2003年1月30日木曜日

エムウェーブについて(その2)


 先週は、エムウェーブの経常利益が黒字になり、累積赤字が解消
されるまでの取り組みについて書かせていただきました。

 今週号では、オリンピック資産の活用とウインタースポーツの振
興について私の考えを書いてみたいと思います。

 まず、エムウェーブに対する私達の期待、それは善光寺や松代と
並んで長野市を代表する観光施設として、存在感を大きくすること
でしょう。それと同時にオリンピックを開催し世界に誇れる施設を
もった都市として、スケートを盛んにしていくこと、即ち長野がス
ケートのメッカになる、そんな夢があるわけですが、その先兵にな
って欲しいということです。

 観光施設としてのエムウェーブは長野オリンピック後、急速に見
学者が減ってしまい、オリンピック記念館やメモリアルグッズの売
り上げは残念ながら、あまり良くありません。旅行会社の人にお聞
きしても、記念館はリピーターのお客様を呼ぶだけの魅力は薄いよ
うです。全国的に見てもテーマパークは、東京ディズニーランド以
外はほとんどが苦戦していることからも、一工夫も二工夫も必要な
部分でしょう。

 そのような中で、長野をスケートのメッカにしたいという期待に
ついては、少しずつ良い方向に向かっていると思います。設備の素
晴らしさは皆さんご存知のとおりですが、ソフト面も徐々に充実し
てきています。信州大学に結城教授という、あの清水宏保選手を育
てた日本人屈指のスケートコーチが赴任され、信大教育学部の学生
の指導は勿論、長野市スケート協会のメンバーとして、長野スピー
ドスケートクラブの子供達の指導にも当たっていただいております。

 オリンピックの翌年、エムウェーブで開催された長野県中学校ス
ケート大会に、長野市の参加選手が一人もいなかったという事実を
知ったとき、私は愕然としてしまいました。これではエムウェーブ
は生き残れない。なんとかして、この環境を生かす方法を考えよう
ということで、長野市スケート協会の方々と努力してきたつもりで
すし、その成果として、翌年から中学生で長野県代表になる選手が
出現しました。

 さらに、昨年の12月7・8日に開催されたISUスピードスケート
ワールドカップでは、結城教授の愛弟子である新谷志保美選手が
優勝するという快挙もありました。長野市生まれでエムウェーブ
育ちのオリンピック選手の出現には、もう少し時間がかかりそうで
すが、でも近いうちに必ず出現すると信じていますし、期待したい
ものです。

 また、現在、国(文部科学省)のスポーツ振興基本計画の中に国
内トップレベルの競技者の育成や強化を図る目的で、国際的規模
の競技施設を「ナショナルトレーニングセンター」と位置づけて、ス
ポーツ医科学を活用した高度なトレーニングを行う計画があります。
 皆さんもご存じのとおりエムウェーブは、世界に誇れる400m
ダブルトラックを有しておりますので、将来そういうことになれば
日本の一流選手の練習が間近で見られたり、自分たちもやってみよ
うという熱気が沸いてくると思います。

 他のスポーツ団体の方には申し訳ないのですが『オリンピック選
手になりたかったら、長野でスピードスケートをやるのが一番早道
だよ』と自慢できる施設にしたいものです。ただ、長野がスケート
のメッカになるためには、スケートを職業にして生活できるように
することが必要だと思います。企業の皆さんに、いろいろお願いし
ているところです。

 今年は、1998年に開催された長野オリンピックから5周年目
を迎えることを記念して、エムウェーブでは2月2日(日)にスケ
ートリンクを無料開放して、オリンピック選手によるスケート教室
を開くほか、2月9日(日)~11日(火)には、冬の信州の祭典
として氷の彫刻展、2月22日(土)・23日(日)には、全国規模
の第1回エムウェーブスピードスケート競技会が開催されますので、
多くの皆さんにご来場いただきたいと思っています。

 エムウェーブ以外にも、長野には他にない素晴らしい施設が揃っ
ています。ビッグハットでのアイスホッケーチームの育成やスパイ
ラルでのリュージュやスケルトンの選手の中から、世界に通用する
選手を一人でも多く出していきたい。そのためには、レジャー、ス
ポーツ、そして競技として、ウインタースポーツに親しむ人と、
それを支えるシステムをつくっていきたいと考えています。



 大会スケート競技で、8年ぶりに県勢が、男女総合優勝を果たすと
 いう、うれしいニュースが飛び込んできました。長野市出身の選手が
 いたかどうかは分かりませんが、長野市・長野県出身選手のさらなる
 活躍を期待しています。