2012年4月26日木曜日

昨年度末からの出来事

   
 友好都市締結30周年記念として、中国・石家庄市を訪問し、
24日に帰国しました。とにかく今回は、総勢50人の大訪問団。
30周年を記念する公式行事や両市民同士の交流などを通して、参
加された公募市民の皆さんもそれぞれの目的を十分に果たせたので
はないかと思います。大変有意義な訪問となりましたが、訪問記は
現在執筆中ですので、今回のかじとり通信では、3月から4月にか
けての出来事について書きたいと思います。

 まずは、長年の懸案事項であった新斎場建設について報告します。
 3月26日、松代新斎場建設に関する合意協定書調印式が、松代
町東寺尾公民館で行われました。松代斎場は、1966(昭和41)
年の昭和の大合併により市営斎場となり、1980(昭和55)年
の大改修を経て現在の斎場となりましたが、以来30年以上が経過
して建物、火葬炉ともに老朽化が進んでいることや、火葬件数が増
加していることから、新斎場の建設は、本市の喫緊の課題となって
いました。このため、2000(平成12)年から新斎場建設に向
けて取り組んできましたが、このたび、東寺尾区の皆さんのご理解
とご協力により建設に係る合意協定書調印の運びとなったわけです。

 現在、市営斎場としては、松代斎場の他に、大峰、裾花、犀峡の
計4斎場が稼働していますが、新設する大峰、松代の両斎場は、ご
遺族の心情やプライバシーに配慮して、待合室を個室化するなど、
厳粛で穏やかな空間と安らぎを感じられる終焉(しゅうえん)の場
にふさわしい施設にするとともに、環境にも十分に配慮した施設に
したいと考えています。

 同じ日、若穂の保科温泉に行き、福島第一原子力発電所事故の影
響で、福島県から本市に一時避難された方々の歓迎式に出席しまし
た。これは、若穂地区住民自治協議会の「おひさまプロジェクト」
の皆さんにもご協力いただき、昨年の夏休み期間に続いて、この春
休み期間にも受け入れたものです。「おひさまプロジェクト」の皆
さんには、折り紙教室やおやつ作りなどの楽しいプログラムを毎日
企画していただき、大好評でした。また、サンマリーンながの、茶
臼山動物園、善光寺などに出掛けた方もおられ、短い期間ではあり
ましたが、長野の春を存分に楽しんでいただけたと思います。

 歓迎式の後、同じ保科温泉で、木質ペレットボイラーの火入れ式
が行われました。
 1959(昭和34)年の開設から53年目を迎えた保科温泉は、
一昨年の保科財産区の解散に伴い、いったんは長野市が直営で運営
しましたが、この4月から指定管理者による運営に移行したもので
す。素晴らしい温泉ですが、源泉の温度が約30度と低いため、こ
れまでは重油ボイラーで加温して利用していました。
 そこで、温泉施設を市で引き受けた際、せっかくの機会でしたの
で、二酸化炭素削減に取り組む環境に優しい施設を売りにしたいと
考え、老朽化した施設の改修に合わせて、木質ペレットボイラーの
導入を計画しました。

 市有施設では初めての試みでしたので、なかなか難しかったよう
ですが、設計、設備工事、外構工事に携わっていただいた市内の事
業者の施工で見事に完成しました。
 検討段階では、新たに温泉を掘削したらどうかという提案もあり
ましたが、大きなリスクもありましたので、カーボンニュートラル
(*)効果が期待できる木質ペレットボイラーを導入することにし
たものです。このボイラーで消費する木質ペレットは、年間約
180トンで、これにより市内で生産・消費される木質ペレットの
量が飛躍的に増えることから、量産効果による価格低減が期待され
ます。また、このところ原油価格が上昇気味ですから、供給が安定
してくれば、木質ペレットの普及が一気に進むことも期待できます。
そして、何よりも、地球環境に優しい温泉ということで、皆さんか
ら愛される施設になればうれしいと思っています。

 4月11日に、中央通り(善光寺表参道)沿いのセントラル・ス
クゥエアで、表参道長野オリンピックメモリアルパークのオープニ
ングセレモニーが開催されました。
 セントラル・スクゥエアは、長野オリンピックの「街なかの表彰
式会場」として整備されたもので、オリンピック期間中は、メダリ
ストたちを祝福する延べ約17万人の人々でにぎわい、連日、あふ
れんばかりの歓声と熱気に包まれたことが懐かしく思い出されます。
 しかし、あれから14年が経ち、表彰式に利用された仮設のステ
ージが老朽化したことから、ステージの解体・撤去を行い、中央通
り沿いに新たにポケットパークを整備し、このたびオープンしたも
のです。
 このポケットパークには五輪マークのモニュメントや聖火台のレ
プリカなどを設け、メモリアルパークとして長野オリンピックの表
彰式会場の記憶を後世に伝えるだけでなく、買い物や観光などで訪
れる皆さんのランドマークや憩いの場としてご利用いただくことで、
中心市街地の回遊性の向上にも貢献できるものと期待しています。

 4月15日、城山動物園のモノレールがリニューアルオープンし、
完成式典が行われました。新しい遊具の登場に子どもたちが歓声を
上げて楽しんでいました。
 城山動物園のモノレールは、1961(昭和36)年の開園当時
に設置されたもので、私の家から近いこともあり、子どもたちもず
いぶんお世話になったものです。これまでも車両の更新やレールの
塗装などの維持修繕を重ねて運行してきましたが、設備全体の老朽
化が進み、また、車両も前回の更新から25年が経過し、部品の交
換ができない状況となったため、モノレールの車両本体だけでなく、
レールも含めて全てリニューアルしたものです。子どもたちに大人
気であったこれまでの新幹線スタイルの車両は引退となり、蒸気機
関車がトロッコを引くタイプの新しい車両がお披露目されました。

 オープン前の3月31日には安全祈願祭が行われました。実は、
その後試乗する予定だったのですが、あいにくの雨降りとなり、残
念ながらレールの下から車両を眺めただけで終わりましたが、今回
は2周試乗させていただきました。
 間もなくゴールデンウイークがやってきます。多くの皆さんに乗
っていただき、動物園での一日を満喫していただくことを期待して
います。

 桜の名所として、多くの市民の皆さんに人気の城山公園ですが、
今年の開花は、やはりこのオープンには間に合いませんでした。よ
うやく市街地の桜が咲き始めたときに訪中となり、もしかして帰国
するころには、見頃を過ぎてしまっているのでは・・・と、ちょっ
と心配しながら出掛けました。長野に帰ってきて、満開の桜を見る
ことができて、「間に合ったあ」とホッとしています。うららかな
春の日差しの中ゆっくりお花見をする時間はつくれませんが、せめ
て公務で移動する車の中から眺めて、1年のうちの限られたこの桜
の季節を楽しみたいと思います。

*カーボンニュートラル:植物由来の燃料を燃焼することで排出さ
れる二酸化炭素は、植物の成長過程で光合成により大気中から吸収
したものであることから、大気中の二酸化炭素を増加させず、収支
をゼロとみなすという考え方。カーボンとは炭素のこと。

2012年4月19日木曜日

次のステップへ~浅川ダムと屋代線 かじとり通信500号(その2)


 前回のかじとり通信では、一つの区切りを迎えた浅川ダムについ
てお話ししました。
 今回は、一定の方向が出された二つの事業のうちのもう一つ、長
野電鉄屋代線についてです。

 長野電鉄屋代線が、3月31日をもって廃止され、4月1日から
バスによる代替運行が始まりました。これも、浅川ダムと同様にこ
れまで議論を重ねてきた問題です。
 屋代線は、大正11年に長野電鉄最初の路線として開業しました。
当時、須坂で生産される生糸を屋代駅まで運び、国鉄の列車に積み
替えるための路線だったと聞いています。当時の日本の経済活動の
中で、生糸生産の占める割合が、いかに大きかったかということを
証明する話です。

 しかし、その後、生糸の生産は減り、乗客数もかなり落ち込んで
しまいました。私が経営していた会社は、セメントを扱う商売をし
ていたのですが、そういえば昭和30年代前半までは、権堂駅の側
線に1袋50キログラムのセメントを貨車で運び込み、側線の横に
ある置き場に積み上げていました。当然、このセメントは屋代線を
通り、須坂駅を経由し、権堂駅まで来ていたのですから、長野電鉄
にとって収入源の一つだったのでしょう。もちろん、現在の権堂駅
は、長野大通りができて地下駅になっていますから、貨物輸送は不
可能ですよね(当時は、国鉄長野駅にも側線があって、私たちは倉
庫代わりに使わせてもらっていました)。

 時代の変化で、屋代線は利用者が激減し、毎年の赤字に加え、路
線を維持するためには多額の設備投資をしなくてはならない状況に
なっていました。
 そこで国の支援も頂いて、長野電鉄活性化協議会(国・県・市・
地元関係者で組織)で議論をし、「何とか屋代線を維持できないか」
と検討や実証実験を行いましたが、乗客が増える可能性を見い出せ
ず、協議会は「廃線やむなし。バス代替運行が適当」との結論を出
しました。これを受けて長野電鉄は、平成23年度末の廃線を決定
し、国へ届け出をしました。そして、3月31日、屋代線は90年
間という長い歴史に幕を閉じたのです。

 翌4月1日には、代替路線バスの出発式が行われました。この代
替バスの運行は、屋代線廃線が決まってから、運行を担う長電バス
からの提案も頂きながら、地元の皆さんが主体となって計画したも
ので、より良い路線や停留所、運行本数などが検討されました。
 ノンステップバス4台を含む8台のバスを新たに導入して運行が
始まり、今のところ大きな問題もなく、順調に運行されていると伺
っています。
 今後は、バスの利便性が認識され、地域の皆さんに愛される公共
交通機関として、浸透することを願っています。
 なお、地元からは、次世代型路面電車システム(LRT)を導入
して市内各地を結ぶ新たな交通体系の構築を目指し、その中で既存
の鉄路を活用してほしいとの要望が出されています。議会からの応
援もありますし、本市としても検討することにしています。

 また、平成23年10月末には、長野電鉄から廃線後の線路敷き
や駅舎などを一括無償譲渡したいという申し入れが、長野市、須坂
市、そして千曲市にありました。
 跡地利用については、これから詳細を詰めていきますが、九州新
幹線の車両のデザインを手掛けた水戸岡鋭治さんも関心を寄せてく
ださり、線路敷きの一部分を利用してレールバイク(自転車のよう
にペダルをこぎながら線路の上を走る乗り物)などで楽しめる交通
公園として活用したらどうか、といった提案も頂きました。
 今後、須坂市・千曲市の両市と、地元の皆さんと連携しながら検
討を進める中で、地域の活性化につながるような使い方があったら
なあと考えています。

 かじとり通信500号その1、その2としてお話しした二つの事
業については、これまでもかじとり通信で幾度も取り上げてきまし
た。
 1号1号の積み重ねが、積もり積もって500号を迎えたように、
行政も、一つ一つの仕事の積み重ねが大切であると痛感しています。
 地道に、そして確実な市政運営を進めることは当然ですが、これ
からは、今まで以上にスピード感を持って、直面する課題の解決に
向けて取り組み、結果を残すことが重要であるとも感じています。
 引き続き、長野市政にご理解とご協力を頂くとともに、このかじ
とり通信が、市民の皆さんと市政をつなぐ、より太いパイプとなる
よう、私も頑張ってペンを執り続けたいと決意を新たにしています。

 2週にわたって書き上げた記念すべきかじとり通信500号の最
後に、4月15日に開催された長野オリンピック記念長野マラソン
と長野車いすマラソンについて報告します。長野市の春を代表する
イベントに成長したこれら二つの大会ですが、昨年は東日本大震災
の発生で、残念ながら中止になってしまいました。その分、今年は
多くの方にご参加いただき、春の風薫る信濃路を思う存分走ってい
ただきたいと、私もワクワクしながらこの日を待っていました。例
年ですと満開の桜が咲き誇る長野市を舞台に行われるわけですが、
今年は、4月に入っても雪が降るような寒い日が続き、桜の開花は
大会までには間に合いませんでした。私にはどうすることもできな
いことは分かっていましたが、選手の皆さんをお迎えするホスト役
としては、なんだか申し訳ない気持ちでした。それでも、大会当日
は青空が広がり、ようやく春を感じさせる暖かい1日となりました
ので、多くの選手の皆さんは、気持ち良い汗をかいて、ベストの走
りができたのではないでしょうか。

 優勝は、男子がフランシス・キビワット選手で2時間9分5秒の
大会新記録(2位の選手も大会新記録です)、女子はポーリーヌ・
ワングイ選手の2時間34分22秒で、チャンピオンはともにケニ
ア勢。そしてなんと、優勝したお二人はご夫婦とのことで、まさに
アベック優勝でした。また、私がスターターを務めた車いすマラソ
ンでは、安曇野市の樋口政幸選手が「男子T53/54クラス」で
3連覇を果たすなど、記録的にも素晴らしい大会であったと思いま
す。記録といえば、マラソン大会には完走率というものもあり、今
回は87.4%でした。「7大会連続して85%を越えたことは素
晴らしいことだ」と大会の夕方に行われたフェアウェルパーティー
で、大会長である信濃毎日新聞社の小坂壮太郎代表取締役社長が、
賛辞を贈られていました。参加者は、過去最多の8,825人(内、
車いすマラソンの参加者は56人)とのことで、大変うれしく、そ
して誇らしく感じました。

 選手、ボランティア、応援、交通整理など、参加の方法は皆さん
それぞれ違うかもしれませんが、この大会を盛り上げよう、そして
成功させようという気持ちは一緒だったと思います。そして、全て
の皆さんが大会スローガンである「復興-そして希望へ」を心に秘
めながら頑張ったのではないでしょうか。ゴールとなった長野オリ
ンピックスタジアムでの表彰式を終えて帰路に就くとき、たくさん
の人たちの笑顔を見て、感慨深くそう感じました。

 さて皆さん、本日19日、友好都市締結30周年記念として、私
は中国・石家庄市に出発します。皆さんにかじとり通信をお読みい
ただいているころ、私は飛行機に乗って空の旅の最中かもしれませ
ん。昨年11月、30周年を記念した、王大軍石家庄市副市長を団
長とする友好訪日団をお迎えしましたので、今回はその答礼の意味
も込めて、市議会議員や公募市民の皆さんも合わせて総勢50人の
大訪問団でお伺いします。
 石家庄市では、公式記念行事への参加はもちろんのこと、本市の
観光PRイベントやおやきづくりの実演など、これまで以上に長野
市を売り込もうとさまざまな仕掛けを考えています。また、私個人
としても、前回の訪問から6年がたち、発展が目覚ましいと言われ
る中国がどのように変わったのか、この目で確かめてきたいとも思
っています。
 帰国後、中国訪問記としてかじとり通信で報告しますので、楽し
みにしていてください。では、行ってきます。

2012年4月12日木曜日

次のステップへ~浅川ダムと屋代線 かじとり通信500号(その1)


 かじとり通信が、めでたく500号を迎えました。感無量でもあ
りますし、これまでを振り返ると、とにかく「いろいろあったなあ」
というのが正直な感想です。そこで、節目を迎えた今回と次回のか
じとり通信では、これまで取り上げてきた数々の話題の中から、ち
ょうどこの時期に一定の方向が出された二つの事業についてお話し
します。今回は、そのうちの一つ、浅川ダムについてです。

 3月末、阿部知事が浅川ダムの建設工事を継続するとの談話を発
表され、長い論争に一つの区切りが付いたと感じています。これま
での経過をたどりつつ、市長としての思いを知っていただくことが、
歴史の証人としての私の役割だと思い、書かせていただきます。

 私が市長に就任した平成13年11月は、田中康夫元県知事が
「脱ダム宣言」をし、すでに着工していた浅川ダム建設工事の一時
中止が発表され、大混乱になっていた時期でした。その後、県にお
いて長野県治水・利水ダム等検討委員会が設置され、私は下部組織
の浅川部会特別委員として約2年間、検討委員会に出席しました。
その時、検討委員会の在り方に、さまざまな疑問を感じました。

 まず、ダム建設を検討するために、素人の私が検討委員会に参加
しても意味がないのだから、長野市については建設部長に交代する
と宣言しました。しかし、流域行政機関の責任者の一人として就任
しているのだから駄目だとみんなに止められ、結局私が出席するこ
とになったのですが、検討委員会は、ダム賛成派と反対派のかみ合
うことのない言い合いの場だったように感じています。ダムに関す
る実質的な検討は行われなかったのです。

 検討委員会で、ダムに代わる案について議論したとき、ダム反対
派の皆さんは「代替案はある。提出する」とおっしゃいましたが、
なかなかその案は出てきませんでした。
 そこで私は、「これは県の事業なのだから、反対派だけでなく、
県も代替案を出すべきだ」と主張しました。しかし、時間をかけて
県が出してきた答えは、「県は代替案を出す立場ではない」とのこ
とでした。これはおかしいですよね。県知事が脱ダム宣言をしてダ
ム建設をやめたのですから、今後どうするかについて、同等とは言
わないまでも、県は何らかの代替案を出さなくてはならない、それ
が常識です。例えば、「ダム建設はやめます」だって代替案の一つ
だと思いますが、結局は何も出てきませんでした。

 この件に関して私は、終始一貫して次のように申し上げてきまし
た。
 一つ目は、基本高水(たかみず)流量が過大だという主張に対し、
近年の豪雨傾向からすると現計画は妥当であるということです(基
本高水流量の計算は難しくて、計算式の内容までは分かりませんで
したが、専門家がさまざまなデータから導き出した数値ですから、
尊重すべきと考えました)。
 二つ目には、建設地近くには断層があること、そして、スメクタ
イトという土を含む地盤はもろいということから、ダムの建設は危
険だと言われたことに対しては、これは「土」の中の話で、素人で
は分からないということです。
 結局この二つについては、いずれも技術論なので、素人が口を挟
んでも混乱するだけであって、権威のある専門家に任せるべきだと
考えていました。

 基本高水流量問題は、当初大変な議論を巻き起こしました。委員
のある学者の方は、「基本高水流量が過大であるということを長野
から発信するために、私はこの場にいるのだ」とまでおっしゃって
いました。しかし、その後あちこちで想定外の大水が出て被害が出
たものですから、基本高水流量が過大であるという議論は、自然消
滅したように感じています。

 そのためか、ダム建設反対派は、ダム建設地近くに断層があるか
ら、ダムは危険であるという点に矛先を絞ってきたようです。
 専門的な話ですから、素人には分かりにくい。いろいろな方の話
を聞いても、一方では大丈夫とおっしゃるし、一方では危険だとお
っしゃる・・・代替案がないのですから、言い合いにしかならない
状態が続きました。

 結局、検討委員会にダム反対派が多かったのでしょうか、大学教
授であった委員長が多数意見の選択という形で(別に採決を採った
わけではなかったと思います)、「ダムなし」が検討委員会の結論
になったように記憶しています。論理が破綻しており、愕然(がく
ぜん)としたことを覚えています。

 その後、村井知事が就任して、新たに治水専用ダムとして建設す
ることが提案されました。すなわち、妥協の産物だと思うのですが、
平常時は水が溜まらない、大雨のときだけ水が溜まる「穴あきダム」
にすることが提案されたのです。私は、これ以上混乱しても利はな
いと考えて賛成し、ようやく着工段階になりました。こうした変遷
をたどってきたため、時間がかかってしまったということです。

 浅川流域の皆さんからすれば、大きな水がめ(ダム湖)が頭の上
にあるよりは、普段は「空」の穴あきダムの方が、重さがかからな
いから安全だとお感じになったと思いますし、何より浅川下流域の
皆さんは、長年悩まされてきた水害の恐れがなくなるとお感じにな
ったのだと思います。

 そして、まだダム反対派の意見があったものですから、阿部知事
は就任後、工事を進めながら確認のために断層の調査を行い、さら
に追加調査もして、「F-V断層はダム建設に支障となる断層ではな
い」ことを確認し、建設を継続することになったものです。

 紆余(うよ)曲折を経て、ようやくここまでたどり着いた浅川ダ
ムですが、そもそも基本高水流量や断層を取り上げてダムが必要か
どうか議論する前に、本来忘れてはならない以下の歴史的経過があ
りました。

 まず一つは、浅川の下流域にあり過去に何度も水害を経験してい
る長沼地区に、JRの新幹線車両基地を建設するに当たり、浅川ダ
ムの建設を条件に受け入れていただいた経過があるということです。
冠水地帯である長沼地区に大きな車両基地を造ることは、周囲にさ
らに出水する危険性を増す可能性があるわけで、長沼地区と県、市、
鉄道建設公団(当時)の4者で、ダムの早期完成などを合意事項と
した確認書を取り交わしました。
 そして、もう一つは、本市としても将来の水道水需要を見据える
中で、できるだけ多くの水源を確保しておきたいとの思いもあり、
また当時、ダムは単なる治水だけの目的だけではなく、多目的ダム
にするという国の方針もあったため、長野市水道局がダムから水道
水を取水する約束を県と結んで、そのための建設負担金をすでに県
に支払っていたことです。

 こうした経緯、そして約束を考えると、もしダムが建設されない
となったら、どんなことになっていたのか想像ができません。中で
も、新幹線車両基地建設の際の確認書をほごにすることは、それま
で地元、県、市が築き上げてきた信頼関係を無にする行為で許され
るものではありません。ダム建設が中止されていたら、あらゆるこ
とへの信頼が壊れていたことでしょう。

 また、ダムの安全性について言えば、100年ぐらいある日本の
ダムの歴史の中で、これまでに国内のコンクリートダムが地震など
により崩壊したことはないそうですし、阪神淡路大震災や東日本大
震災においても、コンクリートダムがダム管理上支障のある被害を
受けた事例は確認されていないことから、日本の土木技術は信頼で
きるものだと国土交通省の担当者から聞いています。

 いずれにしても、脱ダム宣言がなければ、浅川ダムは平成18年
度には完成していたはずです。随分回り道をしたように感じますが、
浅川ダムの地質・断層の安全性についての長い論争にこれで終止符
が打たれ、ようやくホッとしても良いのかなと感じています。
 しかし、まだ台風による長雨などの影響で千曲川の水位が上昇し
た場合に、浅川の水が千曲川に流れ出にくくなる、いわゆる内水問
題を抱えています。こちらについては、今後も国や県に対して、早
期の対策をお願いしていかなければならないわけで、下流域の皆さ
んの心配が少しでも減るように努めてまいりたいと考えています。

 次回は、かじとり通信500号(その2)として、長野電鉄屋代
線についてお話しします。

2012年4月5日木曜日

副市長2人の新体制で新年度がスタート


 新年度が始まりました。4月1日から副市長を2人とし、新体制
でのスタートです。副市長を2人制とした主な理由は、これからの
本市発展を見据える中で、新幹線金沢延伸に対応した観光振興や新
交通システムを含めた公共交通政策、8つの大規模プロジェクトの
推進や農林業振興の新たな展開など、山積する課題に的確かつ迅速
に対応するためで、確実に市政を進めていくためには、このタイミ
ングが最も効果的と考えたのです。

 特に、新幹線金沢延伸が平成26年度末と間近に迫り、観光振興
への取り組みが急務となっているほか、市役所第一庁舎・長野市民
会館建設をはじめとする大規模プロジェクト事業の多くは、今後、
平成26年度までに完了する予定で進めており、サッカースタジア
ムの整備にも時間的な制約があるなど、この間に市政の課題が集中
していることが大きな要因です。
 
 なお、本市では、平成16年4月1日から平成17年12月2日
まで、助役2人制の時代がありましたし、オリンピック開催前後の
時期にも2人制でした。

 ここで、新副市長お二人を紹介します。
 まず、長野県から黒田和彦副市長をお迎えしました。黒田氏は先
月31日まで長野県の企画部長を務めておられ、リニア中央新幹線
の整備計画をはじめとした公共交通政策に携わっておられました。
本市においてバス・鉄道などの公共交通の再生が大きな課題となる
中、当該業務に精通した方です。また、長野県短期大学の4年制移
行にも関わっておられ、この点からも本市と関係が深い方です。
 県財政課長、商工労働部長を歴任されているため、財政、産業振
興関係の知識・経験も豊富であり、新幹線金沢延伸を控え、新たな
施策展開が急務になっている観光振興の面でもJR各社との調整も
含め、大いに力を発揮していただけるものと期待しています。
 
 大規模プロジェクト事業を進めていくためには、本市の力だけで
実現できるものではなく、県から協力や支援を受ける場面も多いわ
けで、黒田氏の県職員としてのさまざまな経験や人脈によって県と
の連絡、調整が円滑に行えるなど、市政運営にとって大きな効果を
生むものと考えています。また、組織規模の大きい長野県で培った
統率力、実行力にも期待しています。
 以上のことを踏まえ、黒田氏には、企画、財政、環境、建設部門
などを担当していただきます。なお、黒田氏は、現在篠ノ井に住ん
でおられますが、実家は信濃町とのことで、この冬の大雪では、ご
両親の家に除雪に行ってきたという親孝行な方です。

 次に、樋口博副市長を紹介します。
 樋口氏は、先月31日まで本市職員として勤務し、その間、企画
課長、政策調整監、産業振興部長などを歴任されました。
 樋口氏には、総務、地域振興、産業部門などを担当していただき
ます。

 市長就任前、私が株式会社エムウェーブの副会長を仰せ付かって
いた時期に、樋口氏はエムウェーブの総務企画部長として勤務して
おり、私の相談相手として、会社としてスタートしたばかりのエム
ウェーブをいかにして黒字経営にするかで頑張っていただきました。
その後、松代地区で実施した「エコール・ド・まつしろ2004」
のプロジェクトでも頑張ってくれたことも印象に残っており、併せ
て、人とのコミュニケーション力には、NAOC(長野冬季オリン
ピック組織委員会)時代から定評があることなどを評価し、任命し
たものです。

 副市長2人制は、特殊な例ではありません。中核市では、長野市
を除く40市中、副市長1人制は青森市、前橋市、高槻市の3市の
みです。規模が違うので単純に比較することはできませんが、参考
までに長野県は副知事を2人置いていますし、東京都は副知事4人
です。

 人事の話題について、もう一つお話しします。先月31日に任期
満了となった上下水道事業管理者の中村治雄氏の後任として、高見
澤裕史(ひろし)氏を新たに任命しました。この人事は議会承認人
事ではないのですが、本市の重要人事であり、市議会議員の皆さん
にもご説明して任命しました。

 高見澤氏は、本市職員として勤務し、公園緑地課長、都市計画課
長、都市整備部長などを歴任し、平成23年3月に定年退職され、
その後1年間、県関係の機関で頑張っていました。私は、彼の能力
を買っていましたので、このたび、市の特別職として招いたもので
す。

 公営企業というのは、行政の組織の中で企業経営を行う、すなわ
ち本来は独立採算制を採用している部門です。本市の公営企業は、
上下水道局だけのように思われるかもしれませんが、独立採算を基
本としているという点では、長野市民病院も同様ですし、指定管理
者制度を導入している施設も基本的には企業経営であるべきですか
ら、これらの経営に当たっては、いかに行政と距離を置くか、いか
に行政を頼らないかがポイントになるのです。
 現段階では、本市の公営企業は、多くが長野市から補助金や委託
料を受けて経営しているわけですから、経営としては甘いのです。
社会福祉法人も含め、経営とは何かを市職員にも、今後徹底的に勉
強してもらうつもりです。
 高見澤氏には、公営企業の経営に、大いに実力を発揮していただ
いて、本当の意味での経営に取り組んでほしいと考えています。そ
して、私の五原則の一つ「民間活力の導入」実現に力を貸していた
だくことを期待しています。

 話は変わりますが、サッカーJFL(日本フットボールリーグ)
の2012年シーズンが先月開幕しました。3月11日の開幕戦は、
藤枝MYFCに4対0で快勝。ホームスタジアムの南長野運動公園
総合球技場は、3,385人の観客で埋め尽くされました。2戦目
のアウェーでのY.S.C.C.戦も2対1で連勝し、出だし順調
だったのですが、3月25日の3戦目は、冷たく強い風が吹く中で
のホーム戦で、ソニー仙台FCに1対1の引き分けに終わり、勝ち
点は7点止まりで、順位も首位から4位へと大きく下がってしまい
ました。また、この日は、残念ながら観客数も目標の3千人には及
ばなかったようです。
 まあ、今シーズンは、まだ始まったばかりなので、一喜一憂して
も仕方ありませんが、ファンとしては常に上位で頑張ってほしいと
思うのが人情でしょう。

 今シーズン、JFLには17チームが所属しています。対戦相手
の16チームとは、ホーム・アンド・アウェーで戦うのですから、
全部で32試合あるわけです。油断せず、最後まで頑張って、優勝
してほしいものです。

 長野オリンピック記念長野マラソンと長野車いすマラソンの開催
が4月15日に迫ってきました。
 長野の春の風物詩として、すっかり定着しているイベントですが、
長野マラソンはランナーズ誌などでの評判が相変わらず高く、人気
度は上位にランキングされ、誇らしく思います。

 昨年の大会は、約9千人(車いすマラソンは74人)のランナー
にエントリーしていただきましたが、開催が東日本大震災の直後で
あったため、中止せざるを得ず、大変残念な思いをしました。
 参加予定であったランナーの皆さんから頂いた参加料の全額
7,664万円は、ご了解を得た上で、被災地へ義援金として送ら
せていただき、復興の一助になったものと思っています。
 今年の大会では、昨年エントリーしていただいた皆さんを対象に
優先エントリーを実施したところ、8割弱に当たる6,933人の
方にお申し込みいただきました。
 その後、一般申し込みを行い、最終エントリー数は約1万人とな
りました。

 なお、昨年の大会に関して付け加えますと、中止が決定された日
が大会開催間近で、大会の準備が全て整っていたため、長野市が負
担する費用は、ほとんど全額支出しました。ご理解願いたいと思い
ます。

 さあ、いよいよ本番です。ランナーの皆さん、昨年の分まで頑張
って、長野の春を思う存分楽しんでください。私も、いつもの年の
ように、車いすマラソンのスターターを務めさせていただき、沿道
で応援をした後は、ゴール付近で皆さんをお迎えする予定です。