先日、商工会議所の皆さんから「都市内分権」の話をしてほしい
と頼まれ、講演をさせていただきました。
「都市内分権」については、これまで、地域の皆さんが主体とな
り、地域ごとの「住民自治協議会」をつくっていただくことを中心
に推進してきました。そろそろ企業関係にも輪を広げたいと思って
いましたので、よい機会をいただいたと思い、「地方の時代が来て、
それが都市内分権につながっている」という話をさせていただきま
した。
以下は、その時の講演原稿に若干手を加えたものです。
[江戸時代・地方自治の時代]
歴史を振り返ってみますと、童門冬二先生の話にもあるのですが、
江戸時代の幕藩体制というのは、地方自治の体制だったということ
です。特にどのくらい通用したのかは知りませんが、藩札(はんさ
つ)という地域通貨も存在していました(もっとも明治維新後、政
府はこの藩札の処理には随分苦労したらしいのですが)。加えて、
住民の職業・居住の自由についても制限されていたと言われていま
す。
[明治維新後の中央集権国家]
維新後の明治新政府は、急速にアジアに進出してきた列強に伍し
ていく必要から、近代化、産業育成、そして富国強兵を進めるため
に、地方政治の権化である幕藩体制を打破して「中央集権国家」を
目指しました。
憲法発布、帝国議会の開設、日清・日露の戦争・・・そして徐々
に中央集権国家の体裁が整っていきました(大正ロマンと言われて
いる素晴らしい時代があったようですが)。昭和に入って、大不況、
そして満州事変から太平洋戦争・・・敗戦によって国家経営は破た
んに至りました。
[戦後の掛け声としての地方の時代]
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の主導で民主主義が導入され、
戦前の中央集権的国家への反省から、理念として地方分権の声が生
まれたようですが、地に着いたものにはならなかったように思いま
す(民主主義については与えられたものではありましたが、確実に
進展したように思います。しかしながら、一面ではそれが個人主義
的発想を追い求める社会になったようにも思います)。
昭和40年代末、私の尊敬する故夏目忠雄元長野市長が参議院議
員へ転身する時のスローガンは「地方の時代」でした。戦後30年
近くたっていたのにこのスローガンだったのですから、当時はまだ
「地方の時代」ではなかったことを証明しているとも言えるでしょ
う。理念はともかく、実質はなかなか伴ってこなかったのだと思い
ます。
当時、「子どもを地域で育てよう」というスローガンがPTAで
提唱されました。しかし、戦後、私たちが追い求めてきた個人主義
的な風潮のなかで掛け声ばかりが先行し、実質的には難しいのでは
ないかと私は感じていました。そして、それは今でも続いているよ
うな気がします。
[地方分権一括法の成立]
平成12年、いわゆる「地方分権一括法」が成立しました。この
法律は、ある意味では画期的な法律であったと思います。この法律
により、国の機関委任事務制度が廃止され、地方自治体が行う事務
は、自治事務と法定受託事務に再構成されました。
この法律成立以前の市町村は、国・県の下部機関として決められ
た通りに委任事務をやることが義務であり、創意工夫をする余地は
あまり無かったと言ってもよいでしょう。「地方分権一括法」によ
り市町村の自己決定権は大きく拡大したのです。
しかしながら、現段階では、地方分権一括法の理念は、必ずしも
個別法に反映されておらず、不合理が多い(一括法との矛盾がある)
のが実態ですし、財源が十分にあるわけではありませんから、地方
の自由度はそれほど高くはありません。
ただ、時代の流れは、確実に地方分権・地方自治の時代へ舵(か
じ)が切られたわけですから、地方が主体的に行動しようという動
きは、次第に強まっていくはずです。
[理念としての道州制]
道州制の提議も行われました。国、県の在り方が問われ、現段階
はまだ理念的な段階ですが、道州制の導入が必要であると叫ばれて
います。県の代わりに幾つかの県を合わせたくらいの規模を持つ州
をつくろうということなのですが、今後10年の間に何らかの動き
があると言われています。
[基礎的自治体としての市町村合併]
いずれにしても、地方分権一括法や道州制の理念を実現するため
には、基礎的団体である市町村の行財政基盤を強化しなくてはなら
ないということで、平成の大合併が始まりました。かなり速いペー
スで合併が行われ、市町村の行財政基盤は飛躍的に強化されてきま
した(強化されつつある状況かもしれませんが)。
さて、今後は、合併により大きくなった市町村をどのように運営
していくかが問われる時代になります。合併した市町村の規模(面
積・人口・財政等)は拡大しています。併せて行政のスリム化が図
られたのですが、一方で市民要望はバブル時代に肥大化したままで
すし、自律・自立の発想が弱くなっているように感じます。義務の
意識が薄れ、自由・権利を主張するが故に、公共の意識が弱まって
いるのだろうと思います。
[三位一体改革により資金の流れが変化]
三位一体改革等で、国から地方への資金の流れが変わりましたが、
全体としては地方の収入は減ってしまいました(市税は国の税源移
譲で若干増えていますが、国からの地方交付税・補助金等が減って
おり、全体として減ってしまっています)。地方自治体は、バブル
時代の後始末もあり、市民要望をすべて受け入れる余裕はなくなっ
ています。自らの創意工夫によって地方を治めていくことが求めら
れる時代なのです。
ただ私は、良い方向に進んでいると信じたいのです。国の補助金
的な要素は減り、まだまだ不十分ですが、税源移譲により地方の自
主財源が増えていく傾向が始まっています。また、一律の補助では
なく、努力する、工夫する自治体を育てる意識も出てきているよう
に思います。
[これらの変化から、新しい市町村経営が求められる時代]
以上、長々と述べてきましたが、地方自治体が今後成長発展し、
市民の幸せを図り、持続可能な社会にしていくにはどうすればよい
のか、選択肢はいろいろあるのかもしれませんが、長野市は「都市
内分権」を選択しました。
今回はここまでとさせていただき、次回は長野市が選択した「都
市内分権」について述べさせていただきたいと思います。