アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されていたIOC(国際
オリンピック委員会)総会で、2020年の夏季オリンピック・パ
ラリンピックの開催地が東京に決定しました。本当におめでとうご
ざいます。4月に、長野市議会の祢津議長と一緒に東京都庁を訪問
し、招致支援の決議文をお渡しさせていただいたこともあり、私も
感無量です。
1998年長野冬季オリンピック・パラリンピックの開催地決定
は、今から22年前の1991年にイギリスのバーミンガムで開催
されたIOC総会で発表されました。私は、確か長野冬季オリンピ
ック招致委員会の「フレンズクラブ」の会長という立場で出席して
いて、「NAGANO」の最終プレゼンテーションにも立ち会いま
した。遠くからですが、エリザベス女王を拝見したことも懐かしい
思い出です。
そして、いよいよ開催都市の発表です。当時のサマランチIOC
会長の「City of NAGANO」の声を聞いた瞬間、バー
ミンガムの総会会場にいた長野関係者から大歓声が沸き起こり、両
手を突き上げて喜び、握手をしたり抱き合ったり。それはもう言葉
に言い表せないほどの喜びの絶頂でした。私も大喜びしました。
時を同じくして、善光寺の境内に設置された大型スクリーンを見
詰めながら、発表を今か今かと待っていた大勢の皆さんも、発表と
同時に歓喜の渦に包まれました。遠く離れた長野市での喜びの様子
は、総会会場の大型画面いっぱいに映し出され、そこには涙を流し
て抱き合う人の姿もありました。その後、テレビで何度もその瞬間
を見ましたが、あの時の感激は今でも忘れられません。
東京でのオリンピックは、1964(昭和39)年以来56年ぶ
りの開催になります。同じ都市で2度目のオリンピック開催はアジ
アでは初めてです。招致活動にご尽力された皆さんに敬意を表する
とともに、長野市出身の猪瀬直樹都知事へは、さらなるエールを送
りたいと思います。
1964年の東京オリンピックは、敗戦からの復興を遂げた日本
を国内外に示す、国威発揚のオリンピックでした。首都高速道路、
東海道新幹線、名神高速道路、そして各種の社会インフラが急速に
整備された時代、当時の池田勇人総理大臣の所得倍増計画が進行し、
景気も良くなって、高度経済成長期の訪れで、日本に新しい時代が
到来したのだと実感させられました。
私的なことで恐縮ですが、私も人から譲ってもらったチケットを
持って、代々木のオリンピックプールへ水泳競技を見に行きました。
長男を身ごもっていて、大きなお腹の妻と出掛けたこと、いまだに
懐かしい思い出です。
今回の東京オリンピックは、東日本大震災から立ち直る日本の姿
を示す「復興五輪」としても、重要な意味があります。被災地を応
援するためのプログラムとして、東北地方を縦断する聖火リレーや
各国代表のキャンプを被災各県に積極的に誘致し、選手と地域住民
の交流を進めること、また、被災地の子どもたちを観戦に招待する
ことなども計画されているとのことです。東京オリンピックが被災
地の復興を加速させる大会になればと思います。
また、パラリンピックについては、1964年の東京大会に参加
した選手数は約400人でしたが、昨年のロンドン大会は約
4,300人で、規模の大きさも注目度の高さも比較にならないほ
どで、大変な盛り上がりでした。長野冬季パラリンピックを経験し
た長野市民は、障害のある選手が果敢に競技にチャレンジする姿を
見て、大きな感動を覚え、パラリンピックの素晴らしさを実感して
います。ただし、長野冬季パラリンピックの後、選手の競技環境が
向上するものと期待されましたが、長引く景気の低迷で、環境整備
が進んでいないのが現状のようです。
東京パラリンピックで、選手が競技に集中できる環境整備、特に
資金面におけるバックアップ体制が将来にわたり強化されればと思
っています。
東京オリンピックに、もう一つ期待したいことがあります。前述
のとおり、今の東京の首都高速道路や新幹線などは東京オリンピッ
ク前後に整備されました。あれから約50年が経ち、折りしもその
時建設された道路や橋脚などのインフラは老朽化が進み、補修や建
て替えなどによる更新時期に来ており、それには多額の費用がかか
ることは、これまでかじとり通信でも書かせていただきました。今
回のオリンピック開催に係る投資により、東京一極集中がさらに進
むと危惧する声もありますが、オリンピック開催を契機に、老朽化
したインフラ整備に一定のめどが立てばと思っています。当然今の
国の財政力を考えれば、すべてをリセットして新規に建設すること
は不可能です。いかに少ない予算で、補強や延命化が図れるか。そ
れは、同じ問題を抱える長野市にとっても有益な参考事例になると
考えています。
長野冬季オリンピック・パラリンピックの経験を通じ、市民の皆
さんや市職員には、さまざまなノウハウが蓄積されています。今後
設置される東京オリンピック・パラリンピック組織委員会との連絡
を密にし、これからは大会の成功に向け、引き続き協力していきた
いと考えています。来週27日には、樋口副市長が都庁とJOC
(日本オリンピック委員会)を訪問し、早速長野市の支援方法につ
いて協議してくる予定です。
長野市は、新幹線で東京から約1時間30分でアクセスすること
ができ、暑い東京に比べれば格段に涼しい気候です。そして、オリ
ンピック・パラリンピック開催都市として競技施設が充実している
ことなどから、各国代表のキャンプ地には最適です。キャンプを誘
致できれば、宿泊施設の利用など地域経済へのプラス効果は間違い
ありません。また、子どもたちをはじめ市民の皆さんが、最高レベ
ルのアスリートたちの姿に触れる機会を得ることにもなります。J
OCをはじめ関係機関と連携を図りながら、積極的に誘致活動を行
っていきたいと考えています。ただし、キャンプ地を決めるのは各
国のチームや選手だそうです。早めに戦略を練る必要があります。
東京が2度目のオリンピックを開催するとなると、いよいよ「長
野でも再びオリンピックを」といった期待が高まります。まずは、
14歳から18歳までの若者を対象としたユースオリンピックを長
野市に招致しようとの声が一層大きくなりそうです。
この大会は、昨年1月に第1回冬季大会がオーストリアのインス
ブルックで開催され、次の第2回大会は、2016年にノルウェー
のリレハンメルで開催される予定です。
9月市議会定例会でも答弁させていただきましたが、第1回大会
の実績や第2回大会の計画から、実施する競技種目、必要とされる
施設整備、経費面などに関する調査・研究を進めていきたいと考え
ています。
8月8日のかじとり通信「次の時代の施策 その2~さらなるソ
フト事業」でも書いたとおり、長野市が国際都市としてさらに発展
すること、そして再び感動の舞台となることを願うとすれば、ユー
スオリンピックの招致は絶好のプロジェクトになりそうです。多く
の市民の皆さんが夢見る「もう一度、オリンピックを開催したい」
という想いは、このユースオリンピックを招致することで大きなス
テップにつながると考えています。1964年の東京大会、
1972年の札幌冬季五輪の間隔を考えてみれば、2020年東京
の夏季大会から10年後ぐらいの2030年あたりがオリンピック
開催の狙い目でしょうか・・・生まれたばかりの子供たちが、10
代後半から20代になって、オリンピック選手として活躍すること
ができれば、素晴らしいですね。
また、長野冬季オリンピックで初めて実施され、その後の大会で
も引き継がれてきた「一校一国運動」も、今後さらに発展できれば
素晴らしいですよね。今回、東京招致委員会が公表した「立候補フ
ァイル」には、「一校一国運動」の継承も盛り込まれたようです。
各学校や大学が、各国のNOC(国内オリンピック委員会)と対に
なる「1校1NOC運動」を行うと表明し、子どもや学生が「NO
Cが属する国の文化や歴史を学び、その国の若者と交流を図る」と
されています。
長野が生んだ国際交流活動が、子どもたちの国際理解を深め、こ
れからもずっと継承される運動となることを祈っています。