前回のかじとり通信では、一つの区切りを迎えた浅川ダムについ
てお話ししました。
今回は、一定の方向が出された二つの事業のうちのもう一つ、長
野電鉄屋代線についてです。
長野電鉄屋代線が、3月31日をもって廃止され、4月1日から
バスによる代替運行が始まりました。これも、浅川ダムと同様にこ
れまで議論を重ねてきた問題です。
屋代線は、大正11年に長野電鉄最初の路線として開業しました。
当時、須坂で生産される生糸を屋代駅まで運び、国鉄の列車に積み
替えるための路線だったと聞いています。当時の日本の経済活動の
中で、生糸生産の占める割合が、いかに大きかったかということを
証明する話です。
しかし、その後、生糸の生産は減り、乗客数もかなり落ち込んで
しまいました。私が経営していた会社は、セメントを扱う商売をし
ていたのですが、そういえば昭和30年代前半までは、権堂駅の側
線に1袋50キログラムのセメントを貨車で運び込み、側線の横に
ある置き場に積み上げていました。当然、このセメントは屋代線を
通り、須坂駅を経由し、権堂駅まで来ていたのですから、長野電鉄
にとって収入源の一つだったのでしょう。もちろん、現在の権堂駅
は、長野大通りができて地下駅になっていますから、貨物輸送は不
可能ですよね(当時は、国鉄長野駅にも側線があって、私たちは倉
庫代わりに使わせてもらっていました)。
時代の変化で、屋代線は利用者が激減し、毎年の赤字に加え、路
線を維持するためには多額の設備投資をしなくてはならない状況に
なっていました。
そこで国の支援も頂いて、長野電鉄活性化協議会(国・県・市・
地元関係者で組織)で議論をし、「何とか屋代線を維持できないか」
と検討や実証実験を行いましたが、乗客が増える可能性を見い出せ
ず、協議会は「廃線やむなし。バス代替運行が適当」との結論を出
しました。これを受けて長野電鉄は、平成23年度末の廃線を決定
し、国へ届け出をしました。そして、3月31日、屋代線は90年
間という長い歴史に幕を閉じたのです。
翌4月1日には、代替路線バスの出発式が行われました。この代
替バスの運行は、屋代線廃線が決まってから、運行を担う長電バス
からの提案も頂きながら、地元の皆さんが主体となって計画したも
ので、より良い路線や停留所、運行本数などが検討されました。
ノンステップバス4台を含む8台のバスを新たに導入して運行が
始まり、今のところ大きな問題もなく、順調に運行されていると伺
っています。
今後は、バスの利便性が認識され、地域の皆さんに愛される公共
交通機関として、浸透することを願っています。
なお、地元からは、次世代型路面電車システム(LRT)を導入
して市内各地を結ぶ新たな交通体系の構築を目指し、その中で既存
の鉄路を活用してほしいとの要望が出されています。議会からの応
援もありますし、本市としても検討することにしています。
また、平成23年10月末には、長野電鉄から廃線後の線路敷き
や駅舎などを一括無償譲渡したいという申し入れが、長野市、須坂
市、そして千曲市にありました。
跡地利用については、これから詳細を詰めていきますが、九州新
幹線の車両のデザインを手掛けた水戸岡鋭治さんも関心を寄せてく
ださり、線路敷きの一部分を利用してレールバイク(自転車のよう
にペダルをこぎながら線路の上を走る乗り物)などで楽しめる交通
公園として活用したらどうか、といった提案も頂きました。
今後、須坂市・千曲市の両市と、地元の皆さんと連携しながら検
討を進める中で、地域の活性化につながるような使い方があったら
なあと考えています。
かじとり通信500号その1、その2としてお話しした二つの事
業については、これまでもかじとり通信で幾度も取り上げてきまし
た。
1号1号の積み重ねが、積もり積もって500号を迎えたように、
行政も、一つ一つの仕事の積み重ねが大切であると痛感しています。
地道に、そして確実な市政運営を進めることは当然ですが、これ
からは、今まで以上にスピード感を持って、直面する課題の解決に
向けて取り組み、結果を残すことが重要であるとも感じています。
引き続き、長野市政にご理解とご協力を頂くとともに、このかじ
とり通信が、市民の皆さんと市政をつなぐ、より太いパイプとなる
よう、私も頑張ってペンを執り続けたいと決意を新たにしています。
2週にわたって書き上げた記念すべきかじとり通信500号の最
後に、4月15日に開催された長野オリンピック記念長野マラソン
と長野車いすマラソンについて報告します。長野市の春を代表する
イベントに成長したこれら二つの大会ですが、昨年は東日本大震災
の発生で、残念ながら中止になってしまいました。その分、今年は
多くの方にご参加いただき、春の風薫る信濃路を思う存分走ってい
ただきたいと、私もワクワクしながらこの日を待っていました。例
年ですと満開の桜が咲き誇る長野市を舞台に行われるわけですが、
今年は、4月に入っても雪が降るような寒い日が続き、桜の開花は
大会までには間に合いませんでした。私にはどうすることもできな
いことは分かっていましたが、選手の皆さんをお迎えするホスト役
としては、なんだか申し訳ない気持ちでした。それでも、大会当日
は青空が広がり、ようやく春を感じさせる暖かい1日となりました
ので、多くの選手の皆さんは、気持ち良い汗をかいて、ベストの走
りができたのではないでしょうか。
優勝は、男子がフランシス・キビワット選手で2時間9分5秒の
大会新記録(2位の選手も大会新記録です)、女子はポーリーヌ・
ワングイ選手の2時間34分22秒で、チャンピオンはともにケニ
ア勢。そしてなんと、優勝したお二人はご夫婦とのことで、まさに
アベック優勝でした。また、私がスターターを務めた車いすマラソ
ンでは、安曇野市の樋口政幸選手が「男子T53/54クラス」で
3連覇を果たすなど、記録的にも素晴らしい大会であったと思いま
す。記録といえば、マラソン大会には完走率というものもあり、今
回は87.4%でした。「7大会連続して85%を越えたことは素
晴らしいことだ」と大会の夕方に行われたフェアウェルパーティー
で、大会長である信濃毎日新聞社の小坂壮太郎代表取締役社長が、
賛辞を贈られていました。参加者は、過去最多の8,825人(内、
車いすマラソンの参加者は56人)とのことで、大変うれしく、そ
して誇らしく感じました。
選手、ボランティア、応援、交通整理など、参加の方法は皆さん
それぞれ違うかもしれませんが、この大会を盛り上げよう、そして
成功させようという気持ちは一緒だったと思います。そして、全て
の皆さんが大会スローガンである「復興-そして希望へ」を心に秘
めながら頑張ったのではないでしょうか。ゴールとなった長野オリ
ンピックスタジアムでの表彰式を終えて帰路に就くとき、たくさん
の人たちの笑顔を見て、感慨深くそう感じました。
さて皆さん、本日19日、友好都市締結30周年記念として、私
は中国・石家庄市に出発します。皆さんにかじとり通信をお読みい
ただいているころ、私は飛行機に乗って空の旅の最中かもしれませ
ん。昨年11月、30周年を記念した、王大軍石家庄市副市長を団
長とする友好訪日団をお迎えしましたので、今回はその答礼の意味
も込めて、市議会議員や公募市民の皆さんも合わせて総勢50人の
大訪問団でお伺いします。
石家庄市では、公式記念行事への参加はもちろんのこと、本市の
観光PRイベントやおやきづくりの実演など、これまで以上に長野
市を売り込もうとさまざまな仕掛けを考えています。また、私個人
としても、前回の訪問から6年がたち、発展が目覚ましいと言われ
る中国がどのように変わったのか、この目で確かめてきたいとも思
っています。
帰国後、中国訪問記としてかじとり通信で報告しますので、楽し
みにしていてください。では、行ってきます。