2004(平成16)年に松代城の整備が完了することを契機と
して実施した観光戦略「エコール・ド・まつしろ2004」につい
ては、いつか機会があれば書いてみたいと思っていたテーマです。
この事業は、2004年に史跡・松代城の復元事業が完了する一
方で、ハード整備だけでは観光客は来ないという認識があり、市長
の「2004年は松代イヤー」という発言から開始されたものです。
私は市長の命により、その準備のため、2002(平成14)年1
1月に松代支所に赴任しました。
まず、松代の持つポテンシャルを調査することから始め、多くの
活用可能な歴史的文化財の存在と、「大門踊り」や「八橋流筝(そ
う)曲」などの伝統的な城下町文化を継承する住民の皆さまが多数
いらっしゃることを知りました。また、旅の形態が団体旅行からテ
ーマを持った個人・小グループ旅行に移行しており、当時の観光客
数は、小布施が100万人を超えていたのに対し、松代では30万
人に満たない状況で推移していました。
住民の皆さまにも参加していただいたワーキンググループは、歴
史的文化財を舞台にして、市民の皆さまによるおもてなし交流活動
を前面に出した「遊んで学ぶ大人の学校 エコール・ド・まつしろ
2004」と銘打った誘客キャンペーン企画を考え出しました。
「エコール・ド・まつしろ」とはエコール・ド・パリに想を得ての
ネーミングです。エコール・ド・パリは、1920年代を中心にパ
リのモンマルトルの丘などを舞台としてフランス人以外の芸術家、
例えば、ロシア人のシャガールや日本人の藤田嗣治などが中心とな
って興した芸術活動です。「エコール・ド・まつしろ」もまた、文
化財を舞台に、訪れた観光客(いわば異邦人)と松代の人々とが交
わりながら新しい文化を生みだしてほしいという願いを込めて命名
したものです。
「遊学城下町 信州松代」のブランド化を図ることを目指して開
始したこの事業は、多くのマスコミや旅行関係者の注目を集めるこ
とができ、2004年の年間観光客数は約80万人となりました。
また、このキャンペーン事業が全日本広告連盟の大賞に選ばれると
いう栄誉に浴することができたのも、企画の内容もさることながら、
何よりも松代の皆さまの積極的な参加によるところが大きかったと
思います。
「エコール・ド・まつしろ」の活動は、今もエコール・ド・まつ
しろ倶楽部の皆さまを中心に続いています。歴史的文化財活用と城
下町文化を通しての交流という軸は崩さずに、また新たなステージ
に登ってほしいと願っておりますとともに、さらなる展開を楽しみ
にしています。
さて、鷲澤市長は9月11日に、今期をもって引退されることを
正式に表明されました。3期12年の任期は大変に慌ただしく忙し
い日々であり、ご本人にとって短く感じられているのではないかと
推察しています。
就任早々の旧ダイエービル(現もんぜんぷら座)の再生利用に始
まり、豊野町などとの町村合併、指定管理者制度をはじめとした民
間活力の導入、住民自治の新たな展開を目指す都市内分権の開始、
市民会館・第一庁舎の建て替え事業、南長野運動公園総合球技場整
備事業など、挙げだしたらきりがありませんが、その多くの事業に
関係することができ、指導を受けることができたことは、私個人に
とっても幸運でした。
一言で言えば、鷲澤市政の前半は長野冬季オリンピック開催後の
財政の立て直しであり、後半は新幹線が金沢に延伸される平成27
年を長野冬季オリンピック・パラリンピック以来のエポックイヤー
と位置付け、これを契機に都市として大きく飛躍するための準備で
した。
長野冬季オリンピック・パラリンピックが終了し、鷲澤市長が就
任した前年度、2000(平成12)年度末の一般会計の起債残高
(市の借金)は1,800億円を超えていました。その当時の一般
会計予算額が1,300億円台でしたので、この状況は大変に厳し
いものでした。その起債残高を現在の1,300億円台にまで減少
させたのは、会社経営者としての長い経験の賜物(たまもの)であ
り、その点でも鷲澤市長の就任は時代の要請であったと感じていま
す。仮に、この財政面の改善がなかったら、新幹線金沢延伸に備え
ての新たな投資も難しかったのではと思います。2015(平成2
7)年に向け、ようやく舞台は整いつつあります。長野市にとって
新幹線延伸を本当の好機にできるかどうかは、いよいよこれからで
す。長野駅善光寺口駅前広場整備、新長野市民会館整備などの一連
の整備効果を生かし、新幹線の通過点とならずに、都市としての飛
躍にどうつなげていくか。今後は、ソフト事業を中心に市民の皆さ
まとの協働による仕組みづくりが問われてくると思います。
市長には、そのために必要な環境づくりと、今後の大きな方向性
を示していただいたと思います。
また、市長が取り組まれた大きな事業に、都市内分権があります。
3.11東日本大震災時における避難所などの様子を見るにつけ、
地域コミュニティーの重要さが再認識されます。地震などの災害は
決してあってほしくないことですが、日頃から備える意味でも、住
民自治協議会を中心とした地域としてのまとまりが大切であると感
じています。市長の着想で始まった都市内分権の取り組みは、その
点でも時機を得た事業であったとあらためて思います。
鷲澤市長。
12年間、本当にお疲れさまでした。市民の皆さまの安全を守る
責任者として、いっときとして気の休まるときはなかったと思いま
す。健康には十分に留意されて、これからも長野市の将来について、
大所高所からご指導をお願いしたいと思います。
2013年9月26日木曜日
観光戦略「エコール・ド・まつしろ2004」について
2013年9月19日木曜日
期待が膨らむ2020年東京オリンピック
アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されていたIOC(国際
オリンピック委員会)総会で、2020年の夏季オリンピック・パ
ラリンピックの開催地が東京に決定しました。本当におめでとうご
ざいます。4月に、長野市議会の祢津議長と一緒に東京都庁を訪問
し、招致支援の決議文をお渡しさせていただいたこともあり、私も
感無量です。
1998年長野冬季オリンピック・パラリンピックの開催地決定
は、今から22年前の1991年にイギリスのバーミンガムで開催
されたIOC総会で発表されました。私は、確か長野冬季オリンピ
ック招致委員会の「フレンズクラブ」の会長という立場で出席して
いて、「NAGANO」の最終プレゼンテーションにも立ち会いま
した。遠くからですが、エリザベス女王を拝見したことも懐かしい
思い出です。
そして、いよいよ開催都市の発表です。当時のサマランチIOC
会長の「City of NAGANO」の声を聞いた瞬間、バー
ミンガムの総会会場にいた長野関係者から大歓声が沸き起こり、両
手を突き上げて喜び、握手をしたり抱き合ったり。それはもう言葉
に言い表せないほどの喜びの絶頂でした。私も大喜びしました。
時を同じくして、善光寺の境内に設置された大型スクリーンを見
詰めながら、発表を今か今かと待っていた大勢の皆さんも、発表と
同時に歓喜の渦に包まれました。遠く離れた長野市での喜びの様子
は、総会会場の大型画面いっぱいに映し出され、そこには涙を流し
て抱き合う人の姿もありました。その後、テレビで何度もその瞬間
を見ましたが、あの時の感激は今でも忘れられません。
東京でのオリンピックは、1964(昭和39)年以来56年ぶ
りの開催になります。同じ都市で2度目のオリンピック開催はアジ
アでは初めてです。招致活動にご尽力された皆さんに敬意を表する
とともに、長野市出身の猪瀬直樹都知事へは、さらなるエールを送
りたいと思います。
1964年の東京オリンピックは、敗戦からの復興を遂げた日本
を国内外に示す、国威発揚のオリンピックでした。首都高速道路、
東海道新幹線、名神高速道路、そして各種の社会インフラが急速に
整備された時代、当時の池田勇人総理大臣の所得倍増計画が進行し、
景気も良くなって、高度経済成長期の訪れで、日本に新しい時代が
到来したのだと実感させられました。
私的なことで恐縮ですが、私も人から譲ってもらったチケットを
持って、代々木のオリンピックプールへ水泳競技を見に行きました。
長男を身ごもっていて、大きなお腹の妻と出掛けたこと、いまだに
懐かしい思い出です。
今回の東京オリンピックは、東日本大震災から立ち直る日本の姿
を示す「復興五輪」としても、重要な意味があります。被災地を応
援するためのプログラムとして、東北地方を縦断する聖火リレーや
各国代表のキャンプを被災各県に積極的に誘致し、選手と地域住民
の交流を進めること、また、被災地の子どもたちを観戦に招待する
ことなども計画されているとのことです。東京オリンピックが被災
地の復興を加速させる大会になればと思います。
また、パラリンピックについては、1964年の東京大会に参加
した選手数は約400人でしたが、昨年のロンドン大会は約
4,300人で、規模の大きさも注目度の高さも比較にならないほ
どで、大変な盛り上がりでした。長野冬季パラリンピックを経験し
た長野市民は、障害のある選手が果敢に競技にチャレンジする姿を
見て、大きな感動を覚え、パラリンピックの素晴らしさを実感して
います。ただし、長野冬季パラリンピックの後、選手の競技環境が
向上するものと期待されましたが、長引く景気の低迷で、環境整備
が進んでいないのが現状のようです。
東京パラリンピックで、選手が競技に集中できる環境整備、特に
資金面におけるバックアップ体制が将来にわたり強化されればと思
っています。
東京オリンピックに、もう一つ期待したいことがあります。前述
のとおり、今の東京の首都高速道路や新幹線などは東京オリンピッ
ク前後に整備されました。あれから約50年が経ち、折りしもその
時建設された道路や橋脚などのインフラは老朽化が進み、補修や建
て替えなどによる更新時期に来ており、それには多額の費用がかか
ることは、これまでかじとり通信でも書かせていただきました。今
回のオリンピック開催に係る投資により、東京一極集中がさらに進
むと危惧する声もありますが、オリンピック開催を契機に、老朽化
したインフラ整備に一定のめどが立てばと思っています。当然今の
国の財政力を考えれば、すべてをリセットして新規に建設すること
は不可能です。いかに少ない予算で、補強や延命化が図れるか。そ
れは、同じ問題を抱える長野市にとっても有益な参考事例になると
考えています。
長野冬季オリンピック・パラリンピックの経験を通じ、市民の皆
さんや市職員には、さまざまなノウハウが蓄積されています。今後
設置される東京オリンピック・パラリンピック組織委員会との連絡
を密にし、これからは大会の成功に向け、引き続き協力していきた
いと考えています。来週27日には、樋口副市長が都庁とJOC
(日本オリンピック委員会)を訪問し、早速長野市の支援方法につ
いて協議してくる予定です。
長野市は、新幹線で東京から約1時間30分でアクセスすること
ができ、暑い東京に比べれば格段に涼しい気候です。そして、オリ
ンピック・パラリンピック開催都市として競技施設が充実している
ことなどから、各国代表のキャンプ地には最適です。キャンプを誘
致できれば、宿泊施設の利用など地域経済へのプラス効果は間違い
ありません。また、子どもたちをはじめ市民の皆さんが、最高レベ
ルのアスリートたちの姿に触れる機会を得ることにもなります。J
OCをはじめ関係機関と連携を図りながら、積極的に誘致活動を行
っていきたいと考えています。ただし、キャンプ地を決めるのは各
国のチームや選手だそうです。早めに戦略を練る必要があります。
東京が2度目のオリンピックを開催するとなると、いよいよ「長
野でも再びオリンピックを」といった期待が高まります。まずは、
14歳から18歳までの若者を対象としたユースオリンピックを長
野市に招致しようとの声が一層大きくなりそうです。
この大会は、昨年1月に第1回冬季大会がオーストリアのインス
ブルックで開催され、次の第2回大会は、2016年にノルウェー
のリレハンメルで開催される予定です。
9月市議会定例会でも答弁させていただきましたが、第1回大会
の実績や第2回大会の計画から、実施する競技種目、必要とされる
施設整備、経費面などに関する調査・研究を進めていきたいと考え
ています。
8月8日のかじとり通信「次の時代の施策 その2~さらなるソ
フト事業」でも書いたとおり、長野市が国際都市としてさらに発展
すること、そして再び感動の舞台となることを願うとすれば、ユー
スオリンピックの招致は絶好のプロジェクトになりそうです。多く
の市民の皆さんが夢見る「もう一度、オリンピックを開催したい」
という想いは、このユースオリンピックを招致することで大きなス
テップにつながると考えています。1964年の東京大会、
1972年の札幌冬季五輪の間隔を考えてみれば、2020年東京
の夏季大会から10年後ぐらいの2030年あたりがオリンピック
開催の狙い目でしょうか・・・生まれたばかりの子供たちが、10
代後半から20代になって、オリンピック選手として活躍すること
ができれば、素晴らしいですね。
また、長野冬季オリンピックで初めて実施され、その後の大会で
も引き継がれてきた「一校一国運動」も、今後さらに発展できれば
素晴らしいですよね。今回、東京招致委員会が公表した「立候補フ
ァイル」には、「一校一国運動」の継承も盛り込まれたようです。
各学校や大学が、各国のNOC(国内オリンピック委員会)と対に
なる「1校1NOC運動」を行うと表明し、子どもや学生が「NO
Cが属する国の文化や歴史を学び、その国の若者と交流を図る」と
されています。
長野が生んだ国際交流活動が、子どもたちの国際理解を深め、こ
れからもずっと継承される運動となることを祈っています。
2013年9月12日木曜日
9月議会定例会開会~これからの市政運営方針
私にとって、3期目の任期最後となる市議会定例会が5日に開会
しました。
思い起こせば、2001(平成13)年12月に初めて議会に出
席して以来、何度、議場の演壇に立ったことか。数えたことはあり
ませんが・・・いつも妻に怒られていることは、下を向いて原稿を
読んでばかり・・・でも私は、「市長としての発言は一つの誤りも
許されない。きちんと伝えることが大切」と考え、妻に「アドリブ
は不要」といつも話してきました。
開会あいさつでは、8月中の5回のかじとり通信の内容と、これ
からの市政運営方針、そして私の12年間の思いを込めて、お話し
させていただきました。その内容を少し簡略化させていただき書い
てみたいと思いますが、いずれにしても、現在私は市長職にありま
す。最後まで誠心誠意努めてまいります。
(1)平成24年度決算の概要
一般会計では、効率的な予算執行により、当初予算で予定してい
た34億円の基金取り崩しを6億円にとどめることができました。
また、市債の借り入れの抑制を図り、実質収支額として9億7千万
円余りの黒字決算額を確保することができました。
これにより行政の財政状況を示す健全化判断比率は、いずれの指
標も国の基準を下回っていますので、本市の財政状況は、健全な状
態を保つことができています。
しかしながら、「将来負担比率」には、今後、本格化する新市役
所第一庁舎や新市民会館の建設、新斎場、長野駅善光寺口駅前広場、
ごみ焼却施設、南長野運動公園総合球技場の整備などの大規模プロ
ジェクト事業が反映されていません(これは財政のルールです)。
引き続き、各指標の推移に十分な注意を払いつつ、財政の健全性を
保持したい考えです。
(2)公共交通機関の整備
多くの皆さんに大変好評のバス共通ICカード「くるる」は、来
月でちょうど運用1年を迎えます。来月からは市営バスや乗合タク
シーでも利用可能となりますし、今後も、周辺市町村へのサービス
エリアの拡大や他の交通機関への普及を進めるとともに、公共サー
ビスや商業での利用などの将来展開を視野に入れ、利用促進を図り
たいと考えています。
また、新交通システムの導入可能性については、バス高速輸送シ
ステム(BRT)や次世代型路面電車システム(LRT)を想定し
て、今後、「長野市公共交通ビジョン」において検討を進めていき
ます。
北陸新幹線の金沢延伸後も、呼称などに「長野」を残すための要
望活動については、7月31日に、県知事ほか関係者とJR東日本
の社長に直接要望してきました。JR東日本からは「お客さまに分
かりやすく案内をすることが重要で、鉄道事業者として責任ある対
応をしていきたい」との回答を頂きました。私たちと北陸の皆さん
の思い、首都圏からの利用者の利便性を踏まえての結論を導き出し
ていただけるものと期待しています。
また、北陸新幹線金沢延伸に伴って、しなの鉄道株式会社に経営
移管される北しなの線(長野以北並行在来線)は、開業10年後に
は開業時と比べ需要が約15パーセント減少すると予測されていま
す。本市としては、新駅設置や、しなの鉄道の新企画「観光列車」
などと連携することで、利用者増加と鉄道事業の安定化につなげた
いと考えています。
(3)環境対策の充実、エネルギーの適正利用~環境先進都市を目
指して
再生可能エネルギーの導入として、小・中学校などの市有施設へ
の太陽光発電システムの設置を行い、昨年度末の累計で37施設と
なり、本年度も7施設に設置します。また、今後整備される新市役
所第一庁舎および新市民会館や南長野運動公園総合球技場にも設置
する予定です。
昨年度末までの太陽光発電システムの設置補助事業の補助累計は、
個人分と法人分を合わせて約5,800件、発電出力で約2万4千
キロワットと、1メガワットのメガソーラーシステム24基分に相
当する規模となっています。
省エネルギーの推進状況については、昨年度、小・中学校など
72施設にデマンド監視装置を導入した結果、電力使用量は導入前
と比較して約3パーセントの減、料金では約400万円を削減する
ことができ、本年度は、もんぜんぷら座など8施設に導入しました。
また、バイオマスタウン構想の推進については、雇用や産業の創
出にもつながる可能性を秘めている木質ペレットの利用拡大に向け、
従来のボイラーやストーブに加え、新たに冷暖房への活用も含めて
検討を進めています。さらに、本年度から新たに信州大学との連携
事業として、高い成長力を持つイネ科作物の「ソルガム」などのバ
イオマス資源作物について、発電や熱利用などを含めた有効活用に
向けた可能性調査に取り組みます。近い将来、中山間地域における
「ソルガム」などの栽培が、農業生産の拡大や雇用の増大につなが
ることにも大いに期待しています。
長野広域連合が大豆島地区に建設を計画している「広域ごみ焼却
施設」については、都市計画決定に向け、素案の閲覧を先月末から
開始しました。今後、計画案の縦覧などを経て、年内に決定したい
と考えています。
本市が行う周辺環境整備事業のうち、健康・レジャー施設、複合
施設整備については、年内の設計業務委託契約締結に向け、また、
大豆島地区住民自治協議会から要望を頂いた地域公民館整備などに
ついては、地域の皆さんと十分に協議を重ねながら、大豆島地区の
発展につながるよう進めていきます。
(4)文化芸術活動への支援と文化の創造
新長野市民会館の運営を担う長野市文化芸術振興財団の10月1
日の設立に向け、現在、財団の理事など役員の選任、定款・規程の
作成などの準備を進めています。また、同会館と新市役所第一庁舎
の安全祈願祭が8月23日に行われ、いよいよ本格工事に着手しま
した。市役所をご利用される皆さんには、工事中ご迷惑をお掛けし
ますが、安全には十分留意して着実に進めていきます。
(5)中山間地域の活性化
前回のかじとり通信で、「里山資本主義」なる発想や、国が取り
組む「地域おこし協力隊」を紹介しながら、中山間地域の持つ可能
性について書かせていただきましたが、中山間地域では、有害鳥獣
による被害が大変深刻化しています。こうした中、松代地区では、
約40キロメートルに及ぶ防護柵を設置し(国の補助を利用し資材
を購入しましたが、設置作業は地区の皆さん総出で行ったそうです)、
若穂山新田地区においても電気柵3.2キロメートルの設置が行わ
れています。
長野駅善光寺口駅前広場の大庇(ひさし)、列柱には、大量の市
内産の間伐材を使用しますが、現在、そうした間伐などにより搬出
された木材の需要拡大が課題となっています。建築用材のほかバイ
オマスエネルギーなどへの有効活用を推進し、林業振興を図ります。
(6)産業基盤の整備
日本無線株式会社の新工場の建設が稲里町に計画されていて、第
一期分は来年10月に完成予定とのことで、第二期分の工場建設も
検討されています。従業員数は約千人とのことですので、ご家族も
合わせるとさらに多くの人が長野市に転入されることになり、受け
入れ態勢を万全に整えたいと考えています。
(7)子育ち・子育て環境の整備などの保健福祉施策
「長野市版放課後子どもプラン」は、全55小学校区のうち現在
51校区において校内施設などを活用して実施しています。活動場
所の広がりとともに、趣味や特技を生かして放課後の活動を支援し
ていただく登録制のアドバイザーも増え、現在は約680人の皆さ
んに登録していただき、子どもたちのより充実した放課後活動にご
協力いただいています。
また、長野市社会事業協会が設置、運営する児童発達支援センタ
ー「にじいろキッズらいふ」が7月1日に開所しました。市として
も、児童専任の相談員を配置しており、障害児を支援する拠点とし
ていきたいと考えています。
(8)観光交流の推進
9月21日から23日まで「全日本エンデュランス馬術大会」が
戸隠、飯綱高原一帯の特設コースにおいて開催されます。これまで
北海道で開催されていたこの大会を初めて長野市に誘致することが
でき、関係の皆さんのご努力に敬意を表するとともに、観光資源の
魅力に乗馬を新たに加え、いいとき(飯綱、戸隠、鬼無里)構想の
発展、戸隠、飯綱高原の一体的な振興につながればと思っています。
豊野地区にある「りんごの湯」については、湯量の不足のため露
天風呂の営業を休止していましたが、管の洗浄作業を行った結果、
元の湯量に戻りましたので、6月から営業を再開しています。再開
後、何度かりんごの湯の前を公用車で通りましたが、いつも駐車場
はほぼ満杯。多くの皆さんが再開を心待ちにしていたんだなあと感
じています。
(9)茶臼山公園一帯の整備
4月に運行を開始した茶臼山モノレールは、8月末までに4万5
千人を超える皆さんにご利用いただいており、新たな名物になって
います。動物園の入園者数も昨年の同時期と比べて約7,500人
上回っていて、うれしい限りです。また、篠ノ井地区から発信を続
けている緑育の推進については、矢澤秀成さんを中心に、花や緑を
育てるだけでなく、人や地域も育てる活動を積み重ねています。こ
うしたさまざまな要素が一体となって地域の活性化につながること
を期待しています。
(10)スポーツを軸としたまちの活性化
南長野運動公園総合球技場の整備については、8月から既存施設
の撤去が始まり、来年1月から建設工事に着手する予定です。また、
スタジアム完成までの間、AC長野パルセイロのホームゲームは、
今シーズンの残りゲームを佐久市の佐久総合運動公園陸上競技場で
行い、来シーズンは同競技場と東和田の長野運動公園陸上競技場を
併用して開催される予定です。佐久市での開催は、パルセイロのサ
ポーターやファンを東信地域まで広げる良い機会ですし、8月11
日の佐久市での初試合には3,200人近い多くの観客の皆さんに
お越しいただき、本当にうれしく、そしてありがたく感じました。
なお、パルセイロは、8日の天皇杯全日本サッカー選手権大会2
回戦で名古屋グランパスと対戦し、なんとJ1チームを相手に2対
0で快勝しました。すごいことですし、天皇杯、そしてリーグ戦が
ますます楽しみです。ただ・・・実はこの日、公務が一つも入って
いない日曜日で、こんな日は本当に珍しいのですが・・・それ故
「名古屋まで応援に行けばよかった・・・」と、ちょっと、いや、
かなり残念に思いました。
(11)中心市街地の活性化
権堂B-1地区市街地再開発事業の施設建築物工事は6月から本
格着工し、現在基礎部分の工事を順調に行っています。一方、権堂
商店街などでも、すでに定着した「ごんバル」や飲食店以外のお店
を対象とした「ひる(昼)バル」など、まちを元気にするイベント
が開催されています。篠ノ井駅前の「しの駅バル」や「軽トラ市」
なども順調で、こうした各地区での主体的な取り組みは、とても大
切だと感じています。
(12)行政改革の推進
老朽化が進む公共施設やインフラ資産に係る維持・更新費用の増
大は、現在進行中の大きな社会問題となっています。オリンピック
施設を抱える本市にとっても重要な課題で、現在、市有施設の現状
と課題を把握するため、「公共施設白書」の作成に取り組んでいま
す。来月初旬の公表を予定しており、将来人口や財政推計などを勘
案しながら、公共施設の再配置計画、長寿命化計画の策定を行いま
す。
以上、9月市議会定例会の私のあいさつから、その概要をまとめ
てみました。
私は常々、長野市をこうしたいという「夢」や「理想」をもつこ
との大切さと、その実現のためには、理念だけではどうにもならず、
具体的な議論が必要であると申し上げるとともに、市長就任以来、
「元気なまち ながの」の実現を目指し、「入りを量りて出ずるを
為す」、「市民とのパートナーシップ」、「簡素で分かりやすい行
政」、「民間活力の導入」、「無私、利他の精神」、この五つの原
則を信念として、今日まで、全力を挙げて市政の舵(かじ)をとっ
てきました。
この間、厳しい経済情勢の下ではありましたが、財政の健全化、
生活環境の保全、産業の振興、文化芸術・スポーツの振興などに加
え、都市内分権の推進、中心市街地の再生、民間活力の導入、周辺
町村との合併など、市政の各分野において一定の成果を上げること
ができたと思っています。
平成27年には、善光寺御開帳と北陸新幹線の金沢延伸に合わせ、
長野駅善光寺口駅前広場整備、中央通り歩行者優先道路化、新市役
所第一庁舎や文化芸術振興拠点となる新市民会館が竣工(しゅんこ
う)する予定で、長野市は冬季オリンピック開催以来の変革のとき
を迎えます。そして日本全体に目を向ければ、2020年の夏季オ
リンピック・パラリンピックの開催地が東京都に決定したことで、
さらなる大きな波が地方にも押し寄せるでしょうし、それを絶好の
チャンスとしなければなりません。長野市は、東京から新幹線で約
1時間30分で結ばれていますし、また、酷暑の東京に比べれば、
格段に涼しい気候です。もちろん長野市はオリンピック・パラリン
ピックを経験しています。東京の補完的な役割を十分持ち合わせて
いる長野市が、東京オリンピックに積極的に携わることができたら
と思っています。
昨日私は、一般質問の答弁の中で、今期限りで市長職を退任する
ことを表明させていただきました。
残された任期を、悔いの残らないよう全力で取り組んでいきたい
と決意しています。
2013年9月5日木曜日
50年後の中山間地域を夢見て
市長就任以来、3期12年の集大成として書いた8月のかじとり
通信。書き始めれば、皆さんにお伝えしたいことが次から次へと頭
に浮かび、5回の配信だけでは足りず号外を出すまでとなり、よう
やくまとめ上げることができました。お付き合いいただき、ありが
とうございました。大作の後ということもあるのでしょうか、正直、
今はほっとしたという安堵(あんど)感と、それ故いささか脱力感
を覚えながらも、さあ9月からの執筆を始めるかと気合を入れてパ
ソコンに向かいましたが、原稿提出期限ぎりぎりの日曜日の夜に書
いている次第です。
8月のかじとり通信の中でもお伝えしましたが、私の12年間の
仕事で、なかなか思うように進んでいないのが「中山間地域の活性
化」と「公共交通の再生」です。特に、中山間地域の問題について
は、8月に行われた中条地区や信更地区の元気なまちづくり市民会
議でも切実な地域の問題として議論になりました。特効薬がないの
が実情ですが、8月29日のかじとり通信で藻谷浩介さんとNHK
広島取材班の共著である「里山資本主義-日本経済は『安心の原理』
で動く」(角川oneテーマ21)を、「これは素晴らしい」と紹
介させていただきました。その時はあまり詳しく書けませんでした
ので、今回、この本を引用させていただきながら、中山間地域の持
つ魅力をあらためて考えたいと思います。
「里山資本主義」なる言葉は、ちょっと変な言葉ですが、NHK
広島取材班井上恭介さんと藻谷さんが考えた造語だそうです。中国
山地のあちこちで始まっている、過疎や高齢化の対極をいく「元気
で陽気な田舎のおじさんたち」の挑戦を取材された井上さんと、
「日本経済が停滞している根本は『景気』ではなく『人口の波(生
産年齢人口=現役世代の数の増減)』にある」とおっしゃっている
藻谷さんの共同執筆によりこの本は作成されました。私的には若干
の異論はありますが、「おじさんたちの挑戦」と「人口の波」とい
う考えは納得です。
井上さんは本の冒頭、「『経済の常識』に翻弄(ほんろう)され
ている人」を、「もっと稼がなきゃ、もっと高い評価を得なきゃと
猛烈に働いている。必然、帰って寝るだけの生活。ご飯を作ったり
している暇などない。だから全部外で買ってくる」人に例え、「実
はそれほど豊かな暮らしを送っていない」「もらっている給料は高
いかもしれない。でも、毎日モノを買う支出がボディーブローにな
り、手元にお金が残らない。だから彼はますますがんばる。がんばっ
た分だけ給料は上がるが、その分自分ですることがさらに減り、支
出が増えていく」と評しておられます。
「猛烈社員として働いていた青年。実は会社も猛烈な競争にさら
されていた。ライバルは最近業績をのばす新興国の企業。(略)会
社は『労働コスト』を見直すことにした。彼は突然リストラされた」。
「失意の彼は、田舎に帰った。(略)給料は以前の10分の1」
「ところが(田舎の人々は)みんな、驚くほど豊かに暮らしている」。
その後の彼について本から抜き書きすると、彼は畑で野菜作りを
始め、石油缶を改造した「エコストーブ」でおいしいご飯を炊き、
楽しく、人間らしい生活を送るようになり、「豊か」になったとい
うわけです。
藻谷さんは、「里山資本主義」を次のように定義しています。
「『里山資本主義』とは、お金の循環がすべてを決するという前提
で構築された『マネー資本主義』の経済システムの横に、こっそり
と、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え
方だ」「水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全
のネットワークを、予(あらかじ)め用意しておこうという実践だ」。
ここで、藻谷さんは「勘違いしないでほしい」と断りながら、「江
戸時代以前の農村のような自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、
という主義主張ではない」としています。
ここで私の経験を話しますと、会社の社長時代、わが社の社員は
家では農業をやっている兼業農家の人が多かったので、幹部クラス
の社員は「どうもうちの社員は根性が足りない。いざ仕事がうまく
いかなければ、家に帰って農業をやればいいと考えている節がある」
と怒っていました。でも藻谷流に考えれば、それで良かったのでし
ょうし、社会に一種の余裕を与えていたのではないでしょうか。ち
ょっと話がそれますが、余裕という点では、夫婦共働きのダブルイ
ンカムは、イタリアでは当たり前と以前聞いたことがあります。
また、藻谷さんは続けて、「ただし里山資本主義は、誰でもどこ
ででも十二分に実践できるわけではない。マネー資本主義の下では
条件不利とみなされてきた過疎地域にこそ、(略)より大きな可能
性がある」とおっしゃっているのです。
こうした取り組みの具体例として、「NHKスペシャル
『2011ニッポンの生きる道』」の中で、岡山県真庭市でのペレ
ットボイラー、広島県庄原市でのエコストーブの普及活動の取り組
みが紹介されました。長野市でも若穂地区の保科温泉でペレットボ
イラーを使い始めています。燃料費は重油と比べてほぼ同等になっ
てきているのですが、ボイラー本体の価格がもう少し安いと普及す
るのに・・・。オーストリア製と聞きましたが、そんなに難しい構
造ではなさそうです。市内の会社にぜひ技術開発をしてもらい、ペ
レットボイラーを安く作ってほしいものです。
また、大変興味深く思ったのが、真庭市の製材事業者が試作に取
り組んでいるコンクリート並みの強度を誇る木材です。繊維方向が
直角に交わるように互い違いに重ね合わせることにより飛躍的に強
度を上げた集成材(CLT)で、オーストリア、イタリアなどヨー
ロッパで普及しているそうです。
日本においても、国土交通省の主導によりCLTパネルによる建
築物の耐震実証実験が行われており、来年の法改正・実用を目指し
ているそうです。これによる木造の高層建築が実現すると、長い間、
低迷が続いている林業界にとって起死回生の一手になるのではと期
待をしています。
里山、いわゆる中山間地域の活性化に向け、長野市でもアイデア
を絞り、新規就農者支援事業、やまざとビジネス支援補助金事業と
いった取り組みを導入しています。新規就農者支援事業は国に先駆
けて行ったものですし、今年度からの新規事業となる、やまざとビ
ジネス支援補助金事業では、地域とは全く関係のないファッション
ブランドの企画、製造、販売事業が採択されるなど、私としては受
け身ではなく、新たな事業を積極的に仕掛けていると自負していま
す。ただ藻谷流の徹底した取り組みにはほど遠いのかなあと感じて
います。
さらに国は、信じられないような取り組みを2009(平成21)
年度から始めています。「地域おこし協力隊」という事業なのです
が、東京、名古屋、大阪といった大都市圏から過疎化が著しい山村、
離島、半島などを含む地方に移り住む人(隊員)を募集し、地域力
の担い手となってもらおうというもので、隊員一人につき年間
400万円(報酬など200万円+活動費200万円)を上限に、
最長3年にわたって特別交付税として財政支援するという制度です。
言葉が悪くて申し訳ありませんが、なりふり構わないこうした「バ
ラマキ」とも言える手法を国がやるということは、それだけ国もこ
の問題解決に苦慮しており、本腰を入れ始めたのだなあと感じてい
ます。
この取り組みは恒久的なものではないため、受け入れ地区の「や
る気」が重要です。「地域おこしは自分たちの問題だ」という意識
を十分に持った上で、地域が隊員を温かく受け入れられるか、具体
的にどんな分野の仕事を担ってもらうのかを明確にできるかが大き
なポイントだと思っています。当然のことながら、国も市町村も3
年経ったら「さようなら」では困るわけで、国の財政支援のある間
に、就農、就業、起業が進み、その結果、願わくば定住や定着に結
び付くケースが少しでも多く実現できれば、地域の活力はさらに高
まるでしょう。とにかく人を増やすことが大事なのです。
本の最後に、藻谷さんは今から50年後の2060年を、里山資
本主義が普及した「明るい未来」としています。なぜ50年かとい
うと、「黒船来航騒動直後の1855年に、1905年に日本がロ
シアに戦争で勝つことを誰が予想しただろうか。泥沼の戦争に深入
りしつつあった1940年に、誰が平和な経済大国としてバブルを
謳歌(おうか)する1990年の日本を想像できただろうか」と、
「50年という月日は時代が大きく変わるのに十分な時間だ」と
おっしゃっています。
「里山資本主義」を「夢みたいな話」と感じられた方は多いと思
いますが、小さなことの積み重ねで本当に50年後の日本は変わっ
ているのではないかと予感させられる1冊でした。