2013年9月26日木曜日

観光戦略「エコール・ド・まつしろ2004」について


 2004(平成16)年に松代城の整備が完了することを契機と
して実施した観光戦略「エコール・ド・まつしろ2004」につい
ては、いつか機会があれば書いてみたいと思っていたテーマです。
 この事業は、2004年に史跡・松代城の復元事業が完了する一
方で、ハード整備だけでは観光客は来ないという認識があり、市長
の「2004年は松代イヤー」という発言から開始されたものです。
 私は市長の命により、その準備のため、2002(平成14)年1
1月に松代支所に赴任しました。
 まず、松代の持つポテンシャルを調査することから始め、多くの
活用可能な歴史的文化財の存在と、「大門踊り」や「八橋流筝(そ
う)曲」などの伝統的な城下町文化を継承する住民の皆さまが多数
いらっしゃることを知りました。また、旅の形態が団体旅行からテ
ーマを持った個人・小グループ旅行に移行しており、当時の観光客
数は、小布施が100万人を超えていたのに対し、松代では30万
人に満たない状況で推移していました。
 住民の皆さまにも参加していただいたワーキンググループは、歴
史的文化財を舞台にして、市民の皆さまによるおもてなし交流活動
を前面に出した「遊んで学ぶ大人の学校 エコール・ド・まつしろ
2004」と銘打った誘客キャンペーン企画を考え出しました。
「エコール・ド・まつしろ」とはエコール・ド・パリに想を得ての
ネーミングです。エコール・ド・パリは、1920年代を中心にパ
リのモンマルトルの丘などを舞台としてフランス人以外の芸術家、
例えば、ロシア人のシャガールや日本人の藤田嗣治などが中心とな
って興した芸術活動です。「エコール・ド・まつしろ」もまた、文
化財を舞台に、訪れた観光客(いわば異邦人)と松代の人々とが交
わりながら新しい文化を生みだしてほしいという願いを込めて命名
したものです。
 「遊学城下町 信州松代」のブランド化を図ることを目指して開
始したこの事業は、多くのマスコミや旅行関係者の注目を集めるこ
とができ、2004年の年間観光客数は約80万人となりました。
また、このキャンペーン事業が全日本広告連盟の大賞に選ばれると
いう栄誉に浴することができたのも、企画の内容もさることながら、
何よりも松代の皆さまの積極的な参加によるところが大きかったと
思います。
 「エコール・ド・まつしろ」の活動は、今もエコール・ド・まつ
しろ倶楽部の皆さまを中心に続いています。歴史的文化財活用と城
下町文化を通しての交流という軸は崩さずに、また新たなステージ
に登ってほしいと願っておりますとともに、さらなる展開を楽しみ
にしています。

 さて、鷲澤市長は9月11日に、今期をもって引退されることを
正式に表明されました。3期12年の任期は大変に慌ただしく忙し
い日々であり、ご本人にとって短く感じられているのではないかと
推察しています。
 就任早々の旧ダイエービル(現もんぜんぷら座)の再生利用に始
まり、豊野町などとの町村合併、指定管理者制度をはじめとした民
間活力の導入、住民自治の新たな展開を目指す都市内分権の開始、
市民会館・第一庁舎の建て替え事業、南長野運動公園総合球技場整
備事業など、挙げだしたらきりがありませんが、その多くの事業に
関係することができ、指導を受けることができたことは、私個人に
とっても幸運でした。
 一言で言えば、鷲澤市政の前半は長野冬季オリンピック開催後の
財政の立て直しであり、後半は新幹線が金沢に延伸される平成27
年を長野冬季オリンピック・パラリンピック以来のエポックイヤー
と位置付け、これを契機に都市として大きく飛躍するための準備で
した。
 長野冬季オリンピック・パラリンピックが終了し、鷲澤市長が就
任した前年度、2000(平成12)年度末の一般会計の起債残高
(市の借金)は1,800億円を超えていました。その当時の一般
会計予算額が1,300億円台でしたので、この状況は大変に厳し
いものでした。その起債残高を現在の1,300億円台にまで減少
させたのは、会社経営者としての長い経験の賜物(たまもの)であ
り、その点でも鷲澤市長の就任は時代の要請であったと感じていま
す。仮に、この財政面の改善がなかったら、新幹線金沢延伸に備え
ての新たな投資も難しかったのではと思います。2015(平成2
7)年に向け、ようやく舞台は整いつつあります。長野市にとって
新幹線延伸を本当の好機にできるかどうかは、いよいよこれからで
す。長野駅善光寺口駅前広場整備、新長野市民会館整備などの一連
の整備効果を生かし、新幹線の通過点とならずに、都市としての飛
躍にどうつなげていくか。今後は、ソフト事業を中心に市民の皆さ
まとの協働による仕組みづくりが問われてくると思います。
 市長には、そのために必要な環境づくりと、今後の大きな方向性
を示していただいたと思います。
 また、市長が取り組まれた大きな事業に、都市内分権があります。
3.11東日本大震災時における避難所などの様子を見るにつけ、
地域コミュニティーの重要さが再認識されます。地震などの災害は
決してあってほしくないことですが、日頃から備える意味でも、住
民自治協議会を中心とした地域としてのまとまりが大切であると感
じています。市長の着想で始まった都市内分権の取り組みは、その
点でも時機を得た事業であったとあらためて思います。

 鷲澤市長。
 12年間、本当にお疲れさまでした。市民の皆さまの安全を守る
責任者として、いっときとして気の休まるときはなかったと思いま
す。健康には十分に留意されて、これからも長野市の将来について、
大所高所からご指導をお願いしたいと思います。