長野市公共施設白書がまとまりました。
主に高度経済成長期に整備された数多くの公共施設が耐用年数を
迎え老朽化し、今後膨大な維持費や更新費用が見込まれることが、
深刻な社会問題となっています。持続可能な社会を維持するために
は、まずは今ある公共施設の規模や建設年度、利用者数や維持管理
コストなど全ての状況を洗い出すことが必要であると考え、長野市
では約1年かけて担当課が苦労してまとめ上げ、このたび発表しま
した。
もちろん、かなり前から元気なまちづくり市民会議などでは「公
共施設白書を準備している。これが今後の市政をどうすべきかの大
きな材料になるであろう」ということは、PRさせていただいてい
ましたが、それがようやくまとまったということです。
ただし白書ですから、実態がどうなっているかを正確に皆さんに
お知らせするもので、そうした公共施設を「今後どうするべきか」
はこれからの問題です。行政もあらゆる状況を想定して検討してい
きますが、市民の皆さんにもこの白書を基に研究していただきたい。
将来の公共施設がどうあるべきかをみんなで考えて、その時代に最
も適した計画を作ることが重要です。「永遠に持続可能な都市・長
野市」を目指すことは当たり前の話です。具体的な目標を立ててい
くにはどうすべきか。これは、市民の皆さんと行政が一緒に考え、
国、県、そして民間事業者の動向などを踏まえ、議論すべきことと
考えています。
先の大戦で、東京などが焼け野原となった日本は、戦後、国民が
一生懸命働いて、今の豊かな日本をつくりました。その一つの象徴
が、1964(昭和39)年の東京オリンピックではなかったかな
と思います。高度経済成長の時代、豊かさを求めていろいろな投資
をし、グローバル社会に近づいてきました。長かった1ドル360
円の時代がニクソン・ショックで終わり、為替はフロート(変動相
場制)の時代に入りました。その後、石油ショック、低成長時代な
ど、苦しかったこともありましたが、日本人の英知は幾多の難局を
克服して、現在の社会を築いてきたのだと思います。
しかし、2年前の東日本大震災では、自然の猛威に人々は震撼し、
あまりにも大きな災害に呆然(ぼうぜん)としたことは事実です。
特に地震、津波の恐ろしさもさることながら、原子力発電所事故に
よる被害、そして汚染水の流出が大きな問題になってきました。
復興が動き始めるまで、かなりの時間がかかったように思います。
汚染水問題はまだ行方が見えないのですが、一日も早く解決できる
ことを祈るばかりです。
莫大(ばくだい)な復興予算が決まりましたが、その財源措置と
して公務員の給料減額にも手を付けるなど、国があらゆる節約をす
ることは、ある意味、仕方なかったと思います。公共工事などへの
投資もかなり制限されるのではないか・・・。新市民会館・新市役
所第一庁舎、サッカーJ1基準を満たす南長野運動公園総合球技場、
建物の耐震化など、将来の長野市の骨格を形成する10の大規模プ
ロジェクトの帰趨(きすう)を心配した時もありましたが、絶対に
大丈夫と信じていました。
そうした中、ある方からこんな話がありました。「今、市民会館
や市役所の建て替えを止めると、あなたは『名市長』と言われるよ
!」・・・名市長と言われることの誘惑は魅力的でしたが、しかし
考えてみれば、これは国のシステムを理解していない暴論でした。
以前、建設が始まったダムを止めた知事さんがいましたが、その予
算は結局周辺の県に回され、他県に喜ばれただけだった・・・とい
うことがありました(その後知事が代わって、結局ダムは造られて
います。時間の浪費と、その間住民を危険にさらしていたこと以外
の何物でもなかったということでしょう)。
偶然ですが、政権が代わって、アベノミクスというすごい政策が
出てきたことは、大きな投資案件を持っていた長野市にとってはラ
ッキーでした。まさに追い風だったと思います。
確かに国の政策とすれば、2通りの考えがあると思います。
一つは、東日本大震災という大災害があったのだから、その復興
に全力を挙げるべきで、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは!」
のように、「欲しがりません、復興が終わるまでは」という倹約志
向の選択もあったはずです。経済は、縮少傾向となるわけですが・
・・。
もう一つは、積極的に投資を行って、大きな「成長戦略」の中で
復興施策を実行していく・・・。
どちらが良いのか素人の私には分かりませんが、アベノミクスの
三本の矢(異次元の金融緩和政策・機動的な財政政策・成長戦略)
の現段階までの成果を見ていると、今のところ間違ってはいないと
感じています。
故夏目忠雄先生が参議院議員になられてしばらくのころ、日本
(福田赳夫内閣の時代)は、赤字国債発行に踏み切りました。その
時夏目先生は、「赤字国債の半分ぐらいは、いずれ返済しなくては
ならない。残り半分は申し訳ないがインフレで帳消しにしたい」と
おっしゃっていたことを思い出します。今考えれば、現実とかけ離
れた理想論(失礼)のような気もしますが・・・実体経済を考えて
おられた意見だったと思います。それがグローバルスタンダードだ
とか、金融工学なんて訳の分からない理屈が横行してきてしまいま
した。「お金をおもちゃにすることが善である」のでしょうか?実
体経済に基づかない金融の動き・・・私の素朴な疑問です。
私の言っていることが、整合性が取れていないことは承知してい
ます。ただ、「景気」が一番重要だということは多くの国民が認め
ているのですから、その流れに乗ることが重要ですよね。文藝春秋
に、塩野七生さんがイタリアの経済状況について幾度か書かれてい
ますが、特にこの11月号の文章を読んで、景気が縮小してしまっ
たイタリアの悲惨な実態を知ると、経済政策はとても重要だなあと
痛感させられます。名市長と言われることは諦めましょう。
私が市長選に初めて立候補したとき、尊敬する人の名前を挙げよ
ということで「正受(しょうじゅ)老人」を挙げさせていただきま
した。飯山市に今もある寺院「正受庵」の江戸時代の庵主様で、松
代藩の藩主の流れをくむ方だとの説もありますが、よく分からない
のだそうです。
長野市の何代か前の教育長の中村博二先生が書かれた「正受老人
とその周辺」(信濃教育会出版部)という本。難しくて理解はでき
ませんでしたが、一つだけ「なるほど」と記憶している言葉があり
ます。「没足跡」・・・「もっしょうせき」と読むのだそうですが、
自分の一生の中で歩んできたこと、自分の足跡を消すという意味の
言葉です。
正受老人は禅宗のお坊さんで、弟子には宗覚(そうかく)や白隠
(はくいん)など有名な禅のお坊さんがいるのだそうですが、没足
跡というご本人の考えのためか、正受老人にまつわる正確なことは
何も残っていないのだそうです。
人間誰しも、死んでしまったら何も残らないことに対する恐れは
あるものでしょう。しかし、この正受老人の発想は見習いたい・・
・と思っています。