かじとり通信が、めでたく500号を迎えました。感無量でもあ
りますし、これまでを振り返ると、とにかく「いろいろあったなあ」
というのが正直な感想です。そこで、節目を迎えた今回と次回のか
じとり通信では、これまで取り上げてきた数々の話題の中から、ち
ょうどこの時期に一定の方向が出された二つの事業についてお話し
します。今回は、そのうちの一つ、浅川ダムについてです。
3月末、阿部知事が浅川ダムの建設工事を継続するとの談話を発
表され、長い論争に一つの区切りが付いたと感じています。これま
での経過をたどりつつ、市長としての思いを知っていただくことが、
歴史の証人としての私の役割だと思い、書かせていただきます。
私が市長に就任した平成13年11月は、田中康夫元県知事が
「脱ダム宣言」をし、すでに着工していた浅川ダム建設工事の一時
中止が発表され、大混乱になっていた時期でした。その後、県にお
いて長野県治水・利水ダム等検討委員会が設置され、私は下部組織
の浅川部会特別委員として約2年間、検討委員会に出席しました。
その時、検討委員会の在り方に、さまざまな疑問を感じました。
まず、ダム建設を検討するために、素人の私が検討委員会に参加
しても意味がないのだから、長野市については建設部長に交代する
と宣言しました。しかし、流域行政機関の責任者の一人として就任
しているのだから駄目だとみんなに止められ、結局私が出席するこ
とになったのですが、検討委員会は、ダム賛成派と反対派のかみ合
うことのない言い合いの場だったように感じています。ダムに関す
る実質的な検討は行われなかったのです。
検討委員会で、ダムに代わる案について議論したとき、ダム反対
派の皆さんは「代替案はある。提出する」とおっしゃいましたが、
なかなかその案は出てきませんでした。
そこで私は、「これは県の事業なのだから、反対派だけでなく、
県も代替案を出すべきだ」と主張しました。しかし、時間をかけて
県が出してきた答えは、「県は代替案を出す立場ではない」とのこ
とでした。これはおかしいですよね。県知事が脱ダム宣言をしてダ
ム建設をやめたのですから、今後どうするかについて、同等とは言
わないまでも、県は何らかの代替案を出さなくてはならない、それ
が常識です。例えば、「ダム建設はやめます」だって代替案の一つ
だと思いますが、結局は何も出てきませんでした。
この件に関して私は、終始一貫して次のように申し上げてきまし
た。
一つ目は、基本高水(たかみず)流量が過大だという主張に対し、
近年の豪雨傾向からすると現計画は妥当であるということです(基
本高水流量の計算は難しくて、計算式の内容までは分かりませんで
したが、専門家がさまざまなデータから導き出した数値ですから、
尊重すべきと考えました)。
二つ目には、建設地近くには断層があること、そして、スメクタ
イトという土を含む地盤はもろいということから、ダムの建設は危
険だと言われたことに対しては、これは「土」の中の話で、素人で
は分からないということです。
結局この二つについては、いずれも技術論なので、素人が口を挟
んでも混乱するだけであって、権威のある専門家に任せるべきだと
考えていました。
基本高水流量問題は、当初大変な議論を巻き起こしました。委員
のある学者の方は、「基本高水流量が過大であるということを長野
から発信するために、私はこの場にいるのだ」とまでおっしゃって
いました。しかし、その後あちこちで想定外の大水が出て被害が出
たものですから、基本高水流量が過大であるという議論は、自然消
滅したように感じています。
そのためか、ダム建設反対派は、ダム建設地近くに断層があるか
ら、ダムは危険であるという点に矛先を絞ってきたようです。
専門的な話ですから、素人には分かりにくい。いろいろな方の話
を聞いても、一方では大丈夫とおっしゃるし、一方では危険だとお
っしゃる・・・代替案がないのですから、言い合いにしかならない
状態が続きました。
結局、検討委員会にダム反対派が多かったのでしょうか、大学教
授であった委員長が多数意見の選択という形で(別に採決を採った
わけではなかったと思います)、「ダムなし」が検討委員会の結論
になったように記憶しています。論理が破綻しており、愕然(がく
ぜん)としたことを覚えています。
その後、村井知事が就任して、新たに治水専用ダムとして建設す
ることが提案されました。すなわち、妥協の産物だと思うのですが、
平常時は水が溜まらない、大雨のときだけ水が溜まる「穴あきダム」
にすることが提案されたのです。私は、これ以上混乱しても利はな
いと考えて賛成し、ようやく着工段階になりました。こうした変遷
をたどってきたため、時間がかかってしまったということです。
浅川流域の皆さんからすれば、大きな水がめ(ダム湖)が頭の上
にあるよりは、普段は「空」の穴あきダムの方が、重さがかからな
いから安全だとお感じになったと思いますし、何より浅川下流域の
皆さんは、長年悩まされてきた水害の恐れがなくなるとお感じにな
ったのだと思います。
そして、まだダム反対派の意見があったものですから、阿部知事
は就任後、工事を進めながら確認のために断層の調査を行い、さら
に追加調査もして、「F-V断層はダム建設に支障となる断層ではな
い」ことを確認し、建設を継続することになったものです。
紆余(うよ)曲折を経て、ようやくここまでたどり着いた浅川ダ
ムですが、そもそも基本高水流量や断層を取り上げてダムが必要か
どうか議論する前に、本来忘れてはならない以下の歴史的経過があ
りました。
まず一つは、浅川の下流域にあり過去に何度も水害を経験してい
る長沼地区に、JRの新幹線車両基地を建設するに当たり、浅川ダ
ムの建設を条件に受け入れていただいた経過があるということです。
冠水地帯である長沼地区に大きな車両基地を造ることは、周囲にさ
らに出水する危険性を増す可能性があるわけで、長沼地区と県、市、
鉄道建設公団(当時)の4者で、ダムの早期完成などを合意事項と
した確認書を取り交わしました。
そして、もう一つは、本市としても将来の水道水需要を見据える
中で、できるだけ多くの水源を確保しておきたいとの思いもあり、
また当時、ダムは単なる治水だけの目的だけではなく、多目的ダム
にするという国の方針もあったため、長野市水道局がダムから水道
水を取水する約束を県と結んで、そのための建設負担金をすでに県
に支払っていたことです。
こうした経緯、そして約束を考えると、もしダムが建設されない
となったら、どんなことになっていたのか想像ができません。中で
も、新幹線車両基地建設の際の確認書をほごにすることは、それま
で地元、県、市が築き上げてきた信頼関係を無にする行為で許され
るものではありません。ダム建設が中止されていたら、あらゆるこ
とへの信頼が壊れていたことでしょう。
また、ダムの安全性について言えば、100年ぐらいある日本の
ダムの歴史の中で、これまでに国内のコンクリートダムが地震など
により崩壊したことはないそうですし、阪神淡路大震災や東日本大
震災においても、コンクリートダムがダム管理上支障のある被害を
受けた事例は確認されていないことから、日本の土木技術は信頼で
きるものだと国土交通省の担当者から聞いています。
いずれにしても、脱ダム宣言がなければ、浅川ダムは平成18年
度には完成していたはずです。随分回り道をしたように感じますが、
浅川ダムの地質・断層の安全性についての長い論争にこれで終止符
が打たれ、ようやくホッとしても良いのかなと感じています。
しかし、まだ台風による長雨などの影響で千曲川の水位が上昇し
た場合に、浅川の水が千曲川に流れ出にくくなる、いわゆる内水問
題を抱えています。こちらについては、今後も国や県に対して、早
期の対策をお願いしていかなければならないわけで、下流域の皆さ
んの心配が少しでも減るように努めてまいりたいと考えています。
次回は、かじとり通信500号(その2)として、長野電鉄屋代
線についてお話しします。