1月19日、北陸新幹線長沼地区設計協議と単価確認書の調印式
が行われました。長沼地区の対策委員会の皆さんには、日ごろから
市行政、特に新幹線事業につきましては大変お世話になりました。
この日、私も自ら署名しまして、長沼地区北陸新幹線対策委員会、
鉄道・運輸機構北陸新幹線建設局、長野県、長野市の四者間で確認
書の交換が終了し、設計協議が一区切りつき、「ああ、一つ大きな
ハードルを越えることができたなあ」と本当にホッとしました。
これによりまして、北陸新幹線建設に向けた道筋が整ったわけで
すが、長沼地区の対策委員会の皆さんにとっては、浅川ダム建設中
止による平成5年の確認書の不履行、それによる3年半にも及ぶ設
計協議の中止、等々、大変厳しい状況を乗り越えてこの日を迎えら
れたわけです。
対策委員長さんからは、「地区住民、新幹線対策委員会関係者に、
これほど大きな混乱と、負担を強いた設計協議はない。」とも伺っ
ております。
本来であれば、確認書交換後に、初めて用地測量が開始され、用
地買収範囲確定後、地権者会が発足し、用地交渉が始まるというこ
とが一般的な過程でありますが、設計協議未完了、確認書未交換で
ありながらも、長野県から、浅川治水対策について納得できる回答
が提示された場合に、速やかに事業が促進されるようにとの配慮と
善意から、鉄道・運輸機構、長野市との必要な協議を進めていただ
き、建設工事の下準備ともいえる各種行為も、認めていただきまし
た。
また、昨年2月には、村井知事と私の要請を真摯(しんし)にご
理解いただき、地権者会発足と用地交渉の進展も見ることができま
した。
この日結ばれた確認書につきましては、このような多くの苦難と
課題を抱えた歴史を経る中で、大変なご労苦の下に、慎重に検討さ
れ評価されたものでした。
私は、このような経過をもって交換された確認書であることを、
重く受け止めるとともに、今後、地区住民の皆さんが願う一番重要
なことは、当該回答事項について長野市も含め国も県も責任を持っ
て、履行していくことであることを、十分理解しています。
市として、回答事項の履行に努めることは、揺るぎないものであ
り、その中には、今後の努力義務として評価され、今後の協議によ
り解決される項目もありますので、長野市は関係部局が一体となっ
て、早期履行に向けて、誠心誠意、努力していくことをお約束いた
しました。鉄道・運輸機構および長野県とスクラムを組み、長沼地
区の皆さんおよび地区対策委員会の皆さんのご協力をいただきなが
ら、新幹線の建設促進に、さらに努力してまいりたいと考えており
ますので、市民の皆さんにも格別のご理解とご協力をお願い申し上
げます。
以上、調印式当日、私がお話ししたあいさつの要約ですが、ここ
に至る間、私も市長就任以来、本当に悩みました。
一つは行政の継続性とは何か、行政への信頼性とは何か、という
点です。行政が決めて地域と約束し、確認書を取り交わし、議会も
正式に議決し、着手したことを、選挙により首長が変わって、首長
の独断で、議会の承認もなく、すべてをほごにすることが許される
のか?ということでした。法律論はよく知りませんが、私の常識か
らすれば、次からは変えるとしても、その時点では変えるべきでは
ない、少なくとも議会の承認は当然必要ではないかと思いました。
もう一つは、熱心に誘致活動に取り組んできた飯山・上越・そし
て北陸沿線の各都市が長野の動向を注視し、心配していたことです。
特にこの北陸新幹線は、北回り新幹線と言われた時代から、新潟県
の長岡経由で北陸へつなぐべきだという意見が根強くありました。
長野県を通過するのでは、中央道の塩嶺峠でさえなかなか解決でき
なくて時間がかかったことを考えると、長岡経由なら早くできると
いうのが北陸地方では強い意見だったと思います。
それを打ち破って長野経由が決められたのは、長野県の運動・政
治力もありましたが、北陸地方でも指導力を持って「長野経由」を
支持してくださった方々がいたことが大きかったと私は感じていま
す。長野とすれば、北陸の方々に借りがあると私は思っています。
さらに「陸の孤島」と言われやゆされ続けた昭和40年代、50
年代、私たちの悲願は何が何でも新幹線が通ってほしかった。でき
てみれば新幹線の光もあるけれど影もある、でも私たちの行動範囲
は格段に広がって、東京だけでなく世界を見る目も生まれてきてい
ると思います。このことは、私たちの子孫に永久に続いていくこと
です。その思いを、北陸の皆さんにも早く経験していただきたい。
長野市のことで迷惑は掛けたくない、そして長野市にとっても、本
当の意味で日本海時代が始まる・・・。そんな思いを強く感じてい
ました。
調印式が終わり祝賀会では、皆さんと懇談しながら、「飯山や上
越から北陸沿線の皆さんに迷惑を掛けないで済んだ」という思いを
強くしました。重ねて、長沼地区の皆さんの大人の対応に感謝しま
す。
※1月17日配信のかじとり通信において、コンピュータ教育にお
ける表彰の「文部大臣表彰」は誤りでした。正しくは「内閣総理大
臣賞」です。おわびして訂正いたします。