2013年8月30日金曜日

次の時代の施策 その5(2)~これからの社会


 人間余裕をもたないと駄目だなあと最近つくづく感じます。仕事
に追いかけられていることも大切ですが・・・心の豊かさは生まれ
ないのではないでしょうか。

 ある方から、お前の最初の公約は、ニュー・パブリック・マネジ
メント(*1)だったよと言われました。それが、形を変えて例の
5原則「入りを量りて、出ずるを為す」「市民とのパートナーシッ
プ」「簡素で分かりやすい市政運営」「民間活力の導入」「無私・
他利の精神」になったのだと強弁し、自分では納得しています。

 そこで、これまでに市長になってから取り組んできた政策で、自
分ながらアイデアを出してきちんとやったなあということを、自慢
話みたいで恐縮ですが書いてみます。

(1)まず第一は、長野市の借金を減らしたことでしょうか。
2001(平成13)年の市長就任当時、長野冬季オリンピックが
終了したばかりでしたので、一般会計(2000(平成12)年度)
での借金は結構多額で1,804億円(ピークは1997(平成9)
年度の1,921億円)でした。私はこれを当時の一般会計規模
1,300億円ぐらいまで圧縮したいと考えました。方法論として、
毎年200億円返済して100億円借りるという原則を決めて実行
しました。順調に毎年100億円程度、減ってきたのですが、途中
6町村との合併がありましたので、若干返済計画を見直しましたが、
まあ順調に返済してきたと思います。今後については、大規模プロ
ジェクト事業が最盛期に入りますから、また借金は増えていきます
が、想定の範囲内のことで心配はありません。

(2)職員の退職手当基金を積み立てたことも、当時としてはかな
り思い切った施策でした。企業社会と違い、行政は退職金を積み立
てるルールがなかったようなのです。どうするかというと、予算編
成時、新年度の予定退職者を数え、退職金を掛け合わせて金額を算
出し、その金額をその年の予算に盛るということでした。当時は、
巨額の退職金や年金で企業は苦慮しているのに、行政は関係ないと
いうのは絶対におかしいと考え、退職手当基金を制度化しました。
市の資金繰りが苦しい時もあり、財政部長が本年度の予算では基金
の積み立てができないと泣きを入れてきたこともありましたが、結
局、目をつむって積み上げてきました。
 なぜ私がこだわったのか。それは、長野冬季オリンピックの準備
段階で長野市は職員を大増員しており、30歳代中ごろの年代の職
員が大きく膨れていました。その人たちが定年を迎えるとき、多分
25年ぐらい後のことでしょうが、退職金が多くて一般会計の予算
が組めなくなるのでは・・・という恐怖でした(後で分かったこと
ですが、行政には退職手当債という制度があり、借金をして先送り
ができるらしいのですが・・・多くの自治体は団塊の世代が退職す
るとき、この制度を使ったようです。長野市は使っていません)。

 退職金の話題でもう一つ。2005(平成17)年の4町村との
合併後、旧町村職員の退職金として長野市に約11億円の請求が長
野県町村総合事務組合(現・長野県市町村総合事務組合)からきま
した。過去に退職金が不足し、組合が肩代わりしていた分をどこに
も請求できないということで、結局、長野市が負担することとなり
ましたが、これには本当に驚きましたし、割り切れない思いをしま
した。

(3)組織全体のスリム化を図れたことも大きいのではないでしょ
うか。職員数を減らし、スリムな組織にすることは大切なのですが、
一番難しいのは公務員の身分保障制度がありますから、民間企業の
ようなリストラは実質的にはできないわけで、私もすべきではない
と考えています。そこで、いろいろ考えて取り組んだことは、民営
化の推進、PFI(*2)、指定管理者制度の導入、そして正規職
員の新規採用をその年に退職する職員数より減らす、ということで
した。急激なスリム化は難しいけれど、長期的に考えれば、職員数
はかなり減ってきています。

 そしてなんといっても大きかったのは、市町村合併です。豊野町、
戸隠村、鬼無里村、大岡村、信州新町、中条村の6町村と合併した
ことで、一時的には職員数は増えましたが、合理化を進め、予定ど
おりスリムな体質に近づいています。
 一つの例を挙げますと、合併前の旧長野市の若槻地区は、人口が
約2万人で、同地区にある若槻支所の正規職員は4人でしたが、そ
のお隣りの豊野町は、人口は約1万人で正規職員数は77人(保育
園、給食センターなどを除きます)でした。現在の豊野支所の職員
数は17人ですから、行政の規模が大きくなることで、それぞれ同
様の業務を担当していた部署が集約され、経費の削減、職員の適正
な再配置が可能となったわけです。
 また特に、市議会議員さんの定数は、旧長野市プラス4町村(豊
野町、戸隠村、鬼無里村、大岡村)で合併前は96人でしたが、合
併後46人となり、さらに2町村(信州新町、中条村)を加えた現
在の議員定数は39人ですから、合併の効果は大きいですよね。

 こうした合併に併せ、民間活力の導入、即ち民営化や指定管理制
度の導入を推進した結果、全体ではスリム化につながったと思って
います(アメリカ・ジョージア州サンディスプリングス市(人口
10万人弱)の市の正規職員は4人ということで、市業務の大半は
包括的業務委託により行われているそうですが・・・そこまでは無
理でしょう)。

(4)地域のことは地域で決める・・・私の一丁目一番地の政策が、
住民自治協議会を中心にした都市内分権であることは、皆さんご承
知いただいていると思います。地域の皆さんが、地域は自分たちの
手でつくるものと考えていただき、一生懸命に取り組んでいただい
ていることは、とてもありがたいことで、住民自治協議会の活動は
活発化してきていると感じています。

 住民自治協議会の体制になる前は、各地区への補助金などは団体
ごとに交付されていましたが、住民自治協議会へ地域いきいき運営
交付金として一括配分したことで使い勝手が良くなり、元気に活動
していただいていると考えています。予算総額は、個々に配分して
いた時代よりは多少増えていますが、それほど大きくなっているわ
けではなく、地域の活性化を考えると、市からの交付金がより効果
的に活用されていると感じています。さらに、「これからは、地域
でもうかる仕事をやりましょう」とお願いしています。やる気のあ
る人がどのくらいいるか分かりませんが、外部から来てもらっても
よいと思っています。

 行政がこれまで関わっていた業務を、住民自治協議会が主体とな
って取り組んでいただく。行政のスリム化と地域の活性化が同時に
できる一石二鳥の政策です。
 住民自治協議会に市立公民館の指定管理者になっていただこう・
・・この政策も、なかなか進まなかったのですが、ようやく手を挙
げていただく地区が出始めました。

 その他、国に対する要望も機会あるごとに提言してきました。中
山間地域の土地を全て国が買ってしまったらどうか、生活保護受給
者の自立支援策など、かじとり通信でも折に触れ書かせていただき
ました。

 以上、盆休みを挟んで5回のかじとり通信で、長野市の将来につ
いて、私の経験を交えて書かせていただきました。首長の任期は3
期12年が限度だと申し上げている理由もお分かりいただけたので
はないでしょうか。

 さて、このかじとり通信の配信については、市長選挙前というこ
ともあり、「長野市のサーバー(公的な機関)から配信することを
来月から自粛させていただく予定」と8月1日付けでお伝えしまし
た。9月からは前例に倣い、私のブログを立ち上げて発信しようと
考えていましたが、長野市の状況や私の考え、感じていることを市
民の皆さんをはじめ、かじとり通信をお読みいただいている皆さん
に確実にお届けする方法としては、やはりこれまでと同じように長
野市メールマガジンとして配信させていただくのが最適だろうと考
えるようになりました。従いまして、来週以降も、これまでどおり
毎週木曜日に配信させていただきますので、何とぞご理解いただき、
引き続きかじとり通信をお読みいただければ幸いです。

 この5回分のかじとり通信が、将来の長野市の市政運営に少しで
も参考になれば、これに勝る幸せはありません。

*1 ニュー・パブリック・マネジメント:行政に、民間企業経営
の理念(競争原理や成果主義など)を取り入れ、効率化を図るもの

*2 PFI:Private Finance 
Initiative:民間の資金、経営能力および技術的能力を
活用して公共施設等の設計、建設、維持管理、運営等を行う手法

2013年8月29日木曜日

次の時代の施策 その5(1)~これからの社会


 今月8月、5回連続となるかじとり通信を、市長就任3期12年
間の総決算のつもりで書いてきました。今回は、その最終回です。
私の持論になるかもしれませんが、市政に関して感じていることを
アトランダムに書いてみます。ただし、最終回ともなるとかなり力
が入ってしまい、大作となってしまいました。お読みいただく方に
は申し訳なく感じています。せめてもと思い、本日と明日の2回に
分割し、かじとり通信を配信させていただきます。お許しください。

 社会は、原則として平等でなければいけない。当たり前のことで
すが・・・でも、それだけでは社会は窒息してしまいます。建前の
平等を標榜(ひょうぼう)した国家、社会主義国ソ連は崩壊しまし
た。日本国内では、高校入試の総合選抜制も挫折しました。人間の
自由を求める本性はあまり変化していないようで、藤原正彦さんが
「国家の品格」でおっしゃられている「どんなに正しい論理でも、
その論理をつきつめていくと社会は崩壊する。その論理が正しいと
か間違っているということではなく、これはすべての論理に通じる
話です」(抜き書き)・・・私は、これが真実だと思っています。

 そうならないための理論として、これも度々引用させていただい
ているのが中谷巌さんの言葉です。中谷さんは、「今の社会は全て
交換が原則になっている」と警鐘を鳴らし、こうした社会からの脱
却に「贈与の大切さ」を説いておられます。こうした考えは、とて
も大切なことだと思っています。

 中谷さんがおっしゃる「贈与」とは、私の頭の中では「寄付」と
同じだと考えています。中谷さんの著書「資本主義以後の世界」
(徳間書店)から一部お借りして説明させていただきますと、

 我々は・・・「『贈与』という行為を通じて人と人とのつながり
を生み出す『社会』、もしくは『共同体』をつくり上げ、その上に
独自の文化をつくり上げてきた。現代人は『贈与』の精神を忘れ、
市場を通じた『交換』こそが、人間を幸せにすると錯覚したのであ
る。だから『社会』が荒廃し、文化が廃れていく。それは『贈与』
を忘れ、『交換』だけで世の中を運営できると錯覚したためであっ
た。

 新自由主義とは、『可能なかぎり市場で取引できる商品の範囲を
拡大し、そこで実現される資源配分を尊重すべきだ』というイデオ
ロギーである。(中略)人間社会の健全性は『贈与』の精神なしに
可能なのであろうか。すべての人間活動が功利主義的な市場におけ
る『交換』の思想によって取り仕切られる時、人間社会はいかなる
問題を抱えることになるのであろうか。実は、現代社会の構造的問
題と呼ばれるもののほとんどすべては、人間活動をすべて『交換』
によって覆い尽くすことこそ正義だとみなす新自由主義思想から生
み出されたものではないだろうか」

 こんな大きな話は、一地方自治体で考えても無理でしょうが、少
なくともその精神は、きちんと学ぶ必要があります。
 前にも紹介させていただきましたが、中谷さんは「資本主義はな
ぜ自壊したのか」(集英社インターナショナル・2008年出版)
という著書の中で、国の中枢で政府の委員を務められ、数々の提言
に関わったが、小泉構造改革の規制緩和や市場開放といった改革に
おいて、大きな過ちを犯したと率直に認めておられます。ご自分に
対する厳しさ、正直さ、それ故に、この方の説は信頼できると感じ
ました。
 しかし、「自分が間違っていた」ということを認めたがらないこ
とでほぼ共通している学者、評論家、政治家・・・そういう人が多
いように感じています。特に、「政党」という組織になるとその傾
向が顕著になるのでしょうか。いくつかの政党は、何十年も同じよ
うな主張を続けながらなかなか支持を得ることができない・・・そ
の理由は、その政党の主張に何か時代にそぐわない部分や民意から
離れてしまっているところがあるからでしょう。そのことを素直に
認めれば良いのになあ・・・といつも感じてしまいます。

 組織の怖さでしょうか。個人個人はとても良い人なのですが、組
織や集団となると「何で!」と感じることが多いのです。古い政党
も新しい政党も同じでしょう。組織というのは、目的達成のために
は、異分子の存在は困るのでしょうね。

 失礼ですが、今回の参議院議員選挙を見ていても、党利党略が政
策より前に出ていると感じたのは私だけでしょうか、すなわち政治
家はギリシャ・ローマの昔から、弁舌で生きているのだそうですか
ら、仕方ないのでしょう。

 だから「市長は政治家ではない」というのが私の主張です。論争
より具体的に何をやるか、なぜできないかを明らかにする、あるい
は何年後ならできるか、説明することが大切ですよね。そうして、
できるだけ多くの人の支持を得ることが、市長にとって大事であり、
一党一派に偏ることは避けるべきだと考えています。

 つい最近読んだ本ですが、藻谷浩介氏とNHK広島取材班共著の
「里山資本主義 日本経済は『安心の原理』で動く」(角川one
テーマ21)に感心し、私ばかりが読んでも駄目なので、早速10
冊追加購入して、関係部長に配りました。まだ本当に読み込んでは
いませんので評論的なことは申し上げられませんが、新しい時代を
感じさせる本です。多分、本を読んだ職員から、いろんな意見がで
てくるだろうと期待しています。ぜひ皆さんにも、ご一読をお勧め
します。

 「里山資本主義」という本の内容は、中谷さんの「資本主義はな
ぜ自壊したのか」という本に対する一つの答えかもしれません。
 藻谷さんとはこれまで何度かお会いしたことがありますが、以前
は日本政策投資銀行の行員として、自ら日本中のほとんど全ての商
店街を自費で見て回り、各地の中心市街地についてかなり厳しい話
をされ、その迫力に圧倒されたことを覚えています。しかしその頃
は、そういう意見はありますよねという感じだったのですが、この
本を読んでびっくり。アイデア満載なのです。私たちが中山間地域
で困っていることからどうすれば抜け出せるのか。また、これなら
すぐ実行できそうだなあと感じるものばかりです。

 童門冬二さんご本人から「二宮尊徳の経営学」(PHP文庫)を
頂きました。二宮尊徳というと、ちょっと古いな・・・という印象
を持って読み始めましたが、決してそうではありません。江戸時代、
藩財政の立て直し、寂れゆく農村の再建に、地域の経営学的な発想
があったことにびっくり、感心しました。藻谷さんのおっしゃって
いること(地域ビジネス)と同じ趣旨のことを尊徳も主張していた
わけで、あらためて、藻谷さんと尊徳に感激しました。

 とにかく「アイデア不足の時代」、「行動力不足の時代」という
ことを痛切に感じます。私もこの齢になると、自ら率先して行動に
移すことが少なくなってきたのかなあと自覚していますが、どうし
ようもありません。口だけ、理屈だけの世界にどっぷり漬かってし
まったということでしょう。

 藻谷さんの「里山資本主義」、不思議なタイトルではありますが、
中山間地域をどうするか、地域社会をどうするか。この本のとおり
にやったら、もちろん一つ一つの努力の積み重ねが前提ですが、中
山間地域の課題を解決する決定打になるのではないか・・・なにせ
彼の主張は、日本中、世界中を歩いてのものなのでしょうから・・
・と感じさせる本です。

 今年度、新規事業として「やまざとビジネス支援補助金」事業を
創設しました。これは、中山間地域の資源を活用して「ビジネス」
を展開し、中山間地域の雇用創出、地域の課題解決など、地域の活
性化につなげることを目的に地域内外の個人や団体が実施する事業
に対し1千万円を限度に補助するものです。申し込みは16事業で、
審査の結果、3件が採択されました。最高得点を獲得した事業は、
地域とは全く関係ないファッションブランドの企画、製造、販売を
やろうと29歳の若者が提言してきた事業です。中山間地域では、
何十年もの間、一生懸命農業を中心に振興を図ろうと頑張ってきま
した・・・しかし、なかなかうまくいかない・・・人口は減るばか
り、高齢化も進むばかり、潜在力はあるはずなのに・・・それなら
まったく新しい発想を入れる、すなわち新しい「人とビジネスモデ
ル」を持ち込むことが必要なのではないでしょうかというのが、こ
の事業の審査に当たった審査員の皆さんのご意見だったようです。

 こうした試みは平等ではないかもしれません。しかし、物事を俯
瞰的に見よう、今までの固定観念を忘れよう、良いところをさらに
良くしていこう、やる気のある人を支援しよう、そうした視点を持
つことで、新しい発想が生まれ、それが起爆剤になって大きく社会
を変えていく、そんなことがあるかもしれません。一挙には無理で
あっても、小さな取り組みの積み重ね、そして繰り返しが徐々に社
会を変えるのだと思います(二宮尊徳は「積小為大」とおっしゃっ
ています)。

 一つの事象が起きた時 いろいろな「くびき」があっても、それ
を自分のこととして考えられるか、個人の利害関係や損得を抜きに
して、社会全体のために判断できるか、行政と私、さらには企業と
の関係も含めて、もう一度考えてみたいと思っています。

 古い話ですが、「企業武士道」という言葉がありました。グロー
バルスタンダードとは、全く違う次元の話だろうと思います。一流
企業の経営者の言葉ですが、「企業は健全な赤字部門を持つべきで
ある」まさに、グローバル資本主義の世界ではありえない話です。

 長野冬季オリンピック(以下、オリンピック)の時、私は10指
に近い、資金集めのプロジェクトの責任者を任されていました。例
えば、アスペン音楽祭、セントラルスクゥエアでの表彰式会場の建
設、前回開催地であるノルウェー・リレハンメルからの犬ぞり隊の
受け入れ・・・もう全部は覚えていませんが、全て私個人には一銭
にもならない仕事でしたし、私が経営する会社からも一定の金額を
出さなければ他の企業からは資金が集まりません。当時、私が個々
の社長さんにお会いしたいと電話すると、「今度は何の寄付だい!」
と言いながらも、要請に応えていただきました。まさに、企業武士
道であり、社会の潤滑油だったと思います。

 次は企業ボランティアの話です。皆さんはオリンピック・フレン
ズクラブというのを覚えていらっしゃいますか?オリンピックの招
致段階の話ですが、ある日、塚田前市長と招致委員会故市村勲事務
総長さんに呼び出され、「1990年、IOC(国際オリンピック
委員会)総会が東京で開催される。それ以降は、IOCの委員さん
が夫婦で長野市を視察するはずで、多分60組ぐらいはお越しにな
ると思う。その対応は、行政だけでは難しいので、あなたの仲間を
集めて、ぜひアテンドしてほしい」と要請されました。そこで、
「フレンズクラブ」という組織をつくって会員夫婦で対応しました。
この時の仲間もまさにボランティアでした。加えて、オリンピック
の開催期間中はIOC委員の送迎のため、車の運転までお願いして
しまいました。皆さん大変だったけれど楽しかったと言ってくださ
ったのはうれしかった思い出です。

 もう一つ、阪神・淡路大震災のとき、長野県建設工業新聞社の当
時の社長が、神戸市にある野村海浜病院の中庭に風呂おけを設置し、
長野市から水を運んで湯を沸かし、風呂サービスを始められました。
また、古いバスを持ち込んで宿泊所代わりに利用し、周辺の住民の
皆さんに大変喜んでいただきました。この時、彼から人的支援をし
てほしいとの要請が私にあったものですから、いろいろな企業の社
長さんたちにお願いして、社員の皆さんにお手伝いいただきました。
さらにNAOC(長野オリンピック冬季競技大会組織委員会)の職
員にもお願いして、長野市から神戸までタンク車を運転して交代で
水を運んだわけですが、これも企業ボランテイアでしょう。一カ月
ぐらいの短い期間でしたが、NAOCの職員も含め、企業の社員を
派遣していただき、神戸で風呂サービスをしたことも、忘れられな
い思い出です。

 中央通りにオリンピックの表彰式会場を造ったのもボランティア
活動です。IOCの故サマランチ会長の「表彰式はなるべく多くの
人が集まる中心市街地でやるべき」という記事が新聞に載ったこと
で勇気を出して、あの広場に仮設のステージを造り、ステージの壁
にはめ込むための、五輪エンブレムと購入者の自筆の名前を焼き付
けた9センチ四方のタイルを5,000円で販売し、資金を集めま
した(原価は、1枚1,500円だったと思います)。そして、そ
の売り上げをセントラルスクゥエアの設備費に充てたのですが・・
・本番の時にタイルに書かれた名前が見えるのはいけない、なんて
つまらないことをNAOCに注意されてマスキングをしたり、また、
オリンピックが終わってからそのタイルをエムウェーブの外壁に貼
って後世に残そうした時は、長野市の了解を取ることに苦心したり
しました。

 この表彰式会場には、もう一つ忘れ難い思い出があります。当時
私は、どうしてもオリンピックの火を街の真ん中で燃え上がらせた
いと願い、仲間とお金を出し合って、やっとの思いでセントラルス
クゥエアの土地を準備することができました。しかし、表彰式会場
としては狭いだとか、設備投資にお金が掛かるとかさんざん言われ、
こんなに苦労して進めてきた私たちの願いがかなわないのか・・・
そんな思いが頭をよぎっていたとき、NAOC会長で経団連会長や
新日鉄社長・会長を歴任された故斎藤英四郎さんが突然視察に来ら
れ、「こんな素晴らしい場所を提供いただけるのは、ありがたいこ
とです」とおっしゃっていただいたのです。あのときの喜び、今で
も忘れられません。

 ボランティアとは何か・・・当時は夢中でやっていましたので、
分かりません。
 あの時みんな無償の活動で、お金や人を出したり、IOC委員の
アテンドをしていただいたり・・・そんなことはもうみんな忘れて
いる、それでは協力いただいた方々に申し訳ない、何かの記録に残
しておかなければと、今回あえて書かせていただきました。

 (明日配信の号外に続きます。ぜひ、お読みください)

2013年8月22日木曜日

次の時代の施策 その4~今、感じていること


 首長3期目の選挙というのは、厳しいものだそうです。3代前の
長野市長であった故夏目忠雄さんからは、「3期目になると『あの
市長は嫌いだ』という人が増えてしまい、限界に達する。一番は、
お互いの考え方や性格などの違いから不満が鬱積(うっせき)する
といった『人』の問題だ」とお聞きしました。言い換えれば2期8
年の間、賛成者もいるけれど、反対者もつくっているということだ
そうで、確かに夏目市長さんも3期目の選挙は苦戦されていました。
夏目市長さんがなぜそんなことを私にお話しになったのか、分かり
ませんが・・・。夏目市長さんは参議院議員に転身されるため、3
期目の中途で市長を辞任され、当時の助役、故柳原正之さんを市長
に推薦し、柳原さんが当選の後、ご自身は参議院議員として2期
12年間、国政で活躍されました。
 当時の首長はあまり長くやらない習慣だったのでしょうか、故松
橋久左衛門さんは8年、故倉島至さん8年、そして夏目さんの後の
柳原さんは12年。続く塚田佐さんは16年でしたが・・・それぞ
れ辞め時をきちんと心得ておられ、長野市を現在の隆盛に導くため
の適切な施策を行ってこられたと思います。

 私の記憶の範囲で申し上げれば、夏目市長さんは旧篠ノ井市・旧
松代町を含む1966(昭和41)年の大合併を実現し、後にオリ
ンピック開催を可能にする底力をつけられました。柳原市長さんは
倹約に徹して長野市の財政を素晴らしいものにしながら、長野電鉄
長野駅から善光寺下駅までの地下鉄化を成し遂げ、塚田市長さんは
長野冬季オリンピックの招致から実現まで、誰もまねできない素晴
らしい成果を挙げられました。私も、先輩の市長のように、良い市
長だったと言われたいとは思っていますが・・・。

 70歳を過ぎれば、気力、体力、体調も、60代とは比較になり
ません。市民の先頭に立って頑張るには、国・県・市民との人脈が
大切であることはもちろんですが、人生経験、気力、そして世界と
日本の大きな流れを見て、徹底的に勉強することが大切で、50代
後半からから60代前半までが、市長に一番適しているのではない
かと感じています。そうはいっても、柳原市長さんが最初の選挙に
出馬されたときは66歳でした。選挙応援のお手伝いをしながら、
「2度目の選挙の時は70歳だ!」と感じたことを今でも覚えてい
ます。

 私も市長として、長野市発展のために一生懸命に取り組んでいる
つもりですが、市政に新たな風を吹き込む必要があるときは必ず来
るものと感じています。
 ただ首長選挙は、先日の参院選のような国政選挙と違って政策論
争になりにくい・・・この政策が悪いから首長を変えるべきといっ
た議論にはなりにくく、政策論ではなく、任期が長すぎるとか傲慢
(ごうまん)だといった話や、理念的なことが中心になり、具体論
がまるでない。すなわち、この政策よりもこっちの政策の方が良い
といった論理的な話にはなりにくいということでしょう。
 私も12年前、立候補を決意した当時の文章を読んでみると、あ
まり具体的な公約ではなかったなあ・・・と、今反省しています。
しかし、長野市をこうしたいという具体的な夢は絶対必要です。

 私が就任以来掲げてきた5原則「入りを量りて、出ずるを為す」
「市民とのパートナーシップ」「簡素で分かりやすい市政運営」
「民間活力の導入」「無私・他利の精神」は全くぶれることなく、
徹底することができたと思っていますが(これも一般論、常識論で
す)・・・それが気に入らないと感じる方々も増えているのでしょ
うね。

 また、私の鉄則は、予測に基づいた市政運営をしてはいけないと
いうことです。具体的な例を挙げれば、リスクの高い株式などの金
融関連商品に手を出すべきではなく、このことは地方自治法などに
も明記されています。また、例えば長野市が出資する団体に対して
の赤字補填(ほてん)は許されても、保証の責任を負ってはいけな
いと考えています。

 ここで、私が12年間努力したけれど、めどが立たないことを2
つ挙げさせていただきます。それは、「公共交通の再生」と「中山
間地域の活性化」です。
 原発、TPP、核廃絶、憲法問題、普天間基地問題など、私も昔
から一家言を持っているつもりですが、私は就任前から、市長とし
て権限のないこと、できないことは、言いたくても口を出さないこ
とに決めていました。「ずるい」と言われればそのとおりですが、
でも私が発言することで何が変わるのか・・・自分のこととして捉
えられていないことを発言するのは、犬の遠ぼえだと思ってしまう
のです。
 それに比べ、この2つのテーマは、市長の権限の範囲内のことで、
やる気になって方法論さえ考えられれば、できないことではないと
感じています・・・でも、長野市に限らず全国各地の自治体が抱え
る難しい問題であり、困っていることです。

 地方自治体は、国・県の施策を「所与の条件」として、その中で
最高のパフォーマンスを具体的に発揮していくことが、最大の役割
だろうと私は考えています。それは「財政に関して自主権がない地
方自治体」にとっては、やむを得ないことと思っています。

 具体的な話を一つ申し上げますと、先日の8月市議会臨時会で特
別職を含む職員給与の減額を決定しました。地方自治の時代ですが、
国からの要請なのです。国・県からの補助金や、地方交付税は、独
自に稼ぐ手段が限られている市町村にとっては大変重要なもので、
これを削減されたら東京都や軽井沢町など、ごく一部の交付税不交
付団体以外は、行政経営が成り立たないことは自明の理です。

 国として、交付税は全ての市町村を平等に扱うことが建前なので
しょうが、それとは別に、特別交付税とか合併特例債といった地域
の特別の実情に応じて優遇される制度がありますし、さらに市町村
としても、新しい政策をぜひ国に採用してほしいということも当然
あるわけで(昔、夏目市長が道筋を付けて柳原市長さんに引き継が
れた長野電鉄の地下鉄化への補助金も、「都市高速鉄道連続立体交
差化事業」として国から特別に頂いたもので、当時の地方都市では
全国に先駆けるものでした)、何とか国に認めてもらいたい、すな
わち特別に面倒を見てもらいたいことはたくさんあるのです。
 国からの要請を断ることによって、こちらからのもっと大きな要
請が認められない可能性を私は心配してしまうのです。

 国の出してくる施策は、所与のものとして受け入れ、市民の意見
をよく聴きながらその中でよく研究し、国・県との連携を大切にし、
加えて犬の遠ぼえであっても地方からの「提言力」も大事にしたい
と思っています。

 先日、アメリカの大都市デトロイト市が連邦破産法に基づいて破
産を申請したとのことをニュースで知り、びっくりしました。制度
が違いますから私には分かりませんが、テレビ報道によると職員の
退職年金が膨大になっているとのこと。良い悪いは別にして、何十
年分割か知りませんが、いまだにたばこ税を活用して旧国鉄の赤字
分(職員の年金分だそうですが)を返済し続けている日本とは違い
ますよね。
 そういえばかなり昔ですが、ニューヨーク市の財政危機が話題に
なったこともありましたよね・・・夕張市の場合とはかなり違うと
思いますが・・・。

 長野冬季オリンピックの例で申し上げますと、新幹線や高速道路
は、国などの投資により建設されましたが、競技施設は、国が2分
の1、県が4分の1、長野市が4分の1の費用負担で建設したもの
です。さらに申し上げると、オリンピック終了後、国から補助を頂
いているとはいえ、各競技施設は長野市が所有し、維持・管理を行
っているわけですから大変です。ちなみに1964(昭和39)年
の東京オリンピックで利用された競技施設は、その後、多くが「国
立」として国が管理しています。

 こうした中、真の意味での地方自治が行われた場合は、経営の仕
方によっては、財政破綻もありうる話ですよね。日本の場合、借金
は全て国に管理・監督されているようなもので、「日本の地方自治
体は自立していない」は私がよく使うフレーズですが・・・。国は、
夕張市の例で反省したのでしょうか、地方自治体の財政状況が悪化
すると、財政上のイエローカードやレッドカードが出される制度が
あります。その場合には地方自治体の政策の自由はかなり制限され
るでしょうが、極度の悪化を未然に防ぐようになっていると私は感
じています。

 それにしても、デトロイト市の例を見て、アメリカの地方自治の
徹底ぶりには、あらためて感心しています。同時に、行政の経営手
腕がものすごく問われるのだろうと感じました。
 建前の地方自治、地方分権を声高に主張しても、実態はそうなっ
ていない。夏目市長が参議院議員選挙に立候補されたときの選挙ス
ローガンは「地方の時代」でした。あれから約40年。理念は誰も
反対しないのですが・・・実態を伴ったものに変えていくことは難
しいことだと感じています。

2013年8月15日木曜日

次の時代の施策 その3~少し視点を変えて


 前回のかじとり通信では、さらなるソフト事業の必要性について
書いてみましたが、もう少しお話しさせていただきます。

 まずは、「教育」についてです。「教育」をつかさどるのは、ご
存じのとおり教育委員会で、市長が所管する市長部局とは一線を画
し、独立している存在です。従って、私があまり多くを申し上げる
ことは僭越(せんえつ)とは思いますが、教育に関しては、さまざ
まな思いがあります。私は、子どもを3人育て、小・中学校のPT
Aの役員をやらせていただき、市PTA連合会会長、県PTA連合
会会長までやらせていただきました。さらに、市教育委員も2期務
めさせていただきました。行政とは違いますが、(社)信濃教育会
出版部の無給の理事長もやらせていただきました。

 一番大切と思ったことは、良き家庭の必要性です。私の考えが古
いのかもしれませんが、子どもたちは親に見守られ、家庭の団らん
のある環境が大切だと考えており、それが子どもたちにとって社会
への第一歩だと思っています。
 その上で、子どもたちに最高の教育を、ここ長野市で提供したい
と常々感じているということです。それは、当然社会人に対しても
同じです。東京に行かなくても、自分の子どもや孫が最高の教育を
市内、もしくは県内で受けられるようにしたいと考える人は多いの
ではないでしょうか。もちろん勉強だけではなく、いろいろな分野
で活躍する基礎を小・中学校の時代に築くことが大切と常に思って
いました。

 長野市の教育レベル、とりわけ市立小・中学校に関しては、学力
の向上に積極的に取り組み、子どもたちの学力も定着してきていま
す。まだ満足とは言えませんが、文部科学省が実施している全国学
力・学習状況調査やNRT(全国標準学力検査)などの結果も生か
しながら、現状を伸ばしていけば大丈夫と考えています。気になる
ことは、東京、名古屋など、私立の小・中学校が多い地域で、親が
公立学校に信頼を置いていないように感じることです。私立学校に
信頼を置く風潮が高まっているように感じます。この風潮が長野市
にも波及してくるのではないか・・・心配です。

 自由が大切であることは承知していますが、人間の基礎をつくる
義務教育段階では、特別教育(私立校)の必要性を現段階では認め
たくありません。ただ学校を認可するのは、県の権限ですので、な
んとも悔しいのですが、公立学校の先生方の頑張り、さらには保護
者の皆さんの関心に期待しています。

 私が小・中学校のPTAの役員をやらせていただいた昭和50年
前後、高校受験の過度な競争や学校間格差をなくすことを目的とし
て、同じ通学区内の複数校がグループをつくり受験生の選抜を行い、
合格者を各校に平準化して配分する、いわゆる総合選抜制案や高校
入試改善案などが、県教育委員会から提案され、議論になりました。
 私たちPTAは、大いに勉強し理論武装して、生意気ですが県教
委に対抗しました。議論の末、学校ごとの格差をなくし、高校受験
の成績順にどこかの高校に合格するという「結果の平等」ではなく、
学校間には競争原理を取り入れ、受験生にはそれぞれ特徴のある学
校を自由に選択できる「機会の平等」を目指すべきだという、われ
われの主張を受け入れていただけたと思っています。

 その後、総合選抜制は、東京都や京都府、その他いろいろな県で
一時的には採用されましたが、結果は公立高校のレベルの低下、私
立高校の全盛につながり、親の負担する教育費の高騰を招いたと思
っています。結局、この4月の入学者を最後に総合選抜制は全国か
ら姿を消し、私たちの主張の正当性が認められたと思っています
(考えてみれば、30年間以上が経過しています)。
 個々の高校が努力を重ね、特色をつくり、高校同士が切磋琢磨
(せっさたくま)する。生徒たちも自分の進路について自らの意志
が発揮される可能性がある。そのことにより多様性が生まれ、生徒
の個性を伸ばす教育につながると、当時私は信じていました。
 今後、統合などにより閉校となる高校もあるかもしれませんが、
人口減少の時代、それはそれで必要なことなのだと考えざるを得な
いと思います。

 8月1日のかじとり通信で、長野市の骨格を再整備する必要性に
ついてお話しさせていただき、その一つとして、長野県短期大学の
4年制化について触れさせていただきました。長野市の人口構成を
見たとき、19歳から20代前半が特に少なく、その原因の一つと
して学生の県外流出が挙げられています。市内には、信州大学教育
学部や工学部、清泉女学院大学、長野工業高等専門学校などがあり
ますが、大学の絶対数が不足していると言わざるを得ないというの
が現状です。大学、大学院および高等専門学校の学生数について他
市と比較しても、長野市が約4,500人であるのに対し、松本市
は約8,900人、金沢市は約18,000人で、長野市の学生数
が少ないことは顕著です。18歳人口の減少が深刻ですから、学校
の数を増やすことは無理でしょうが、長野市としては、大学都市と
まではいかなくても長野県短期大学の4年制化を実現して、若い人
の人口を少しでも増やしたい。何としてでも実現したい案件です。
市街地のにぎわい、活性化といった観点からも若者が集うことは大
変重要なのです。

 もう一つは、「福祉」についてです。福祉分野は範囲も広く、な
かなか難しい課題が多いと思っています。何でも行政に頼る発想に
は賛成できませんが、市町村行政は福祉が一番大切ということは昔
から言われており、事実なのだろうと思います。
 ただし、社会保障給付サービスの水準はナショナル・ミニマム
(*)として国が決めるべきで、国が給付水準をきちんと担保しな
いと、県や市町村ごとに独自の判断で基準を決定することになり、
その結果、市町村は競争せざるを得なくなるのです。いや、生活保
護などについては、現段階では国はしっかり取り組んでいるとおっ
しゃる・・・でもその他の、例えば子どもの福祉医療費の給付を何
歳までにするかといった対象年齢の引き上げの判断、あるいは保育
園の保育料は、実質的には市町村ごとに決定しているわけで、その
結果市町村は独自に給付サービスの上乗せをやっていますから・・
・市町村同士の競合状態(他の市町村の様子を見ながら上乗せ分を
決めている)が続き、過度なサービス競争や不均衡が生じているこ
とは、正直困っています。給付水準が統一されていないことは、国
全体で考えると良いことではありません。

 全ての人に手を差し伸べるような優しい行政が望まれることは当
たり前です。しかし、どこまで行政がやるのか・・・あれもこれも
と要求されるのは総合行政たる市町村行政の宿命ですが・・・現在
市の予算の中で、私が市長就任以後、「民生費」が最大の予算項目
になっていますから、成長投資に予算が回りにくいのは事実です。
市長に就任して初めての2001(平成13)年度予算は、土木費
(土地買収費を含む)が最大でした。

 結局は、最重要事項(市民要望の高いもの)は、生活保護費と同
じように、国や県が事業の優先順位をどう付けるかを決めて、サー
ビスの水準など国がしっかり市町村に明示することが基本だと考え
ています。しかし現状は、市民と直接向き合っている市町村が責任
を負っているというのが実情なのです。
 市町村とすれば、国・県の支援をどう得ていくか、長野市の財政
が耐えられるか・・・そして、今後増大していく行政の負担を軽減
するために一番大切なのは、民間事業者がどこまで元気を出せるか、
ということに帰結しそうです。

 2週にわたり、ソフト部門についてお話ししましたが、ハード部
門も決してもういいということではありません。10事業ある大規
模プロジェクト以外の事業を考えてみました。

 まずは道路です。このことについては、7月18日のかじとり通
信でもお話しさせていただきました。(1)国道406号の西長野
地区(長野県自治会館付近から茂菅大橋までの間)の道路整備、
(2)川中島町四ツ屋地区から篠ノ井布施高田地区までの間に計画
されている道路都市計画道路「川中島幹線」、(3)古くなった相
生橋の架け替えと取り付け道路の整備、(4)広域ごみ焼却施設の
建設に合意いただいた大豆島地区の道路網(市道のほか県道もあり
ます)、(5)東外環状線「国道18号長野東バイパス」、(6)
県営の農道である「上水内北部地区豊野幹線」(通称:広域農道北
信五岳道路)、(7)都市計画道路「北部幹線」。これらに加え、
県道塩崎バイパスの早期完成(今年度完了予定です)などがありま
す。どれも地元にとっては、大切な道路です。

 道路以外でも、城山公園全体構想も考える必要があると感じてい
ます。長野市で一番歴史のある公園を整備し、素晴らしい地域にし
たい。善光寺、長野県信濃美術館・東山魁夷館を中心に、城山公園、
旧蔵春閣、城山公民館を含めた大きな構想を作り、実現に向けて努
力したい。県も巻き込んでの取り組みが積極的にできれば早く実現
するかもしれません。
 
 最近急浮上してきたテーマは、長野県短期大学の4年制化に伴う
問題です。学部構成などが議論されていますが、もう一つ、大きな
問題は、アクセス道路や学生数増による敷地の狭あい化など大学周
辺の環境整備についてです。県は三輪地区の現在地に新県立大学を
造るとの方針を打ち出してこられました。県と市の間で検討を進め
ていかなければならない問題だと考えていますが・・・都市構造の
根幹に触れる重要な課題です。

 さらには、篠ノ井支所、篠ノ井公民館、篠ノ井市民会館、南部図
書館・・・篠ノ井駅の西口の土地を含めた篠ノ井地区の全体構想に
ついて、建物の耐震化も含めて検討したいと考えています。
 現在の大規模プロジェクト事業のめどが付いたら、次は茶臼山、
篠ノ井中央公園、そして南長野運動公園、さらには松代地区を含め
た長野市南部の全体構想だと市民会議の席上で申し上げたことがあ
ります。

 弁天公園、南向公園など、以前からある市街地の都市公園につい
て、計画を加速する必要もあります。そういえば、更北地区の犀川
沿いにあるNTTグラウンドも長野市の都市公園計画の中にあるの
です。

 ビッグハット周辺の土地利用の話として、長野赤十字病院を改築
したいという話が出てきています。診療をしながら改築をしていく
必要があるわけですから、駐車場整備を含めた大きな構想ができる
かどうかです。何年か後の大きな問題になりそうです。

 長野駅から善光寺までの中央通りを中心に、公衆トイレが不足し
ていると以前から感じていましたが、市民の方や長野商工会議所か
らも中央通りにはトイレが足りないというご意見を頂いています。
現在、担当部局において、新幹線金沢延伸、善光寺御開帳を見据え
準備を進めています。いずれにしても、「歩きたくなる街」、コン
パクト・シティーを目指そうという点では合意されてきていると感
じていますので、その実現に向けて、商店街と一緒になって街のに
ぎわいを演出していきたいと夢見ています。

 長野市が計画造成してきた産業団地は、ほとんど売り尽くしてし
まって、今後工場誘致の余裕があまりないことも問題です。バブル
時代に産業団地を開発した多くの自治体が、売れ残ってしまって困
っている話に比べ、長野市は無駄な投資をせず、慎重に進めてきた
ことは正解だったと思いますし、自慢してもよいと思います。反面、
ものづくりという面では一歩遅れたのかなとも感じています。
 ただ、長野市に進出したいという企業から土地が欲しいという相
談があった場合、ちょっと対応が難しいことになりそうです。もの
づくり企業が足りないと言われている長野市ですから、そういうお
話にはすぐさま対応したいのですが・・・国からは、新たに工業用
地などの造成事業を行う場合は、地方自治体の財政負担を軽減する
ため、第三セクターなどが事業を行うよう指導があり、新たな産業
団地の造成が難しくなっていることから、担当課は、民間の不動産
会社から土地情報を得て、企業に紹介していくなどと考えているよ
うです。しかし、ちょっとそれでは対策が弱いかなあと心配してい
ます。海がないため埋め立てによる用地の造成ができない長野市で
は、最後は農地転用などによる農地や山林の利用といった方法に帰
結するのかもしれませんが、関東農政局や県との関係、そして長野
市の長期計画が根本的に重要です。

*ナショナル・ミニマム:国家が国民に対して保障する最低限の生
活水準

2013年8月8日木曜日

次の時代の施策 その2~さらなるソフト事業


 私が12年前に市長になった当時、市区長会総会のたびに言われ
たことが2つありました。一つは「長野駅から善光寺下駅までの長
野電鉄の地下区間を、何とか吉田地区まで伸ばしてほしい」。もう
一つは「旭山にトンネルを掘って、安茂里方面から浅川・若槻方面
に抜ける道を造ってほしい」というものでした。
 当時は、建設に着手していた浅川ダムですら事業反対の動きが出
て、まったく進んでいない状況でしたから、区長会からのお話は夢
みたいなすごい構想で・・・私は考えた末、区長会の役員さんに
「その要望は下ろしてほしい」とお願いせざるを得ませんでした。
区長会の役員さんは私の要請を率直に聞いてくださいましたが・・
・今、若干の胸の痛みを感じています。あれで良かったのかなあ・
・・。

 現在の長野市のハード事業については、10の大規模プロジェク
ト事業を中心にかなり頑張って道筋を付けてきました。まだ道路を
中心に、やらなくてはならない事業はいくつかありますが(前回の
かじとり通信に書いたとおりです)、一応一つの区切りは付けられ
そうだと感じていますし、これからはソフト事業を重点に考える必
要があると思っています。

 ソフト事業の必要性については、7月4日、11日のかじとり通
信でお話しさせていただきました。長野市が展開を目指す、「人」
に注目した「シティプロモーション事業」に合わせ、「文化芸術の
振興」「スポーツ」「緑育」の3つを中心にお伝えしましたが、も
ちろんそれ以外にもソフト事業でやりたいことがたくさんあります。
「文化芸術の振興」「スポーツ」「緑育」についても再度触れなが
らお話しします。

(1)都市内分権は私の最重要施策です。戦後、日本の経済、社会
  が発展するにつれ、人々の生活の基盤でもあった隣近所の関係
  が薄れ、いつの間にか「隣は何をする人ぞ」という味も素っ気
  もない社会になってしまいました。そんな社会を打破したい・
  ・・昭和46年に始まったお祭り「長野びんずる」は、地域の
  コミュニティーをもう一度再生したいという思いから生まれた
  もので、今では長野市の夏の風物詩にまで成長しました。当時、
  私も青年会議所の一員として「長野びんずる」の創設に中心と
  なって携わらせていただきました。びんずるに負けず劣らず各
  地の祭りも元気に復活してきています。やはり、私の根底には、
  人とのつながり、触れ合いを大切にしたいという願いがありま
  す。市長に就任してからも、このことを常に念頭において市政
  に取り組んできました。こうして「自分たちの地域は自分たち
  でつくる」を旗印に、都市内分権を導入したわけです。
   導入から4年が経過しますが、市内32地区全ての住民自治
  協議会が、地域の魅力、資源を生かした活動に熱心に取り組ん
  でいただいていると手応えを感じています。
   引き続きコミュニティーの再生に向けた取り組みを行うとと
  もに、これからは地域の自立に向け、住民自治協議会自らの収
  入を増やす「もうかる」事業にも挑戦していただきたい。もう
  かれば、そこに雇用が生まれますし、何といってもその事業が
  継続していくのです。生産や販売、誘客活動組織などが住民自
  治協議会ごとに立ち上がれば、より確実性が増します。さらに、
  公民館活動とも連携できれば、人々の絆が深まり、地域の活力
  が一層高まるだろうと思っています。

(2)スポーツや文化芸術を盛んにしたい。いろいろなスポーツが
  ありますが、まずはサッカーとスケートで国際的に通用する選
  手を育てたい。文化芸術活動も、(仮称)長野市民文化芸術会
  館の芸術監督に内定した久石譲さんを中心に、素晴らしい活動
  が進むことは間違いないでしょう。行政はその応援をする立場
  です。

(3)緑育を全国に発信したい。篠ノ井中央公園からスタートした
  緑育ですが、この活動を茶臼山へ、そして犀川の北側、北部地
  域にも広げたい。矢澤秀成さんを中心に全国にも発信したいと
  考えています。しかしながら、その矢澤さんは、長野市での取
  り組みはもちろんのこと、全国各地での講演活動、テレビ番組
  への出演など大変お忙しい方ですので、今後、講座などを増や
  していくためには、早く矢澤さんの右腕になるような人材が育
  ってほしいと思っています。

(4)自他共に認める環境先進都市を目指したい。太陽光発電など
  自然エネルギーはもとより、長野市はバイオマスエネルギーの
  利用を促進する環境をしっかり育てたい。同時に省エネルギー
  や節電にも取り組んでいきたい。長野市で策定した環境マネジ
  メントの確実な実行が大切と考えています。可能ならエネルギ
  ーの地産地消も実現したい。ただこれは、コスト面がかなりき
  つそうです。でもうまくいけば、地域の雇用にもつながるはず
  ですし、新しい産業モデルになりそうです。

(5)中山間地域を豊かにして、人口を増やし、生産力を上げたい。
  先日、中山間地域に事業を作るための補助を充実し、産業を興
  す取り組みとして「やまざとビジネス支援補助金事業」を新た
  に始め、6月に3つの提案を補助対象に決定しました。補助対
  象となった3件はとても斬新なビジネスモデルの提案でした。
  とにかく稼いでもらいたい。そして、自立へ向けた努力を促し
  たい。さらなる新しいビジネスモデルの必要を感じています。
  採用された事業のほか、今回応募してくれた皆さんが呼び水に
  なって、多くのアイデアが寄せられることを期待しています。
   人口を増やすための政策としては、雇用を生む企業の誘致な
  どをして、安心して子どもを産み育てる環境を一層整えること
  です。その上で、結婚する人を増やしたい・・・。結婚は楽し
  いよ!という政策は、行政としてどのように展開したらよいの
  でしょうか。まだよく分かりません。住民自治協議会の取り組
  みによる新たな一手にも大いに期待しているところです。

(6)公共交通の再生を実現したい。新交通システムの導入も、財
  政との兼ね合いがありますが、LRT(次世代型路面電車シス
  テム)やBRT(バス高速輸送システム)にチャレンジしてみ
  たい。自家用車をこれ以上増やさず、公共交通で街の中も中山
  間地域もにぎわしたい。当面はバスをたくさん用意して、長野
  市中に配置したい・・・なんて職員には言っています。運転手
  の確保は大変ですが、雇用の創出につながれば・・・いずれに
  しろ将来の持続性が大切です。

(7)国際都市としてさらに発展したい。それには、姉妹都市を増
  やす。ユースオリンピックを招致する。そして、もう一度冬季
  オリンピックの開催に挑戦したい。財政的なめどがたてば、都
  市間交流の拡大にチャレンジしてみたいですよね。現在、姉妹
  都市・友好都市協定を締結し交流を行っているのは、アメリカ
  のクリアウォーター市と中国の石家庄市ですが、次の都市は東
  南アジアでしょうか。それともヨーロッパでしょうか。冬季オ
  リンピック開催都市との連携を考えるのはどうでしょうか。
 
 今後数年間で、またはさらに長期的な計画をもってやらなくては
ならないことを書いたつもりですが、なんだか気が付けば、これか
らやりたい「夢」を語っていたようにも思えます。夢とはいえ、で
きるだけ具体的な取り組みを一つ一つ積み重ねていくことが重要で
す。長野商工会議所を中心に、ご当地検定「NAGANO検定」を
開始するといった新たな企画も動き出しています。行政だけでなく、
住民自治協議会、各種団体、全ての皆さんの具体的な取り組みが、
一つでも多く動き出すことが肝心なのです。

2013年8月1日木曜日

長野市の次なる施策 その1~必要性


 市長として12年間、毎週このメールマガジン「かじとり通信」
を書き続けながら、全身全霊を懸け長野市発展のために取り組んで
きました。なぜメルマガを始めたかというと・・・動機は小泉純一
郎元首相のメルマガに刺激されたことは事実ですが、市民の皆さん
になるべく分かりやすく正確に情報をお伝えしたい、市長が何を考
えているか、あまり行ったことのない場所へ出張したような時はそ
の報告もしなくては・・・こんな思いからメルマガを始めました。
次から次へと切れ目なく仕事が入り忙殺される日々に、締め切りが
切迫して困ったこともありましたが、毎週欠かさず木曜日にメルマ
ガを配信してきました。「何をどう書こうか・・・」。中には、考
えれば考えるほど難しいテーマもあり、決して楽な仕事ではありま
せんでした。でも、市民の皆さんにお伝えしなくてはならないこと、
ご理解を求めるもの、元気な長野市を発信する出来事、そして時に
は私自身のことなどをテーマに、時期やタイミング、バランスを考
えて、毎週日曜日の夜までに原稿を書き上げ秘書課に送る仕事を何
とか果たしてきました。

 しかしながら、メルマガを長野市のサーバー(公的な機関)から
配信していたため、内容について制約を受けることがあり、窮屈に
感じたこともありました。そして、2期目と3期目の市長選挙前の
3カ月間は、NHKの自主規制に倣って、配信の自粛も行いました。
NHKの自主規制に合わせただけで公職選挙法とは関係なかったの
ですから、自由にやればよかったとも思っていますが、今回もこの
市長選前の9月の配信分からは、前例に倣って配信を自粛させてい
ただく予定です。そして、この間は、市長選挙に関係する話題につ
いても触れざるを得なくなるかもしれませんので、長野市からでは
なく、別のサーバーから配信させていただく予定です。

 今回の選挙について、私はまだ出馬するとかしないとかという話
はしていません。従って現段階では、選挙に関してまったくニュー
トラルです。
 そうした立場ではありますが、かじとり通信を長野市メールマガ
ジンとして確実に配信できる期間は残りわずかですから、私が約
12年間市長をやらせていただき分かったこと、感じたことを、若
干の反省も込めて、そして、今後、長野市が成長し発展していくた
めにも具体的に書き残しておきたい・・・。いろいろと考えてみた
ことを今回から数回に分けて、選挙とは全く関係なく、正直に書い
てみます。私の市長3期12年の集大成になるかもしれません。
 (本来は任期が終わってから書くべきだと言われるかもしれませ
んが、市長に就任させていただいたがゆえに取り組むことができた
数々のことを、感謝の気持ちを込めて文章にしたためさせていただ
きます)。

 まず、これまでの長野市の歴史、長野市を取り巻く状況など感じ
ていることを書いてみます。今後の市政の方向性を左右する重要な
ものでもあります。

(1)昭和30年代から40年代にかけて整備されてきた長野市の
  骨格が、かなり古くなってしまったことは事実でしょう。そし
  て、右肩上がりに経済、社会が成長する中、1972(昭和
  47)年に発表された、世界の一流学者たちによる「ローマク
  ラブ」の提言「成長の限界」では、地球上の資源には限界があ
  ることを痛感させられました。実際、翌1973(昭和48)
  年に発生した第一次オイルショックは、資源の枯渇が現実に起
  こり得る問題であることを身をもって経験した大きな事件でし
  た。

(2)1981(昭和56)年に建築基準法が改正され耐震基準が
  見直された結果、それ以前の建物は既存不適格な建物となり、
  いずれは建て替えなくてはならなくなってしまいました。これ
  により、まち全体をリニューアルしなくてはならず、大きな投
  資が必要になってしまいました。

(3)長野冬季オリンピックの開催によって、道路を含めた新しい
  構築物がたくさんできましたが、完成から15年余が経過して
  補修管理が必要になってきてしまいました。施設の維持費が大
  きな課題になったことを痛感しています。

(4)歴史的な建造物や町並みの維持・整備、伝統的な祭礼などの
  継承を目的に策定した「長野市歴史的風致維持向上計画」が、
  本年4月に国から認定をいただきました。長野市のまちづくり
  を考えたとき大切なことであり、重要性の高い案件になりまし
  た。

(5)県の事業ですが、長野県短期大学の4年制化については、こ
  の6月に基本構想が決定され、「現在の県短期大学所在地を基
  本に設置」と決まりましたが、具体的な施設整備計画がなかな
  か決定しません。長野市の都市計画、そして何よりも市内の学
  生の進路に大きく影響する話ですから、早く決めていただき、
  市として積み立ててきた大学整備基金を有効に活用して、でき
  る限りの支援をしていきたいと考えています。

 こうした状況を踏まえ、将来の長野市の姿を考えた場合、もう一
度長野市の骨格を整備する必要性に迫られてきました。特に、市道
・県道・国道と入り組んでいる道路については、その必要が高く、
そのうち特に早急な整備が求められる7路線については、7月18
日号で触れさせていただきました。当然ながら、相当の投資が必要
です。

 国の財政が逼迫(ひっぱく)している今、地方の財政も当然厳し
くなってきています。ただ、長野市は、先輩の皆さんのおかげ、そ
して市民の皆さんの協力のおかげ、市職員の正しい判断のおかげ、
さらには国・県の応援のおかげで、今後も国の財政運営が現状のと
おりに行われていくとすれば、財政破綻を起こす危険性はまずない
ですし、自画自賛で恐縮ですが、全体としては確実に良い方向へ向
かっていると思っています。2年前に掲げた大規模プロジェクト事
業も、財政的な裏付けがなければ、実施に踏み切ることはできませ
んでした。当初、大規模プロジェクト事業は8事業でしたが、その
後2つ増え10事業となりました。いずれもかなり順調に進展して
おり、1年前のかじとり通信でも書かせていただきました。くどい
かもしれませんが、もう一度大規模プロジェクト事業を再掲させて
いただきます。

 1 新市役所第一庁舎建設事業  
 2 新長野市民会館建設事業 
 3 斎場新設事業(大峰斎場・松代斎場) 
 4 ごみ処理施設広域負担金 
 5 ごみ焼却施設周辺整備事業 
 6 長野駅善光寺口駅前広場整備事業 
 7 長野駅周辺第二土地区画整理事業 
 8 小・中学校耐震化事業 
 9 南長野運動公園総合球技場整備事業
10 第四学校給食センター建設事業

 これら10の大規模プロジェクト事業については、ほぼめどが付
いたと感じています。ただ、その他にまだまだやりたいことはたく
さんあります。とても一度にはできません。結局、事業の優先順位
をどう付けていくかということになりそうです。今後の公共施設の
適正な配置を検討するため、今ある公共施設の現状と課題などを洗
い出す「公共施設白書」も現在作業中ですが、基本的にはプロジェ
クト事業の必要性を認識し、毎年の予算立ての中で、適正に実施し
ていくことになるのでしょう。

 次回のかじとり通信では、今後数年間でやらなくてはならないこ
と、また、50年間ぐらいのもっと長期的な視点で計画すべきこと
を、あまり整合性はないかもしれませんが、思い付くままに書いて
みたいと思います。