2013年10月31日木曜日
市長選が終了しました
した。
結果は、加藤久雄さんが当選。次の市長が決まって、ようやく肩
の荷が下りました。
持論として「地方自治体の運営には、できるだけ幅広い層からの
支持が必要」と申し上げてきたとおり、加藤さんは70歳という年
齢を感じさせることなく、市民団体や政党も含め、幅広く支持を集
められました。いずれにしろ、ご本人も経済、雇用が大切というこ
とをおっしゃられていますし、長野商工会議所の会頭、企業経営者
などの顔をお持ちであった加藤さんに有権者の支持が集まったのも、
当然のことと感じています。
前回の市長選では、「チェンジ」が大きなキーワードで、今回は
「安定」がキーワードだったのではないでしょうか。
心配していた投票率は、全体で42%(男性43.16%、女性
40.94%)。今回もあまり好成績とはいえず、民主主義におけ
る選挙とは何か・・・考えさせられるテーマであることは変わりま
せんでした。私のときもそうでしたが、当選しても複雑な気持ちで
はないでしょうか。「投票率は最低50%が民主主義の原点である」
と私は常々考えています。
以前かじとり通信にも書きましたが、私が長野市長に就任して初
めて姉妹都市のアメリカ・フロリダ州クリアウォーター市を訪問し
たとき、「長野市長選の投票率が40%台ではお恥ずかしい」と話
しましたら、返ってきた言葉は「40%は上出来だ。クリアウォー
ター市では30%にも満たない」とのことでした。民主主義の先進
国アメリカでも、こんな状況なのかということを実感させられた話
でした。
それぞれの獲得票数は、加藤さんが5万6千票余り、次点の方が
3万5千票弱、その他の3人の得票は合計3万7千票余りという結
果でした。
獲得票数が有効票の10%に達しない下位のお二人については、
供託金が没収になるようです。私の1回目の選挙では5人の立候補
者のうち、3人が供託金没収でしたので、供託金没収の割合は、少
し下がったということでしょう。
1人の欠員が生じていた長野市議会議員の補欠選挙も併せて行わ
れ、5人の方が立候補し、41歳の北澤哲也さんが当選されました。
立候補者全員が2万票台ということで、大変な激戦でした。約2年
の任期ですが、健闘を期待しています。
地方自治体の首長選挙は、なるべく多くの方に支持していただく
必要から、政党色はあまり出さない場合が多く、今回も全員「無所
属」ということでした。無所属候補とはいえ、実質は政党が応援し
ている方もいらっしゃいました。しかし、ポスターや選挙公報を見
ても、どの政党が応援しているのか分からないことも事実です。
私自身の去就について、「もっと早く表明すべきであったはず」
「あの時期では立候補準備ができない」「けしからん」とおっしゃ
る方もいらっしゃいました。しかし、私は昨年から首長の任期は
「3期が限度」と申し上げてきました。さらに、以前あったように、
政治的に同じような考え方の者同士で選挙戦をすることは、長野市
を二分にするような事態になり、結果として市民の間にしこりが残
ることにもなる。できれば候補者を一人に絞れないかと考えたこと
は事実ですし、辞めると言った瞬間から任期中にもかかわらずレー
ムダック(※)になるのも嫌だ、などなど皆さんから見れば勝手な
言い分と思われたかもしれません。申し訳なかったとは思いますが、
私も悩みに悩んだ末の結果でした。
当選された加藤さんと私は、学生時代、長野青年会議所時代、そ
して長野商工会議所時代、さらには商売の面でも経歴が似通ってい
ることは事実です。それだけに、二人で話し合ったのではないかと
いううわさが一番困りました。
市長選について二人で話したのは、天地神明に誓って、私が公式
に不出馬宣言をしてから一度だけ、それも加藤さんがごあいさつに
みえられたときだけです。そのときも私は加藤さんに、応援すると
は申し上げておりません。実質的には「頑張ってください」の一言
だけだったと思います。辞めるという宣言をさせていただいたとき
以来、私は市長としてどなたも応援はしないということを、記者会
見などで言わせていただいていますし、そのことは最後まで押し通
させていただきました。
かなり早い時期から出馬のうわさがあり、実質的な選挙運動をや
っておられた方もいらっしゃったと思いますので、私の進退表明が
遅すぎたという批判は当たらないと思っています。短期決戦の方が、
お金も掛からないし、話題性もあり一番良いのではという思いもあ
りました。
当選された加藤さんは、明るく、元気なキャラクターの持ち主で、
私には無いものをたくさん持っておられますし、経営的な手腕も安
定している方だと思います。比較して私はシャイだなあといつも感
じており、市長にはあの元気さが必要だなと思います。
今後の政策面については、今年8月の1カ月間に、5回(号外も
含めると6回です)にわたるかじとり通信できちんと書かせていた
だきました。家族には、あんなことを書けばもう一度やると言って
いるようなものだと批判されましたが、そんな気は毛頭ありません
でした。私は次の市長さんのご参考になれば・・・と考えただけで
あり、中身も私の好みというより、長野市がやらなくてはならない
ことを列挙したつもりです。
どんな時代でも「人心の一新」は必要なのだと思います。加藤さ
んには、29日の火曜日に長野市選挙管理委員会から当選証書が付
与されました。しがらみに縛られることなく、ぜひ元気な長野市を
つくるために頑張っていただきたい。期待しています。
もうすぐ冬がやってきます。私の大好きなスキーシーズンです、
そして私が所属する乗馬倶楽部の皆さんも、私がちゃんと馬に乗れ
るようになることを期待してくれているようです。スポーツクラブ
に通って身体を鍛え、大いに楽しみたいと思っています。
市長を辞めても仲間が遊んでくれるだろうことを祈って、選挙報
告を終わります。
※レームダック:残った任期を消化しているだけの者などを揶揄
(やゆ)する言葉
2013年10月24日木曜日
高山村と中部電力浜岡原子力発電所への訪問
中です。有権者の皆さん、長野市政に関心を持って、ぜひ投票して
ください。
私は、3期12年間、市長を務めさせていただき、過日「次の市
長選には立候補しない」と宣言させていただきました。その後、5
人の方が出馬されました。私が初めて長野市長選に立候補した
2001(平成13)年10月の選挙も、私を含めて5人が立候補
したように記憶しています。それぞれの皆さんの健闘を祈っていま
す。
少し前の話になりますが、私の任期満了まであと約1カ月という
10月8日に、どうしても自分の目で確かめたいことが2つありま
したので、日程を何とかやりくりして、視察に伺わせていただきま
した。
まずは、上高井郡高山村の訪問です。村を挙げてソルガム(イネ
科の1年草の作物です)の栽培に取り組んでおられるということで、
以前から興味がありました。高山村は須坂市の東側、山手に広がる、
農業が盛んで観光資源(特に温泉は有名ですね)に恵まれた場所で
す。ソルガム栽培の実態を見たいとお願いしたら、お忙しい中にも
かかわらず、久保田勝士村長をはじめ担当の職員の方が村長室で事
業の概要を説明してくださり、その後、現地に案内していただきま
した。
頂いたパンフレットによると、村で栽培しているのは「子実型
(実の収穫量が多い)」と「兼用型(実と葉、茎ともに収穫できる)」
に分類される3品種で、そのほかにソルゴー型、スーダン型、スー
ダングラス型など、何種類もあるそうです。背丈が2メートル前後
のものや1.5メートル以下のもの、実の収穫量が多いもの、2度
収穫が可能なもの、茎が太くて汁と糖分が多いものなど、いろいろ
あるようです。私たちが子どものころ、代用食で食べたコーリャン
も同じ系統のものだそうで、印象としては「ヘー」という感じでし
た。
耕地30アール当たり約30万円の収入を想定していて、そのう
ち「実」の販売による収入が約8~9割を占め、残りは葉と茎によ
るものとのことでした。栽培には、村の畜産農家から出る牛ふんを
堆肥として使っているそうです。そして、大きな魅力は、やはり種
まきや草取りなどにあまり手がかからないということでしょう(以
前から長野市では薬草栽培をやろうと試みていますが・・・もうひ
とつ成果が上がっていないのが現状です)。
「実」は、雑穀米、お菓子、みそ、麺として食品に加工され、葉
と茎は、キノコ培地やお茶に加工され、さらに使用済みのキノコ培
地は、牛ふんや生ごみと混合し、堆肥として利用されています。高
山村の取り組みは確かに素晴らしいものでした。調べてみましたら、
ソルガムは長野市内でも栽培されていました。
私が注目したのは、(1)中山間地域の農業従事者が高齢化する
中、ソルガムであれば高齢者でも比較的楽に栽培できるのではない
か(2)荒廃農地はなかなか集約化できず、土地利用が制限されて
いるが、農地があまりまとまらなくても、ソルガムの栽培には問題
ないのではないか(3)栽培面積に対して収入が比較的高いのでは
ないか(4)水がいらない、農薬もいらないということで、荒地で
も栽培可能、という点です。
さらに私が考えたのは、バイオマス(主にメタンガス)発電の原
料として有望ではないかということです。これなら全ての荒廃農地
でたくさん作っても、売り先に困ることはない。新しい中山間地域
の産業になるのではないか。ただしこの場合は、発電施設をどう造
るかが問題だろうと思いました。
高山村にはソルガム活用推進協議会があり、その副会長を信州大
学工学部の天野良彦教授が務められています。天野先生は、信州大
学と地方自治体などが連携して中山間地域の活性化などの地域課題
解決に取り組む「信州大学地域戦略センター」の副センター長でも
いらっしゃるので、ぜひ専門的なお話をお聞きしたいとお願いした
ところ、わざわざ22日に同センター長の笹本正治同大学副学長、
同センターの林靖人准教授、中澤達夫特任教授とご一緒に市長室に
おいでいただき、ソルガムの栽培、利用方法、地域産業、さらに地
域における熱・電気エネルギーの活用や供給手段の確保と、夢のあ
るお話を聞かせていただきました。特にドイツでは、トウモロコシ
などを燃料とするバイオマスガス発電所がいくつも稼動していて
(ここまでは私も新聞記事で知っていました)、それも発電所1基
が2億円で建設できたケースもあると聞いて、これはいい!と大変
興味を引かれました。
ちなみに、笹本先生は、「真田氏三代」という本を出版されてい
て、池波正太郎さんの「真田太平記」とは違う意味で、素晴らしい
記録を残された方です。
大量にソルガムが作られたときのことを考えると、ぜひバイオマ
ス発電に取り組んだらどうか・・・。まあ、まだ夢の段階で、FS
(Feasibility Study:実行可能性検証)の検討
もしていませんが、地域分散型の発電所を造って、ソルガムを全て
買い上げ、発電して電力会社に電気を売る・・・自然エネルギーと
いう、自然に優しい事業で環境問題にも貢献でき、中山間地域の活
性化はもとより新しい産業モデルになる。そんな意気込みを持って、
これからもっと研究してみたいと思いました。
高山村を視察したその日の夕方、中部電力浜岡原子力発電所(以
下、浜岡原発)の見学に出発しました。新潟県の東京電力柏崎刈羽
原子力発電所は、前職の会社の関係で知っていましたが、浜岡原発
は、今後発生が予測される東海・東南海・南海地震という3つの大
地震の真ん中にある原発ということで、当時の菅直人首相がとにか
く止めてしまった原発です。そうした経過があったこともあり、ぜ
ひ行ってみたいと思っていたところ、長野東ロータリークラブの皆
さんが職場例会で行くという話をお聞きし、忙しい視察日程ではあ
りましたが、公務をなんとか調整して、割り込ませていただきまし
た。
長野新幹線から東海道新幹線こだまに乗り換えて掛川駅で下車。
随分遠くまで来たなあ・・・それにしても、「こだま」に乗ったの
は、最近の記憶では2回ぐらいでしょうか。かなり乗車する機会が
減りました(「こだま」には、今では珍しく喫煙車両が2両あり、
最近肩身の狭い思いをしている愛煙家への、JRのささやかな心配
りがとてもうれしかった・・・)。駅では、中部電力の稲垣透長野
支店長にわざわざお出迎えいただき、そこから原発のある御前崎市
のホテルまでタクシーで40分ぐらい移動し、夜9時ごろホテルに
到着しました。
翌日、ホテルをバスで出発し、浜岡原発到着前に風力発電装置を
視察しました。原発のそばに11基の風力発電装置があり、大きな
風車が回っていて、羽根が風を切ってブーン、ブーンと結構大きな
低い音を出していました(住宅地の近くでは音が問題になるかもし
れません)。1基当たりの建設費は4~6億円で、秒速4~25メ
ートルの風力で発電し、秒速25メートルを超えると危険回避のた
め運転を止めるそうで、稼働率は年間で26.5パーセントとのこ
とでした。後で知った話ですが、風力発電装置1基の年間発電量を、
浜岡原発5号機ではたったの4時間30分で発電することができる
とのことで、自然エネルギーとして風力発電にも期待を寄せていた
私は、ちょっとがっかりしました。
浜岡原発は、広大な敷地に、従業員数約3千人、1~5号機まで
計5つの原子炉があります。1号機は1976(昭和51)年、2
号機は1978(昭和53)年に運転を開始しましたが、2009
(平成21)年に耐震補強に多額の費用が掛かるという理由で運転
を終了し、現在廃炉作業を進めています。また、3、4、5号機は
現在定期検査中ということで発電していませんが、総電気出力は約
360万キロワットだそうです(ちなみに、先ほどの風力発電装置
11基の総電気出力は2万2,000キロワットですから、その差
は歴然です)。
今年7月に政府の原子力規制委員会の決定による新規制基準が施
行されましたが、それ以前から中部電力は自主的に津波対策や炉心
の著しい損傷、使用済み燃料プールに貯蔵する燃料の著しい損傷な
どのシビアアクシデントに対応するための対策工事を進めてきたそ
うです。今回の新規制基準の施行に伴って、今後は新たな基準に照
らして安全対策を実施して、国の審査を受けるそうです。
また地震対策のほか、竜巻対策、火災対策、注水機能強化、電源
機能強化などを行っていくとのことでした。中でも、放射性物質の
放出につながるようなこと、および影響緩和対策などには力を入れ
ているそうです。新規制基準の中には、意図的な航空機衝突(たぶ
んテロ対策でしょうが)などもあって、正直びっくりです。
まあ、専門的なことは私もよく分かっていませんから、このぐら
いにしますが、二重、三重の安全対策どころか、六重、七重の対策
に取り組んでおられ、すごいことだなあと感じました。これが、私
の一番の感想です。
規制委員会の新規制基準をクリアしないと3、4、5号機の運転
許可が出ないとのことです。運転再開に向け、多くの専門家が英知
を絞っていることですから、私のような素人は、その人たちの知識
と中部電力のノウハウ、そして国内外の意見、情報などを総合して
お聞きする以外、正直言って口をはさむ余地はないなあと感じまし
た。
今回の視察とは違いますが、原子力発電が必要かどうかについて、
意見を言わせていただきます。
少し前まで、二酸化炭素の増加が大問題と喧伝(けんでん)され
ていました。地球温暖化がいろいろな問題を引き起こしていること
は、事実でしょう。限界がある石油などの地下資源の大量消費も大
きな問題です。
ドイツでは原発を全廃するとの話です。しかしドイツは、原発大
国フランスと地続きであり、原発でつくられた電気をフランスから
分けてもらえる環境にあります。日本は島国ですから、電気の輸入
は無理でしょう。
自然エネルギーによる発電方法はいろいろあります。いろいろお
聞きしてみると、風力は上述のとおりですし、地熱発電、水力発電、
潮力発電、バイオマス発電のほか、まだまだありそうですが、いず
れも日本の電力を安定的に賄うには無理があるようです。一番古く
から実績がある水力発電も、条件の良い主な場所は開発され尽くし
ているとの話ですし、温暖化を気にしなければ、石油、石炭そして
天然ガスが安定したエネルギーとしては優れているということでし
ょう。
結局、石油、石炭ぐらいしかないのが、現段階での日本のエネル
ギー事情ではないかと思います。エネルギーの無い社会は日本では
考えらません。原発反対は理念としては分かりますが・・・現段階
では全廃は無理と判断し、原発は必要という意見があることも理解
できます。いずれにしても、将来の持続可能な社会を目指したバラ
ンスのとれたエネルギー政策の構築に向けた議論は、まだ尽くされ
ていないことが一番の問題だと私は思います。
自然エネルギー開発を一生懸命やって、そこで生まれるエネルギ
ー分だけ原発をやめる・・・というのが、せめてものことではない
でしょうか。
現在、原子力発電の技術は、世界中で日本の技術が最高のようで
す。福島第一原発の事故を教訓にして、絶対に事故が起こらない、
そしてどんな小さなトラブルにも素早く対応し、終息できる技術力
を付けることが一番大切なことでしょう。
2013年10月17日木曜日
大きな流れ
主に高度経済成長期に整備された数多くの公共施設が耐用年数を
迎え老朽化し、今後膨大な維持費や更新費用が見込まれることが、
深刻な社会問題となっています。持続可能な社会を維持するために
は、まずは今ある公共施設の規模や建設年度、利用者数や維持管理
コストなど全ての状況を洗い出すことが必要であると考え、長野市
では約1年かけて担当課が苦労してまとめ上げ、このたび発表しま
した。
もちろん、かなり前から元気なまちづくり市民会議などでは「公
共施設白書を準備している。これが今後の市政をどうすべきかの大
きな材料になるであろう」ということは、PRさせていただいてい
ましたが、それがようやくまとまったということです。
ただし白書ですから、実態がどうなっているかを正確に皆さんに
お知らせするもので、そうした公共施設を「今後どうするべきか」
はこれからの問題です。行政もあらゆる状況を想定して検討してい
きますが、市民の皆さんにもこの白書を基に研究していただきたい。
将来の公共施設がどうあるべきかをみんなで考えて、その時代に最
も適した計画を作ることが重要です。「永遠に持続可能な都市・長
野市」を目指すことは当たり前の話です。具体的な目標を立ててい
くにはどうすべきか。これは、市民の皆さんと行政が一緒に考え、
国、県、そして民間事業者の動向などを踏まえ、議論すべきことと
考えています。
先の大戦で、東京などが焼け野原となった日本は、戦後、国民が
一生懸命働いて、今の豊かな日本をつくりました。その一つの象徴
が、1964(昭和39)年の東京オリンピックではなかったかな
と思います。高度経済成長の時代、豊かさを求めていろいろな投資
をし、グローバル社会に近づいてきました。長かった1ドル360
円の時代がニクソン・ショックで終わり、為替はフロート(変動相
場制)の時代に入りました。その後、石油ショック、低成長時代な
ど、苦しかったこともありましたが、日本人の英知は幾多の難局を
克服して、現在の社会を築いてきたのだと思います。
しかし、2年前の東日本大震災では、自然の猛威に人々は震撼し、
あまりにも大きな災害に呆然(ぼうぜん)としたことは事実です。
特に地震、津波の恐ろしさもさることながら、原子力発電所事故に
よる被害、そして汚染水の流出が大きな問題になってきました。
復興が動き始めるまで、かなりの時間がかかったように思います。
汚染水問題はまだ行方が見えないのですが、一日も早く解決できる
ことを祈るばかりです。
莫大(ばくだい)な復興予算が決まりましたが、その財源措置と
して公務員の給料減額にも手を付けるなど、国があらゆる節約をす
ることは、ある意味、仕方なかったと思います。公共工事などへの
投資もかなり制限されるのではないか・・・。新市民会館・新市役
所第一庁舎、サッカーJ1基準を満たす南長野運動公園総合球技場、
建物の耐震化など、将来の長野市の骨格を形成する10の大規模プ
ロジェクトの帰趨(きすう)を心配した時もありましたが、絶対に
大丈夫と信じていました。
そうした中、ある方からこんな話がありました。「今、市民会館
や市役所の建て替えを止めると、あなたは『名市長』と言われるよ
!」・・・名市長と言われることの誘惑は魅力的でしたが、しかし
考えてみれば、これは国のシステムを理解していない暴論でした。
以前、建設が始まったダムを止めた知事さんがいましたが、その予
算は結局周辺の県に回され、他県に喜ばれただけだった・・・とい
うことがありました(その後知事が代わって、結局ダムは造られて
います。時間の浪費と、その間住民を危険にさらしていたこと以外
の何物でもなかったということでしょう)。
偶然ですが、政権が代わって、アベノミクスというすごい政策が
出てきたことは、大きな投資案件を持っていた長野市にとってはラ
ッキーでした。まさに追い風だったと思います。
確かに国の政策とすれば、2通りの考えがあると思います。
一つは、東日本大震災という大災害があったのだから、その復興
に全力を挙げるべきで、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは!」
のように、「欲しがりません、復興が終わるまでは」という倹約志
向の選択もあったはずです。経済は、縮少傾向となるわけですが・
・・。
もう一つは、積極的に投資を行って、大きな「成長戦略」の中で
復興施策を実行していく・・・。
どちらが良いのか素人の私には分かりませんが、アベノミクスの
三本の矢(異次元の金融緩和政策・機動的な財政政策・成長戦略)
の現段階までの成果を見ていると、今のところ間違ってはいないと
感じています。
故夏目忠雄先生が参議院議員になられてしばらくのころ、日本
(福田赳夫内閣の時代)は、赤字国債発行に踏み切りました。その
時夏目先生は、「赤字国債の半分ぐらいは、いずれ返済しなくては
ならない。残り半分は申し訳ないがインフレで帳消しにしたい」と
おっしゃっていたことを思い出します。今考えれば、現実とかけ離
れた理想論(失礼)のような気もしますが・・・実体経済を考えて
おられた意見だったと思います。それがグローバルスタンダードだ
とか、金融工学なんて訳の分からない理屈が横行してきてしまいま
した。「お金をおもちゃにすることが善である」のでしょうか?実
体経済に基づかない金融の動き・・・私の素朴な疑問です。
私の言っていることが、整合性が取れていないことは承知してい
ます。ただ、「景気」が一番重要だということは多くの国民が認め
ているのですから、その流れに乗ることが重要ですよね。文藝春秋
に、塩野七生さんがイタリアの経済状況について幾度か書かれてい
ますが、特にこの11月号の文章を読んで、景気が縮小してしまっ
たイタリアの悲惨な実態を知ると、経済政策はとても重要だなあと
痛感させられます。名市長と言われることは諦めましょう。
私が市長選に初めて立候補したとき、尊敬する人の名前を挙げよ
ということで「正受(しょうじゅ)老人」を挙げさせていただきま
した。飯山市に今もある寺院「正受庵」の江戸時代の庵主様で、松
代藩の藩主の流れをくむ方だとの説もありますが、よく分からない
のだそうです。
長野市の何代か前の教育長の中村博二先生が書かれた「正受老人
とその周辺」(信濃教育会出版部)という本。難しくて理解はでき
ませんでしたが、一つだけ「なるほど」と記憶している言葉があり
ます。「没足跡」・・・「もっしょうせき」と読むのだそうですが、
自分の一生の中で歩んできたこと、自分の足跡を消すという意味の
言葉です。
正受老人は禅宗のお坊さんで、弟子には宗覚(そうかく)や白隠
(はくいん)など有名な禅のお坊さんがいるのだそうですが、没足
跡というご本人の考えのためか、正受老人にまつわる正確なことは
何も残っていないのだそうです。
人間誰しも、死んでしまったら何も残らないことに対する恐れは
あるものでしょう。しかし、この正受老人の発想は見習いたい・・
・と思っています。
2013年10月10日木曜日
行政における真の手法
明されました。私は、一昨年まで長野県庁で働いており、県職員時
代から鷲澤市長とはたびたびお会いさせていただいておりました。
ちょうど田中康夫元知事時代の平成13年11月に鷲澤市政は誕
生したのですが、その頃私は、総務部財政課、廃棄物監視指導室、
そして1年間の民間研修、南信の福祉施設勤務をしていたので、ほ
とんど市長とは接点がありませんでした。
やがて村井仁前知事の時代に変わり、財政課長の時に初めて鷲澤
市長とサシでお話をさせていただきました。当時、当初予算編成の
中で、市町村向けの要求が膨らみ、他の財源を振り向けざるを得な
い状況でした。そこで当時県の市長会会長を務めておられた鷲澤長
野市長を訪ね、膨らんだ市町村向けの要求と、財源対策として考え
られる既存事業の主なものを示し、「どれを切ったら良いか、ご意
見を聞かせてください」と一人で直談判しました。すると市長は、
示した資料をご覧になり、たった一言「元気づくり支援金だけは市
町村のシンボルだから削るのはやめてくれ」とおっしゃいました。
実は、事業費10億円、オール一般財源の元気づくり支援金は、財
政課にとっては今まで切りたくても切れなかった事業だったのです。
結局は、別の手法で財源手当てはしたのですが、当時の判断の早さ
と感度の良さ(失礼!)には感心したものです。帰り際、市長は私
に「県の財政課長で直接来てくれて私の話を聞いてくれたのは、あ
んただけだよ」と言われたのを今でも覚えています。
その後、商工労働部長を2年間務めましたが、おかげで経済団体
との会合などで、たびたび席をご一緒させていただきました。ちょ
っと失礼かもしれませんが、市長と私の共通項は「酒とタバコ」で
す。懇親会などでは、たびたび市長が私の席の隣に来られ、「やー、
タバコを吸うあんたが居るんで助かるよ」とおっしゃり、しばらく
談笑して、再び酒、タバコ。
商工労働部長のあとで就いた企画部長の時に、ある人を介して長
野市の副市長へと誘われたのは、きっと経験とか能力ではなく、「
酒」と「タバコ」が理由だったのではないかと今、気付き始めまし
た。
その長野市に来ていまだ一年半、市政全てを理解した訳ではない
ので、こんなことを言うのはちょっとおこがましいのですが、まず
感じたのは、他の多くの市町村や長野県に比べて、財政状況が良い
なということ。例えば、職員の退職手当の財源。退職手当のための
基金、つまり貯金なんて夢のまた夢かと思っていました。退職手当
債という借金を充てるのが当たり前と思っていたのに、長野市には
基金がありました(もっとも、市長は正直なので、「実は借金で払
う方法があるなんて途中まで知らなかったんだ」と私に白状してく
れましたが・・・これは秘密です)。鷲澤市長の一番の功績は、オ
リンピック開催で苦しくなった市財政を立て直したことだと確信し
ています。それ故、市長は何遍も新たな事業に「少し金を使わせろ」
とおっしゃいましたが、私はにべもなく「ダメです」とその都度お
断りをしました。今となっては若干後悔しています。
また、大規模プロジェクトがめじろ押しでしたが、そのような施
設建設についても考えさせられました。県庁時代、県庁屋上の喫煙
場所で、ある元市長さんと話をしたことがあります。元市長さんい
わく、「俺は市の文化施設を造るに当たって、1、2年かけて、み
っちり市民と話し合いをした。その結果、できた施設に対し批判や
不満は出てこなかった」と。住民意見を聴くという手順を、どの段
階でどの程度とるか、いわゆる行政を進める上での手順、手続きの
問題です。手続きなんかどうでもいいと言う方もいますが、私は手
続きは、ある意味行政の命だと考えています。例えば、施設(ハコ
モノ)造りにおいても住民の意見を聴くことは欠かせませんが、そ
のパターンとして2通りあるのではないでしょうか。(1)元市長
のように、先にみっちり住民意見を聴いて基本構想など、次のステ
ップへ進むやり方。これは市民の満足度は上がるでしょうが、スピ
ード感に欠けます。次に、(2)まず行政から基本を示し、後に住
民意見を聴くやり方。これは、人によっては行政の押し付けだとと
らえる人も出てくるでしょう。一方で、スケジュール感を持って仕
事が進みます。
どちらが良いかは一概には言えませんが、長野市の大型プロジェ
クトの中には(2)のパターンが多いと感じました。それは、おそ
らく、「期限」という大きな課題があって、スケジュール感を持っ
て事業を進める必要があったからだと考えています。例えば、新市
役所第一庁舎・新長野市民会館建設はその主要財源である合併特例
債の発行「期限」、南長野運動公園総合球技場整備はAC長野パル
セイロのJ2昇格の早期実現という「期限」、長野駅善光寺口駅前
広場整備や中央通り歩行者優先道路化は平成27年の新幹線延伸、
善光寺御開帳という「期限」がそれぞれあります(その上で、事業
の必要性はもちろんのこと、中身を市民や議会に示し、意見を十分
お聴きして反映しているのは当然です)。
こういった背景を考えると、今般の大型施設整備についてその手
法を鷲澤市政の「姿勢」という人もいますが、むしろさまざまな状
況や条件を勘案した鷲澤市政の「事情」と言った方が良いかもしれ
ません。
長野市政のかじとりは、決して簡単なことではなかったと思いま
す。やはり、鷲澤市長であったからこそ、厳しい財政状況でスター
トしたにもかかわらず、これまで12年間にわたって長野市がここ
まで発展することができましたし、また「エポックイヤー」として
の平成27年、そしてそれ以後への道筋ができたことは、紛れもな
い事実です。
鷲澤市長には、3期12年にわたり市長職をお務めいただき、本
当にお疲れさまでしたと申し上げたいと思います。私は1年7カ月
という短い間ですが、さまざまなご指導をいただきました。誠にあ
りがとうございました。土日を問わずの公務スケジュールが、さぞ
かし激務であったことは想像に難くありません。今後は、趣味のス
キーなどを存分に楽しんでいただきながら、奥様をいたわり、さら
なる発展を遂げるべく長野市政への温かいご指導をよろしくお願い
いたします。
2013年10月3日木曜日
乗馬の魅力
飯綱・戸隠高原は、冬はスキーに、夏はハイキングやキャンプに
と、近くて気軽に行ける高原として、特に市民の皆さんに人気です。
そしてそこに、本州随一といわれるミズバショウの群生地として有
名な奥裾花自然園があり、鬼女紅葉などの「伝説の里」としても知
られる鬼無里地区を加え、各地区がお互いの持つ魅力を高め、連携
し合い、観光振興と中山間地域の活性化を目指す「いいときエリア
構想」(3地区のそれぞれの頭文字を取ったもので、名付け親は私
です)を進めてきました。そこに、新たな魅力として「乗馬」を加
えようということは、以前から考えてきたことです。
その「乗馬」が、今回素晴らしいチャンスに恵まれ、大きな一歩
を踏み出しました。先月21~23日、飯綱・戸隠高原一帯で「第
14回全日本エンデュランス馬術大会2013」を開催することが
できたのです。この大会は、2000(平成12)年から始まり、
これまで2008(平成20)年に山梨県で開催された以外はすべ
て北海道で開催されていましたが、ぜひ長野市でも開催し、両高原
の素晴らしさを広くアピールしたいという皆さんの熱意がようやく
実り、「招致」が実現したわけで、画期的なことです。
大会では、制限時間12時間の120キロメートルと8時間の
80キロメートルの2種目が行われ、県内からの2組を含む23組
が出場しました。
エンデュランス競技は、「馬のマラソン」とも言われますが、人
間のマラソン大会のように単に早くゴールした者が勝ちというもの
ではありません。人馬ともに元気に走り抜くことが必要で、良いコ
ンディションで完走することに重きが置かれています。
コースは、レグ(またはフェイズ)という複数の区間に分けられ、
各レグを走り終えた後には獣医師による検査があります。馬のけが
や心拍数、脱水状況などを検査し、問題がなければ決められた休養
後、次のレグに進みます。検査の結果、馬のコンディションが悪い
と判断されれば失格となります。そして、制限時間内にゴールした
組のうち、コンディションが良好と判断された組が残り、タイム順
に順位が決定します。
この競技のもう一つの特徴は、実際にコースを走る選手と馬以外
に、馬の体調管理を行うクルーと呼ばれるサポートスタッフの存在
がとても重要だということです。各レグ後の休養時間の時はもちろ
んのこと、クルーポイントでは、先回りをして選手と馬を迎え、馬
に水を飲ませたりして、馬の体調管理に努めます。
選手と馬、そしてサポートスタッフが一丸となって、優勝を目指
すのです。
今回の優勝者は、120キロメートルは東京の谷邦彦さんで、2
位を約1時間離して断トツの強さだったそうです。80キロメート
ルは山梨の榊原あかねさんでした。
なお、6月に開催されたプレ大会の60キロメートル競技で優勝
した飯綱高原乗馬倶楽部の宮澤建治さんは、長野市の顧問弁護士を
お務めいただいている私の仲間ですが、今回は残念ながら欠場との
ことでした。理由を聞いてみたら、なんと大会前に「馬が筋肉痛」
になってしまったとか。馬の筋肉痛・・・?ちょっと意外でしたが、
馬のコンディションをいかに良好に保つかが重要ということなので
しょう。結局馬を代えて、全日本選手権大会ではなく、同時開催の
「秋季いいとき乗馬エンデュランス馬術大会2013」の20キロ
メートル競技(40キロメートル競技も同時に開催されました)に
出場され、完走されたということでした。
全日本選手権に比べれば、いいとき乗馬大会は短い距離です。競
技の経験がなくても、ある程度練習すれば参加できるのではないで
しょうか。皆さんもチャレンジしてみませんか。
全日本クラスの馬術大会は、県内でも初めての開催でした。まだ
まだ長野市においては馬術競技の歴史が浅いので、全日本選手権と
いうのは無理かなあと思っていたのですが、飯綱地区の皆さんの献
身的な努力で見事な成功を収めることができました。
皆さんからは、次回はぜひ私にも出場するようにと勧められまし
たが・・・。ようやく馬に乗れる時間もできそうなので、なんとな
く挑戦したい気も湧いてきたような、こないような・・・。大好き
なスキーを、思う存分楽しむための夏場のトレーニングも兼ねて
「ちょっとやってみようかな」と思い始めていますが・・・まあ、
無理でしょう。
参加された選手の皆さんの声をお聞きすると、エンデュランス競
技は、だいたいが人のいない山の中のコースを走るので寂しいもの
だそうですが、今回のコースでは、観光客などたくさんの人が応援
してくれて、とても良いコースだったとおっしゃっていました。う
れしい評価でした。
馬の話を続けます。例年10月に開催される松代藩真田十万石ま
つりでの武者行列では、立派な鎧(よろい)の武者姿で騎乗させて
いただき、多くの思い出ができました。しかし、松代城の正門が復
元された2004(平成16)年の武者行列の前日夕方、信更地区
安庭で国道19号が台風などによる大雨で崩落して、飲食店舗とそ
の店主宅、そして野外彫刻「長野市の門」の一つ「ARC(アーク)
OF NAGANO」が流された時には行列に参加できませんで
した。この時ばかりは馬に乗っているわけにはいかないと、行列の
出発前にあいさつだけさせていただき、現場に駆け付けたことを覚
えています(確かもう一度だけ、別の公務と重なり参加できなかっ
た年がありました)。
なお、被害に遭った野外彫刻は長野国道事務所のおかげで再建さ
れ、飲食店も国道19号長野南バイパス沿いに移転新築されました。
初めて馬上から見る松代のまちの景色に感動したこと。2007
(平成19)年の行列は、NHK大河ドラマ「風林火山」の放映の
影響で約10万人という大変な人出であったこと。アメリカ・クリ
アウォーター市との姉妹都市提携50周年の2009(平成21)
年、行列に特別参加されたフランク・ヒバード前市長さんをはじめ
とした訪問団の皆さんが、市民の皆さんと何度もハイタッチを交し
ていた時の最高の笑顔。そして「カチューシャの唄知音都市」の仲
間である中野市、島根県浜田市、新潟県糸魚川市の皆さんとの交流
など、とても思い出深いものでした。思い起こせば、例年天気にも
恵まれ、秋晴れの穏やかな青空の下で大勢の皆さんに声を掛けられ、
手を振っていただきながら、情緒深い松代の城下町で過ごす秋の一
日はとても楽しかった。武者行列には、故青木一(はじめ)中野市
長さんも参加していただいたこともありましたが・・・先ほどのヒ
バード市長さん同様、お二人とも立派な体格の方で、馬がかわいそ
うに見えたことも懐かしい思い出です。
今年の真田十万石行列は、来週13日に開催されます。私は、歴
女に一番人気だといわれる真田幸村役に扮(ふん)して、市職員が
扮する真田十勇士を従えての行列とのことです。合戦太鼓や槍(や
り)振り隊のパフォーマンスはいつものこと、勇壮な雰囲気を出し
てもらえると思います。
ただ私としては、信州松代のお殿様は真田信之公だというこだわ
りがありますので、できれば信之役がよかったなあと、ちょっとわ
がままを言いたかったのですが・・・。当の信之役は、本家本元の
真田家14代当主真田幸俊さんが務められると聞いて、納得した次
第です。
「天高く、馬肥ゆる秋」。今回のかじとり通信は、これからの長
野市の新たな魅力の一つになるであろう「馬」をテーマに書かせて
いただきました。