23日の夜、恒例の第97回長野えびす講煙火大会が盛大に行わ
れました。今年は例年に比べ大変暖かくて天気もよく、絶好のコン
ディションで、素晴らしい花火を満喫しました。
えびす講は岩石町にある西宮神社のお祭りで、毎年11月19日
が宵恵比寿ということで、20日に行われているものです。そして
花火はその協賛ということでしょうか、あるいは農業が主要産業で
あった時代、収穫祭的な意味もあって商店の客寄せの行事として、
毎年11月20日の夜に行われてきました。
「花火は暑いときのもの、11月は寒くて駄目だ」という意見は
随分ありましたが、伝統の行事であり、そしてこの時期は空が澄ん
できれいに見えるとか、夏の最盛期よりこの時期の開催は花火師に
とっても閑な時期なので、価格の割に盛大な花火を打ち上げられる
といった現実的な話もあり、花火の時期としては異例に属するかも
知れませんが、実際年々盛大になってきており、この時期の開催は
定着しているといえるでしょう。
この花火大会では、花火師が新作花火の腕を競う「全国十号玉新
作花火コンテスト」も同時に開催されており、今年で11回目を迎
えました。翌年の新作花火をいち早く見ることができるということ
で、こちらも好評をいただいているということです。
毎回、花火打ち上げ現場の丹波島橋近辺の車が大変混雑するのが
悩みだったのですが、ある年11月20日がたまたま日曜日だった
とき、付近の車の流れがとても良かったので、それなら固定的に休
みになるその近辺ということで、23日(勤労感謝の日)に固定さ
れたわけです。
いずれにしろ大変寒い日が多く、雪が降ったときもありました。
でもあの寒さの中、多くの市民が集まりますし、最近は遠来のお客
さんも増えているとのことで、抽選会等の花火以外のイベントも行
われ、露天の屋台もたくさん出店するようになって、賑やかになっ
ています。また、すぐそばの「サンライフ長野」の一室では、毎年
米寿のお年寄りを招待するイベントも行われています。INCがTV
中継するようになったことも、有り難いことです。
(過去の歴史のなかで)
ちょっと私的なことで申し訳ないのですが、私の祖父鷲澤平六は
この花火の打ち上げに熱心に取り組んだ人だったようです。祖父が
昭和4年に亡くなった後、長野商工懇話会(長野商工会議所の別働隊)
が作ってくださった「鷲澤平六翁」という本がありますが、その中
に祖父の言葉として、こんなくだりがあります。
「東京から、名題の大芝居を招いて、見物するとしても、ざっと、
一日に三千円位な金を使い果たしてしまうが、しかもその見物人の
数は、七・八百か、精々千人が止まりじゃねえか、随分高いものだ。
それに比べると、花火の金は三・四千円程度で、拾何万という人に、
貧富老幼の差別なく、顔を外へ差し伸べれば,無造作に見せられる
んだから、世の中に、こんな安いものはあるまい」
この話、多分大正から昭和のはじめ頃のことですから、高いビル
も無く、娯楽もあまり無い時代、そして長野市もまだ合併前の市域
が狭い頃のことで、今とはかなり違うように思います。でも私は、
若い頃この本を読んだとき、祖父の発想法にびっくりしたことを思
い出します。
長野の花火の歴史は古く、江戸時代から小規模な花火大会が盛ん
であったようで、明治になってからも、明治11年ぐらいから私的
な催しとしてあったようです。そして、明治32年に新しい体制で
行われるようになったのですが、景気の変動があったりで私的な運
営は無理になり、大正4年、長野商工懇話会が後援し、寄付を全市
的に集めるようになってからは、安定的な運営が出来るようになっ
たようです。
その大正時代、ニ尺玉(直径約60cm)という当時としては最
大の花火を初めて打ち上げ、世間をアッと仰天させたことで長野の
えびす講煙火大会は有名になり、全国的に見ても、現在よりかなり
存在感は大きかったようです。そして戦後は長野商工会議所や長野
商店会連合会の主催になって、今日まで続いている伝統の行事です。
花火の打ち上げ場所の問題は、長野市の都市化の進展と共に、危
険を避けて市内をあちこち動いています。ただ、花火には商店街の
振興という役目もあるわけで、あまり街から離れては寄付が集まら
ないということもあります。相反するテーマの為、主催者、警察、
消防等が歴代かなり苦しんできたものです。
私達の子どもの頃は、柳町中学校の少し西側(中心街に近い方)
高土手という場所でした。都市化の波で昭和40年代には地附山、
そして丹波島橋の上流で上げたこともあったように記憶しています。
現在の丹波島橋と長野大橋の間に定着したのは、そんなに古いこと
ではありません。
この場所に移す時には、日赤病院が近いことから音が心配された
のですが、日赤病院の理解もいただいて、現在まで大きなクレーム
もなく実施されていることは、大変有り難いことです。
えびす講の花火が今後ますます盛んになって、初冬の花火大会と
して、多くのお客さんに来てもらえるように期待したいと思います。