2013年1月31日木曜日

震災今昔


 新しい年を迎えました。国では政権交代もあり、景気好転の兆し
が見え始め、今後の経済財政状況の回復と継続した成長が期待され
るところです。何しろ、国と地方を合わせて1000兆円にならん
とする借金の返済を、将来の子どもたちに課そうとしている国なの
ですから。

 東日本大震災から早くも2年を迎えようとしています。こういっ
た節目の時期になると思い出すものがあります。

 名前は失念しましたが、日本で一番短い会話を集めた本の中の一
話です。
 おおむねこういう粗筋だったと記憶しています。
 阪神・淡路大震災の直後、神戸で下宿生活をしていた息子を案じ
て、父親が探しに出ます。
 電車を乗り継ぎ、被災地に一番近寄れる駅から線路伝いに神戸に
向かって歩いていきます。
 長い間歩き続けていると、被災地の方から歩いてくる何人もの人々
の中に、見慣れた少しなで肩の青年がうつむきながらやって来るの
を見つけます。
 その前に立ち止まり、父親は声を掛けます。「おうっ」。息子は
驚いたように顔を上げ、目を見開いて再び下を向いて恥ずかしそう
に言います。「・・あぁ」。
 という、たったそれだけの会話です。
 「絆」という言葉が、東日本大震災後に頻繁に使われるようにな
りましたが、切っても切れぬ親子の絆は、このたった二言の短い会
話に強くにじみ出ていることをあらためて思い出したところです。
 最近は、いじめといえば生徒と学校とのコミュニケーションの不
足、引きこもりといえば家庭内での会話の不足、孤独死といえば地
域との絆の不足と言われます。災害時の地域の絆が再認識されてい
るところです。コミュニケーションが苦手な人とも、百言を弄
(ろう)しなくても、親子並みとはいかないまでもどうしたら絆を
保てるのか。行政ができることは何か、絶対的な解決策、手立てが
見つからない中、いろいろな方の知恵を頂かなければならない問題
だと感じています。

 もう一つ、今度は関東大震災の話。
 時の内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤新平が、瓦礫(がれき)や
焦土と化した東京を世界に冠たる帝都に生まれ変えようとすべく、
さまざまな利権と思惑の中で、身命を賭して東京の復興に立ち向か
う姿と苦悩を描いた小説を読んだことがあります。
 その中で彼は、復興に必要な費用を、全て国の責任において、全
額を国庫で賄うことを決意し、時の大蔵大臣井上準之助を相手に奮
闘し、予算額に不満を残しつつも、理想を掲げて復興に取り組んだ
というものです。
 このたびの東日本大震災はどうでしょうか?
 最近政府では、復興の費用の捻出を契機として、地方公共団体の
運営の命ともいうべき地方交付税を削減せよ、内容として地方公務
員の給与を差し出せ、という方針を示しています。この今の政府の
姿は、かつての後藤新平にはどう映ることでしょうか?
 もっとも、今の財務大臣は「平成の高橋是清」と呼ばれて登場し
てきた方だけに、「オレは後藤じゃねえよ」とでも言うかもしれま
せんが。