2011年11月17日木曜日

2つのサミット


 10月26日・27日、「彫刻のあるまちづくりサミット」に参
加するため、山口県宇部市へ行ってきました。
 「宇部は遠いなあ!」と思っていましたが、羽田空港から約1時
間30分で山口宇部空港に到着(そこから宇部市街地へは何と車で
5分の近距離です)。長野・東京間とほぼ同じ所要時間ですが、東
京からだと、何だか長野市より宇部市の方が近い感じがしました。

 宇部市は、大正10年に市制施行し、今年で90周年になるとの
ことで、その記念事業として、本年1月から来年3月までの1年3
カ月間を「イベントイヤー」と位置付け、いろいろな事業に取り組
んでいます。
 その中で、昭和36年から始まった野外彫刻展が50周年を迎え
たので、市制90周年記念事業の一環として、このサミットを開催
することになりました。長野市は、野外彫刻事業に熱心に取り組ん
でいる市であることから、今回招待されたものです。同じく招待を
受けたのは北海道旭川市で、サミットは、宇部市、旭川市、長野市
の3市長が参加して開催されました(札幌市も招待されたのですが、
市議会の会期が延長されたため欠席でした)。

 宇部市の野外彫刻は、約400点あるそうです。人口は約17万
人で、面積は約287平方キロメートルです。長野市の面積は約
834平方キロメートルですから、その約3分の1です。しかし、
長野市の野外彫刻は約200点ですから、長野市の2倍の作品があ
る宇部市は、まさに街じゅうに野外彫刻があるといった感じがしま
した。特に、最初にご案内いただいた「ときわ公園」には、作品が
集中的に配置された「彫刻野外展示場」があり、大変見事でした。
いろいろな種類の作品がありましたが、子どもたちにも大人気とい
う電車をかたどった作品が、とても楽しい感じがして一番印象的で
した。

 さて、宇部市の野外彫刻事業は、長野市の方法とはかなり違って
います。2年に1度、UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)を開
催し、2年間その出品作品を展示しておき、市や企業が買い上げた
り、あるいは作者がその間に別の買い取り先(嫁入り先といった感
じでしょうか)を探したりするそうです。そしてまた次の彫刻展を
始める、これを繰り返しているようでした。本年は39カ国から
363点の模型応募があり、その中から20点の実物作品が選ばれ
て、「ときわ公園」に展示されています。応募数の多さにびっくり
しました。

 一方、旭川市は、釧路生まれで旭川にゆかりのある彫刻家中原悌
二郎(ていじろう)を記念した賞を創設し、2年に1度、国内の公
募展で発表された秀作から選考しているそうで、野外彫刻は現在約
120点あるとのことです。

 宇部市を訪問し、一番興味を持ったことは、市の歴史です。
 宇部市は昔、炭鉱の町として、地元企業の宇部興産(株)を中心
に栄えていました。ところが、石油が使われるようになってから石
炭産業は斜陽となり、北海道や九州の炭鉱においては、中央資本が
引き揚げてしまいました。後の夕張市の財政破綻も結果として、そ
れが遠因といってもよいでしょう。
 しかし、宇部興産は見事でした。炭鉱が衰退しても宇部市からは
撤退せず、セメントや化学事業を興し、見事なまちおこしを行った
のです。その転身ぶり、地域企業の生き残り戦術、そして地域に密
着した企業文化は、「見事」というよりほかに言葉がありません。
先ほどの「ときわ公園」にある石炭記念館では、炭鉱の櫓(やぐら)
が展望台になっていて、当時の炭鉱の様子、そしてまちの歴史を感
じることができました。
 その後現在に至るまで、宇部市と共に宇部興産は歩んでいるよう
です。UBEビエンナーレ1位の大賞は「宇部市賞」ですが、2位
は「宇部興産株式会社賞」です。ここからも、宇部市における宇部
興産という企業の存在感が分かります。

 さて、「ときわ公園」ですが、約100ヘクタールのため池「常
盤湖」を中心に、面積が何と約189ヘクタールもある広大な公園
で、宇部市のシンボルとのことでした。湖の周りを広場やスポーツ
施設、キャンプ場、ランニングコースなどが取り囲んでいる公園で、
市民が楽しめる施設がたくさんありました。前述の彫刻野外展示場
以外にも多くの彫刻が公園の至る所にあって素晴らしかったです。
そして何よりも、公園内の遊園地には、私の好きな観覧車があり、
たくさんの遊具もありました。

 宇部市は、市のキャッチフレーズのとおり「緑と花と彫刻のまち」
で、そして、昔の炭鉱の名残を持ちつつ、新たな工業分野でも発展
を続ける瀬戸内海に面した景色の素晴らしいまちでした。

 彫刻のあるまちづくりサミットは27日に開催され、会場には約
200人の市民や関係者が集まり、3市長がパネリストとしてそれ
ぞれの市の野外彫刻事業について事例報告・意見交換をしました。
そして最後には、以下の内容の決議文を作成・調印し、サミットの
成果を確認し合いました。
 「長野市、旭川市、宇部市3市は、まちに野外彫刻を設置して潤
いのあるまちづくりを進め、市民とともに個性豊かなまちなみを形
成してきました。設置された彫刻と彫刻を含む景観は、次代に引き
継ぐべきかけがえのない財産となっています。わたしたちは、連携
と交流をすすめ、文化の振興、潤いのあるまちづくりの推進に取り
組むことを決議し、その具体的な取り組みとして、
1 彫刻のあるまちづくりを国内外に広げていくため、共同企画の
 開催や情報発信に努めます。
2 次世代を担う子どもたちの豊かな心を育むため、彫刻に関する
 教育の推進を図ります。
3 都市の財産を末永く継承するために、多様な形による市民のボ
 ランティア等の参画を更に推進します。」
 さらに勉強して、長野市の野外彫刻は日本一と呼ばれるようにし
たいと思いました。

 もう一つのサミットは「中核市サミット」で、11月1日、和歌
山市で開催されました。現在41ある中核市の市長が一堂に会し、
当面する諸問題について話し合い、検討する会合で、長野市からは、
新友会や公明党の市議会議員さんも、他の中核市についての勉強や
調査などのために参加されました。

 基調講演では、元内閣官房副長官の石原信雄氏が「東日本大震災
後の地方行政を取り巻く環境の変化と中核市の対応」と題し話され
ました。その中で、石原氏は、被災地の復興財源として消費税の増
税の必要性を明言され、そして「自分たちの地域は自分たちでつく
る」という都市内分権の必要性を話されました。特に、都市内分権
については、長野市が進む方向性と一致しているという点で、さら
に事業推進の意を強くしました。

 その後4つのテーマごとに分科会が開催され、私は「これからの
財源確保と事業選択について」をテーマにした分科会に参加しまし
た。「少子高齢化」「公共交通の再生」「農地の荒廃」が各市の共
通課題として整理され、続いてそれぞれの市が取り組みや力を入れ
ている施策について発言しました。その中で議題となった「社会保
障と税の一体改革」について、私は先ほどの石原氏の講演内容も踏
まえ、喫緊の課題として消費税の引き上げを含む税制の抜本的な改
革を挙げるとともに、消費税の引き上げに際しては、低所得者層に
配慮する仕組みが必要であることについて話しました。その後、
11月10日の読売新聞に、消費税率を10%に引き上げる場合に
は、低所得者に対して税金の一部を還付する案について検討すると
いった記事がありました。国民的な合意形成を図る上で、今後の重
要なポイントになりそうです。
 また、社会保障に関する地方自治体の過度なサービス合戦をやめ
るべきだと主張しました。そのためには、国・地方が行う社会保障
の範囲および水準を国がしっかり決める必要があることは言うまで
もありません。

 翌日は中核市市長会議が開催され、「権限移譲」「財源確保」
「地域自律に向けた都市制度再編」の3つのプロジェクト活動報告、
そして「国の施策・予算に関する提言」などの採択を行いました。
このように中核市の総意として国に要望・提言することは、必要な
ことです。
 それらの提言のうち「地方公務員給与と都市自治体の自主性に関
する決議」は、今年度の人事院勧告の実施を見送り、臨時特例法案
により平均7.8%の減額を目指す国家公務員の給与に、地方公務
員の給与についても準じるべきとの政府内の動きに対し、地方のこ
れまでの行政改革や地方分権などを理由に、国の押し付けは許され
るものでなく、自治体の自主性を尊重すべきと意見するものでした。
確かに、国の方針によって、地方の自主性が失われることはおかし
いと思います。しかし、国の非常時に、地方行政をリードする中核
市市長会が、単なる要求団体であってはならないと考え、会議全体
を通しての発言の場で、中核市は、自らの身を削る覚悟で今何が必
要かを議論すべきだと申し上げました。また、全国の中核市の市長
が集まっている会議です。さまざまな角度からもっと突っ込んだ議
論をして、中核市自らが覚悟を持って取り組む姿勢を共有すべきだ
と感じています。中核市サミットについては、現在その在り方を見
直していますので、次回のサミットに期待したいと思います。

 実は、今回ぜひ見てみたいと思っていたのが、会議後の視察コー
スにあったニット製作機械製造・販売の(株)島精機製作所です。
手袋編機からスタートしたという同社は、1本の糸から縫い合わせ
のない手袋を編み上げるノウハウを発展させ、今では無縫製ニット
ウエア製造機械の分野で世界トップ企業にまでに成長しました。広
大な敷地に広がる工場を見学しましたが、「ものづくり」の原点や
大切さをあらためて感じ、地元和歌山から離れることなく、今の社
長一代でここまでの大企業に育てられたことに深く感銘を受けまし
た。

 最後に、和歌山電鐵貴志川線を視察しました。地方鉄道再生の成
功例としてご存じの人も多いと思います。猫の「たま」駅長といえ
ばお分かりになるでしょうか。  
 そのたま駅長に出迎えられ、貴志駅から和歌山駅まで実際に乗車
した電車は「たま電車」で、車両のペイントから椅子や窓まで、と
にかく、ネコだらけでした。こうしたユニークな取り組みや再生に
向けての継続的な取り組みもあり、利用者が増加しているとのこと
でした。元気がある地方鉄道を見て考えさせられるところがありま
した。

大変勉強させられる有意義な機会を得ることができました。