2006年3月23日木曜日

最近感じていること その2


 先週号に引き続き、最近感じていることを書かせていただきます。
201号のメルマガで藤原正彦さんと渡部昇一さんの著書を読んで
の私の思いを書かせていただきましたが、もう少し付け加えさせて
いただきます。

 『どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底し
ていくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。言うまでもな
く、論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです。どの論
理が正しくて、どの論理が間違っているかということでもありませ
ん。これは日常用いられるすべての論理に共通した性質です。』
(藤原正彦著「国家の品格」より)

 先日のメルマガで「この文章に出会って本当に目からうろこが落
ちる思いです」と書きました。私は道理が通らなければ・・・自分
自身が納得出来なければ・・・いつもそう思って、行動してきたつ
もりですが、どうも道理のとおりにならないことの多さを感じては
いました。自分の論理が間違っているわけではない、いずれ真実は
理解されるはず・・・と思っていましたが、浅はかさも極まる、も
っと謙虚にならなければ・・・つくづく思っています。道理のとお
りにいかないから、世間は破綻しないで済んでいるということでし
ょう。

 ただ、その後、文芸春秋の3、4月号で藤原正彦さんの書いたも
の、あるいは衆議院議員の平沼赳夫さんとの対談を読んで、またび
っくりしました。彼はどうも小泉改革の郵政民営化に反対しておら
れるのですね。私は基本的に郵政民営化に賛成してきた立場なので、
ちょっと困りました。

 私は、江戸時代の日本文化のレベルの高さ、武士道精神、あるい
は明治・大正時代の民族の勃興(ぼっこう)期の素晴らしさ、藤原
さんや平沼さんのおっしゃっている日本人特殊論はよく分かります
し、過去そのことに共感する言葉も使ってきました。ただ戦後60
年を過ぎて、古い日本の体質、効率の悪さ、そして何より失われた
10年という言葉に代表される「日本人の逼塞(ひっそく)感」・
・・何とかしなくてはならない面、変えなくてならない面が生じて
いたことも事実であり、その象徴が郵政民営化だったと思うのです。

 民営化の流れは必要です。ただその流れを進めながらも立ち止ま
り、検証し、時に後退する勇気も必要だということを感じています。
私が感動した前述の文章からいえば(失礼を省みずに申し上げれば)、
藤原さんの理論も徹底的に突き詰めていくと、社会の破綻に通じる
のではないでしょうか?

 私は、あの文章を読んだとき感じたこと、それは適当な言葉では
ないかもしれませんが「程度」が大切なのではないか・・・『どん
な論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底していくと、
人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。』この言葉をよくかみ締
め、その徹底の「程度」を考えていきたいと思っています。

 そうなると、前にご紹介した渡部昇一上智大学名誉教授の文章が
光ってくると思うのです。『「人間の知力というのはまったくあて
にならない」(中略)要するに、現実の出来事に関して、人間の予
知力は、たいしてその力を発揮することはできないし、また、発揮
してはならない・・・』(渡部昇一著「歴史の読み方」より)

 感激したからといって、簡単に人の文章を引用することは、戒め
なくてはならないとつくづく感じました。しかし前述の文章だけで
判断するなら、やはり素晴らしいと感じています。その例をいくつ
か申し上げたいと思います(作者の意図とは違うかもしれませんが)。

 たとえば行政の入札についてです。工事契約や物品購入にあたっ
て、出来るだけ安く、良質で、公平・公正に行おうとすれば、なか
なか上手くいかず、完璧な方法論は無いと言っても良いと思います。
安さのみに重点を置けば、品質は大丈夫か?公平に行おうとすれば、
能力の高低にかかわらずすべての受注希望事業者に入札する権利を
与えよ。新しい技術を発明した人、でも実績が無い人では失敗した
ら・・・。一番の問題は価格だけで突き詰めていくと、地方の事業
者は倒産か、居なくなる可能性がある、あるいは品質の悪化か、強
いものだけが生き残る寡占状態になる危険性もある・・・というこ
とでしょうか。

 この冬の除雪は大変でした。道路の除雪は建設業界にお願いして
いるのですが(入札ではありません)、一部の意見として「建設事
業者は低価格競争によって、利益がなくなり、余裕がなくなった。
除雪用の機械があるうちは何とかやるけれど、機械が壊れたら更新
するほどの余裕はない」。前述の入札問題も同じだとは思います、
「合成の誤謬(注)」と言って良いのかも知れません。

 個人情報保護にも難しい問題があります。たとえば災害に備えて
地域では住民同士で助け合う体制をつくっていきたい。でも災害時
要援護者といわれる一人暮らしの高齢者、あるいは障害者の名簿を
行政から地域に明かすことはできない・・・徹底すれば徹底するほ
ど、安全・安心のまちが出来ない・・・同窓会名簿を作らないとい
うことなどは、過剰反応だと思います。匿名社会になってよいこと
はないでしょう。

 地方分権は、もちろんこれから本格化するはずですが、国が憲法
で保障する健康で文化的な生活(均衡の理論)と特色ある地域をつ
くろうとする地域の自治権は、どこかで衝突しそうです。どの辺で
妥協するのか?難しい問題です。

 民営化路線もどこまで民営化するのか・・・独自性を主張する場
合、どこまでなのか、そのことによって日本という国はどうなるの
か?郵政民営化も原則は賛成ですが、地域にマイナスを与える可能
性は排除しなくてはならない。市場原理主義も徹底的にやったら、
破綻は起きると思います。

 福祉施策を考えるとき、いわゆる社会的弱者に手厚くという意見
は常に正義です。でもそれを支える税収を稼ぐ手段を考えなくては、
社会は破綻するでしょう。

 農業に元気がない、でも農業は必要だ、だから補助金を出してほ
しい、所得保障をしてほしい・・・突き詰めたら、現状ではやはり
破綻でしょう。

 すべて「合成の誤謬」とはいえませんが、いずれにしろ一つの考
えをとことん推し進めると、社会全体としてはうまく動かなくなる。
「程度」が大切ということが今のところ、私の結論です。


(注)「合成の誤謬(ごびゅう)」、経済学の用語で、「個々人と
しては合理的な行動であっても、多くの人がその行動をとると、好
ましくない結果が生じる場合」