2003年5月29日木曜日

北信越市長会(敦賀市)に参加して


 5月22、23日の2日間、北信越市長会で福井県の敦賀市に出
かけました。往路は、中央道、名神自動車道から米原を経由し敦賀
市へ、復路は北陸自動車道を上越経由で帰ってきました。車に乗っ
ての一周でしたが、往復で800kmの道のりとなり、正直言って
少し疲れました。

 この北信越市長会は、新潟、長野、富山、石川及び福井県の市長
61人が集まり、北信越の抱える課題等を研究するとともに、必要
に応じ国に要望活動を行っていくもので、春と秋の年2回、各県で
当番市を決めて順番で開催しているものです。

 この会議では、各県の市長会から提出されたテーマを分科会ごと
に審議いたします。私は建設・農林等を中心とした分科会に所属し
ており、環境や公共交通網、中心市街地の活性化など、14のテー
マについて研究を行い、翌日の全体会議においてその結果を報告し
ました。ここで検討された事項は、全国市長会に送付して国に要望
をしていくことになっています。

 そのほか、北信越市長会の決議事項として、地方分権と併せて税
源移譲をすべきこと、北陸新幹線の建設促進、WTO(世界貿易
機関)の農業交渉における日本提案実現などが採択されました。

 いずれも長野市にとって重要なテーマですので、一刻も早い実現
を期待したいものです。また、決議の内容には入っていませんが、
会議の合間の話としては、海に面し海外との交流の多い土地柄もあ
り、拉致問題とSARS(重症急性呼吸器症候群)が話題を独占
していました。

 敦賀は日本海沿岸の中でも代表的な港まちです。京都・大阪に近
い地の利に加え、若狭湾から続く入り組んだ海岸線は、嵐を避ける
意味で正に天然の良港と言えるでしょうし、歴史的にも江戸時代か
ら続く北前船の伝統が色濃く残っているまちでした。今でも北海道
で収穫された昆布は敦賀に運ばれて加工するのだそうです。トロロ
昆布の全国シェアは85%とのことで伝統産業の力を感じました。

 それから行政視察として、若狭湾原子力エネルギー研究センター
を見学しました。その施設の目玉は、陽子を加速器にかけることに
より、癌治療などの医療分野やバイオテクノロジーに応用すること
ができるということで、大変注目を浴びているということでした。
しかし、維持費が年間12億円かかるということで、原子力発電所
という施設を持っているからこそやっていけるのだろうと思いまし
た。

 また、敦賀市の中心には伝統的なたたずまいの気比神宮がありま
す。神社というのは日本中たくさんありますが、神宮と名がつくの
は、伊勢神宮とか明治神宮とか限られたお宮だけだそうで、敦賀の
大きな誇りということです。長野で言えば、「善光寺さん」という
感じで、敦賀市民は「けひさん」と呼び、親しんでいるそうです。

 敦賀市での会議に向かう途中、滋賀県長浜市の黒壁スクエアに立
ち寄り、有名な街づくりを視察しました。

 黒壁スクエアというのは、明治時代の建造物であり、風格ある黒
壁の銀行の建物が壊されることを惜しんで、市内の企業人や長浜市
が資金を出し合って株式会社をつくり、保存を進めたもので、現在
では黒壁ガラス館をはじめ、30館の様々なお店や工房などから
構成され、それがその周辺一帯の街づくりに発展したものです。

 県外から訪れるリピーターが、今でも大勢いらっしゃるという
ことで、松代のこれからのまちづくりに大いに参考になりました。

 黒壁スクエアの一角に曳山博物館があります。長野市でも5月
25日に盛大に屋台巡行が行われましたが、パンフレットで見る
「長浜曳山まつり」も大変見事なもののようです。

 13ある市内の曳山の内、4つの山組が毎年交代で引き回される
ようですが、一つひとつが重要文化財とのことで大変素晴らしいも
のです。博物館には本物が展示されていて、迫力あるスクリーン映
像や立体映像を見ることができますし、加えて修理工場もあって、
常に良好な状態で保存されているようです。

 さらに、曳山の舞台で子ども歌舞伎も演じられ、その練習風景も
素晴らしいようです。本当は一泊ぐらいして、酒でも飲みながら
この街の幹部や(株)黒壁の社長さんの話を聞いてみたい、そんな
気持ちになりました。

2003年5月22日木曜日

NAGANOスポーツフェスティバルが行われました


 5月18日(日)、晴天に恵まれた中で、長野運動公園・南長野
運動公園の2会場で、第30回NAGANOスポーツフェスティバル
が行われました。このイベントは、昭和49年に「長野市民健康ま
つり」として城山公園の市営球場で始まり、以来30年間継続して
いる事業です。その後、昭和51年に長野運動公園の陸上競技場が
完成してからこの地に移ったのですが、当時、全天候型トラックを
一般市民が走ることができるということは大変珍しかったので、み
んなその感触を楽しんだものでした。以来、市民の皆さんがスポー
ツを身近なものとして楽しみながら、健康増進に親しんで継続され
てきた行事です。

 当日、長野運動公園では、30年の歴史を刻むように市内のスポ
ーツ愛好者や各区のスポーツチーム、学生さん、生徒さん等が集ま
り、堂々の入場行進で始まり、ソフトバレーボールやキンボール、
学童軟式野球など、日頃の練習の成果を発揮する絶好の機会となり
ました。

 一方の南長野運動公園は、長野市南部のスポーツの拠点として、
平成2年度から整備が進められ、13年の歳月をかけて今年3月全
ての整備事業が完了しました。特に、早く整備された野球場では、
長野市民の胸の中に今でも熱い思いを残している長野冬季オリンピ
ック大会の開閉会式が行われたことは、誰もがご存じのことと思い
ます。今年の3月には、野球場東側に総合球技場(サッカー・ラグビ
ー場)、公園西側に相撲場が、それぞれ完成し、既に整備されてい
るプール、体育館、屋根付きゲートボール場等と合わせ、29.7ha
の敷地内にスポーツ施設や芝生広場など、様々な形態の施設を備え
た素晴らしい公園になりました。

 総合球技場の開会式終了後には、芝生内にサッカーのゴールが設
置され、「市長に挑戦」ということで、小学生3名のゴールキック
を、ゴールキーパーの私(市長)が防ぐ、通常でいえば始球式に当
たるアトラクションがあり、1球はゴールの左隅のポストに当たって
入るという見事なゴールを決められてしまいました。小学生に負け
るものかと思っていたのですが、残念ながらゴールを決められ、実
に上手なものだと感心しました。

 相撲場のオープンは、親子で参加されている方が多く、賑やかな
開場式でした。私はあいさつの後、小学生の取り組みの行司をやら
せていただきました。勝った子供さんが最初どちらから登場したの
か分からなくて勝った方に軍配を上げられず、困りました。案外難
しいものです。

 また、オープニングイベントの一環として、北信越サッカーリー
グの「長野エルザVS石川テイヘンズ」の公式試合が行われました。
結果は長野エルザが2-0で勝利を収めることができました。長野
エルザは、現在JFL昇格を目指して頑張っているということです
ので、ぜひこの地元のチームを応援していただきたいと思います。

 そのほかにも、総合球技場では、6月1日(日)にラグビーの招
待試合として、「早稲田大学VS法政大学」という、名実ともにト
ップクラスにある2校の試合が実現することになりました。私も両
校の熱戦を期待しています。

 南長野運動公園は、スポーツ施設だけでなく、緑と水が豊かで素
晴らしい公園になりました。そしてぜひ皆さんに知っていただきた
いことの一つは、長野市が誇る野外彫刻の作品がたくさん設置して
あることです。審査員の先生方がこの南長野運動公園を気に入って
くださったせいか、南長野運動公園に設置したいという意見が多い
ようです。昨年は3つ、今年も1つ設置しましたので、何年かたつ
と南長野運動公園は、別名「野外彫刻の森」ということになるかも
知れません。スポーツで汗を流した後、また、散策の折など、楽し
んでいただければと思います。

2003年5月15日木曜日

春の長野市緑花まつりについて


 5月3日と4日の両日、若里公園で「春の長野市緑花まつり」
が行われました。このまつりは、緑と市民のふれあいを深め、
一層の緑化意識の高揚を図るとともに、花と緑の潤いのある
街づくりを進めようということで、長野市緑花まつり実行委員会、
長野市及び(財)長野市都市緑化基金の共催で開催したものです。
昨年度(平成14年度)はセントラル・スクゥエアで実施しまし
たが、今年は善光寺御開帳で中央通りは催し物が沢山ありました
ので、若里公園での開催になったものです。

 実行委員会は、長野造園事業協同組合、長野森林組合、長野県
造園建設業協会北信支部、長野市環境緑化協力会、長野市緑と花
いっぱいの会、(財)長野市都市緑化基金、そして長野市で構成され
ていますが、そこに多くのボランティアの皆さんが参加していただ
き、また、農林中央金庫長野支店(花の種)、日本バイテク産業
(肥料)からもご協力をいただきました。

 当日は、裾花中学校のマーチングバンドの演奏で幕を開け、緑化
木の無料配布(2日間で約3000本)を行いました。今年は、
ハナミズキ、バラ、ブルーベリー、ウメ、ニシキギ及びサザンカを
配布しましたが、朝早くから並ばれた方々もおられまして、大変
人気が高いことが分かりました。今年はブルーベリーが一番人気
だったようです。それぞれのご家庭等で大きく育てていただくこと
を願っています。

 この催しは昭和58年秋に「市民緑化祭」としてスタートし、
4月29日が「みどりの日」となった平成元年からは、春にも開催
するようになりました。既に20年間、35回の実績を積み重ねた
歴史があり、恒例の行事として市民の皆さんに親しまれており、
これまでに約10万本に近い緑化木を配布していることになりま
す。

 当日は、植え方の講習や緑の管理教室、松の剪定講習会、家庭園
芸教室、ふしぎな押し花体験会、緑の相談所、緑の写真展、病害虫
防除相談所等が行われ、また、ビンゴゲームや長野森林組合の「木
と遊ぼうコーナー」というお楽しみコーナーなどもありました。天
気にも恵まれ、市民の皆さんにはこの緑花まつりを大いに楽しんで
いただけたと思います。

(財団法人)長野市都市緑化基金について
 この「まつり」を構成する団体の一つですが、ここで少し紹介さ
せてください。この法人は、市街地の緑を増やし潤いのある街づく
りを進めるため、長野市と民間企業・団体が出資して、昭和60年
に、長野市の外郭団体として設立されました。出資金を基金として
積み立て、その利子等を事業費として長野市の緑化を推進しよう、
というものです。具体的には、フラワーボックスの無料貸し出し、
生垣奨励援助、緑化推進団体助成、花鉢コンクールや緑の写真コン
テストの開催、そして、このまつりへの参加等の事業を行っていま
す。
 問題は、現在の低金利です。現在、都市緑化基金の金額は約4億
円(市内企業・団体の皆さんからご協力いただいた金額は、
9200万円余で全体の約23%です。また、皐月高校生やボーイ
スカウトからの寄附金も含まれています。)に達しているのです
が、当時は年利4~5%ぐらいの運用が出来ると考えていたもの
が、この低金利のため、あまり期待できない状況です。
 本来、金融機関等に預金してその果実により事業を行うのが趣旨
ですが、現在の低金利の中で果実だけで事業を行うことは非常に厳
しい状況であります。長野市土地開発公社に貸し付けて、土地開発
公社が外部から借り入れている資金の金利と同等の金利を受け取る
という苦肉の策をとってきたこともありましたが、現在は、債券運
用や足りない分を長野市からの補助金で補って事業費を捻出してい
るのが実情であります。現在の低金利は借金の多い長野市とすれば
有り難いことなのですが、反面、財団の事業運営にあたっては大変
厳しい状況にあるということでなんとも皮肉です。
 現在も、寄附等による基金の増額にご協力をいただいております
が、この基金の活用と緑花まつりなどにより、地域・家庭から緑化
意識の高揚と、一層の緑化推進が図られ、花と緑の潤いのある街づ
くりが進むことを期待しております。

2003年5月8日木曜日

みどりの移動市長室が始まりました


 「みどりの移動市長室」は、私(市長)が市内各地区へ出向き、
様々な団体の活動や地域の取り組みを視察し、市民の皆さんと直接
意見交換・懇談するものです。

 新年度になっての第1回として松代西条地区、そして第2回とし
て若槻地区を訪問しました。今回は、その時のことを書かせていた
だきます。

(松代・西条地区)
 2月に陳情に来られた松代公民館西条分館建設期成同盟会の皆
さんとの約束(一度、西条地区を見に来て欲しい)を果そうというこ
とで、4月24日、松代西条地区を視察し、松代公民館西条分館で
懇談会を開催しました。

 視察は、まず山寺常山(やまでらじょうざん)(注)邸の復元工事
の現場です。これは国の補助を受けて市が邸跡を買収し、長屋門や
庭園を復元しようというものです。神田川の水を引き入れての池、
そしてそこから下流のお屋敷へ、泉水路を通じて水を供給するシス
テムが残っている珍しい庭が魅力です。「歴史的みちすじ整備事業」
により整備された道の終りで、象山地下壕への入り口に位置すること
もあり、将来の観光拠点になると期待しています。

 神田川上流の「入りダム」も視察しました。下流の松代の都市部
を土石流等から守る大変重要な施設だと思いました。地域の皆さん
がダム周辺に桜を植樹されており、何年か後にはきっと素晴らしい
花見が出来ると思います。

 西条財産区の山林を視察しながら、宮野平(自然の森)まで登り、
宿泊施設も見させていただきました。電気が無く発電機を使っている
そうですが、西条財産区の皆さんの努力で、結構利用者が多いそう
です。あちこちにある行政が所管する青少年の家等、同種の施設が
ほとんど利用されていない現状を考えると、その運営努力には頭が
下がります。

 山を下って開善寺の経蔵を視察。この建物は県宝に指定されてい
て、数年前に県と市が半分づつ負担して、茅葺(かやぶき)の屋根
の修復をしたそうですが、次に整備しなくてはならないのは、経蔵
の中身、すなわち経本の整理です。天海(徳川家康に仕えた高僧)版
とのことですが、私にはその価値はわかりません。当然、学芸員の
調査になるものと思います。

 そしてこの日の視察の一番の目的、西条財産区事務所の視察です。
この建物は、現在も「埴科郡西条村役場」の表札が付いている由緒
ある木造建物で、当時の村長さんの部屋もあります。古い木造作り
で、バリアフリーとはいかないものの、しっかりしていてまだまだ
使えるものと判断させていただきました。現在は松代商工会議所の
倉庫に使っているそうですが、少し整備すれば立派な会議室になり
そうです。

 そのあとの懇談会では、西条地区の諸団体の方々に集まっていた
だき、いろいろなお話をお聴きしました。私からは、
1.西条財産区事務所については、多少の改修費は行政がお手伝い
するから、あの建物は残して分館の分室のようにして使用したらど
うか。
2.西条財産区の元気さは、10ある長野市の財産区の中で一番と
いう定評がある。山の手入れが行き届いているだけでなく、宮野平
の施設を維持されているのは、行政の運営している施設の利用率が
低迷している中で素晴らしいことであり、皆さんの熱意を感じます。
3.開善寺の件は、整備をどうするか研究したい。いずれにしても
貴重な財産であり、朽ち果てるのは困る。
 等々のお話をさせていただきました。

(注)
山寺常山(やまでらじょうざん)=江戸時代末期の松代藩士。松代藩
の町奉行・寺社奉行などを務めた。鎌原桐山(かんばらとうざん)、
佐久間象山と共に、松代三山と言われている。


(若槻地区の文化財を語る会)
 4月25日は若槻地区を訪問しました。若槻地区は、善光寺の北東
に位置する三登山の裾に、旧北国街道が南北に帯のように伸びて
この街道に沿って点在する集落と、これを挟んで東西に整然と軒を
連ねる新興住宅団地が発展している、そんなイメージの場所です。
長野市でも比較的早くから団地開発がされた場所で、コミュニティ
センターなども早くから整備され、理想的な住宅地の一つと思われ
る地域です。

 午前中、郷土史研究会若槻支部長の金子さんのご説明で、稲田の
エノキ(市指定天然記念物・昭和47年指定)、稲積一里塚(市指定
史跡・昭和42年指定)、そして令制東山道、を視察させていただ
きました。いずれも古代からの歴史を物語る文化財で、住宅地の中
ですが、地元の皆さんの熱心な提言があって、小公園の中で保存が
図られており、大変結構なことと認識しました(若槻地区の文化財
については、地元の皆さんが編集された若槻史の中で詳しく記述さ
れているようです)。

 その後、吉にある山千寺へ。「信玄駒つなぎの桜」「観音堂」を
見て、お堂の中で、「若槻地区の文化財を語る集い」ということで、
山千寺観音堂保存会、城跡保存顕彰会、郷土史研究会、そして区の
役員さん方約30名の皆さんと懇談をいたしました。国の重要文化
財の観音菩薩像を間近に拝顔したり、京都の清水寺を模した造りの
観音堂の保存修理が必要なこと、周辺はカタクリの花の群生地があ
り、昨年登らせていただいた若槻城跡や番所跡の遊歩道を延長する
ことにより、素晴らしいトレッキングコースが可能なこと等につい
て懇談いたしました。

 枝垂れ桜の古木も素晴らしいのですが、周りの杉林に遮られ十分
な日光が当たらないとか、素晴らしいお堂もかなり傷んでいて、修
復にはかなりの資金がいるなぁというのが実感でした。市民の皆さ
んはあまりご存知無いようですが、若槻には古い歴史がある。それ
を知る上で大変貴重な文化財がたくさん残っているということを知
り、周辺の里山と共に後世に残すことの大切さを認識した次第です。

2003年5月1日木曜日

閑話休題


 連休中なので、少し趣の違う話題を・・・・個人的な考えをお話
ししたいと思います。それは「自治体の長」と「会社の経営者」の
違いについてです。(会社の経営者と言っても中小企業の経営者と
いう意味です)

 私は約40年間、会社の経営に携わってきました。親から引き継
いだ家業の会社でして、決して大企業ではなく、株式の上場もして
いません。いや、できなかったと言う方が正しいのかも知れません
が、そんな会社の社長が突然「市長」という全然違う社会に足を
踏み入れてしまい、戸惑うことが多いのですが、その辺も踏まえて
市長と社長の違いを考えてみました。

(経営者は、もしかすれば倒産するかも知れないという観念、
そして経験を持っている)
 一番大きな違いかも知れませんが、会社はもしかすると倒産する
かも知れないという観念が常に頭の隅にあります。私自身、会社経
営については、山あり谷ありの本当に厳しい経験をしております
し、スタッフもそれほど多いわけではありませんから、孤独な判断
を常に求められるのが経営者であると思います。特に現在のような
大不況の時代では、どこの経営者も社員を路頭に迷わせてはならな
い、自己責任で全ての判断をしなくてはならない、といった気苦労
が常にあるわけです。

(市長は大勢のスタッフに囲まれている)
 そこへいくと市長はちょっと違います。大勢のスタッフに囲まれ
て仕事をしている。時に意見が違って議論になることはありますが、
孤独という感覚は全くありません。市の行政スタッフの体制は「最
終責任は全て市長、その代わり市長は絶対である」ということが実
に徹底しているのです。方針さえきちんと決めれば、どんな難問で
もスタッフがそれぞれ役割を分担して、実行に向けて努力してくれ
る。行政においては当たり前のことのようですが「市長は絶対では
ない、相反する意見をもっと出して欲しい、もっと議論しよう!」、
贅沢に聞こえるかも知れませんが、それが今の私の不満です。

(個人保証)
 前の話と関連がありますが、中小企業が借金をする際、銀行はほ
とんどの場合、個人保証を要求します。他の取引先も場合によって
は要求します。個人保証がある場合、倒産すると個人財産は全て没
収され、最終的に全ての借金を清算するまでは、いつまでも個人が
請求されるわけですから大変です。会社が倒産しないために必死に
なるのは当たり前でしょう。その反面で、近年において大手の銀行
や証券会社、そして住宅金融専門会社(住専)などが倒産しました
が、マスコミの報道で知る限り、倒産した会社の経営者が借金をす
る時に個人保証をしていなかったようですし、融資する時も個人
保証をとっていなかったのは事実でしょう。もし、個人保証をして
いたならば、バブル期におけるあのようなずさんな融資はできなか
ったと思います。

 長野市も大きな借金を背負っていますが、個人の支払い責任はあ
りません。このことは、私にとって疑問が残る点ではありますが、
これは、企業と自治体との大きな違いです。

(経営者にとって、税金問題は大問題)
 市長の立場から言えば、企業に税金を沢山払っていただきたいと
いうことは当然ですし、経営者も税金を払うことは、企業の社会貢
献のもっとも重要なことであるとの認識はあります。しかしながら
企業経営者にとって、一生懸命努力して利益を上げても、約半分を
税金として取られてしまうというのも、偽らざる実感です。その反
面で、赤字になっても前の黒字で税金を払った分を戻してもらうと
いうのは、実質的に難しいですし、寄付金等を損金算入できる寄付
は集めやすいけれど、通常の寄付金はなかなか集まらない。これも
税金の制度によるものが大きいと私は感じています。

 一つの提案ですが、企業の保有土地について時価会計を採用すべ
きということを提案したいと思います。バブルの時代に企業が高い
土地を買い、その後の政策によって土地価格が暴落したにもかかわ
らず(これは国の責任が大きいと私は思います)、税会計では高い
価格のままの評価になっているのです。これは、土地の場合には評
価を下げても税法では損金算入を認めないというもので、このこと
は、株式と土地の大きな違いであり、この税負担が企業にとっては
大きな負担になっています(土地の損金算入については、ようやく
国においても新たな動きがありそうなのですが・・・)。その一方
で、昔から所有している土地については、その価値が上がっていて
も比較的安い税金で済んでいるという矛盾が生じているのです。
 
(自由に発言し、アイデアを即座に実行できる立場)
 会社の社長にとって、唯一の、そして一番生き甲斐を感じるのは、
自由な発想を維持し、自由に行動できること、勝手と聞こえること
も自由に発言できることです。言い換えれば努力をすればするほど
報われる、それだけの喜びがあるということです。もちろんある程
度余裕が無いと出来ませんし、お客様は神様ですから、お客様の
おっしゃることは「ご無理、ごもっとも」という面があって、本当
の自由があるかということになると、異論があるところですが、
ただ、市長に比べてかなり行動の自由度は高いし、独断と偏見が
許される立場であり、それが企業発展の原動力になる場合が多い
のだと私は思っています。

 もう一つわがままを言わせていただくとするなら、市長職という
のは、昼夜・曜日を問わず、自由になる時間が極めてわずかになっ
たことも大きく変わった点です。

 以上長々と駄弁を弄しました。連休での漫談をお聞きいただき有
難うございました。