2006年3月2日木曜日

メルマガ201号を迎えて


 今回のこのメルマガで平成14年4月にかじとり通信としてスタ
ートして以来、201号になりました。お読みいただいている皆さ
んに心より感謝いたします。大ざっぱに言えば、1年約50週で、
2年で100ということになりますから、私が市長をやらせていた
だく間には相当な号数になる!なんて、変なことに感慨を覚えてい
ます。いずれにしろ、市長の週間日記として、分かりやすく発信し
ていくことを、最重点に続けてまいります。

 先日、東京へ出張した帰り、大宮駅で、藤原正彦著「国家の品格」
という本を買いました。最近評判になっている本で、帰りの新幹線
で読んできました(新幹線の中だけでは読めるほど薄い本ではあり
ませんでしたが、素晴らしい内容でした)。

 奥付によると、藤原正彦さんという方は、お茶の水女子大学の理
学部教授(数学者)ということですが、私は新田次郎(本名藤原寛
人)と藤原てい両氏の次男ということに惹かれて買ってしまった面
もあります。新田次郎さんは、諏訪地方出身の作家として有名です
し、藤原ていさんも作家活動をしておられますが、昔講演をお聞き
したことがあって、旧満州から三人の子供を連れて引き上げてきた
その苦労話に感激したことを覚えています。

 本の内容については、とても簡潔にまとめることはできませんが、
本のカバーに内容の大綱が示してありましたので、それを羅列させ
ていただきます。「資本主義の勝利は幻想」「情緒の文明を誇れ」
「英語より国語と漢字」「論理の限界を知る」「卑怯を憎む心、惻
隠の情の大切さ」「跪(ひざまず)く心を忘れない」「武士道精神
の復興を」「古典を読め」「家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛」「
国際貢献など不要」「重要なのは文学と芸術と数学」「真のエリー
トを求める」です。

 数学者というのは、物の本質を考えることが上手なのでしょうか、
私たちが日ごろ感じていたこと、そしてハッと思わせる新しい視点
を、見事に文章にしていただいたと感じました。

 「どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底し
ていくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。言うまでもな
く、論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです。どの論
理が正しくて、どの論理が間違っているかということでもありませ
ん。これは日常用いられるすべての論理に共通した性質です。」

 論理だけではダメなことは、私も前から感じてはいましたが、こ
こまではっきり言い切られ、そしてそれを証明されると・・・「参
ったなあ!」、「でもそうだなあ!」でした。理論を最も重要とす
る数学者の言葉ですから、更に説得力があるのだろうと思います。

 前に読んだ本ですが、文章の趣旨が大変似ていると私が感じた文
章をご紹介させていただきます。上智大学の名誉教授渡部昇一さん
の文章で「歴史の読み方」という本に出てくるものです。この本も、
読んだときすごく感激したことを憶えています。

『ルソーの「社会契約論」は人間を破滅に導く
 もう一つ、西洋に思想に関して多くの日本人が間違った考えを持
っているものに、ジャン・ジャック・ルソーあたりにはじまる知性
万能主義にたいする盲信がある。
 このルソーが出現した時期は、フランス革命の少し前、18世紀
後半、いわゆる啓蒙時代である。そしてこの時期は、“人間の理性
を考察した時代”で、この理性を考察する方法として、当時、大陸
派とイギリス派の二つの流れがあったのである。
 要するに「人間の知能は万能である」と考えた一派、これがフラ
ンスを中心とするルソーやヴォルテールによる大陸派である。
 彼らは、すべてのものが知力で構築できると考えたため、構築的
知力主義、または理性主義、知性主義と言ってよい。そして、この
人間の知力の万能を信じた知性主義を突き詰めていくと、社会は
“契約”によってできたと考えざるをえなくなる。すなわち、国家
と国の体質(コンステチューション)によって徐々に成立したとい
うより、むしろ、人間の知力でつくりあげたと考えたくなる。その
ため、今の社会が悪ければ“契約のしなおしだ”というわけで、し
ごく単純に革命の理論に到ることになる。これが社会契約論の骨子
(こっし)と言ってよいだろう。
 しかしルソーと個人的にも接触があり、彼のイギリス亡命中、個
人的な面倒を見たこともあるデイヴィッド・ヒュームは、ルソーが
知性万能主義を唱えた同じ時期に、逆に、「人間の知力というのは
まったくあてにならない」と、その名著『人間本性(ほんせい)論』
で述べている。彼は認識論から出発して、知性不信に到ったのであ
る。要するに、現実の出来事に関して、人間の予知力は、たいして
その力を発揮することはできないし、また、発揮してはならないと
説くのである。』

 以上の文章は昭和54年に出版された本からのもので、25年経
過しているが故に、平成18年の現在では理解が違う点もあるので
しょうが、私はこの本に出会って本当に目からうろこが落ちる思い
をもちました。

 学生時代、歴史の授業で学んだルソーの「社会契約論」が、こう
いう形で批判されるとは、まったくびっくりでした。学んだことと
はあまりにも違う視点、そしてその論理が結局マルクスの共産主義
につながっていく、そんな重要な視点を含んでいることを知り、い
つかは参考にさせていただこうと書き留めておいた文章です。

 浅学非才の私がこんなことを申し上げるのはお二人に失礼だと思
いますが、藤原正彦さんと渡部昇一さんの文章に共通することは「
頭で考えたことはあてにならない、現場を知り、経験の中から考え
なくては、正しい答えはでてこない」ということでしょうか。

 藤原正彦さんは、文芸春秋の三月特別号にも、「愚かなり、市場
原理信奉者」と題して、同趣旨ですが、かなり激しく書いておられ
ます。市場原理主義は人類を不幸にする、日本は惻隠の国になるべ
き、情緒は論理より大切という趣旨です。

 ただ、これらの議論を突き詰めると、行政に「民間活力の導入」
という私の政策と相容れないという意見が出そうかな、ちょっと心
配です。市場原理主義と民間活力導入とは問題が違うとは思ってい
ますが・・・・・・。