2011年6月9日木曜日

最近の国際交流について


 先日、バルト3国の一つ、ラトビア共和国のペーテリス・ヴァイ
ヴァルス駐日大使が、3日間の予定で長野県を訪問され、長野市へ
もお越しくださいました。
 ラトビアは、帝政ロシアから90年前に一度は独立したのですが、
第二次世界大戦後再びソ連に占領され、その後50年間同国の支配
下にありました。ソ連のペレストロイカの後、完全に独立して日本
との国交を回復したのは1991年。今から20年前のことであり、
ラトビアの大きな転換点でした。あのころテレビで、大勢のラトビ
ア国民が国歌を歌っている感動的な映像を覚えています。
 20年前といえば、長野冬季オリンピックの開催が決まった年で
す。長野も大きな転換点でした。その後、ラトビアは、一から国を
つくり直して、EU(欧州連合)、NATO(北大西洋条約機構)
にも加盟したのです。

 今回の東日本大震災に当たり、ラトビアから義援金、仮設住宅用
合板の提供を頂いたほか、大使個人の写真展の売上金をご寄付いた
だいたとのことで、日本国民の一人としてお礼を申し上げました。

 また、大使は東京マラソンに5回連続出場し、いずれも完走した
とのこと。特命全権大使としては本当にお若く、行動力のある方と
お見受けしました。長野マラソンにもぜひ出場してくださいと申し
上げました。身長190センチメートルぐらい、マラソンの記録は
約4時間半とのことでした。
 以下は、大使からお聞きしたラトビアのお話です。

 ラトビアには、リガ歴史地区という世界文化遺産がある。
 音楽が盛んで音楽家を多数輩出している。
 民族の歌と踊りの祭典が世界無形文化遺産に登録されている。
 長野市と同じように森林面積が多く、森林資源が豊富で、うまく
活用している。
 長野冬季オリンピックでは、バイアスロン、ボブスレー競技にラ
トビアの選手が参加した。でも、メダルは取れなかった。
 白馬村にも行ったことがあるが、長野市へは2年前にリュージュ
のジュニア世界選手権の際に来訪。しかし、その時の競技会場であ
ったスパイラルが、長野市にあるものだとは今日まで知らなかった。
 スポーツは、大好き。マラソンのほかスキーもやっている。

 そのほかにも、いろいろ話し、懇談させていただきました。

 一番面白かったのは、私が「ラトビアは遠く感じる」と申し上げ
ましたら、「実は、日本とラトビアはそれほど遠くない。地球儀を
見ると、日本とラトビアの間には国が一つしかないことが分かる。
ヨーロッパ行きの飛行機、すなわちフランス、イギリス、ドイツ行
きの飛行機は、大抵バルト3国の上空を通っている。通過して何時
間か後には、パリやフランクフルトに着陸しているので、そういっ
た主要都市と比べれば2時間程度近いことになる。地理的条件だけ
でなく、マーガレット(ラトビアの国花。当日は大使を歓迎する意
味で、花瓶に挿してテーブルの上に用意しておきました)は日本に
もあるし、宗教的にも精神的にも近いと思っている」とのことでし
た。
 調べてみましたら、ラトビアへはフィンランド航空の成田空港発
ヘルシンキ経由リガ行きが最短のルートのようで、所要時間は約
12時間です。

 また大使は、「日本の47都道府県の全てと関わりを持ちたい。
長野県はラトビアと同じく森林が多い県ということで、何らかの交
流を持てればと考えている」「日本では、確かにバルト3国、また
はラトビアに関する情報が少ない。独立を回復して20年しかたっ
ていないので、大使館の重要な仕事の一つは、ラトビアの知名度を
上げること。東京だけでなく地方にもよく出掛けている」「現在の
ラトビアは、日本の明治維新の時期と同様の時期だと思う」などな
ど。予定時間をオーバーするほどいろいろな話をさせていただきま
した。

 大使を案内してくださった多賀さん(私の大学の先輩で、元
NBS(株式会社長野放送)常務)によると、加藤登紀子さんが歌
う「百万本のバラ」の原曲は、ラトビアの「マーラは与えた」とい
う名の歌謡曲。また、ラトビアは、麻製品でも有名。古くからバス
ケットボールも盛ん・・・とのことでした。

 話は変わります。
 若干旧聞になって恐縮ですが、昨年9月、鬼無里地区の有志の皆
さんが、視察団を組んで、自費でオーストリア・ザルツブルグ州の
ベルフェンベンク村を訪問されました。このことは、新聞にも載っ
ていましたし、私もメルマガに書かせていただきましたので、ご記
憶の方も多いと思います。

 その時の団長は、風間俊宣さん。長野市との合併前の鬼無里村長
さんで、合併後長野市議を1期お務めになり、引退されました。先
日、久しぶりにお会いして、お酒を飲んで歓談しました。
 風間さんは、ベルフェンベンク村にすっかりほれ込んでしまった
のか、小さな村の環境保護と観光の政策について、熱心に語り、私
をその村にどうしても連れて行きたいというのです。

 環境対策の先進地であるオーストリア・チロル州と植林事業を通
して国際交流を続けている「日墺(にちおう)協会長野」とご自身
が会長を務める「鬼無里ブナの森を育てる会」は、平成18年ごろ
から、奥裾花自然園の原生林の地滑り地に植樹をしておられるよう
です。

 日墺協会長野は、平成20年6月にチロル州で、雪崩防止の植林
と農家民泊の仕組みや農家の経済的自立、そして観光振興策などを
学んだようです。
 鬼無里ブナの森を育てる会は、ブナの植樹とCO2削減、低炭素
化など環境に配慮することを前面に出してエコ対応による奥裾花交
流事業のスタートにしたいと考えているとのこと。

 従来のような自治体間の姉妹都市提携型の国際交流ではなく、人
口わずか920人ほどのベルフェンベンク村と地域同士の持続的な
交流を行っておられます。共通の課題である環境保全や地域振興で
両者が利益を得ることも視野に入れ、新しい形の国際交流を展開し
ているわけです。

 風間団長らによる視察の報告によると、次のようなものを奨励す
る施策がベルフェンベンク村では行われています。
 ソフトモビリティー:観光客の村内の移動は、電気自動車、電動
アシスト自転車、馬車など環境に優しい交通手段を利用。
 農家民泊:1週間ぐらい滞在する旅行者が多い。
 木質バイオマスエネルギー:各家庭では一切化石燃料は使用せず、
木質バイオマスエネルギーを使った暖房機で冬期間は暖をとり、ま
た年間を通じてその熱源を利用している。 
 ソーラー発電:ソーラー発電施設が4カ所あり、公共施設や各家
庭に送電されている。
 ディーゼル車:農業機械や住民の日常生活、通勤手段は、ガソリ
ン車よりCO2の排出が少ないディーゼル車に限定。
 風間さんの話は、ほぼこんな感じでした。

 最後に、風間さんらが作成した視察報告書からベルフェンベンク
村の村勢について紹介します。
 標高:900メートル
 人口:2000年に約700人だったのが現在約920人で増加
傾向にある。
 平均年齢:36.5歳
 なお、人口増加の要因としては、景観が優れていること、インフ
ラが完備されていること、通勤するのに30分~45分で麓の職場
に行けることなどが理由とのことです。

 このようなお話を聞くにつけ、素晴らしいと感じてはいるのです
が・・・。
 私はこの最後の部分がどうしても納得がいかないのです。鬼無里
と大して違わない条件の村、いやもっと小さいが故に条件は悪いと
思われる地域で、人口が増えている。しかも若い人が・・・。理念
は別にして、具体的に地域の経済がどのようになっているのか、村
にはどんな収入があるのか・・・お話を聞いて以来、考えているの
ですが・・・どうも納得がいかないのです。風間さんのお誘いに乗
って、訪問してみたいなあという気持ちが生まれてきています。