2010年5月13日木曜日

「かじとり通信」400号


 連休前、「市長の『かじとり通信』が5月13日の配信で、40
0回を迎えます」という話がありました。これは、号外も入れての
数字のようですが、へぇ、400回かあ・・・というのが実感です。
 私の市長就任は、平成13年11月。その後3カ月ぐらいたった
ころ、当時の広報課の職員から「小泉首相のメルマガが大変な人気
を呼んでいる。あのまねは大変でできませんよね!」と挑発された
のが事の始まりです。インターネットで首相のメルマガを読んでみ
て「こんなことならヤッテミセル!」とつい受けてしまい、書き始
めてみたら、やめるわけにはいかなくなった、というのが実態です。
 それから約8年、自分でもよく続いているなあ・・・と、思って
います。

 週1回の配信で、年間約50週。その8年分ですから、計算すれ
ば400回というのは当たり前の数字です。
 ただ、配信を始めたころは、結構いろいろなことがあり、週1回
では足りずに号外も出しました。また、二期目と三期目の市長選挙
に当たっては、自主規制ということで、投票日の3カ月前から「か
じとり通信」を休刊にしたりもしました(休刊中は、別のホームペ
ージを立ち上げて書き続けていたのですが)。そのため、配信数は、
「かじとり通信」を掲載している長野市メールマガジンと異なって
います(長野市メールマガジンは、今回で419号です)。

 目的は何か?なぜこんなに続いたのだろう?・・・基本的には、
市政運営に当たっての私の5原則の一つ「市民に分かりやすい行政
にしよう」という一点に尽きます。
 当初は、行政を執行する市長が何を考えているか、今、長野市で
何が起きているか、このようなことを私の言葉で分かりやすく書き
たい、そんなつもりだったのですが・・・徐々に、毎週書き続ける
ことの大変さが分かってきました。
 ただ、始めてしまった以上、途中でやめることは許されない、任
期いっぱい書き続けようと決意せざるを得ず、その積み重ねが40
0号ということなのでしょう。

 これまでには、友人などから“よく意味が分かったよ”などと声
を掛けてもらうこともあって、大変うれしく感じたこともありまし
た。一方、ゴーストライターは誰かといった質問、公の手段を使っ
て個人的なことを書くのはけしからんとのおしかり、もっと本音を
書くべきだ、県や国の施策批判を・・・いろいろなご指摘も頂いて
います。
 実は、私も書きたいことがいろいろあるのですが、公的なメルマ
ガであるが故に書くわけにはいかないこともあり、なかなか難しい
と感じています。一番書いてはいけないことは、人の悪口(非難)
でしょうね。批判することは簡単にできますが、長野市のためにな
らないこともあります(このことは、4~5年前に痛感しました)。

 また、メルマガの配信を担当している広報広聴課の見解によりま
すと、「かじとり通信」の著作権は市長にあるが、版権は長野市に
所属するのだそうです。それなら、独自のホームページを開設すれ
ば良かったと後悔することもありますが・・・ただ、市長の肩書き
がある限り、間違った内容を書くことは許されません。どうしても
市職員のチェックが必要とのことで・・・仕方ないですね。

 もう少し読みやすくするために、写真やイラストも入れて、文章
を短くしたいと考えることもあります。ただ、お読みいただいてい
る皆さんのインターネット受信環境によっては、対応できない可能
性があるとのことで実現していません。でも、もう少し工夫したい
と思っています。
 このほか、公職選挙法の規定などもありますから、当然ですが、
いろいろ制約を受けることが多いと感じています。

 ただ、インターネット社会である現在、インターネットのホーム
ページやメールが、文書の配布に当たるという公職選挙法の考え方
は、実情にそぐわなくなってきていると思っています。この規制は、
インターネットを利用した選挙運動の解禁に向けてこれから大きく
変わるようですが、詳細はまだ明らかになってはいません。
 確かに、選挙用のホームページとそうでないホームページとの区
別はつきません。そして、動画サイト「YouTube」(ユーチ
ューブ)などに代表されるように、誰でも動画をふんだんに配信で
きる現在、告示後はホームページの内容を更新してはいけない、と
いうような規制などは、まったく意味を成さなくなっているのが実
情でしょう。

 ついでにもう一つ申し上げれば、以前から選挙が近くなると、政
党の候補予定者の顔写真が入ったポスターがあちらこちらに張り出
されますが、市民目線で言えば、あれは事前運動に見えるのではな
いでしょうか。それが許されているのは、あの大きな笑顔の写真の
下に小さい字で、国政報告会や時局講演会のお知らせなどが書いて
あるからだそうです。これは、お知らせのポスターだから事前運動
ではなく政治活動(“清き一票を私に”とは書いてない)・・・と
いう解釈の下に許されているようですが、割り切れないものを感じ
ています。

 それと、最近評判の「事業仕分け」ですが、国が実施するのは大
賛成です。ただ、一番大切なテーマが対象になっていないと思って
います。すなわち政党交付金です。
 この交付金を創設した目的は、企業・団体献金の全廃へ向けた措
置だったと思っていましたが・・・そのような献金はまだあるよう
ですし、政党に所属しない地方議員や首長、あるいはこれから選挙
に出ようとする人のことが全然考慮されていません。しかも、使途
の報告に当たっては領収書が不要な場合もあるなど、不透明、不平
等の最たるものではないでしょうか。
 国会議員の数や得票率で政党交付金を交付することはやめて、よ
り国民が納得できる方法、例えば、国民が審査して交付するように
したらどうでしょうか(国民の審査と言っても誰がするのか難しい
でしょうが、いろいろな方法が考えられると思います。そして、会
計検査も必要かもしれません。お金の流れの透明性を高めなければ、
政治不信は増大するばかりです)。
 井戸塀政治家のことは、少し前に書かせていただいた記憶があり
ますが、いずれにしても、お金の問題は「疑わしきは罰す」、その
ぐらいの考え方で制度を整えることが大事でしょう。

なってきてしまいましたが、私とすれば、それぞれ再考をお願いし
たいと考えていることばかりです。実は、まだこのほかにも書きた
いと思っていたことがあったのですが、今回は見送ることにして、
この辺で終わりにさせていただきます。

 皆さん、これまでお読みいただきありがとうございました。そし
て、これからも「かじとり通信」にお付き合いくださいますようお
願いします。