2014年10月10日金曜日

徒然の記 №37 合理性


私たちの社会では、合理性というのは、凄く大切です。

ただこの合理性という言葉の意味が、必ずしも同じではないなあ・・・年をとったせいか、最近痛感しています。一面からみれば合理的で、当然と思われることも、もう片方からみれば、不合理だと思われること、沢山ありますよね。

 国営賭博である宝くじを考えてみても、国民から等しく搾取しているだけですから、国家の富は増えていないことは事実でしょう。運の良い何人かの人は儲かっているけれど、多くの国民は無駄をやっている・・・・でもその無駄を楽しんでいる、夢をみている・・・でも合理的とはどうみても考えられない・・・(大いに儲けている人が税金を払わされているという話、最近知ってびっくりですが、ぜひそんな身分になってみたいことも事実です。)

 無駄な努力といっても、宝くじで何億円も獲得しようという努力も、ルーレットで大金を稼ごうという努力、麻雀で稼ごう・・・博打の相手が、国家なのか、仲間なのか、胴元なのか、といった違いはありますが、まあ国家を相手にするのが、安全でしょうし、良心の痛みをかんじないことが、大切です。

 博打とは、結局、確率の問題でしょう・・・必勝法なるものは、不正をしない限り、ありっこない。でもやりたい!! あのスリルは何物にも代え難いと昔外国の賭博場で感じたことがあります。ヨーロッパだけでなく、アメリカ、アジア、世界中にある、日本だって、宝くじ、競輪。競馬、競艇、パチンコ、スマートボール、日本は世界一のギャンブル大国なんだそうです。オリンピック招致でイギリスのバーミンガムに行った時も、友人に誘われて賭博場に行った思い出があります。

 政治家を志し、選挙に打って出るのも、合理的でしょうか????これは不謹慎といわれそうだから、一言で止めます。

 私の会社の東京の社員で、昭和40年代に宝くじで、500万円以上の大口の賞金があたった人がいました。彼はそのお金を頭金にして、ワンルームマンションを購入、それを他人に貸して家賃稼ぎをし、本人は会社の寮にはいって、つましく生活をしていました。順調に返済が進んでいたのでしょう、彼はもう一室、ローンを組んで購入しました。

ところが昭和48年、第一次オイルショックが発生・・・借家人は二人とも出てしまい、空き室になってしまいました。結末は申し上げませんが、気の毒な話でした。ただあぶく銭が入らなかったら、手堅く、合理的な、生活設計をしていたのかもしれませんね・・・

 博打は私も大好きですが、あくまで楽しみです。勝てないことを基本において、100回に一回ぐらいは、勝つかもしれないことを、楽しむだけにしておきましょう。

勿論、賭博場で、儲かっている人を、何人もみています。が、私みたいに長く楽しんでは駄目ですね

 博打は論外ですが・・・アイデイアを求めて、生産的と思われる努力を、することは、必要なことです。言葉を変えれば損をする可能性があっても、可能性を信じて頑張る・工夫をすることは大切な時代なのです。

繰り返しになりますが、個人も社会も、アイデイアを生かして頑張ることが、何となく閉そく感の漂う社会では、重要になってきているように思います。

 でも合理性の追求だけで、人間社会が幸せになるでしょうか。人間社会は全て良いこともあれば、まずいこともある。裏腹です。