2007年4月26日木曜日

閑話(1)・・・維新以前の長野


 本年は、善光寺の本堂再建300年記念の年です。300年なん
て昔のことを知っている人はいないのですが、でも記念の年ですの
で、今回、次回と少し昔のことを、振り返ってみたいと思います。
 折しも善光寺大本願明照殿の改修工事の現場から、約1300年
前の白鳳時代のものとみられる瓦が出土したとのことです。よく分
かっていなかった善光寺の昔のことが明らかになっていくのかもし
れません。歴史のロマンを感じさせる出来事でした。

 尊敬する童門冬二氏の本によると、『歴史には、「事実」と「真
実」とがある。歴史的事実というのは、残されている古記録や史跡
など信じられるものから組み立てる歴史像であり、あるいは歴史上
の人物像だ。一方の歴史的真実というのは、必ずしもそういう古記
録や史跡への考証を厳密に行わずに、「自分が信じる歴史あるいは
人物像」のことだ。歴史的事実は必然性がなければならない。しか
し歴史的真実は蓋然(がいぜん)性があれば足りる。』とのことだ
そうです。

 戦後の長野市の歴史は、私を含めて多くの人が知っていますので、
今回は多分あまり知られていない昔のことを、長野市の所蔵する古
い資料から、長野の沿革を調べ、私の雑学的知識を交えて書いてみ
ました。調べているうちに明治から大正、そして戦争前のことが、
大変面白かったので、維新前と維新後の2回ぐらいに分けて書いて
みたいと思います。

 北アルプスに源を発する犀川の扇状地と千曲川の沖積地によって
形成された肥沃(ひよく)な長野盆地(善光寺平)には、中世のこ
ろから「三国一の霊場」善光寺の門前町が存在していたようです。

 善光寺の本堂の中にある案内板によりますと、善光寺は皇極天皇
(在位は642~645年)の勅願によって創建されたと書いてあ
りました。皇極天皇は大化の改新(645年)当時の女性天皇です
から、1400年ぐらい昔の話です。そのことと、「本田善光(よ
しみつ)が善光寺の本尊を難波の堀江から運んできた。」といわれ
ている善光寺縁起とどういう関係があるのかは分かりませんが・・・
(最近、この案内板が変わっていました。趣旨は変わっていません
が、何かスマートになってしまったような・・・)。

 善光寺如来が信州に下向してから宿駅路線が通じ、奈良・平安・
鎌倉・南北朝・室町と時代を経て大集落を形成し、善光寺の門前町
としてその体裁を整え、戦国時代には上杉・武田がその所領を争う
地となったとあります。今年のNHK大河ドラマ「風林火山」の時
代での舞台です。

 5回にわたって戦われた「川中島の戦い」ですが、勝敗はどちら
が勝ったのか、いろいろな意見があるようですが、最終的な決着を
つけるより、両勢力は他地域での戦いが忙しくなっていったという
ことでしょうか。

 武田氏が織田信長に滅ぼされた(この時の戦いで、高遠城を守っ
ていた仁科(にしな)五郎盛信(もりのぶ)が戦死、彼は武田信玄
の五男で、県歌信濃の国でも歌われています)後、森長可領、上杉
景勝領、松平忠輝領などと変転し、慶長5(1600)年の関が原
の戦いの翌年に長野村、箱清水村、七瀬村、三輪村の一部(のち平
柴村と交換)は善光寺領となり、ほかは真田などの所領として変転
したそうです。大坂冬の陣・夏の陣が終わり、戦国時代の幕が下り、
元和8(1622)年に真田信之が徳川幕府によって、上田から松
代に移封され、松代藩は明治4(1871)年の廃藩置県まで続い
たわけですが、この間、善光寺の門前町は、同時に北国街道の宿場
町や市場町として栄え、まちの基礎が築かれたとのことです。

 善光寺の現存する本堂は、江戸時代中期、宝永4(1707)年
に松代藩の援助により建立されたとのことで、以来、本年が300
年目になるということで、お祝い、記念行事が行われているのは、
皆さんご存じの通りです。それまでの善光寺本堂は、現在の位置よ
り少し南に寄った仲見世通り(堂庭)の真ん中あたりにあったよう
ですが、記録によると、過去11回の火災にあったとのことです。
現在地に移ってからは、火災はないとのことです。
 木造の家ばかりだった時代、町の真ん中にあって、常に類焼の危
険にさらされていたのかもしれません。弘化4(1847)年の善
光寺大地震は本堂建立より後ですから、地震にも耐えたということ
です。本堂東側階段のところの柱が少しずれていますが、あれは善
光寺大地震の名残だと聞いたことがあります(しかし、この説につ
いては別の見解があり、最近は、宝永4年の再建時に、新しい木材
を使用したために、その後の木材のねじれを計算して設置したもの
ではないか、といわれています)。

 弘化4(1847)年の善光寺大地震は、信州北部を中心に稀有
(けう)の大災害をもたらしました。信濃国と越後国の全壊家屋は
3万4,000戸。死者1万2,000人といわれているそうで、
被害の大きさとしては、阪神大震災より大きかったと思われます。
震災・火災による被害に加えて、もう一つの災難は犀川の洪水でし
た。犀川沿いの虚空蔵山(岩倉山)が崩壊して押し出した土砂は厚
さ320メートル、高さ70メートルという巨大な自然のダムとな
って犀川をせき止めてしまったそうです。そして石俵、土俵、材木
を使って必死に犀川に堤防を築いたのですが、約20日後、巨大ダ
ムは決壊し、善光寺平一帯は水浸しとなり、松代藩領の被害は、浸
水家屋1,841戸、死者2,727人にも達したと記録されてい
ます。

 善光寺大地震から20年後には、もう明治維新(1868年)で
す。
 まさに激動の幕末、ペリーの黒船が来航して日本中が大混乱、松
代藩主真田幸貫侯(寛政の改革で有名な松平定信の子息)が外様大
名としては異例の幕府老中に出世し、松代藩士・佐久間象山が江戸
で大活躍(弟子に吉田松陰、高杉晋作、小林虎三郎、勝海舟など
・・・明治維新の立役者がきら星のごとく象山先生の下に集まった
ようです)、黒船来航時に守備を命ぜられるなど、そして京都で暗
殺される・・・戦国時代以来、松代藩が歴史の表舞台に出た時期で
した(松代藩で有名な人物としては藩財政を改革した「日暮硯」
(ひぐらしすずり)の恩田木工(もく)、そして鎌原桐山、山寺常
山、佐久間象山の松代三山です)。

 次回は、明治以降の長野について書いてみたいと思います。

2007年4月19日木曜日

中山間地域について


 国土交通省が実施した市町村アンケートによると、10年以内に
全国で422集落が消滅する可能性があるとのことです。422集
落の詳細はよく分かりませんが、長野市も70%が中山間地域です
から、もしかしたら幾つか入っているかもしれません。

 3月市議会定例会で、質問にお答えし、次のようなことを申し上
げました。
 「中山間地域の活性化は、根本的な解決が難しい中で、今後とも
高齢化が進む中山間地域の生活やコミュニティの崩壊を食い止める
ため、行政がどのように住民の生活を支援していけるか、私は、荒
廃しつつある中山間地域の農林業を担いながら、地域に居住し、住
民自治協議会活動へ参画するなど、必要な人材を確保する、新たな
中山間地域への生活支援制度の創設を検討するよう、関係部局に指
示した次第です。」

 この件は、数年前から、庁内では議論していたテーマですが、な
かなか難しくて答えが出ないのです(答えのないことを書くことは
いけないという意見もありますが、広く意見を求めたいという意味
でご理解いただきたいと思います)。中山間地域の市民の皆さんが
集まっていろいろな事例を発表しあったり、早稲田大学と共同研究
をしたり、私自身としては素晴らしい活動をしている地域を視察し
たり・・・国も中山間地域等直接支払制度を導入したり、集落営農
を応援する制度をつくったり、いろいろ工夫はしているのですが。

 個々にみれば、素晴らしい活動があり、頑張っている集落はある
のですが、しかし、こうすればよいという決定打はなかなか見つけ
ることができません。日本中で悩んでいろいろやっています。

 都市内分権を進める上でも、市街地と中山間地域では同じように
は進められないということを感じています。すなわち中山間地域で
は人が流出してしまうため、活動をしていくのに、その中心になる
リーダーが不足してしまうのです。

 従って、根本的には中山間地域で生活ができるような環境をつく
ることを目標にしなくては解決にならないというのが、私の持論で
す。

 自分たちの地域は自分たちでつくることを目標に、都市内分権を
進めながら、その中で、どんな支援策が出せるか、財政状況が厳し
い中ですから、なかなか難しいのですが、農業公社の設立も決まっ
たことですから、思い切った政策を打ち出したいと考えています。

 以前に議会で中山間地域に市営住宅を造ったらどうかという意見
をいただいたことがあります。そのときは、無理だとお答えしたの
ですが・・・合併した大岡地区には菜園付き住宅やクラインガルテ
ン(滞在型市民農園)という施設があります。市営住宅という事業
ではありませんが、住宅を造って地区外から居住者を求めたという
点では、同じような試みです。現実に大岡地区の住民は増えたので
す・・・。長野の市街地に1時間以内で出て来れるのですから、農
業や林業だけにこだわらなければ一つの選択肢かもしれません。

 私の狭い知識ですが、アメリカの社会をみていると、比較的お金
持ちの人が中山間地域に住んでいるように感じます。行政に頼らず、
自力で生活するには、大金持ち、そして自然が好きな人でないと難
しいのかもしれません。でも高齢になったら・・・災害があった
ら・・・。

 農業で生活が成り立つことが一番良いのですが、平地の農業でも
なかなか難しいのに、中山間地域の厳しい環境の中では・・・。
 林業も日本では経営が厳しい産業になってしまいました。昔は、
山持ちという言葉は、金持ちの代名詞だったのですが・・・(最近
少し事情が変わってきているようですが)。

 中山間地域は、道路の整備不足、情報格差がある、病院が遠い、
買い物が不便、銀行や郵便局が無い、学校や文化施設・公共施設な
どの生活インフラが十分でない・・・弱点が多くあるのも事実です。
一方で、中山間地域には、緑豊かな自然環境が広がっており、きれ
いな空気や清らかな水流もあって、人々の「癒やしの空間」になり
得る条件は整っています。また、文化なども数多く継承されており、
これらをうまく生かしていければよいと思うのですが・・・。

 ただ、こういう地域ですので、個人負担、行政コストが掛かり過
ぎる、移住していただく方がよいのではないか・・・要するに中山
間地域に人が住まなくてもよいかという考えが無いわけではないで
しょう。しかし、住んでいる方にとっては愛着のある故郷なのです。
なかなかほかの地域へ行くことはできないと思うのです。

 同時に、人が住まなくなった地域はどうなるか、これは大変です。
まず土地が荒れ土砂災害が発生しやすくなり、有害鳥獣も活動範囲
が広がり、人の生活に悪影響を及ぼすことは必然です。森林の保水
力が低下し、下流地域は利水にも影響が出るでしょうし、流木や土
砂によって水害になりやすくなるはずです。豊かな景観が失われ、
危険も伴うことになりそうです。中山間地域、特に里山は、きちん
と手入れをすることが大切だと言われています。

 こういう中山間地域をどうしたら良いか・・・前にも書いた通り、
決定打を見つけるのは難しい・・・。解決法としては、中山間地域
はきれいな水、きれいな空気を都会の企業・住民に提供していると
いう発想だと、私は思っています。高知県、岡山県をはじめとして、
24の県で採用されている森林環境税の発想ですが、これは県単位
でやっても規模が小さくて駄目だと思います。日本全体で、特に東
京や大阪を巻き込んで、きちんとした目的のある税にして、その税
を中山間地域に資金として投入することが必要だと考えています。

 しかし、今すぐできるとは思っていません。でもいずれは実現し
たいと考えています。それまでの間、どうするか、地域の中でどん
な支援ができるか、真剣に考える時期になっているのです。長野市
域の70%が中山間地域なのですから・・・。
 このテーマはこれから時々取り上げていきたいと考えています。

2007年4月12日木曜日

戸隠イヤーが始まりました


 4月7日(土)、戸隠神社中社の神殿で、「戸隠イヤー」の成功
祈願祭が行われました。
 戸隠イヤーのテーマは「戸隠流作法のすすめ」ということで、恵
まれた自然・歴史・文化を生かしながら、古来からのしきたり、風
習を現代風にアレンジし、お客さんをおもてなししようと、戸隠の
皆さんは、一生懸命に取り組んでおられます。今年は大勢のお客さ
んをお迎えしたい・・・そんな思いの込もった祈願祭でした。

 神事の後、太々神楽(だいだいかぐら)が献奏され、会場を中社
の旅館に移して、戸隠古流祭礼御膳(とがくしこりゅうさいれいご
ぜん)と戸隠雪中酒の披露が行われました。戸隠古流祭礼御膳とい
うのは、戸隠流「晴」(ハレ)の作法を用いて、特別な日(晴の日)
に召し上がっていただく、おもてなしの料理ということです。また、
季節ごとの山野の恵みを、心を込めて調理した精進料理で、古文書
に記された晴の食膳を忠実に再現し、現代の健康志向にも通じる精
進を基本とした新しいおもてなしの料理だそうです。案内書には、
戸隠に連綿と息づく歴史、祈り、そして身も心も澄んでくる霊山の
時間を、味わいとともにご体験くださいとありました(晴の作法に
対し、常(ケ)の作法もあるようで、これは戸隠で日常感じること
のできる心・精神・習慣を表現したものです)。

 長野市では観光振興を目的として、「1200万人観光交流推進
プラン」を進めていますが、これは地域の素材を生かした体験型観
光やグリーンツーリズムといった新たな視点からの観光戦略によっ
て長野市の交流人口の増大を図っていくということが目的で、昨年
3月策定しました。

 この計画では「地域ブランド化の推進」によって、「多軸型観光
都市ながの」の形成を目指していますが、今年度は「川中島の戦い
・ゆかりの地」とともに、合併によって新たに加わった魅力的な地
域素材を生かすべく、その先駆けとしてここ「戸隠」を本年度のキ
ャンペーンエリアとしたものです。

 戸隠では戸隠観光協会の皆さんが中心になって、いろいろ計画し
ていただいていますが、6月には、オープニングイベントとして、
長野駅、善光寺から戸隠神社までの「戸隠古道」を活用しての「戸
隠古道大ウオーク」が企画されていますし、そば打ちなどの体験メ
ニューの充実も図っていく計画となっており、戸隠の貴重な自然や
歴史・文化を広く紹介していく絶好の機会となるでしょう。

 「常」(ケ)と「晴」(ハレ)についても、ぜひ皆さんご自身で
体験してみてください。

 また、戸隠地域には、戸隠スキー場、キャンプ場、牧場など重要
な観光資源、産業資源があります。まだまだ十分に生かしきれてい
る施設とは言えませんので、今後民間活力の導入により施設の活性
化が図られ、多くのお客さんが訪れる目玉施設にしていきたいと考
えています。

 話は変わりますが、同じ日、長野駅で特別急行「風林火山」号の
出発式が行われました。これはJR東日本が、NHK大河ドラマの
放映に連動して、風林火山の県内ゆかりの地を結んで(新宿~甲府
~諏訪~長野)お客さんを大勢お迎えしようというプロジェクトで、
市としても大変期待しているものです。

 「風林火山」の大きなロゴマークなどでラッピングされた車両は
素晴らしい外観で、車両内部もいろいろなパンフレットや飾りで工
夫がされており、雰囲気十分でした。支社長さんいわく、本当はも
っと車両全体を飾りたかったのだけれど、東京都の条例でできず、
残念とのことでした。
 板倉長野県副知事、伊藤JR東日本長野支社長、川上NHK長野
放送局長の皆さんらとくす玉割りを行い、列車は大勢のお客さんを
乗せて、川中島陣太鼓に送られ、甲府に向かって出発していきまし
た。

 翌日8日(日)は、本年、サッカーJFLに昇格を目指す“AC
長野パルセイロ”が、北信越リーグ一部リーグの初戦を戦い、相手
は新潟経営大学サッカー部でしたが7対0で快勝しました。当日は
県議会議員選挙の投票日でしたが、私は期日前投票をしてありまし
たので、張り切って会場に駆けつけ、応援しました。まず順調な滑
り出しと言ってよいのでしょう。

 城山の桜も開花宣言、来週15日(日)は長野マラソン、同じ日
にパルセイロの第二戦が行われます。長野マラソンのゴールは南長
野運動公園のオリンピックスタジアムです。マラソンが終わった同
じ公園内のサッカー場で午後4時15分にキックオフするパルセイ
ロの応援もお願いします。そして月末には野球の信濃グランセロー
ズもシーズン入り。連休中は善光寺花回廊・・・元気な春、大いに
楽しみましょう。

2007年4月5日木曜日

市政について


 市長就任以来、二期目。その折り返し点のこの時期に当たり、私
の政策を総括し、今後どのような施策に力を入れていくべきかを考
えてみました(現在の予算規模が大きいとか小さいということとは
関係ありません)。

 まず、市政運営に当たっての鷲澤5原則とでも言ってよいと思い
ますが、私には絶対に譲れない原則があります。すなわち重要政策
を決定する場合に、常に以下の5原則に照らし、この原則に反する
ことは「やらないぞ!」と決意していることです。
(1)入りを量りて、出ずるを為す(財政の健全化、ストックに頼
 らない市政運営は重要課題です。未来の子どもたちに借金を残す
 ことは、極力避けるべきことです。)
(2)市民とのパートナーシップ(行政がすべてをやることは不可
 能な時代です、市民の皆さんと一緒に汗をかいていきましょう。
 また皆さんの意見に耳を傾けます。)
(3)簡素で、分かりやすく(とかく行政のことは分かりにくいと
 いう批判がありますし、重要なことの決定に当たって透明度が足
 りないという批判は常に付きまとっています。どうしたら市民の
 皆さんに分かりやすい行政ができるか、頭を悩ましています。)
(4)民間活力の導入(これは時代の流れです。(2)のこととも
 関連がありますが、行政をいかにスリムにするか、民間経営のノ
 ウハウをいかに活用していくか、私が市長に就任させていただい
 た使命であろうと考えています。)
(5)「無私」「他利」の精神(行政の長とすれば、当たり前のこ
 とですが、人間は弱いものですから、多かれ少なかれ、自分がか
 わいい。ある決断が自分にとってどうなのか、とか、将来自分に
 とって不利になるとか、邪魔になるとか・・・一切考えていませ
 ん。長野のために、日本のためにと、常に考えています。)

 以上の5原則に反する行動は絶対にやらない、私の不動の決意で
す。
 でも、5原則はいわば理念ですから、これだけですべて解決でき
るとは思っていませんし、相互に矛盾している場面も出てきます。
具体的な諸問題に対処するに当たっては、この5原則に照らしなが
ら政策判断をしていくことになります。
 そこで現段階としてやらなくてはならないテーマを私なりに整理
してみました。

(ア)方向性が見えない難問

 物事を解決するためには、落としどころを考えながら取り組むこ
とが重要ですが、以下の問題はまだそれがよく分かりません。広く
皆さんの意見を聞きながら、取り組んでいきたいと考えているテー
マです。
(1)中山間地域の活性化(何度かメルマガでも取り上げているこ
 とですが、決定打が無くて困っています。しかし、長野市の市域
 の70%が中山間地域ですから、ここを元気にしなくては、駄目
 だと思っています。思い切った施策が必要です。)
(2)広域行政と行政改革(長野市から、県の地方事務所と長野広
 域連合の統合を提案させていただいていますが、これはそう簡単
 な問題ではありません。ただし実現すれば大きな合理化になり、
 地方公共団体にとって最大の行政改革になると私は信じています。
 将来の道州制をにらんでの提案として、じっくり県と市町村の在
 り方を検討してみたいと思っています。ちなみに広域連合は市町
 村の集合体と考えられていますが、現在の地方自治法上では、広
 域連合に県も参加できるようです。)
(3)北陸新幹線開業に伴う並行在来線経営問題(この問題は、新
 幹線が北へ延伸した場合、JRは長野・直江津間の経営を切り離
 す・・・すなわち営業しないということは、国と長野県との合意
 事項です。JRの運営を考えた場合、赤字路線をそのまま経営す
 ると、国鉄の二の舞いになる。また、JRは主要都市間の高速交
 通に徹するということからみれば事情は理解できますが、雪深い
 地域の生活路線であること、JR貨物が上越、糸魚川方面から大
 量の貨物の輸送をしていること、鉄道は自動車に比べ環境にやさ
 しく、将来のためには、必要であり大切な路線と考えられること
 ・・・などから、私は廃線という選択肢は無いと思っています。
 ただ、乗車人員が少ない問題、除雪に要する費用が多額であるこ
 と、長野県と新潟県にまたがっていること・・・などで今のとこ
 ろ、現状の長野・直江津間だけでは、経営が成り立つ可能性が見
 えません。落としどころが見えていないというのが実情です。)

 少し前まで、このジャンルに浅川治水問題も入っていたのですが、
今回は省きました。

(イ)方向性は見えているものの難問

 一応の方向は決め、全力を挙げて努力していますが、ご理解いた
だくまでには時間が必要な分野です。
(1)広域連合ごみ焼却施設建設(建設候補地として大豆島地区の
 松岡二丁目を選定し、現在地元地域にお願いしている段階です。
 第一段階として環境アセスメントの実施について申し入れさせて
 いただいています。)
(2)公共交通機関の再構築(環境問題、高齢社会、いろいろな面
 から公共交通機関を何とかしなくてはいけません・・・お金を掛
 ければ良いという問題だけではなく、実際に利用していただかな
 くては何にもなりませんし、もちろん採算性が必要です。有効な
 手立てが無いものか、悩んでいます。)
(3)都市内分権(平成18年度を都市内分権元年と位置付けて、
 まずは市内30地区に住民自治協議会をつくっていただくように、
 要請してきました。年度内にできたのは、若槻・松代・安茂里・
 古牧の4地区でした。ほかの地区でも準備は進んでいるとお聞き
 していますが、まだまだこれからと感じています。特に中山間地
 域は中心となる人材が不足しているということで、別の支援策を
 考えなくてはならないのでは・・・と考えています。)
(4)企業誘致(福祉・医療・教育・まちづくりなどに必要な収入
 を得ることが重要であり、そのためには、景気を良くして税収を
 上げていく必要があります。それには、企業活動を活発化し、雇
 用を増やさなくては税収は上がりません。既存の企業にも頑張っ
 ていただきたいことはもちろんですが、企業誘致も大切な施策と
 考えています。自然環境の豊かさ・東京とのアクセスの良さ・・
 ・などの特徴を生かしながら、立地環境を整備し、営業活動をし
 ていくことが必要です。)
(5)民間資金の活用(財政の健全化が叫ばれる中、行政が新たな
 投資をしにくくなっていることは事実です。そこで、民間の資金
 を利用させていただくこと、すなわち財政の民営化が今後重要施
 策になってきます。長野市では県内唯一の施策として、PFIと
 いう方式を試みてきました。若穂の「湯~ぱれあ」で大変好評を
 いただいています。第二、第三のPFI事業、あるいはそれに準
 ずる事業への取り組みのほか、市民の行政サービスに対する資金
 面での参加についても考えています。)

(ウ)やらなくてはならないテーマ

(1)ストックに頼らない財政構造の構築
(2)電子市役所と地域の情報格差解消(インターネットサービス
 の拡充と高速ブロードバンド環境の整備支援)
(3)観光立市(観光が長野市を元気にするための施策として、大
 切です。)
(4)ものづくり(即効性は難しいのですが、元気の基本です。)
(5)職員の意識改革(民間感覚を意識付ける、フォア・ザ・市民
 の徹底、スピード感)
(6)中心市街地の活性化(長野の魅力を高めるために、にぎわい
 を求めて商店街と協力)
(7)歩いて暮らせる生活圏(車に頼らない生活を目指すために、
 都市計画の重要な目標)
(8)教育(学校教育だけでなく、生涯学習にも力を入れます。)
(9)福祉(現在でも市の支出予算では最大項目です。行政=福祉
 の発想は大切にします。)
(10)農業公社を軌道に乗せる。

 平成18年度は、第四次長野市総合計画、改定都市計画マスター
プラン、産業振興ビジョンなど市政における根幹的な計画を作りま
した。計画は作っただけでは意味がありません。新年度はまさに実
行の年にしなくてはなりません。
 市の職員を信じ、また、市民の皆さんが支援してくださっている
ことを信じ、とにかく全力を尽くします。よろしくお願いします。