目標として掲げました。
一つ目は中山間地域の活性化。市農業公社が中心になって進めて
いる生産者グループの法人化やブランド化によるマーケティングの
拡大、生活助け合いの仕組みづくり、「いいとき観光エリア活性化
構想」など、さまざまな手段を駆使したい。
二つ目は公共交通の再生。昨年末に立ち上げた、法律に基づく
「公共交通活性化・再生協議会」で、国の支援を期待しながら「総
合連携計画」を策定し、具体的な事業展開を図っていきたい。
三つ目はスポーツを軸にしたまちづくり。スポーツは、喜びや感
動を生むほか、健康の保持、地域間・世代間の交流を促進するなど、
素晴らしい効果や魅力があり、まちも元気になる。AC長野パルセ
イロや長野マラソンなどの魅力・効果も広く市民が享受できるよう
にしたい。
すべての施策を貫いている軸は「環境」であり、長野市は「環境
先進都市」を目指す。そして、地方分権の新しい仕組みである「都
市内分権」を推進する。
このようなことを、訓示させていただきました。
1月6日(火)、本年初の部課長会議で、私は「ISO1400
1自己適合宣言」を行いました。長野市では、平成14年1月にI
SO14001の認証を取得し、以降、この国際規格にのっとり、
市の事務事業における環境負荷の低減に努めてきました。しかし、
この認証を維持するためには、審査を毎年受ける必要があり、その
ための事務量が増加してきたという側面もあったのです。
そこで、これまでに蓄積してきたノウハウを生かし、より効率的
な運用を図るために、環境マネジメントシステムを外部の「認証」
から、自らの責任で規格に適合していると決定し運用する方式へ切
り替えることにしたことから、この日の「宣言」になったものです。
自己適合宣言によるメリットは、審査にかかる事務が不要になる
こと、審査手数料(約120万~160万円)が削減できることの
ほか、書類偏重型から成果重視型へ意識を移行できると考えていま
す。もちろんデメリットもあり、ISO規格への適合に対する客観
性や信頼性が低下してしまう恐れもありますが、そうならないよう、
継続的に第三者の視点も充実させていく予定です。
1月9日(金)、2月にアメリカ合衆国のアイダホ州で開催され
る2009年スペシャルオリンピックス冬季世界大会に出場される
長野市在住の大井大輔さんが、市役所を訪問してくださいました。
明るく、若さあふれるハキハキとしたしゃべりで、元気なあいさつ
をいただきました。出場種目は、フィギュアスケートシングルとい
うことで、非常にプレッシャーのかかる競技だそうです。私からは、
普段の実力を十分発揮してほしい、世界中から優れた選手が集まる
ので、交流して楽しんできてほしいと、激励させていただきました。
1月10日(土)、消防出初式が行われました。鍋屋田小学校グ
ラウンドに集合し、パレードに出発。昭和通りからトイーゴの角を
左折して中央通りを南下、刈萱山西光寺を左折して、長野大通り、
そして昭和通りを右折して長野市民会館へ、全長約1.8キロメー
トルだそうです。続いて、市民会館前で市長観閲式、市民会館に入
って式典が行われました。大勢の来賓の皆さんをはじめ、消防団、
日赤奉仕団、自主防災会の皆さんなど・・・大変多くの方々にご参
加いただいた盛大な式典でした。昭和幼稚園の園児の皆さんによる
マーチングバンド、そして火遊びをしない誓いなど、かわいい一幕
もありました。
1月11日(日)、長野市民会館で成人式が開催されました。市
内全員が一緒に成人式を行うことは、現在の市民会館では無理です
ので、それぞれの地区ごとに開催されています。私が出席させてい
ただいたのは、公民館10館の合同成人式です。始まる前に、新成
人と恩師とのおしゃべりタイムを設けるなど、工夫していただいて
います。この会場への出席は約1,400人でしたが、市全体では
4,000人余が成人式を迎えられました。
1月13日(火)、男女共同参画促進サポート事業の一環として、
職場で男女共同参画の取り組みを積極的に行っている優良事業者を
表彰させていただきました。
この表彰は、男女ともに能力を発揮しやすい職場環境が整ってい
たり、性別にとらわれず個人の状況に応じた多様で柔軟な働き方を
可能にしていたりする事業者を表彰させていただいているもので、
今年は、次の方々を表彰させていただきました(敬称略)。
優良事業者賞:株式会社クリエイティブヨーコ、大日本法令印刷
株式会社、奨励賞:学校法人長野県理容美容学園長野理容美容専門
学校、長野テクトロン株式会社
1月13日(火)から16日(金)まで、ビッグハットで、カナ
ダ、アメリカ、ノルウェー、そして日本が参加して、2009ジャ
パン・パラリンピック・アイススレッジホッケー競技大会が開催さ
れました。私は13日の開会式に出席させていただいたのですが、
PRが悪かったのか、観客はあまり多くありませんでした。海外の
3チームは、トリノ・パラリンピックでメダルを獲得した世界3強
だということですが、日本チームは大健闘し、今大会では3位とい
う成績を収めました。次の2010年のバンクーバー・パラリンピ
ックでは、ぜひメダルを獲得してもらいたいものです。
最後に、今シーズンのスキー場運営についてですが、年末年始は
やや雪不足気味だったものの、戸隠スキー場は12月20日(土)
のスキー場開きから順調にスタートしました。12月27日から1
月4日までの利用者数は、昨シーズンに比べ3,140人の増、
117%という報告がきています。残念ながら飯綱高原スキー場は
92%、17日(土)にようやくオープンできた聖山パノラマスキ
ー場は0%でした。
以上、新年に入ってからこれまでに、私が関係した主な出来事な
どを大ざっぱに報告させていただきました。これがすべてではあり
ませんが、新しい年、まずはおおむね順調に滑り出していると感じ
ています。
2009年1月15日木曜日
新しい年(2)
先週は、雇用問題について考えてみましたが、今週は、もう一つ
の大きな課題である環境問題について、農業を雇用のセーフティー
ネットにつくり直すということも視野に入れながら、書かせていた
だきます。
ひとくちに環境問題と言っても範囲が大変広い分野ですから、そ
の対応は一律ではありません。なかでも地球温暖化を防ぐことは、
人類の生き残りをかけた挑戦ということですし、そのためには、化
石燃料の使用をどこまで減らせるかが、重要な焦点の一つであると
言われています。
では、長野市としてどうするか。地球温暖化対策として市では、
太陽光発電設備を一般住宅に設置する際に費用を補助する制度を設
けているほか、市有施設への設置も進めています。特にこれから造
る施設については、すべてに太陽光発電設備を設置することにして
います。そのほか、小水力発電設備の設置やさまざまな省エネルギ
ー対策も進めてきました。
しかし、今後は、このように技術的に安定し、すぐに取り組める
施策だけではなく、多少遠回りでも、市内の雇用増加や農業の再生
につながる環境施策が必要なのではないかと思っています。特に中
山間地域での働き口をつくって雇用を増やし、活性化させることは、
環境問題の解決に大きな効果があると考え、次のような総合施策を
私なりにまとめてみました。そして、実際に取り組んでいくために、
「みらい政策研究会議」(政策課題を調査研究するために設けた市
の内部組織)に対し、施策としてまとめるよう指示しました。
(1)中山間地域と都市部の交流
豊富な自然や都市部にはない景観など中山間地域が持つ資源を生
かし、次のような施策により都市部との交流人口をもっと増加させ
たいと考えています。
○グリーンツーリズム
農村観光の展開、修学旅行の誘致を積極的に進めるために、
コーディネーターを育成して受け入れ態勢を整備し、営業活
動を展開
○観光資源の有効活用
いいとき観光エリア活性化構想により、スキー場、牧場、観
光施設などを活用(いいとき=飯綱・戸隠・鬼無里の頭文字)
○中山間地域の住民自治協議会での雇用増
農作業支援や冬場の雪かきなど、市農業公社との連携も視野
に入れ、中山間地域の人材不足を補うために雇用
○公共交通体系の整備
昨年立ち上げた「長野市公共交通活性化・再生協議会」によ
り総合連携計画を策定し、具体的な事業を展開(中山間地域
での移動手段の確保は重要課題)
(2)農林業の再生
市農業公社と連携し、これまでの農業・林業を活性化させること
で、中山間地域での生計維持を容易にするとともに、雇用の増加に
も結び付けたいと考えています。
○既存農業のリニューアル
マーケティングの充実と生産者グループの法人化、地産地消
の推進などにより、もうかる農業を強化
○木材の利用促進による雇用増
森林間伐の促進、木工やバイオマスなどへの木材利用促進、
植林、林道整備
○中山間地域での薬草栽培
県の計画に連動した積極的な取り組みとして、薬草栽培に適
した中山間地域の気候や土壌を生かした薬草生産と供給
○耕作放棄地の活用
(3)新たな産業の育成
長野市の自然環境に適した新たな産業を育成し、新たな雇用を創
出できるのが望ましいことは言うまでもありません。具体的には、
観光も含め、素晴らしい自然環境を生かすことができ、中山間地域
で展開できる産業だと思っています。
○新エネルギー・自然エネルギーの産業化
バイオエタノールや亜臨界水(※)の研究、薄膜型の太陽電
池や色素増感型太陽電池、小水力・風力を利用した発電(た
だ、以前の調査によると、風力発電の適地は市内にないよう
なのですが・・・)
○バイオトイレの実用化
中山間地域でのトレッキングの利便性確保と自然環境を守る
ためにバイオトイレを実用化
○中山間地域への企業誘致
薬草栽培に関連した健康食品産業、信州新町との合併を視野
に入れたサフォーク牧場など(サフォーク牧場が実現できれ
ば、これまで林業などの利用に限られていた山間地を牧場と
して利用することもできると考えています)
○雇用・人材の確保
中山間地域で新たな雇用や人材を確保するためには、空き家
の活用、田舎暮らし用の住宅を確保することなども必要
(4)施策を実現するために
○大学や企業と協働、市も投資
これらの施策を実現するための技術・方法を確立するには、
研究機関や企業と協働して事業化することが必要であり、市
として投資することも考慮(特に県テクノ財団や市ものづく
り支援センターとの連携が重要)
○中山間地域等直接支払制度の維持、新過疎法制定への期待
中山間地域の農業・農村を維持するための国の支援として
「中山間地域等直接支払制度」の継続、平成17年に合併す
る前の旧長野市内の地域単位でも過疎指定が受けられ、現過
疎法と同等の支援が受けられるような新法制定が必要
これらのことに加え、新たな産業を育成することについて考えて
いることがあります。長野市域の7割は中山間地域ですから、平坦
で広い土地を必要とする産業は、長野市には向いていません。また、
現段階では、労働力の余剰もそれほどは無いと思っていますし、
「海無し」県であるが故に、大量輸送が必要な企業も無理がありま
す。そして、地勢が内陸型ということを考慮すると、長野市には環
境型の産業が一番適しているのではないかと思うのです。
また、これからのことを見据えると、大学などの研究機関や行政
と協働できる高付加価値型の業種がぜひ欲しいですし、できれば行
政も協力でき、ベンチャー型で将来性のある企業が望ましいとも思
っています。
このように考えると、バイオエタノールに大いに期待したくなっ
てきます。特に、草木やごみを利用したセルロース系のバイオエタ
ノールの生産が可能になれば、中山間地域はもとより山に囲まれた
長野市にはとても適した産業になり、雇用の増加にも結びつくので
はないでしょうか。間伐材の新たな活用策として、林業の再生にも
結び付くはずです。ただ、早急に実現することが難しそうだ、とい
うことだけが残念ですが・・・。
現段階では、以上のようなことを簡単にまとめ、市の部長に私が
プレゼンテーションしただけで、今後の研究を待つ部分も多いとい
う状態です。しかし、本年の基本施策として、雇用問題と農業・中
山間地域再生にかける私の意気込みは、ぜひ、ご理解いただきたい
と思います。
※ 亜臨界水:高温・高圧により、気体でも液体でもない状態と
なった水。廃棄物処理やバイオエタノール製造への応用が研究
されています。
2009年1月8日木曜日
新しい年(1)
新年明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。今年もよろしくお願いしま
す。
ただ、昨年後半の状況は、極めて憂うつで、あまり素直には「お
めでとう」と言えない気分もあります。昨年の東京株式市場の日経
平均株価は、年間下落率42%という戦後最大の下げとなり、確か
に大変でしたが、年末年始のテレビや新聞の報道、そして有名評論
家の著作など、いろいろな意見から学んで私なりに出した結論は、
マクロで考えれば、日本経済は決して弱くないということです。予
測的なことを言うのは厳に戒めるべきではありますが、かじ取りさ
え間違わなければ、本年後半からは、徐々に経済は回復していくで
あろうということが感じられる話が多かったように思っています。
しかし、その再生の過程は、過去と同じようにはならないであろ
うということです。何だか評論家じみた話で恐縮ですが、地方自治
体としてどうすべきか考えてみました。
学んだ結論は、大きく次の二つです。
(1)失業は、人間の尊厳にかかわることであり、雇用問題は、最
大の問題。雇用におけるセーフティーネットが必要。
(2)環境問題は、人類の生き残りをかけた挑戦。化石燃料の使用
をいかに減らすか。
この二つは、世界、いや日本にとって・・・地方自治体としても
取り組まなければならない、とても大きな課題であると感じました。
まず、雇用問題・失業問題です。昨年は、企業社会で多くなった
派遣労働者、加えて行政などでも多用している臨時・嘱託などの期
間労働者といった、労働者の就業形態が問題になった年でした。い
わゆる就業の安定化、正規・非正規の格差是正が必要という世論が
高まってきた年であったと言えると思います。
従来、派遣労働は、職種や期間などで厳しく規制されており、そ
れが企業の競争力をそいでいた側面があったことは事実です。しか
し、グローバルスタンダード(アメリカン・スタンダード)の波が
押し寄せた結果として、日本企業も企業競争に勝ち抜き、株式買収
攻勢に対抗するためには、年功序列制度や終身雇用制度を守ってい
ては駄目だということで、派遣労働者など非正規雇用を増やし、企
業体質を強める手段に移らざるを得なかったのだと思います。
日本の労働者派遣法は、昭和61年に施行されました。施行当初、
派遣労働が認められていたのは、専門性の高い13業種だけだった
のですが、次々と拡大され、平成11年に原則自由化、平成16年
には製造業にも拡大されました。
アメリカには以前から、一般的に“レイオフ”という手段があっ
て、景気が悪くなったとき、企業が従業員を解雇する合法的(?)
な手段がありました。日本の経営者とすれば、うらやましく感じた
ことがあったのも事実だったのではないでしょうか。
労働者派遣法の改正は、日本企業の競争力を高めるために、その
時点ではやむを得なかった政策であろうと思っています。ただ、い
くら正しい論理だとしても、それを徹底していくと、どんな場合に
もその社会は破たんに至るという、藤原正彦氏が著書『国家の品格』
で述べられた理論の通り・・・人材派遣会社のグッドウィルのよう
な違法行為を生み、また、製造業の現場では、日本を代表する大手
企業であっても派遣労働者に頼ることになりました。さらに、派遣
の変形というべきでしょう、工場運営をそっくり下請け派遣会社に
任せる方式も現れてしまいました。
このような結果になると、労働者派遣法の再改正が必要になるの
かもしれません。でも、考えてみれば、下請け形態は昔から多くの
業界にあったもので、特に建設業界は、まさに典型的な形で存在し
ていましたし、組み立てメーカーと部品メーカーとの関係も、メー
カー・卸・販売店の関係も似たようなものなのです。
職業選択や転職の自由は、基本的な人権の一つでしょうが、競争
原理を徹底したが故の施策によって、意図した方向とは違う方向へ
進んでいってしまった、すなわち、企業経営の安全弁になってしま
ったのです。何事も、一つの政策を徹底しすぎると問題が生じると
いうことではないでしょうか。
「失業は人間の尊厳を損なう」とまで言われています。失業を回
避する道は、非常に重要なのだと痛感しています。
こんな時こそ行政は、「行政だからできる」ことで雇用を増やす
政策を実施しなくてはなりません。すなわち、取り組むべきことは、
福祉的な施策にとどまることなく、社会的に有用な仕事を用意し、
やる気のある人を雇用することだと考えています。
派遣とは違いますが、行政にも同じような問題として、臨時・嘱
託という雇用形態の問題があります。長野市の場合、正規職員は、
市長部局、教育委員会、消防局、上下水道局など、合わせて約
2,800人ですが、そのほかに臨時・嘱託職員が約1,400人
います。正規職員の5割ですから大変な数ですし、この職員がいな
くては市行政が回りません。
このほか、開発公社、保健医療公社、農業公社、観光コンベンシ
ョンビューロー、社会福祉協議会や社会事業協会・・・市直営とい
う形は取っていませんが、市が実質的に責任を持たなくてはならな
い団体・組織はたくさんあり、そこにも多くの職員がいるのです。
市の正規職員の数は、「小さな政府」を求める世論に押されてい
る部分もありますが、財政健全化の流れもあって、定員管理が厳し
く行われており、平成17年の合併以来、平成22年度までに
140人減らすことを目標にしています。しかし、正直なところ、
市民の皆さんからの要望は際限なく広がる可能性があり、それに対
応するためにも割り切って職員減を徹底するのはなかなか難しいの
です。
私は以前、市直営の派遣会社をつくって、市の臨時・嘱託職員は
そこからの派遣社員にしたらどうか、という提案をしたことがあり
ます。庁内で検討した結果、残念ながら「コストが増える」という
ことなどで、結局、そうはできませんでした。
しかし、正規・非正規の問題がここまで大きくなると、行政体と
しても考えざるを得ない事態に追い込まれていると感じています。
国も新しい公務員制度の検討に入ったといわれています。市として
も今年は何とか方向性を出したい、安定した職務遂行体制を組みた
いと考えています。実務上は、臨時・嘱託職員に頼らざるを得ない
現実があるのです。
昭和40年代ごろまでの日本の企業社会は、農村出身者の労働力
によって支えられていました。私が経営していた会社でも、大勢の
社員が農業と会社勤めの二足のわらじを履いていたような記憶があ
ります。中には、「いざとなれば、会社を辞めて家へ帰って畑を耕
せば、食うには困らない」と考えていた社員もいたのでしょう、会
社の幹部クラスは、そんな社員を見て「どうも根性が足りない、あ
いつは財産(畑)があるからいけないのだ」なんて評していたこと
を記憶しています。
市役所でも、現在退職の時期になっている職員ぐらいまでは、農
業との二足のわらじを履いている人が、まだ、結構いるように感じ
ています。
でも、このことを考えてみると、まさに「農業は日本経済の安全
・安心ネットワークであり、セーフティーネットだった」と私は感
じています。しかし、団塊の世代を中心に、企業や行政で働いてい
た人たちは代替わりして、農村に基盤を持つ人たちが少なくなって
しまいました。そして、多くが純粋な賃金労働者になってしまった
ことにより、日本全体がセーフティーネットを失ってしまったのだ
と感じています。イギリスの産業革命時代のエンクロージャー(囲
い込み)を彷彿(ほうふつ)させるのではないでしょうか。
“日本農業”をもう一度日本の“セーフティーネット”につくり
直すことが、今必要だと考えています。それには農業と企業と行政
の連携が大切だと思っています。そして、失われた伝統も復活させ
たいですね。
このために、取り組む必要があると考えている施策がありますの
で、環境問題のこととともに、来週書かせていただきます。