2012年3月29日木曜日

本年度を振り返って


 本年度最後のかじとり通信になりました。1年間いろいろなこと
がありましたが、思いつくままに、出来事を振り返ってみたいと思
います。

 世界的な話題はさておき、国内のことについてアトランダムに並
べてみますと、東日本大震災、福島第一原発の事故、TPP(環太
平洋経済連携協定)、歴史的円高、景気の低迷、雇用問題、消費税
増税問題、大阪都構想、AIJ投資顧問問題、大相撲の八百長疑惑
による人気低迷・・・。何か面白くない事件、憂鬱(ゆううつ)な
ことが多かったような気がします。特に、地方公共団体にとっては、
口出ししても犬の遠吠えみたいな話ばかりで、何とも歯がゆい1年
間だったように感じています。

 長野市政について1年間を振り返れば、本当にいろいろなことが
ありましたが、総じて見れば、おおむね順調に推移した1年だった
ように感じています。ただし、今月起きた豊野支所管理職職員の酒
気帯び運転による事故は、昨年10月にも市職員による同じような
事件があったばかりであり、市民の皆さんに対して誠に申し訳なく、
断腸の思いでいっぱいです。市民の皆さんには、本当におわびのし
ようもありませんが、市職員の綱紀粛正を図り、信頼回復に努めて
まいります。

 1年を振り返るとき、やはり東日本大震災の影響は、大変大きな
ものでした。
 本市では、震災発生直後から消防職員をはじめ、上下水道局職員
や保健師など多くの職員を現地に派遣しており、その後、事務職員、
技術職員を派遣するなど、精いっぱいの協力をさせていただきまし
た。また、市民の皆さんからお預かりした義援金および救援物資を
被災地に届けるとともに、同じく地震の被害を受けた栄村も含めて
1億円の見舞金を支出しました。

 日本中が元気をなくしている中、2011篠ノ井イヤー、
2011信州新町イヤーは、長野市から元気を発信しようと実行さ
れました。両イヤーとも、実行委員会、そして市民の皆さんのご協
力のおかげで、素晴らしい成果を挙げることができました。昨年
10月には、「ふるさとNAGANO応援団」の皆さんにも篠ノ井
と信州新町を視察していただき、大変喜んでいただけました。応援
団の皆さんからは、いろいろご示唆も頂き、有意義な視察となりま
した。

 夏の電力不足も大変心配しましたが、私をはじめ市の部課長が市
内の企業や団体を訪問して節電のお願いをし、また、8月の市議会
定例会一般質問の日は、朝7時に開始して午後1時までに終わらせ
るなど、節電に対して多くの皆さんにご協力いただき、夏を無事乗
り切ることができました。

 その他、市政全体を見渡しますと、農業の再生を目指した新規就
農者支援事業は、目標とする30人には及びませんでしたが21人
の申し込みがあり、新規就農者で組織する「ながの農業再生塾」も
立ち上がりました。
 春・夏・秋の長野の祭りを中心としたイベントも、にぎやかに盛
り上がってきており、冬の灯明まつりも徐々にではありますが、長
野の冬を代表する祭りになってきました。
 長野広域連合が計画するごみ焼却施設の建設も、ようやく県条例
に基づく環境影響評価書がまとまり、次のステップに進むことにな
りました。
 また、松代新斎場も、地元との間で建設合意の協定書を調印する
ことができましたし、大峰新斎場も新年度には造成工事が始まりま
す。

 長野市民会館と市役所第一庁舎の建設についても、長い時間をか
けて市民合意を得てきたところですが、建設関連の新年度予算も市
議会の議決を得ることができたので、実施設計などの次のステップ
に進みます。
 長野市民会館の解体工事も大詰めを迎えています。工事用の囲い
があるので市民の皆さんからはよく見えないかもしれませんが、工
事は順調に進んでいます。23日、工事現場に行ってみたところ、
建物は既に壊され、瓦礫(がれき)を搬出中で、残す立ち木を選別
し、それ以外は篠ノ井中央公園に移植するとのことでした。5月に
は地上物件は全て撤去され、広い更地が出現するものと思います。
 なお、担当課の事務室で、旧市民会館の屋根裏から出てきた建設
当時の古い棟札(むなふだ*)を見せてもらいました。設計は佐藤
武夫事務所、建設会社は熊谷組、そして当時の建設に携った建設下
請け業者を含む多くの関係する皆さんの名前が、墨で黒々と書かれ
ていました。その中に、後に長野市だけでなく日本の建築・設計事
業に大きく貢献された宮本忠長さんの名前を見つけ、若き日の宮本
さんを懐かしく思い出しました。私的なことで申し訳ありませんが、
私の父の名前もありました。歴史の記録として、どこかで保管する
ことはできないかと感じました。

 昨年9月には市議会議員一般選挙が行われ、次の4年間の議会構
成が決まりました。市議会と市行政は、車の両輪です。お互い切磋
琢磨(せっさたくま)して、市政発展のため頑張りたいと思います。

 サッカーJFL(日本フットボールリーグ)のAC長野パルセイ
ロが、JFL参加1年目で18チーム中2位という素晴らしい成績
を残しました。しかし、4位の松本山雅FCがJ2に昇格して、パ
ルセイロが昇格できないのは、市にJリーグ基準のスタジアムがな
いからだと多くの皆さんに言われました。Jリーグへの昇格条件に
は、スタジアムだけでなく、ホームゲーム1試合平均3,000人
以上の観客数など乗り越えなければならないなどのハードルがある
こともご理解いただきたいと思いますが、皆さんのパルセイロにか
ける大きな期待を裏付けるものと、意を強くしたところです。

 早稲田大学とのコラボレーションで、市内で電動バスの実証実験
が始まりました。本年度から始まり3年間にわたるという長期の実
証実験で、大変ありがたいものです。不肖ながら私も副市長も、早
稲田大学の出身なのでなんとなく面はゆいのですが、でもうれしい
ことです。二酸化炭素を出さない、環境に優しい電気で走るバスの
乗り心地、運営コスト、経済性など、将来に大きな夢を抱かせる実
験で、素晴らしい成果を期待しています。

 中国石家庄市との友好都市締結30年を記念して、昨年11月に
王副市長さんを団長とする友好代表訪日団がお越しになりました。
経済団体とも積極的に交流するなど目的が明確で、今までの訪問団
とは少し違った積極的な姿勢で市内各所を視察されました。4月に
は、答礼の意味も含め、長野市から友好都市締結30周年記念訪問
団を派遣します(私も訪問する予定です)。友好を深めると同時に、
経済や観光交流の可能性についても話し合ってきたいと思っていま
す。

 昨年6月、株式会社エムウェーブの土橋文行社長が、急逝された
ことは非常に残念で、がっかりしてしまいましたが、その後、若い
土屋龍一郎氏を新社長にお迎えすることができました。しっかりと
した経営を行い、長野オリンピックを象徴する本市の大事な財産で
あるエムウェーブを、そして長野市をスケートの拠点とする目標を
達成したいものです。

 今月16日、芋井中学校の閉校式が行われました。1947(昭
和22)年の創立以来、中等教育の担い手として地域に貢献し、多
くの人材を送り出してきましたが、本年度をもってその歴史に幕を
閉じることとなりました。閉校式には、卒業する3年生9人を含む
14人の生徒と地域の皆さん約50人が出席され、思い出が詰まっ
た母校に別れを告げました。65年の間、学校を支えてきていただ
いた地域の皆さんや多くの先生方に感謝いたします。
 全国的に中山間地域の過疎化や少子化が進み、学校の在り方につ
いて検討することが避けて通れない状況の中、今回の閉校は、芋井
地区の住民自治協議会やPTAの皆さんが、より良い教育環境につ
いて幾度も議論を重ね、子どもたちのことを最優先に考えられた結
果であり、その決断にあらためて敬意を表したいと思います。

 平成16年4月1日から2期8年間、私を支えてくれた酒井登副
市長が、3月31日をもって任期が満了し、退任されます。平成
16年4月に市職員から助役に任命され、平成19年4月からは地
方自治法の改正で副市長となり、市職員としての期間も含めると
42年間奉職されたことになります。その間、長野オリンピックの
開催には準備段階から関わり、長野冬季オリンピック招致委員会出
向後も大活躍されましたし、ハイテクオリンピックを実現するため
のフルネットセンター整備でも、中心となって活躍されていたこと
を思い出しています。
 市長の仕事の一つに決裁事務があり、議会で議決いただいた条例
の施行や各部局の事業実施の承認、決定などを文書で確定する手続
きです。決裁文書は毎日何十件もあり、この決裁事務が苦手な私は、
酒井副市長の決裁印がある文書は問題ないものと決裁をしていまし
たし、副市長にもそう伝えていました。もちろん、重要案件につい
ては事前に意見交換をしていますが、最終的にはこの決裁により市
行政の意思が決定され、そしてそれは全て市長の責任となるのです。
信頼できる副市長でなくてはできないものでした。

 また、中村治雄上下水道事業管理者も任期満了により、同日付け
で退任されます。平成20年4月からの4年間、長野市上下水道事
業の責任者として活躍していただきました。市職員を60歳で定年
退職された1年後、特別職として戻っていただいたという数少ない
例です。60歳定年というのは、どうももったいないという思いが
私の中にはあるものですから、将来のことも考えて試みた人事でし
た。東日本大震災に際しても、県内水道事業体をとりまとめ、応急
給水活動の指揮を執るなど、中村管理者はよくその任を全うしてく
れたと感謝しています。
 
 「ゆく河(かわ)の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
・・・」あまり正確には覚えていませんが、「方丈記」の一節だっ
たと思います。毎年職員が退職して、その後任として新たな職員が
着任するこの時期に、いつも思い出す一節です。人は変わるけれど、
組織としての行政はきちんと機能していく・・・当たり前ですが、
大切なことでしょう。

*棟札:棟上げのとき、工事の由緒・年月日・建築者などを記して、
棟木に打ち付ける札