2013年1月31日木曜日

震災今昔


 新しい年を迎えました。国では政権交代もあり、景気好転の兆し
が見え始め、今後の経済財政状況の回復と継続した成長が期待され
るところです。何しろ、国と地方を合わせて1000兆円にならん
とする借金の返済を、将来の子どもたちに課そうとしている国なの
ですから。

 東日本大震災から早くも2年を迎えようとしています。こういっ
た節目の時期になると思い出すものがあります。

 名前は失念しましたが、日本で一番短い会話を集めた本の中の一
話です。
 おおむねこういう粗筋だったと記憶しています。
 阪神・淡路大震災の直後、神戸で下宿生活をしていた息子を案じ
て、父親が探しに出ます。
 電車を乗り継ぎ、被災地に一番近寄れる駅から線路伝いに神戸に
向かって歩いていきます。
 長い間歩き続けていると、被災地の方から歩いてくる何人もの人々
の中に、見慣れた少しなで肩の青年がうつむきながらやって来るの
を見つけます。
 その前に立ち止まり、父親は声を掛けます。「おうっ」。息子は
驚いたように顔を上げ、目を見開いて再び下を向いて恥ずかしそう
に言います。「・・あぁ」。
 という、たったそれだけの会話です。
 「絆」という言葉が、東日本大震災後に頻繁に使われるようにな
りましたが、切っても切れぬ親子の絆は、このたった二言の短い会
話に強くにじみ出ていることをあらためて思い出したところです。
 最近は、いじめといえば生徒と学校とのコミュニケーションの不
足、引きこもりといえば家庭内での会話の不足、孤独死といえば地
域との絆の不足と言われます。災害時の地域の絆が再認識されてい
るところです。コミュニケーションが苦手な人とも、百言を弄
(ろう)しなくても、親子並みとはいかないまでもどうしたら絆を
保てるのか。行政ができることは何か、絶対的な解決策、手立てが
見つからない中、いろいろな方の知恵を頂かなければならない問題
だと感じています。

 もう一つ、今度は関東大震災の話。
 時の内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤新平が、瓦礫(がれき)や
焦土と化した東京を世界に冠たる帝都に生まれ変えようとすべく、
さまざまな利権と思惑の中で、身命を賭して東京の復興に立ち向か
う姿と苦悩を描いた小説を読んだことがあります。
 その中で彼は、復興に必要な費用を、全て国の責任において、全
額を国庫で賄うことを決意し、時の大蔵大臣井上準之助を相手に奮
闘し、予算額に不満を残しつつも、理想を掲げて復興に取り組んだ
というものです。
 このたびの東日本大震災はどうでしょうか?
 最近政府では、復興の費用の捻出を契機として、地方公共団体の
運営の命ともいうべき地方交付税を削減せよ、内容として地方公務
員の給与を差し出せ、という方針を示しています。この今の政府の
姿は、かつての後藤新平にはどう映ることでしょうか?
 もっとも、今の財務大臣は「平成の高橋是清」と呼ばれて登場し
てきた方だけに、「オレは後藤じゃねえよ」とでも言うかもしれま
せんが。

2013年1月24日木曜日

生活保護の問題


 市長になって、1・2年ころの話です。
 ある地区の元気なまちづくり市民会議で、お年寄りが立ち上がっ
て、「わしは、この年になるまで、きちんと年金の保険料を払って、
今、年金をもらっている。しかし、保険料を払っていないにもかか
わらず、生活保護費として、わしより余計にもらっている人がいる
ことは、けしからん」といった趣旨の発言をされました。当時の私
は、行政経験もあまりなかったため、このご意見にすぐには答えら
れませんでした。事実なら確かに問題であり、ご老人が怒るのも無
理はないと思いました。ご老人がおっしゃったのは、生活保護費と
年金の受給額の問題です。

 生活保護受給者が大変増えていることが心配されています。受給
者は全国で214万人を超え、過去最高を更新していますが、この
不況の中で受給者の増加傾向が続くのではないかと、マスコミでも
報道されています。
 受給者が増加する原因はいろいろありますが、リーマン・ショッ
ク以来の不況が続いていることや、企業が固定費を極力増やさない
ようにするために非正規従業員を増やし、景気変動にいつでも対応
できる経営を志向していることが主な原因で、やむを得ないことだ
と思います。そうしなければ、工場の海外移転がさらに激しくなる
でしょう・・・。

 終戦後、私が子どものころ見掛けた、道路工事などの失業対策事
業に従事する人々のことを思い出します。何もせずに、ただ、お金
をもらうことを潔しとしない。あるいは、厳しい労働環境の中でも
働かざるを得ない人々の存在・・・監督官みたいな人が1人いて、
十数人が道路工事に従事していました。厳しい労働環境であったと
思いますが、終戦直後では「背に腹は代えられない」社会だったの
でしょう。

 何を言いたいかというと、要は、生活保護受給者に限らず自立を
促すシステムがないと、人間は全て安易な方向に流れ社会は混乱す
る。それを防ぐことが大切だということで、そのためには、生活保
護制度に関しては、「働いた分を収入とみなして、その分の保護費
を削減する」現行のシステムを変えた方が良いのではないかと言い
たいのです。

 まず、受給者に関する調査をして、働けない人と、働けるけれど
も就業の機会に恵まれない人を厳密に分ける。
 働けない人については、生活保護費をどのくらいにすればよいか、
純粋に福祉の観点から決定する(今と同じ方式でしょう)。
 働ける人については、仕事を斡旋(あっせん)し、稼いでもらう
(現在も、長野市と長野公共職業安定所との間で協定を締結し、受
給者の就労支援を行っています)。この場合、稼いだお金は行政が
預かり、その時点では収入と見なさない。そして努力の結果、生活
保護の対象から外れるとき、金利分や補助金なども加算して本人に
返還する制度はどうでしょうか(国でも、就労収入の一部を積み立
てる制度を検討しているようです)。

 それには、働く場があることが大切です。ほとんどの人は公共職
業安定所などで仕事を探すのでしょうが、今なら農林業に従事する
ことが、中山間地域の活性化といった点からも有益ではないかと考
えています。農林業については、従事者不足、耕作放棄地の増加な
ど、厳しい状況にありますし、実際、農林業に従事すること、そし
て、そこから十分な収入を得ることは大変ですが、しかし、農林業
には、努力次第で無限の可能性を見出すことができると私は思って
います。

 こうした制度によって、「働かなければ収入は減る。働けば収入
は増える」というインセンティブ(意欲刺激)が働く・・・すなわ
ち、「働き損」の現行制度から、より公平な制度になるのではない
でしょうか。
 額に汗して働いた人たちが、夢と誇りを持って生きていけるよう
な・・・反面、傷病や障害があり、働けない人には必要な保障があ
る社会・・・これが理想です。

 ここに来て、生活保護の基準額引き下げについて、国で具体的な
検討が行われています。これは、生活保護の支給水準が、低所得世
帯の生活費を上回る場合があり、さらに、昨年マスコミにも大きく
取り上げられた不正受給問題や、生活保護費の支給額が最低賃金額
から社会保険料などを差し引いた労働者の手取り金額よりも多いと
いった「逆転現象」の問題がその背景にあるようです。増え続ける
生活保護費の抑制にはつながりますが・・・。

 セーフティーネットとしての機能を損なうことなく、生活保護受
給者の生活を守ることを前提に、自立の努力をする人が報われるよ
うにする、また不公平感を是正する観点からの議論が必要であると
感じています。

 話はまったく変わりますが、皆さんに報告します。
 一昨日、長野広域連合が計画している広域ごみ焼却施設の建設候
補地である大豆島地区住民自治協議会長から、5つの条件を付して
建設に対する「基本同意書」を頂きました。
 大豆島地区には、1962(昭和37)年から半世紀近くもの長
きにわたり、焼却施設を受け入れていただいており、施設の老朽化
やごみ処理の広域化に対応するため、2005(平成17)年に新
たな焼却施設建設をお願いしたものです。以来7年間、地区の皆さ
んには建設計画について真剣にご検討いただき、地区住民の皆さん
のさまざまな声を聴かれた上で、このたび建設について同意のご判
断をいただきました。これまでの長年にわたるご労苦に、そして、
建設同意に対し心より感謝申し上げます。

 長野市長として、そして、長野広域連合長として、今回の同意は
大変重いものであると受け止めており、あらためて大きな責任を感
じています。今後、安定的なごみ処理体制の構築と同意条件の確実
な実施に向け、引き続き地元の皆さんと協議を行いながら、
2018(平成30)年度の稼動を目指し、最大限の努力をいたし
ます。

2013年1月17日木曜日

国への依存


 「地方自治体は自立していない」・・・私が時々使うフレーズで
す。
 「地方の時代」という言葉を知ったのは、故夏目忠雄先生が市長
を辞めて出馬した1974(昭和49)年の参議院議員の選挙のと
きで、夏目先生がこのフレーズを使っておられました。第1次オイ
ルショックの直後でしたから、もう40年近く前の話です。
 もちろん敗戦後、時代が変わり、民主主義の時代になったが故に
「地方の時代」という考え方はもともとあったのでしょうが・・・
夏目先生が選挙活動の際に、あらためて、このフレーズを主張しな
くてはならなかったということは、戦後30年近い年月が経ってい
たにもかかわらず、「地方の時代」にはなっていなかったことの証
左でしょう。
 2000(平成12)年には、地方分権一括法(地方分権の推進
を図るための関係法律の整備等に関する法律)が施行され、現在、
形式的には地方の時代がかなり進んできたようには思いますが・・
・。

 私の主張を申し上げれば、「いまだに地方自治体は自立していな
い。自分の足で立っているとは言えない」のです。一番の問題は財
政です。ストックとフローに分けて考えてみると、まずストックと
して地方自治体には借金がありますから、返済する必要があり(借
金をするときは、原則として国や県への申請が必要です)、フロー
としても国の財政支援(補助)を頼りに動いており、それがなくて
は地方自治体は支払いができないのです。
 国と対立して、「補助はいらない」とけんかができるのは、東京
都だけだろうと思います。このたび、本市出身の猪瀬直樹氏が都知
事に就任されましたが、雄大な構想でスタートしたあの新銀行東京
が資本金の1000億円を失っても東京都には大きな打撃はないよ
うですから・・・うらやましい限りです。

 いくつかの問題点を申し上げます。
 一つは、税源の問題です。大都市を中心とした地域とそれ以外の
地方とでは、極端に片寄りがあり、税制度の設計が間違っているの
ではないかと感じます。具体的に申し上げましょう。長野市の財源
は、市民税などの市税が約40%で、そこに国や県から来る交付金
や交付税などで本来長野市の固有の収入と考えて良いものを加えて
も60%ぐらいでしょう。あとはいろいろな収入や繰越金、国庫補
助金などの国・県の支援でようやく現在の財政規模を維持できてい
るわけで、私は「長野市の財政は大丈夫です」と胸を張ってたびた
び申し上げていますが、それは国の支援があっての、そして今の財
政ルールを国が守るという前提条件が付いての話なのです。つまり、
地方自治体は、どうしても国や県から財政的支援をもらわないと駄
目ということで、そのためには、官僚や政権の力を借りる必要があ
るというのが実態です。
 国が集めている税金の相当の部分を地方に回してもらっているこ
とは事実ですし、徐々に地方の取り分は増えてきています。そのお
かげで、地方は辛うじてやっていると感じています。

 もう一つは、会計の単年度主義が、じっくり仕事をしていくこと
を難しくしています。複数年度会計を採用できないのか。そして、
行政の会計制度に複式簿記が導入されていないことも問題です。複
式簿記導入は、私の元来からの主張で、今の単式簿記だけでは長野
市の財務状況を正しく表すことができない上、他都市との比較がで
きません。導入されていない理由は、道路や河川などを含む保有土
地の評価が難しく、評価額の算定が困難なことなどがありますが、
それならば、土地勘定を除外して、貸借対照表を作るべきと私は考
えています。土地は減価償却ができない特殊な資産ですから、地方
自治体は土地を買ったら、全部国に寄付して、利用権だけを取得す
ることにしたらどうでしょうか(社会主義に近い考えですかね・・
・)。

 真に自立するとはどういうことか。企業でいえば無借金経営のこ
とですし、地方自治体においては、やりたいことが自治体独自の判
断でできるということでしょう。そうした財政的に恵まれた自治体
の首長は、国に対しても格好良く自らの主張を声高に訴えることが
できるのでしょうけれども・・・その勇気は本当にうらやましいで
すし、私も・・・。しかし、国や県とけんかをして、長野市民が得
することはありません。長野市の現状を訴え、財政支援の必要性を
説明し、予算を獲得してくることが長野市のためになるわけです。
歴代の市長、他都市の市長も同様に考え、同様に行動しているでし
ょう。

 東日本大震災の直後、長野市の大規模プロジェクト事業をやめて、
その事業に充てる補助金分の予算を国に返すべきだというご意見を
頂きました。確かに、国全体を考えればそうした考えを持つ人がい
ることは理解できますが、国が全体として予算を減らし、その分を
復興費用に充てるということなら納得せざるを得ないのでしょうが、
長野市だけが独自にそうした対応をしても大きな財政的効果は見込
めませんし、長野市の大規模プロジェクト事業とは同列には考える
べきではないと判断しました。私はこの考え方で、長野市は被災地
の復興のために見舞金1億円を支出し、市の事業は全て行うことと
決断しました。
 しかも、今回国は、無制限に復興予算を出すようですし、それぞ
れの地域が元気になって頑張ることが復興につながると理解されて
きたのではないかと思います。企業会計では律し切れないものが、
国・県・市町村の財政にはあるのです。

 以前、当時の長野県知事が決定した予算に係る補助金を国に返上
したことがありましたよね。それを喜んだのは他県の知事だったそ
うです。長野県が予算を返上したおかげで、その分が他県に配分さ
れるということで・・・。長野県の失われた10年間でした。

 地方自治体の財政は、私がよく使うフレーズ「入りを量りて出ず
るを為す」ようになっていないことは事実です。自らの収入以上の
ことをやっているのです。地方自治体が悪いといえばそれまでです
が、やらざるを得ないというのが実情でしょう。福祉などの義務的
な経費や市民の要望はどんどん膨らんでいきますし、サービスを向
上させ、他の市町村と横並びにしようとするのは仕方のないことで
す。市町村間でサービス競争が激化する原因は選挙制度にも関係し
て、選挙対策として取り組まなくてはならないことも事実でしょう。
 私が市長に就任したのは2001(平成13)年11月、それま
での長野市の予算項目で一番大きかったのは土木費でしたが、翌
2002(平成14)年度の予算編成では、民生費(医療・福祉関
係費)が土木費を追い越してしまい、以後、今日まで逆転すること
はありません。

 私が市長に就任して一番びっくりしたのは、企業社会で当時一番
問題になっていた退職手当引当金を積み立ていないことでした。
2002(平成14)年度の予算編成時にそのことが分かって、で
はどうするのかと担当者に問いただしたのですが、答えは、翌年度
の予算編成時にその年度の退職予定者数に退職金を掛け合わせて予
算に盛るとのことでした。それでは退職者が多い年度はどうするの
かと聞いたところ、同じことですとの答えでした。それが行政のル
ールなんだと分かりました(私はこれをすぐに改善し、現在は退職
手当に充てるための基金(退職手当基金)を積み立てています)。

 市町村合併のときもびっくりしたことがあります。長野県町村総
合事務組合(県内の全町村が加入している一部事務組合で、現在は、
長野県市町村総合事務組合)から長野市に対し、11億円近い請求
が来たのです。町村は、職員の退職金について、組合に負担金を支
払い、退職者が出るたびに組合から退職金が支払われていたのです
が、実は退職金が負担金を上回っていたため、退職金が足りず、組
合が不足分を肩代わりしていたのです。そこで、合併の際に、合併
町村が組合から脱会するに当たって、過去の不足分が組合から長野
市に請求されたということです。

 まあ、合併とは良いことも悪いことも全て引き継ぐわけですから
仕方ないのでしょうが、割り切れない思いをしたのは私だけではな
いと思いますし、行政の仕組みはどう考えてもおかしいと感じまし
た。合併時、長野市がその11億円を支払えなかったらどうするの
か・・・時間をかけて組合に支払うのだそうです。問題の先送りで
すよね。

 地方自治体は自立していないということを書こうと思いながら、
話は変な方向に行ってしまいました。今後、道州制の導入といった
ような大改革が行われるときには、こういう問題は放置できないの
かもしれません。

2013年1月10日木曜日

私の需要喚起策(国が中山間地域の土地を買ってしまったら・・・)


 年末の総選挙で新しい内閣が生まれました。ある世論調査による
と「国民は何を望んでいるか」との設問に対する最も多い回答は
「景気回復」ということだそうです。

 そこで、安倍内閣が超金融緩和に踏み切るとの予測があり、それ
を先読みして、選挙後の年末から「円」が安くなり、株価が値上が
りしています。それはそれで望ましい動きだと考えていますが・・
・。

 私は経済のプロではありませんから予測をするつもりはありませ
んが、超金融緩和だけで、果たして本格的に景気は良くなるのでし
ょうか・・・どうもよく分かりません。右肩上がりの景気回復はあ
り得ない、現在が普通の状態と考え対策を立てるべきだと以前から
識者が随分おっしゃっていました。

 現在は「需要不足」だという説には、素人の私もうなずいてしま
うところがあります。すなわち金融緩和だけでは景気が良くならな
い。「需要を増やす」ことが大切で、そのための「アイデア」が欲
しいということなのです。しかし、需要を増やすということは、簡
単ではなさそうです。景気が良くなるためには、お金を市中に、そ
して国中に回すことが重要であると考えています。
 私たちの周りを見回しても、欲しいものがないわけではありませ
んが、必要なものはまずまずそろっているのではないでしょうか。
社会を動かすほどの需要に結び付くものは、ないような気がします。

 そこで私の素人アイデアですが、大型の需要喚起策として、「中
山間地域の土地を、売りたい人から国が全て買い上げる」というの
はいかがでしょうか。
 使い道がなくて困っている。買い手がいないため、売りたいけれ
ど売れない。耕したいけれど人手がない・・・結局耕作放棄するよ
り仕方がない。そんな土地が全国至るところにあるように感じてい
ます。利用度が低いこうした土地を、まずは国が買い取るのです。

 現段階では、それらの土地の固定資産税は安価(実質0円に近い
額です)になっているわけですから、市町村にとっては歳入面での
問題は小さい。また、水資源目的などで海外投資家が買うのではな
いかという危険性が指摘されていますが、このことへの防御策にも
なります。
 ただ、土地を買収しやすくするためには、固定資産税をかなり高
く設定する必要がありそうです。「税金が少額なら持っていても同
じ」ということでは、国の買収に応じる人は少ないでしょう。
 地主がその土地を使いたくなったら、利用目的をはっきりさせて、
安い価格で国から借りるか買えばいい。公共団体や企業も同じです。

 「そんなことを言っても、土地の買収資金は全て地主に行くだけ
で、需要喚起にはならない」と言われそうですが、それでも良いで
はないですか・・・その地主さんは、かつては「山持ちは金持ちの
代名詞」だったはずなのに、国の政策のために財産を失ったような
ものですから、その補償と考えればどうでしょう。利用策を見いだ
すことがなかなか難しい中山間地域の土地を活用する方法として有
効だと思いますし、あえて言えば、そのお金はどこかで使われるは
ずですから、究極のバラマキ政策ですが、間違いなく一定の需要は
喚起できるはずです。

 この方法には、もう一つ大きなメリットがあります。誰のものか
分からなくなっている土地の所有者をはっきりさせることです。税
額が上がることで所有者の意識は変わるでしょうし、税収も上がり
ます。持っていても税金を取られるだけなら、お金に変えようとい
う思いになってもらえるかもしれません。国が全部買い取ってしま
えば、相当な労力と経費の掛かる地籍調査もやる必要がなくなるで
しょうし、土地の境界問題も全て解決します。安い土地ですから、
比較的スムーズにいくのではないでしょうか。航空写真1枚あれば、
そこに境界線を引いて・・・こうしたやり方でもできるかもしれま
せん。
 
 社会主義的発想ですかねえ・・・でも、中国やソビエトの建国の
時代、革命によって財産を強制的に取り上げられたことを考えれば、
少なくとも売りたい人から土地を買うということは、悪い話ではな
いでしょう。

 土地の所有権については、私は時々こんな話を例に引いています。
飯綱高原にある名門ゴルフ場「長野カントリークラブ」の土地のほ
とんどは長野市の所有です。長野カントリークラブは毎年数千万円
の借地料を長野市に払っているわけで、長野市にとっては大変あり
がたい収入です。長野カントリークラブが設立された1965(昭
和40)年当時、土地を貸すことについては特定の企業支援(中で
もゴルフというブルジョアのスポーツ)ということで大反対する人
たちもいたため、当時の夏目忠雄市長は決断するのに、かなりご苦
労されたようですが、そのおかげで長野市民は今大きな恩恵を受け
ているわけです。ちなみに、この土地は、1954(昭和29)年
に長野市が芋井村を編入するとき、芋井村が財産区を設立しないで
合併したため、長野市の所有になったものです(この土地は市有財
産ですが、かなり前に所有したため、評価額は算定されていません
)。要は、土地については使用権が大切ですよね。

 長野市の中山間地域は、市域の約4分の3を占めています。それ
らの土地についての固定資産税の税収は多いものではありませんし、
自分が所有者であることすら忘れている地主もいます。また、相続
登記をすることを諦めている人もいると思われます。土地は、3代
も相続登記をしないと、権利者が累積的に増えて、誰のものだか分
からない状態になることもある、と聞きます。以前、公共事業で土
地を購入する際に権利者の特定が必要で、権利関係をたどっていっ
たらブラジルに住んでいたということを、当時の担当部長から聞い
たことがあります。

 大都市ではこのようなことは少ないでしょうが、中山間地域は全
体として公共も民間も投資が不足しているために、そして人口減の
時代であるが故に、こういうことになっているのだと思います。何
らかの投資を行うことは、近い将来にわたり難しいでしょう。とす
れば、究極のバラマキ政策ではありますが、まずは国が土地を買い
取る。そして、いつの日か公共事業を中心に大きな投資が行われる、
例えば所有権が国に一元化している山を一つ開発して・・・そんな
時代が来れば、究極の需要喚起策になるのではないか・・・と考え
ています。

 この政策は、地方自治体ではできません。なぜなら、地方自治体
ではお札の印刷機を持っていませんから、そんなことをしたら、い
っぺんに破産です。国にやってもらわなければ仕方ないのです・・
・。

 日本銀行の国債買い受けに問題があるなら、政府保証債権を無限
に発行して(発行できるかどうかは分かりませんが)、購入したら
いい。売りたい土地はほとんど無限にあるわけですし、固定資産税
も上がるとなれば、需要はいくらでも出てきます。計算したことは
ないので分かりませんが、今の時価で買うなら国全体で10兆円も
あればいいのかなあと考えています。
 複式簿記の発想からすれば、借金をしても土地(資産)が増える
わけですから、別に国が赤字になるわけではありません。土地を売
った人も、土地を取られたわけではなく、現金化しただけ。土地を
使おうと思えば安く借りられるわけですから、別に痛くもかゆくも
ない・・・一石二鳥の政策ではないかなあとひそかに感じています。

 この話を私の周辺の人に酒を飲みながら話したら・・・意外に評
判が良いのです。最初はそんなむちゃくちゃな話は・・・という顔
をされるのですが、案外面白いという人が多いのです。
 究極のバラマキですが、何の目的もなく、あなたに補助金を
100万円あげるというわけにはいかないのが行政です。誰かに補
助する、支援するためには、何か正当な目的が必要ですし、行政が
支給する各種手当はそれぞれ目的があって支給しています。ですか
ら、中山間地域の土地の有効活用が見込まれ、国家のためにもなる
であろうとなれば、有効な手段ではないかと考えたのです。

 このテーマについては、もう少しじっくり考えて精査し、論理を
組み立てたい。そして、国に提言したいと考えています。

2013年1月3日木曜日

私の初夢~3期目の任期、あと10カ月


 あと2年、あと1年・・・執筆に追われる「かじとり通信」を、
そろそろどこかで打ち止めにできれば・・・そんな誘惑に駆られる
こともしばしばあります。2002(平成14)年4月、当時の小
泉純一郎首相のメールマガジンが大変な評判だと、広報広聴課の職
員にあおられて、つい「かじとり通信」を始めてしまってから、も
う10年が過ぎました。最初のころは、脱ダム宣言をした当時の知
事との論争に明け暮れたような気がしますが、今は市長という誰も
が経験できるものではない仕事をさせていただいているが故に、で
きるだけ正直に、穏やかに書こうと決心し、努力しています。しか
し、毎週1回、必ず配信するというのは、やってみるとかなりの負
担です。原稿作成のための細かい資料は、秘書課に集めてもらうこ
ともありますが・・・。

 しかし、こういう仕事は、いったん始めてしまうと、やめるのが
難しいということを最近つくづく感じています。ただ、書くことに
よって、自分の頭の中が整理できる効用は感じています。かじとり
通信を通して皆さんに施策の方向性などを分かってもらう、格好良
く言えば決断に至るまでの過程を理解していただく効用もあるでし
ょう。実際に何かを決断するときは、事前に職員の話を十分聞いて
じっくり検討していますから、思い付きの発言は最近ほとんどない
はずです。ですから、「面白くない」という評価も分かります。で
も、行政の長の発言はそれだけ重いわけですから、慎重にならざる
を得ないといつも感じていますし、何か批判されたとしても、その
ことへの返答は十分考えているつもりです。

 情報公開が足りないとか、わがままだとか、独裁的だとか・・・
まあ、いろいろなことをおっしゃる人はいますが、全体的にはきち
んと市長職を果たしていますし、人に後ろ指だけは指されていない
ぞ・・・と自負しています。
 市政を運営する上で、具体論の大切さ、難しさをつくづく感じさ
せられている毎日です。批判だけなら誰にでもできます。評論家で
食べていければ、こんな楽なことはないでしょう。市長職でなけれ
ば、少しは自由に論評することも許されるのかな、などと考えたり
もします。

 それはそうと、初夢という言葉は誰でも知っていますが、本当に
見た人はいるのでしょうか。縁起物の「一富士、二鷹(たか)、三
茄子(なすび)」などを見た人がいらっしゃったら、どんな夢だっ
たか、ぜひ教えていただきたいものです。私は、初夢どころか、普
通の夢もほとんど見たことがありません。かすかな記憶ですが、子
どものころ、まだおふくろの隣で寝ていた時分、怖い夢を見た記憶
があります。どうやら胸に手を乗せて眠っていたらしいのですが・
・・。確かその後、何度か同じような夢を見て、「アッ、これは夢
だ!」と分かって目が覚める・・・そんな夢だったと思います。

 正夢の話も聞いたことがありますが・・・。うれしいことや悲し
いこと、見た夢が現実となる・・・これも私には経験がありません。
 そして、亡くなったおやじやおふくろ、親友やお世話になった人
が夢に現れたことも、一度もありません。私がよっぽど冷たいのか、
親不孝なのでしょうか。あるいはリアリスト過ぎるのでしょうか。

 一方で、行政の責任者としての市長が見る、長野市の将来の夢は
たくさんあります。多過ぎて全てを見ることができないのが実情で
しょう。去年11月に配信した「3期目の任期、残り1年」で書い
たことを夢と言ってしまえば楽なのでしょうが、それでは能があり
ません。現実を踏まえ、めどだけはしっかり付けていかなければな
らないと自分に言い聞かせています。

 全然違う夢を語ります。
 まず、スキーです。長野の冬を元気にしたい・・・そのためにス
キーの振興は重要ですが、そんな堅い話ではなく、雄大な雪景色の
中でスキーを楽しむその爽快さは、何にも勝るものですよね。もっ
ともっと多くの皆さんにスキーを楽しんでいただきたいと願うばか
りです。
 そして雪が消えたら、次の楽しみは乗馬です。今年は、全日本エ
ンデュランス馬術大会が、飯綱・戸隠高原で開かれます。「馬のマ
ラソン」ともいわれる競技で、本市では初めての開催となります。
そのプレ大会も開催されるとのことですから、馬も長野市の元気な
まちづくりに大いに活躍してくれそうです。しかし、誤解してもら
っては困るのですが、私は応援団の一人です。大会では馬で120
キロメートルを走るわけですから、私が選手として参加するとなれ
ばとんでもないことです。練習を積めば10年後ぐらいには参加で
きるようになるのかなあ・・・との淡い期待もありますが。

 篠ノ井地区の茶臼山が、日本一の花の名所になりそうな予感(夢)
がしています。これが今年実現できそうな最大の夢になるかもしれ
ません。まだ「緑育」という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、
「ながの花と緑そして人を育てる学校」校長の矢澤秀成(ひでなる)
さんの発信力で、篠ノ井から全国へ活動の輪が広がることを期待し
ています。

 住民自治協議会のパワーも花開こうとしています。市の監査委員
をお願いしている轟光昌さんが、若槻地区で地区の皆さんと一緒に
取り組んでおられる「コミわか農園」のような市民菜園事業を全市
に広げようと頑張っています。

 JFL(日本フットボールリーグ)・AC長野パルセイロのリー
グ初優勝も大いに期待できそうです。長野市で10年間継続して開
催することになっている全国中学校スケート大会も6年目の開催を
迎え、大いに飛躍する下地ができてきたように思います。本市出身
の選手がエムウェーブ(文部科学省のナショナルトレーニングセン
ターに指定されています)やビッグハットで活躍し、全国優勝の報
告を聞きたいものです。

 「夢」を現実にするパワーがほしいですよね。私も一生懸命、応
援します。