いまになって、街づくりを一生懸命やっても、街中は、シャッター通りは増える一方で、これも随分無駄をやっているような気がしています。(私は昭和40年代、日本の都市計画で工業団地を作ったのは正解だが、住宅団地を、街から分離して造成したことは、間違っている。都市は、本来「混在した町並」が必要なのだ、と随分主張したことがあります。確かに日照権問題とか騒音問題はあったと思いますし、どちらが良かったのかは、わかりませんが、無味乾燥な町並は避けられたのかもしれません。いずれにしろ大きな意味での国家戦略に抵抗することは、個人の場面では難しいと思います。)
統合することによって、効率がよくなることは多いと思います。
日本も市町村合併が、平成の大合併ということでしょうか、かなりの市町村で合併がすすみました。私も市長としてその片棒を担いだ一員ではありますが、長い目で見た場合、それでよかったかどうかわかりません。当初私は合併ではなくて「連邦都市」という発想を打ち出しましたが、中途半端で実現はしませんでした。(実際の合併は、豊野町、戸隠村、鬼無里村、大岡村、信州新町、中条村と長野市の7市町村でした)国家の流れが合併に向かって流れていましたから、私の主張は犬の遠吠えにすぎなかったわけですが、その後、広域連合の中に、市町村だけでなく、県の地方事務所をいれるべきだという主張を繰り返しました。これは法的には可能なはずで、全体の分離・統合への一里塚になると思っていました。)
全体を統合しながら、それぞれの地域が独自性を発揮する・・・、矛盾したテーマではありますが、これをどう実現するか、地方自治の最大のテーマだと思っています。大いなる政治力が必要でしょう・・・。前向きな主張、そして自由な言論を担保するシステム、それには一定の価値観の共有が必要です。格差是正も行きすぎてはなりませんが、重要な要素です。
社会の進歩はどうなるか・・・、社会は幸福に向かって歩いているのか。
信じられない犯罪が起きている、その流れかどうかわかりませんが、道州制の議論がはじまってきています。一方小さな町村は人口減少で、どんどん消えていく運命にある。
談合問題、大手ゼネコンの出鱈目は許せませんが・・・、ただ談合はいけない、と言うだけでは、問題は解決しないように思います。話し合いと談合はどこが違うのか、下請け企業は、商売上、案外伸び代があって良かったということも言われていますし、社員教育もやれたし、倒産しないように救ってくれるゼネコンもあった・・・。あまりにも建設関係をいじめすぎた為に、東北大震災や東京オリンピックの決定で、人手不足、資材不足、が顕著になってきている。
人口減時代、グローバル社会の進展・・・、中小企業の倒産問題、社会は合理的になってはいるのでしょうが・・・、無駄を省くことは正義なのでしょうが、社会は幸せになっているのでしょうか。ゆとり、余裕がほしいなあ・・・。
銀行の対応も昔とは随分違うなあと感じています。冷たいと感じるのは、私だけではないでしょう・・・。昔は、借金を申し込む場合。営業部で相談し、審査部で油を絞られ、また営業部門で詳細な話をする・・・。銀行の部門の中で一番力があったのは、審査部だった、今は格付け会社が一番のパワーなんでしょう。その分審査部門は、手を抜いて、格付け会社の判断になっているのではないか・・・、一番楽でしょうね・・・。
無駄をなくす・・・中央通りがシャッター通りになる。
道州制の論議が出てくる・・・。
現在の社会が経験した最大の統合は、EUではないでしょうか。二度の世界大戦を経験したヨーロッパ社会が二度と戦争をしない為に、EECヨーロッパ経済統合に踏み出し、ECに、EUと発展統合がすすみ、いずれは一つの国家にしようとしておられるのか。
ギリシア問題とかイタリア、スペイン、ポルトガルというラテン系の国々は紆余曲折がありますが、世界を統合して、戦争の無い社会を目指そうという潮流は、かなり有効な施策だったように思いますが、民族に違い、経済力の違い、気質の違い、常識の違い、宗教の違いなどで、一本道には進まないようですよね。
でも問題は逆の方向へ動いているようにも見えてしまうこともありますよね・・・。
無駄が必要な社会もありそうです。