5月31日(土)、御開帳最後の行事となる結願大法要が行われ、
前立本尊の御厨子の扉が閉められました。翌6月1日(日)の前立
本尊御還座式で、御厨子は神輿に乗せられて、大勧進の北側にある
善光寺の御宝庫に納められました。7年後の御開帳時にまたお出ま
しいただくということになります。
3月30日(日)、御開帳の象徴である回向柱が、松代の皆さん
を中心とした善光寺回向柱寄進建立会から奉納される御開帳大回向
柱受入式が行われ、実質的な御開帳がスタートいたしました。
江戸時代、幕府の命によって松代藩が善光寺の再建に尽力した縁
で、以来、回向柱は恒例によって松代藩が、明治以降は松代商工会
議所が中心になって、浄財を集めて奉納するという伝統が守られて
います。
今回は、真田家第14代当主真田幸俊氏(横浜市在住)が馬に乗
って先導され、大名行列が続き、古式豊かに回向柱の賑やかな行列
が市内を練り歩き、善光寺本堂前に奉納されました。
4月6日(日)の御開帳開闢(かいびゃく)大法要までの間に大
勧進の小松玄澄大僧正が回向柱に立派な梵字(ぼんじ)を書かれ、
伝統の技法で回向柱の建立が行われました。そして、御宝庫から
前立本尊が本堂に御遷座(せんざ)されて、阿弥陀如来様の右手と
回向柱が善の綱で結ばれることにより準備が整ったわけです。
以後、5月末日までの56日間にわたり御開帳が行われ、628
万人という空前の人出となりました。
世界では、テロ、SARS、あるいは経済不況といった嫌なこと
の多い中で、善光寺さんの持つ全ての人を受け入れる包容力、平和
のイメージが、多くの方に受け入れられたのでしょう。沢山の参詣
者が長い行列をつくり、回向柱に触れて何事かを祈り、またご利益
を願っておられました。
直接的な御開帳行事だけではありませんが、この2か月間にあっ
た主なイベントを列挙してみますと、もんぜんぷら座TOMATO
食品館・楽茶れんが館・パティオ大門のオープン、長野オリンピッ
ク記念長野マラソン、天台宗中日庭儀式、ながの花フェスタ(善光
寺花回廊とインフィオラータ・イン・NAGANO)、浄土宗中日
庭儀式、屋台巡行・・・・個々の事業を数え上げれば切りがありま
せんが、この時期長野はとても元気があり、有り難いことでした。
遠くから来た友達(67歳ぐらい)が「7年後だと来れない可能
性もあるから・・・」と言ってくれた時、善光寺さんの縁だなあと
感じました。
参詣客の財布の紐は固かった、賑わいは善光寺周辺のみで全体へ
の波及効果が薄かった、バスのお客が多くて市内のメリットが少な
かった、等々の意見は聞かれますが、それは今後への反省事項とし
て検討しなくてはいけません。しかし、まずは善光寺さんの偉大さ、
素晴らしさを改めて実感したのは私だけではないと思います。この
元気が続いてほしいと心から願わずにはいられません。そしてこの
大イベントを一過性のものにしないでどう街づくりに生かすか、普
段の街の魅力をどうつくるかがこれからの課題でしょう。
来年は「エコール・ド・まつしろ」です。みんなの知恵と情熱を
結集しましょう。