今月8月、5回連続となるかじとり通信を、市長就任3期12年
間の総決算のつもりで書いてきました。今回は、その最終回です。
私の持論になるかもしれませんが、市政に関して感じていることを
アトランダムに書いてみます。ただし、最終回ともなるとかなり力
が入ってしまい、大作となってしまいました。お読みいただく方に
は申し訳なく感じています。せめてもと思い、本日と明日の2回に
分割し、かじとり通信を配信させていただきます。お許しください。
社会は、原則として平等でなければいけない。当たり前のことで
すが・・・でも、それだけでは社会は窒息してしまいます。建前の
平等を標榜(ひょうぼう)した国家、社会主義国ソ連は崩壊しまし
た。日本国内では、高校入試の総合選抜制も挫折しました。人間の
自由を求める本性はあまり変化していないようで、藤原正彦さんが
「国家の品格」でおっしゃられている「どんなに正しい論理でも、
その論理をつきつめていくと社会は崩壊する。その論理が正しいと
か間違っているということではなく、これはすべての論理に通じる
話です」(抜き書き)・・・私は、これが真実だと思っています。
そうならないための理論として、これも度々引用させていただい
ているのが中谷巌さんの言葉です。中谷さんは、「今の社会は全て
交換が原則になっている」と警鐘を鳴らし、こうした社会からの脱
却に「贈与の大切さ」を説いておられます。こうした考えは、とて
も大切なことだと思っています。
中谷さんがおっしゃる「贈与」とは、私の頭の中では「寄付」と
同じだと考えています。中谷さんの著書「資本主義以後の世界」
(徳間書店)から一部お借りして説明させていただきますと、
我々は・・・「『贈与』という行為を通じて人と人とのつながり
を生み出す『社会』、もしくは『共同体』をつくり上げ、その上に
独自の文化をつくり上げてきた。現代人は『贈与』の精神を忘れ、
市場を通じた『交換』こそが、人間を幸せにすると錯覚したのであ
る。だから『社会』が荒廃し、文化が廃れていく。それは『贈与』
を忘れ、『交換』だけで世の中を運営できると錯覚したためであっ
た。
新自由主義とは、『可能なかぎり市場で取引できる商品の範囲を
拡大し、そこで実現される資源配分を尊重すべきだ』というイデオ
ロギーである。(中略)人間社会の健全性は『贈与』の精神なしに
可能なのであろうか。すべての人間活動が功利主義的な市場におけ
る『交換』の思想によって取り仕切られる時、人間社会はいかなる
問題を抱えることになるのであろうか。実は、現代社会の構造的問
題と呼ばれるもののほとんどすべては、人間活動をすべて『交換』
によって覆い尽くすことこそ正義だとみなす新自由主義思想から生
み出されたものではないだろうか」
こんな大きな話は、一地方自治体で考えても無理でしょうが、少
なくともその精神は、きちんと学ぶ必要があります。
前にも紹介させていただきましたが、中谷さんは「資本主義はな
ぜ自壊したのか」(集英社インターナショナル・2008年出版)
という著書の中で、国の中枢で政府の委員を務められ、数々の提言
に関わったが、小泉構造改革の規制緩和や市場開放といった改革に
おいて、大きな過ちを犯したと率直に認めておられます。ご自分に
対する厳しさ、正直さ、それ故に、この方の説は信頼できると感じ
ました。
しかし、「自分が間違っていた」ということを認めたがらないこ
とでほぼ共通している学者、評論家、政治家・・・そういう人が多
いように感じています。特に、「政党」という組織になるとその傾
向が顕著になるのでしょうか。いくつかの政党は、何十年も同じよ
うな主張を続けながらなかなか支持を得ることができない・・・そ
の理由は、その政党の主張に何か時代にそぐわない部分や民意から
離れてしまっているところがあるからでしょう。そのことを素直に
認めれば良いのになあ・・・といつも感じてしまいます。
組織の怖さでしょうか。個人個人はとても良い人なのですが、組
織や集団となると「何で!」と感じることが多いのです。古い政党
も新しい政党も同じでしょう。組織というのは、目的達成のために
は、異分子の存在は困るのでしょうね。
失礼ですが、今回の参議院議員選挙を見ていても、党利党略が政
策より前に出ていると感じたのは私だけでしょうか、すなわち政治
家はギリシャ・ローマの昔から、弁舌で生きているのだそうですか
ら、仕方ないのでしょう。
だから「市長は政治家ではない」というのが私の主張です。論争
より具体的に何をやるか、なぜできないかを明らかにする、あるい
は何年後ならできるか、説明することが大切ですよね。そうして、
できるだけ多くの人の支持を得ることが、市長にとって大事であり、
一党一派に偏ることは避けるべきだと考えています。
つい最近読んだ本ですが、藻谷浩介氏とNHK広島取材班共著の
「里山資本主義 日本経済は『安心の原理』で動く」(角川one
テーマ21)に感心し、私ばかりが読んでも駄目なので、早速10
冊追加購入して、関係部長に配りました。まだ本当に読み込んでは
いませんので評論的なことは申し上げられませんが、新しい時代を
感じさせる本です。多分、本を読んだ職員から、いろんな意見がで
てくるだろうと期待しています。ぜひ皆さんにも、ご一読をお勧め
します。
「里山資本主義」という本の内容は、中谷さんの「資本主義はな
ぜ自壊したのか」という本に対する一つの答えかもしれません。
藻谷さんとはこれまで何度かお会いしたことがありますが、以前
は日本政策投資銀行の行員として、自ら日本中のほとんど全ての商
店街を自費で見て回り、各地の中心市街地についてかなり厳しい話
をされ、その迫力に圧倒されたことを覚えています。しかしその頃
は、そういう意見はありますよねという感じだったのですが、この
本を読んでびっくり。アイデア満載なのです。私たちが中山間地域
で困っていることからどうすれば抜け出せるのか。また、これなら
すぐ実行できそうだなあと感じるものばかりです。
童門冬二さんご本人から「二宮尊徳の経営学」(PHP文庫)を
頂きました。二宮尊徳というと、ちょっと古いな・・・という印象
を持って読み始めましたが、決してそうではありません。江戸時代、
藩財政の立て直し、寂れゆく農村の再建に、地域の経営学的な発想
があったことにびっくり、感心しました。藻谷さんのおっしゃって
いること(地域ビジネス)と同じ趣旨のことを尊徳も主張していた
わけで、あらためて、藻谷さんと尊徳に感激しました。
とにかく「アイデア不足の時代」、「行動力不足の時代」という
ことを痛切に感じます。私もこの齢になると、自ら率先して行動に
移すことが少なくなってきたのかなあと自覚していますが、どうし
ようもありません。口だけ、理屈だけの世界にどっぷり漬かってし
まったということでしょう。
藻谷さんの「里山資本主義」、不思議なタイトルではありますが、
中山間地域をどうするか、地域社会をどうするか。この本のとおり
にやったら、もちろん一つ一つの努力の積み重ねが前提ですが、中
山間地域の課題を解決する決定打になるのではないか・・・なにせ
彼の主張は、日本中、世界中を歩いてのものなのでしょうから・・
・と感じさせる本です。
今年度、新規事業として「やまざとビジネス支援補助金」事業を
創設しました。これは、中山間地域の資源を活用して「ビジネス」
を展開し、中山間地域の雇用創出、地域の課題解決など、地域の活
性化につなげることを目的に地域内外の個人や団体が実施する事業
に対し1千万円を限度に補助するものです。申し込みは16事業で、
審査の結果、3件が採択されました。最高得点を獲得した事業は、
地域とは全く関係ないファッションブランドの企画、製造、販売を
やろうと29歳の若者が提言してきた事業です。中山間地域では、
何十年もの間、一生懸命農業を中心に振興を図ろうと頑張ってきま
した・・・しかし、なかなかうまくいかない・・・人口は減るばか
り、高齢化も進むばかり、潜在力はあるはずなのに・・・それなら
まったく新しい発想を入れる、すなわち新しい「人とビジネスモデ
ル」を持ち込むことが必要なのではないでしょうかというのが、こ
の事業の審査に当たった審査員の皆さんのご意見だったようです。
こうした試みは平等ではないかもしれません。しかし、物事を俯
瞰的に見よう、今までの固定観念を忘れよう、良いところをさらに
良くしていこう、やる気のある人を支援しよう、そうした視点を持
つことで、新しい発想が生まれ、それが起爆剤になって大きく社会
を変えていく、そんなことがあるかもしれません。一挙には無理で
あっても、小さな取り組みの積み重ね、そして繰り返しが徐々に社
会を変えるのだと思います(二宮尊徳は「積小為大」とおっしゃっ
ています)。
一つの事象が起きた時 いろいろな「くびき」があっても、それ
を自分のこととして考えられるか、個人の利害関係や損得を抜きに
して、社会全体のために判断できるか、行政と私、さらには企業と
の関係も含めて、もう一度考えてみたいと思っています。
古い話ですが、「企業武士道」という言葉がありました。グロー
バルスタンダードとは、全く違う次元の話だろうと思います。一流
企業の経営者の言葉ですが、「企業は健全な赤字部門を持つべきで
ある」まさに、グローバル資本主義の世界ではありえない話です。
長野冬季オリンピック(以下、オリンピック)の時、私は10指
に近い、資金集めのプロジェクトの責任者を任されていました。例
えば、アスペン音楽祭、セントラルスクゥエアでの表彰式会場の建
設、前回開催地であるノルウェー・リレハンメルからの犬ぞり隊の
受け入れ・・・もう全部は覚えていませんが、全て私個人には一銭
にもならない仕事でしたし、私が経営する会社からも一定の金額を
出さなければ他の企業からは資金が集まりません。当時、私が個々
の社長さんにお会いしたいと電話すると、「今度は何の寄付だい!」
と言いながらも、要請に応えていただきました。まさに、企業武士
道であり、社会の潤滑油だったと思います。
次は企業ボランティアの話です。皆さんはオリンピック・フレン
ズクラブというのを覚えていらっしゃいますか?オリンピックの招
致段階の話ですが、ある日、塚田前市長と招致委員会故市村勲事務
総長さんに呼び出され、「1990年、IOC(国際オリンピック
委員会)総会が東京で開催される。それ以降は、IOCの委員さん
が夫婦で長野市を視察するはずで、多分60組ぐらいはお越しにな
ると思う。その対応は、行政だけでは難しいので、あなたの仲間を
集めて、ぜひアテンドしてほしい」と要請されました。そこで、
「フレンズクラブ」という組織をつくって会員夫婦で対応しました。
この時の仲間もまさにボランティアでした。加えて、オリンピック
の開催期間中はIOC委員の送迎のため、車の運転までお願いして
しまいました。皆さん大変だったけれど楽しかったと言ってくださ
ったのはうれしかった思い出です。
もう一つ、阪神・淡路大震災のとき、長野県建設工業新聞社の当
時の社長が、神戸市にある野村海浜病院の中庭に風呂おけを設置し、
長野市から水を運んで湯を沸かし、風呂サービスを始められました。
また、古いバスを持ち込んで宿泊所代わりに利用し、周辺の住民の
皆さんに大変喜んでいただきました。この時、彼から人的支援をし
てほしいとの要請が私にあったものですから、いろいろな企業の社
長さんたちにお願いして、社員の皆さんにお手伝いいただきました。
さらにNAOC(長野オリンピック冬季競技大会組織委員会)の職
員にもお願いして、長野市から神戸までタンク車を運転して交代で
水を運んだわけですが、これも企業ボランテイアでしょう。一カ月
ぐらいの短い期間でしたが、NAOCの職員も含め、企業の社員を
派遣していただき、神戸で風呂サービスをしたことも、忘れられな
い思い出です。
中央通りにオリンピックの表彰式会場を造ったのもボランティア
活動です。IOCの故サマランチ会長の「表彰式はなるべく多くの
人が集まる中心市街地でやるべき」という記事が新聞に載ったこと
で勇気を出して、あの広場に仮設のステージを造り、ステージの壁
にはめ込むための、五輪エンブレムと購入者の自筆の名前を焼き付
けた9センチ四方のタイルを5,000円で販売し、資金を集めま
した(原価は、1枚1,500円だったと思います)。そして、そ
の売り上げをセントラルスクゥエアの設備費に充てたのですが・・
・本番の時にタイルに書かれた名前が見えるのはいけない、なんて
つまらないことをNAOCに注意されてマスキングをしたり、また、
オリンピックが終わってからそのタイルをエムウェーブの外壁に貼
って後世に残そうした時は、長野市の了解を取ることに苦心したり
しました。
この表彰式会場には、もう一つ忘れ難い思い出があります。当時
私は、どうしてもオリンピックの火を街の真ん中で燃え上がらせた
いと願い、仲間とお金を出し合って、やっとの思いでセントラルス
クゥエアの土地を準備することができました。しかし、表彰式会場
としては狭いだとか、設備投資にお金が掛かるとかさんざん言われ、
こんなに苦労して進めてきた私たちの願いがかなわないのか・・・
そんな思いが頭をよぎっていたとき、NAOC会長で経団連会長や
新日鉄社長・会長を歴任された故斎藤英四郎さんが突然視察に来ら
れ、「こんな素晴らしい場所を提供いただけるのは、ありがたいこ
とです」とおっしゃっていただいたのです。あのときの喜び、今で
も忘れられません。
ボランティアとは何か・・・当時は夢中でやっていましたので、
分かりません。
あの時みんな無償の活動で、お金や人を出したり、IOC委員の
アテンドをしていただいたり・・・そんなことはもうみんな忘れて
いる、それでは協力いただいた方々に申し訳ない、何かの記録に残
しておかなければと、今回あえて書かせていただきました。
(明日配信の号外に続きます。ぜひ、お読みください)