2007年7月26日木曜日

参議院議員選挙の投票日は7月29日です


 参議院議員選挙は、7月12日公示、7月29日が投票日で、候
補者、党首などのテレビ出演、街頭演説が盛んに行われています。
今回は参議院の与野党の勢力が、均衡しており、場合によっては、
与野党が逆転するかもしれないということで、注目を集めているよ
うです。

 ただ、初日の各党首の演説を聞いていて、年金問題が大きな焦点
となってしまっていると感じています。そしてニュアンスの違いは
あるけれど、皆さん同じことを言っていらっしゃる。何か、選挙の
焦点が矮小(わいしょう)化してしまっているのではないか・・・
私の正直な印象です。

 年金問題は、社会保険庁の年金記録不備が引き起こした問題で、
いずれにしろ消えた年金を調べて国民に正当な給付をすべきという
ことは当たり前で、それをどうやるか、いつまでにやるか、という
ことでしょう。
(1)社会保険庁の年金記録不備は、日本の官庁は常に正しいとい
 うのは神話に等しいということを、国民に示したこと(これは官
 僚システムを指揮してきた政府、そしてチェック機能を発揮でき
 なかった野党を含むすべての国会議員の責任)。
(2)だんだんと分かってきたことですが、官公労の労働組合(自
 治労)が自分たちの権利を極端に主張し、国民への奉仕者として
 の視点を忘れていたこと。
(3)もうひとつは年金改革の折、すべての国民に社会保険番号を
 付けようという主張があったとき「国民総背番号制」は絶対に反
 対と主張した当時の野党の勢力でしょう。

 いずれにしろこの問題の解決は、政権等を含め、政党ではできま
せん。国民監視のもと、官僚機構が贖罪(しょくざい)の気持ちで、
徹底的に、時間をかけて、公明正大に行う、しかもある程度税金を
つぎ込むことを覚悟する以外、誰もできないのではないか・・・。
 従って選挙では各党首が同じことを主張するばかりで、焦点・論
点にはならないだろうと思うのです。

 選挙への一般の関心はかなり高いといわれています。景気は回復
してきたといわれながら、相変わらず問題山積みのこの時期、国民
の国政に対する問題意識は、かなり高いといわれていますが、どん
な投票行動に結び付くのか・・・私は注目しています。

 先日東京駅で電車の待ち時間に、常識『日本の論点』という本が
目につきました。平成14年9月発行「日本の論点」編集部編とい
う文春新書です。あの厚い「日本の論点」の縮刷版なのでしょう。
 それを読んでみて、評論家の論点ですので、実務面とは違います
が「5年経っても、日本は変わってないなあ!」というのが、感想
です。一読して、その論点の中から、独断ですが、今回の選挙で議
論してみたいと感じた項目をアトランダムに列挙してみます(書い
てあったすべてではありません)。
 「資本主義は絶対の原理なのか」、「日本憲法は押しつけか」、
「自衛隊は軍隊なのか」、「自民党一党支配はいつまでつづくか」、
「日本の戦争責任はどこまでつづくか」、「大きな政府か小さな政
府か」、「教科書検定制度は必要か」、「日本社会の差別とは何か」
「言論の自由か人権侵害か」、「少子化は何が原因か」、「いじめ
はいつまでつづくか」、「管理教育か自由教育か」、「消費税中心
か所得税中心か」、「民意を反映する選挙制度とは」、「中央集権
か地方分権か」、「官僚支配のどこが問題か」、「公的年金は破綻
(たん)するか」、「日本的経営は時代後れか」、「安楽死は罪悪
か」、「脳死・臓器移植は日本に定着するか」、「世界の人口爆発
を防げるか」、「地球環境はどこまで守れるか」、「原発はやめて
も電力はまかなえるか」、「天皇はどんな役割を果たしているか」、
「日本の領土はどこまでか」、「核武装はどこが悪いか」、「対中
外交のスタンスはどうあるべきか」、「宗教は政治に介入している
か」、「学校行事に国旗・国歌は必要か」など
以上、大きな問題も小さな問題も含め、論点はいろいろあるものだ
と痛感させられます。

 私なりに、あの本に無かった論点をさらに付け加えてみますと、
 「日本の財政再建をどうするのか」
 「地方財政の破たんは防げるか」
 「大都市一極集中と限界集落をどうするのか」
 「人口減時代の日本経営の指針はどうあるべきか」
 「あらゆる格差をどうすべきなのか」
 「民主主義はどこへ行くのか」
 「政治と金の問題について」
などがあるように思います。そしていずれも公の場で十分なる議論
が必要なテーマであろうと思います。

 報告を一つ。
 7月24日に上越市の木浦市長が、16日に発生した新潟県中越
沖地震による風評被害に見舞われているとのことで、観光面での安
全性をPRするためにお越しになりました。上越市では一部地域で
の被害はあるようですが、海水浴場や観光施設はすべて営業を続け
ており安心してレジャーや観光を楽しむことができるとのことです。
皆さんには正しい情報をきちんと見極めて、風評には惑わされず、
本格的な夏を楽しんでほしいと思います。

2007年7月19日木曜日

嬉しい報告が二つ


 7月9日、嬉しい報告が相次いで入ってきました。

 夕刻、腰原長野県副知事から直接連絡が入りました。内容は、
「県議会で浅川治水関係の補正予算が可決されたので、本日早速、
国土交通省関東地方整備局へ、河川整備計画の認可を得るべく、申
請をしました」とのことでした。私からは、「長い間、本当にご苦
労様でした、感謝しています、知事さんにもよろしく」とお答えい
たしました。

 思えば前知事の脱ダム宣言から数えて6年間、非常なストレス・
圧迫を感じながら、主張を続けてきた我々にとって、「ああ!やっ
とここまできたか。でも考えてみれば、6年前の状態に戻っただけ
か!」ということでした。空白の6年間だったという思いは多くの
方々が感じておられることです。予定通り進んでいれば、平成18
年度末、すなわち今年の3月には、浅川の外水対策は終了し、長沼
地区などの皆さんは一安心だったはずですし、内水についても検討
が進んでいたであろうことは十分推察できることですが、訳の分か
らない、まるで思いつきのような理論に振り回されて時間を費やし
てしまったこと、本当にむなしい思いがあります。その一方で、私
はいろいろな意見が出ることによって、市民の皆さんに分かりやす
い議論ができたことに“意義があった”と思うことにしています。

 過去、記者会見などで、何度もこの問題について質問を受けてお
りますが、私が常に一貫してお答えしてきましたことは、
(1)基本高水流量は毎秒450トン、これが多いか少ないかは、
 純粋に技術論であり、素人の議論で安全が保障できるものではな
 い。権威ある技術屋さんの議論の範囲であり、我々は、市民の安
 全度を値切ることは許さないということ以外に申し上げることは
 ない。
(2)ダム地点が危険という話も、断層があるとか、ないとか、我
 々には分からない純粋に技術論であり、本当に危険なら我々もダ
 ム建設は反対ですが、権威ある専門家の方々が大丈夫と決め、国
 も認めた計画ですから、専門家ではない首長が口を挟む余地は無
 いと申し上げてきました。

 そして一般市民の意見(世論)についても、どんな場合でも賛成
者と反対者はいるわけで、100%の方が賛成ということはありえ
ない、最後は管理責任がある者がきちんと決めて責任をもつ、すな
わち国の一級河川ですから、国から管理委託を受けている県が、案
を決めて国に認可申請を行うのが、その責務であるということです。

 今回の申請までの手順については、県の姿勢は極めて慎重でした。
昨年9月、村井知事就任以来、今日まで10カ月、なぜそんなに慎
重なのですか・・と言いたくなるほど村井知事は慎重に河川法の手
続きをきちんと踏まれてきたと思います。
 私からみれば、反対の方は何を言っても意見を変える・・・とい
うより聞く耳を持たないのですから、もういいのではないかと何度
か思いました。しかし結果を見れば、村井知事の慎重な姿勢が、す
べてを決めたと言ってよいでしょう。私自身も完全に脱帽、感謝あ
るのみです。

 話は変わりますが、腰原副知事から連絡があった同じ日、NTT
東日本の長野支店長が、長野市役所へ来庁され、もんぜんぷら座の
5階から上を借りて、コール・センターを設置したいとの正式な申
し込みをいただきました。良い話は重なるものだなあと感じました。

 新年度に入ったころ、NTT東日本の支店長から、「こんな計画
があるけれど、もんぜんぷら座の上層階を借りられますかね?」と
の打診があったことは事実です。“もちろん”とお答えし、すぐ市
役所に戻って、何が何でも誘致したいので、担当部署(まちづくり
推進課)に検討を指示、それ以後NTTとまちづくり推進課が協議
を重ね、今回の正式申し入れになったものです。

 もんぜんぷら座の上層階については、もんぜんぷら座活用検討委
員会からせいぜい5階までの利用との報告をいただいたことがあり
ました。その理由は費用対効果を考えるとせいぜい5階までだとの
ことでした。確かに商売で考えると、上層階を利用するのは、極め
て難しい・・・ましてやダイエーという日本一の大型店が撤退した
場所ですから、慎重にならざるを得なかったのです。一方で地元の
皆さんからは、常に8階までの全フロアを利用してほしい、という
要望が出されていたことは事実でした。

 長野市にとって、中心市街地のにぎわいはまちづくりの中心課題
です。そして、6年前、閑散としたあの交差点を何としてもにぎや
かにしたいという思いで、私は市長選に立候補し、幸い、市長にな
らせていただきました。市としてもんぜんぷら座(当時の長野セン
タービル)を取得し、トイーゴ、トイーゴパーキングのプロジェク
トを支援・完成させて、一定のにぎわいが生まれ、もう一息のとこ
ろへ来ていたのですが、そこへ偶然このコールセンターの話が飛び
込んできたわけです。

 コールセンターの誘致は、中心市街地のにぎわい創出に、決定的
な効果があると私は感じています。数百人の雇用が発生するようで、
あの一角のにぎわいに効果があることは間違いないと思いますし、
周辺の商店街が元気づくことは、事実でしょう。
 そこで7月17日に市議会臨時会を招集し、もんぜんぷら座改修
のための補正予算を審議いただきました。この臨時会の議論の中で、
ある党から反対意見が出されましたが、大多数の議員の皆さまにご
理解をいただき可決となりました。年内には一部営業を開始したい
との意向があることから、大至急、工事を進めていきます。
 私としては、嬉しくて感謝あるのみです。あと検討することとす
れば、あのビルの外装をどうするべきか、市内の公共交通機関をど
うするか・・・真剣に考える時期に来たということでしょう。

 題名にはふさわしくないのですが、話題をもう一つ。
 連休の最終日16日(月)の午前10時過ぎに、新潟県中越沖を
震源とする地震が発生しました。新潟県柏崎市を中心に甚大な被害
が生じ、長野市でも震度5弱、お隣の飯綱町では6強が観測されま
した。被災された方に心からお見舞い申し上げるとともに、市とし
ても危機管理に万全を期していかなければならないと改めて感じま
した。

2007年7月12日木曜日

長野市農業公社を設立しました


 農業・農村を取り巻く情勢は、グローバル化、高齢化の進展など
に伴って、厳しさを増してきていることは、今や日本全体の問題で
あります。
 そんな情勢の中で、長野市は平成17年1月1日、周辺4町村と
の合併により、市域が1.8倍に広がり、そのうち中山間地域が7
割を占める状況になっていること、また農業の担い手不足や遊休農
地の増大などが深刻になるなど、いろいろな課題が増えてきている
ことは、皆さんご承知のとおりです。

 それらの課題に対処するため、農業公社をつくったらどうかとの
議論が沸き上がり、その必要性や役割、行政と農業協同組合(農協)
の役割分担、農業者と消費者や商工業者など異業種との連携などに
ついて、調査・検討を行ってきました。

 そして昨年12月に「長野市農業公社設立検討委員会」から設立
に向けての提言を頂き、以後、JAグリーン長野、JAながのの2
農協、長野市農業委員会および長野市が設立に向けて協議を重ねて
まいりました。

 5月24日、25日に両農協の総代会で、農業公社への参加が決
議され、同時に長野市農業委員会でもその必要性が合意されました。
5月30日、長野市、JAグリーン長野、JAながの、長野市水田
農業振興協議会の4者により、発起人会を立ち上げることができま
した。
 このことは、長野市が行政として、農協をはじめ農業関係者、そ
して商工関係者と一緒に、長野市農業の再生に全力を挙げる決意の
表明といっても良いと思います。

 そして7月3日、すべての準備が完了、「社団法人長野市農業公
社」設立総会が開かれ、大勢の来賓、立会人の参加の下、公社の基
本事項として定款の制定、役員の選任、事務局体制、2年分の事業
計画と収支予算等を審議決定していただきました。長野市農業公社
が、長野市農業・農村の活性化のため、その使命を十分果たせるよ
う、全力を挙げて頑張ります。皆さんのご協力をよろしくお願いし
ます。

 今回、決定した事項の主なことを報告します。
 初代の理事長は、私(市長)が務めさせていただくことになりま
した。自論として当て職の就任は避けるべきということを、常々申
し上げてきたことに反するわけですが、今回は初めてのことであり、
ルール作り、レールを敷くことが大切で、行政の姿勢を示すべきと
のことから、市長自ら取り組むことにしたものです。
 副理事長・理事・監事には、両農協の関係者、農業委員会の代表、
そして長野商工会議所、長野市商工会、長野卸売市場協同組合、長
野市職員が就任しました。

 現段階で予定している事業は、農作業の受委託や農業機械の貸し
付け、農地保有合理化、担い手の育成・・・など直接、農業再生へ
の活動のほか、都市と農村の交流促進、特産品の加工・開発、市民
菜園・農園の管理運営や農業情報の受発信に関することとしていま
すが、今後さらに仕事は増えていくであろうと思っています。

 また、責任を明確にするため、今回は社団法人の正会員を、長野
市、2農協、長野市水田農業振興協議会の4者とし、今後、正会員、
賛助会員として農業関係者、食品関係者、流通事業者、商工関係者、
観光事業者等の入会を、働き掛けていくことにしました。

 当面の事務局体制は、
・事務局長(常務理事)の長野市派遣職員をトップに、
・総務部長(総務、都市と農村の交流担当)に長野市派遣職員
・農作業支援部長(農作業受託、農作業斡旋(あっせん)担当)に
 JAグリーン長野派遣職員
・担い手育成部長(農地流動化、担い手育成担当)にJAながの派
 遣職員が当たるものとし、
職員体制は、長野市派遣職員4人、JAグリーン長野2人、JAな
がの2人、長野県農業開発公社1人の計9人の体制でスタート、業
務の進展に合わせて充実していくことになりました。

 長野市内の関係者が知恵を絞って、従来の政策を発展させながら、
その枠組みを越えて活動分野を広げていきたい、そして長野市農業
の再生に全力を挙げてまいります。力を貸してください。

 話は変わりますが、市民の皆さんと一緒に策定してまいりました
第四次総合計画が、3月市議会で議決され、4月からいよいよスタ
ートしましたが、計画を作ったからには、それを実行して着実に成
果を上げ、市民の皆さんに分かりやすい形で継続的にアピールして
いく必要があります(前段で述べた農業公社も、未来に向けた農業
の再生・振興への取り組みとして位置付けています)。

 そこで第四次総合計画(平成19年~28年度の10年計画)の
中で、今後5年間に集中的に取り組むことを決めている重点施策
10項目を積極的に推進していく体制を整えようということで、市
長を本部長とする「重点施策推進本部会議」を設置しました。

 この推進本部設置の目的は、重要施策に関する全庁的な「情報の
共有」と「意識付け」、また縦のラインだけでは解決するのに限界
がある各種の特定課題について、各部局の横の連携の中で、今まで
と違ったアプローチにより対策を講じ、成果につなげていくことを
目指しています。当然のことながら、施策重点化方針の決定や、予
算重点ヒアリングなども、位置付けていく予定であります。部局長
がそれぞれの立場だけでなく、市の役員という意識で、長野市をど
う経営していくのかを判断しながら、会議に参加し、実行していく
ことが重要であります。あわせて、部局横断的にマトリックス型の
プロジェクト組織(複数の目標を同時に実現するための組織形態で、
異なる組織構造をミックスし、指揮命令系統を多次元的にデザイン
した組織のこと)を編成し、課題解決に取り組んでまいります。

 ちなみに、重点施策10項目(基本施策)は次のとおりです。
(1)多様な観光交流の推進
(2)多彩な文化の創造と文化遺産の継承
(3)スポーツを軸としたまちづくりの推進
(4)コンパクトなまちづくりの推進
(5)中山間地域の活性化
(6)省資源・資源循環の促進
(7)魅力ある教育の推進
(8)産業の集積と工業の活性化
(9)子育ち・子育て環境の整備
(10)防災対策の推進

 項目だけではなかなかご理解が進まないとは思いますが、長野市
のホームページにすべて載せてありますので、ぜひご参照ください。
http://www.city.nagano.nagano.jp/upload/1/kikaku_dai4jisogokeikaku_03keikaku_1jutensesaku.pdf

 いずれにしろ、この重点施策の実現を最初の5年間でどこまで実
行できるか、真価を問われることになると思っています。

2007年7月5日木曜日

ASPAC2007・チユンリー大会に参加して



 6月1日~4日まで、台湾を訪問しました。
 この台湾訪問の目的は二つありました。
 一つは、長野青年会議所(以下長野JC)から「2009年の
ASPAC(アスパック)大会を、長野市に誘致したいので、地元
市長として出席して、誘致の応援をしてほしい」という依頼を受け
たことです。
 二つは、青年会議所の北陸信越地区長野ブロック協議会が中心に
なって、大勢のASPAC誘致応援団を組織し、松本空港(愛称・
信州まつもと空港)からチャーター機を飛ばしたい、すなわち青年
会議所として松本空港の応援をしたいので長野市長にもぜひ乗って
ほしいということでした。

 ASPACについて少し説明しますと、国際青年会議所(JCI)
は、活動地域をエリアA(アフリカ)、エリアB(アジア・太平洋)
エリアC(北米・ラテンアメリカ)、エリアD(ヨーロッパ)の4
つのエリアに分けています。国際青年会議所では毎年10月~11
月ころに世界会議を行うほか、エリアごとにそれぞれ開催地を変え
てエリア会議を行っています。日本が所属するエリアBで開催され
る会議はアジア太平洋地域会議“Asia Pacific Ar
ea Conference”といい、ASPAC(アスパック)
の略称で呼ばれています。

 このアスパックを長野JCとして長野市に誘致したいということ
が、今回の訪台の主目的でした。長野県の腰原副知事も出席してい
ただけるということで、万全の体制で臨んだわけです。

 大会を開催する直接的な目的としては、国際青年会議所の運動指
針の推進、会員相互の国際交流、セミナー等による自己啓発、将来
の事業の企画立案などを行うことですが、アジア太平洋地域から
1万人(海外参加者2,000人、国内参加者8,000人)が集
う機会を生かし、オリンピック施設の活用やさまざまな分野におけ
る国際交流の機会を地域に提供し、教育、文化や産業経済振興への
効果など、総合的な地域社会の発展に寄与しようということでした。

 長野はオリンピック・パラリンピック・スペシャルオリンピック
スの三大会の開催を通じて、ホスピタリティーの精神と国際化への
意識が芽生え、人種の違いや障害の有無に影響されず、お互いに自
立してかかわりを持っていくことを学びました。しかしながらこう
した運動は絶えず連続して新たな機会を地域内外に求め、推進して
いかなければ一過性のもの、あるいはマンネリズムに陥り、オリン
ピックでの資産も風化してしまう危険性を常に持ち合わせています。
その意味では若い人たちが情熱を沸かせ、熱中できるテーマができ
ることは、素晴らしい意義があると思います。

 現地での誘致活動は、開催期間中を通じて、さまざまな会議、あ
るいは交流を通して行われました。そして最終日の総会で、立候補
都市のプレゼンテーションが行われ、JC出身の腰原副知事(大町
JC)、私・市長(長野JC)も、現役のJCメンバーに混じって、
英語でスピーチをして、熱心に長野市への誘致を訴えました。

 最終的にはNAGANO(長野市)のみの立候補となり(これは
NAGANOが“ビッグネーム”として認知されている証しかもし
れません)、全会一致で長野市が選ばれました。オリンピック、パ
ラリンピック、スペシャルオリンピックスを開催した国際都市とし
て、長野市は常に注目されていることを、実感した瞬間でした。

 開催時期は2009年の6月、すなわち善光寺の御開帳直後で費
用総額は過去の大会実績から約3億5千万円を想定しているとのこ
とです。

 私が今回応援に駆け付けた理由は、一つには私自身が(腰原副知
事も含め)JC出身であり、若い諸君の熱意に感激したことは事実
ですが、もう一つ応援をしたかったことは、この国際会議の誘致を
通じて、長野市の国際化への流れをもう一段高めようという気持ち
を持ったことにあります。

 オリンピック・パラリンピック・スペシャルオリンピックスの三
大会を開催した唯一の都市として、スポーツの世界大会や学術会議
等が、盛んに行われている長野市ですが、どうしてもイベント中心
であり、地に足が付いた国際交流運動に必ずしもなっていないので
はないかとの思いがあるのです。
 もちろん、姉妹都市・友好都市としてクリアウォーター市や石家
庄市との交流がありますし、一校一国運動も長野が出発点となって、
北京オリンピックまでつながっていますし、インバウンド(外国人
の訪日旅行、日本滞在)のお客さんも少しずつではありますが増え
ています。また、長野市の企業の海外進出も始まっているように思
いますが、何かもう一つ市民レベルの国際的視野・交流を高める手
段が無いものか・・・長野国際親善クラブ、長野JC、そのほか国
際化に取り組んでいる諸団体・・・いろいろな方々と今後相談して
みたいと考えています。
 1996年以降、ASPACを開催した日本の都市は、金沢、仙
台、高松で、長野は4番目になります。

 もう一つ、私が今回の誘致を応援しようとした思いの最大のもの
は、日本JCが展開している「OMOIYARI(思いやり)」運
動です。現在世界各地が抱えている紛争を危惧(きぐ)して、許容
性豊かで利他の心にあふれる運動として、日本JCが推進している
とのことですが、今回の誘致活動でも大きな影響力がありました。
 長野にとっては、宗派に関係なくすべての人を受け入れる善光寺
の7年に一度の御開帳の年に展開することの意義は大変大きいと感
じています。マータイさんの「もったいない」運動が環境への切り
口とすれば、「OMOIYARI」は、人類平和の象徴の言葉であ
り、日本語としてこの二つを世界に発信できれば、素晴らしいメッ
セージになると思います。

 松本空港への応援メッセージとしての長野ブロック協議会の心意
気も、今回行こうと決心した理由の一つです。少し前、日本航空が
松本からの札幌便の廃止を提案し、村井知事を中心に何とかしてほ
しいということで、交渉が行われ、かろうじて存続が決定したわけ
ですが、安心しているわけにはいかない状況でしょう。
 今回は、長野ブロック協議会が結束して、松本空港からチャータ
ー便を飛ばそうということで、メンバーを募集し、成立させたもの
です。いろいろ課題はあるようですが、空港利用率を少しでも上げ
ていくことが、応援になるであろうと感じています。今回はチャイ
ナエアラインでボーイング737-800という機種でした。往復
とも、快適な空の旅ができました。