2009年1月8日木曜日

新しい年(1)


 新年明けましておめでとうございます。
 昨年はいろいろお世話になりました。今年もよろしくお願いしま
す。
 ただ、昨年後半の状況は、極めて憂うつで、あまり素直には「お
めでとう」と言えない気分もあります。昨年の東京株式市場の日経
平均株価は、年間下落率42%という戦後最大の下げとなり、確か
に大変でしたが、年末年始のテレビや新聞の報道、そして有名評論
家の著作など、いろいろな意見から学んで私なりに出した結論は、
マクロで考えれば、日本経済は決して弱くないということです。予
測的なことを言うのは厳に戒めるべきではありますが、かじ取りさ
え間違わなければ、本年後半からは、徐々に経済は回復していくで
あろうということが感じられる話が多かったように思っています。
 しかし、その再生の過程は、過去と同じようにはならないであろ
うということです。何だか評論家じみた話で恐縮ですが、地方自治
体としてどうすべきか考えてみました。

 学んだ結論は、大きく次の二つです。
(1)失業は、人間の尊厳にかかわることであり、雇用問題は、最
  大の問題。雇用におけるセーフティーネットが必要。
(2)環境問題は、人類の生き残りをかけた挑戦。化石燃料の使用
  をいかに減らすか。
 この二つは、世界、いや日本にとって・・・地方自治体としても
取り組まなければならない、とても大きな課題であると感じました。

 まず、雇用問題・失業問題です。昨年は、企業社会で多くなった
派遣労働者、加えて行政などでも多用している臨時・嘱託などの期
間労働者といった、労働者の就業形態が問題になった年でした。い
わゆる就業の安定化、正規・非正規の格差是正が必要という世論が
高まってきた年であったと言えると思います。

 従来、派遣労働は、職種や期間などで厳しく規制されており、そ
れが企業の競争力をそいでいた側面があったことは事実です。しか
し、グローバルスタンダード(アメリカン・スタンダード)の波が
押し寄せた結果として、日本企業も企業競争に勝ち抜き、株式買収
攻勢に対抗するためには、年功序列制度や終身雇用制度を守ってい
ては駄目だということで、派遣労働者など非正規雇用を増やし、企
業体質を強める手段に移らざるを得なかったのだと思います。

 日本の労働者派遣法は、昭和61年に施行されました。施行当初、
派遣労働が認められていたのは、専門性の高い13業種だけだった
のですが、次々と拡大され、平成11年に原則自由化、平成16年
には製造業にも拡大されました。
 アメリカには以前から、一般的に“レイオフ”という手段があっ
て、景気が悪くなったとき、企業が従業員を解雇する合法的(?)
な手段がありました。日本の経営者とすれば、うらやましく感じた
ことがあったのも事実だったのではないでしょうか。

 労働者派遣法の改正は、日本企業の競争力を高めるために、その
時点ではやむを得なかった政策であろうと思っています。ただ、い
くら正しい論理だとしても、それを徹底していくと、どんな場合に
もその社会は破たんに至るという、藤原正彦氏が著書『国家の品格』
で述べられた理論の通り・・・人材派遣会社のグッドウィルのよう
な違法行為を生み、また、製造業の現場では、日本を代表する大手
企業であっても派遣労働者に頼ることになりました。さらに、派遣
の変形というべきでしょう、工場運営をそっくり下請け派遣会社に
任せる方式も現れてしまいました。

 このような結果になると、労働者派遣法の再改正が必要になるの
かもしれません。でも、考えてみれば、下請け形態は昔から多くの
業界にあったもので、特に建設業界は、まさに典型的な形で存在し
ていましたし、組み立てメーカーと部品メーカーとの関係も、メー
カー・卸・販売店の関係も似たようなものなのです。

 職業選択や転職の自由は、基本的な人権の一つでしょうが、競争
原理を徹底したが故の施策によって、意図した方向とは違う方向へ
進んでいってしまった、すなわち、企業経営の安全弁になってしま
ったのです。何事も、一つの政策を徹底しすぎると問題が生じると
いうことではないでしょうか。
 「失業は人間の尊厳を損なう」とまで言われています。失業を回
避する道は、非常に重要なのだと痛感しています。

 こんな時こそ行政は、「行政だからできる」ことで雇用を増やす
政策を実施しなくてはなりません。すなわち、取り組むべきことは、
福祉的な施策にとどまることなく、社会的に有用な仕事を用意し、
やる気のある人を雇用することだと考えています。

 派遣とは違いますが、行政にも同じような問題として、臨時・嘱
託という雇用形態の問題があります。長野市の場合、正規職員は、
市長部局、教育委員会、消防局、上下水道局など、合わせて約
2,800人ですが、そのほかに臨時・嘱託職員が約1,400人
います。正規職員の5割ですから大変な数ですし、この職員がいな
くては市行政が回りません。
 このほか、開発公社、保健医療公社、農業公社、観光コンベンシ
ョンビューロー、社会福祉協議会や社会事業協会・・・市直営とい
う形は取っていませんが、市が実質的に責任を持たなくてはならな
い団体・組織はたくさんあり、そこにも多くの職員がいるのです。

 市の正規職員の数は、「小さな政府」を求める世論に押されてい
る部分もありますが、財政健全化の流れもあって、定員管理が厳し
く行われており、平成17年の合併以来、平成22年度までに
140人減らすことを目標にしています。しかし、正直なところ、
市民の皆さんからの要望は際限なく広がる可能性があり、それに対
応するためにも割り切って職員減を徹底するのはなかなか難しいの
です。

 私は以前、市直営の派遣会社をつくって、市の臨時・嘱託職員は
そこからの派遣社員にしたらどうか、という提案をしたことがあり
ます。庁内で検討した結果、残念ながら「コストが増える」という
ことなどで、結局、そうはできませんでした。
 しかし、正規・非正規の問題がここまで大きくなると、行政体と
しても考えざるを得ない事態に追い込まれていると感じています。
国も新しい公務員制度の検討に入ったといわれています。市として
も今年は何とか方向性を出したい、安定した職務遂行体制を組みた
いと考えています。実務上は、臨時・嘱託職員に頼らざるを得ない
現実があるのです。

 昭和40年代ごろまでの日本の企業社会は、農村出身者の労働力
によって支えられていました。私が経営していた会社でも、大勢の
社員が農業と会社勤めの二足のわらじを履いていたような記憶があ
ります。中には、「いざとなれば、会社を辞めて家へ帰って畑を耕
せば、食うには困らない」と考えていた社員もいたのでしょう、会
社の幹部クラスは、そんな社員を見て「どうも根性が足りない、あ
いつは財産(畑)があるからいけないのだ」なんて評していたこと
を記憶しています。
 市役所でも、現在退職の時期になっている職員ぐらいまでは、農
業との二足のわらじを履いている人が、まだ、結構いるように感じ
ています。

 でも、このことを考えてみると、まさに「農業は日本経済の安全
・安心ネットワークであり、セーフティーネットだった」と私は感
じています。しかし、団塊の世代を中心に、企業や行政で働いてい
た人たちは代替わりして、農村に基盤を持つ人たちが少なくなって
しまいました。そして、多くが純粋な賃金労働者になってしまった
ことにより、日本全体がセーフティーネットを失ってしまったのだ
と感じています。イギリスの産業革命時代のエンクロージャー(囲
い込み)を彷彿(ほうふつ)させるのではないでしょうか。

 “日本農業”をもう一度日本の“セーフティーネット”につくり
直すことが、今必要だと考えています。それには農業と企業と行政
の連携が大切だと思っています。そして、失われた伝統も復活させ
たいですね。
 このために、取り組む必要があると考えている施策がありますの
で、環境問題のこととともに、来週書かせていただきます。