長野市は増加著しいさまざまな行政課題に的確かつ迅速に対応す
るために、この4月から副市長2人制を敷くこととなり、その一人
として選任されました。
長野市の発展のため、精励してまいりますのでよろしくお願いしま
す。
私は1954(昭和29)年1月生まれで現在58歳です。生ま
れた家のあった場所は、長野駅前にある現在の南千歳公園の辺りで
しょうか。当時はまさに映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に出
てくるような雰囲気の街でしたが、その後の土地区画整理事業によ
り、随分と近代的な街に変貌を遂げたと感じています。現在はホク
ト文化ホールの近くで、妻と愛犬1匹と暮らしています。
さて、思い起こしますと長野市役所に入庁して以来、さまざまな
経験をする中で、私に大きな影響を与えた事業に1998(平成1
0)年の長野冬季オリンピック大会の開催があります。
月日のたつのは誠に早いもので、大会の開催がイギリス・バーミン
ガムのIOC(国際オリンピック委員会)総会で決定してから20
年以上が経過し、大会そのものが終了してから、今年で14年とな
ります。
大会の招致活動をしていた当時は、今とは異なり、IOC委員が
立候補都市を訪問することは比較的自由でした(アメリカ・ソルト
レークシティーのオリンピック招致に絡んだ買収事件などにより、
現在ではIOC委員の立候補都市訪問が禁止されるなど、委員の活
動は大変厳しく制限されています)。
そのような中、市内の幼稚園・保育園の園児の皆さんや、「炎」
という文字を背中に染め抜いた法被を着た長野青年会議所の方々を
はじめとする市民の皆さんが、長野市を訪問した委員をにぎやかに
出迎えてくださった姿は、今でも強く印象に残っています。
長野市民がオリンピック招致という具体的で大きな目標を共有し、
外に目を向けていた時代でした。市民の皆さんと共有できる価値の
ある目標を設定し、それに挑戦していくことは、都市に活気と一体
感とをもたらすということを実感できた機会でもありました。
昨今は、2008(平成20)年のリーマンショックに続き、昨
年3月11日の東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所の事
故、欧州債務危機など、暗い話題が多く、どうしても内向き思考に
なりがちなことは否めませんが、逆にこういう混沌(こんとん)と
した時代であるからこそ、都市の明確な目標や夢を語り、挑んでい
くことの大切さをあらためて感じています。
では、都市としての目標・夢とは具体的にはどんなイメージでし
ょうか。
例えば、2015(平成27)年春には新幹線延伸により、長野
市と約1時間で結ばれる予定の金沢市。加賀百万石の城下町として
有名ですが、江戸時代初期から400年、金沢市に住んできた人々
の積み重ねてきたたゆまぬ努力と研鑽(けんさん)の結果、現在で
も「アートフル(降る、full)金沢」として、文化を軸とした
街づくりを続けていらっしゃいます。NHK大河ドラマ「利家とま
つ~加賀百万石物語~」の中でも、加賀藩の藩祖・前田利家公の正
室である「おまつさん」が、「戦では負けたけれども、金沢を文化
で日本一の街にしましょう」と言うシーンのあったことを記憶して
います。
金沢市は、街の風情を守るために日本で最初に景観条例を制定さ
れ、城下町文化を保護・振興するために、芸妓(げいぎ)さんなど
の育成によって金沢の伝統芸能を普及されたり、職人大学校を創設
されるなど、文字通り市民の皆さんとの協働で積極的に文化行政を
展開されています。
今後も文化を守り育てることを軸に街づくりに挑戦され、さらに
それを観光・工芸などの産業につなげていく取り組みを展開される
のだろうと思います。この姿勢こそが人々を引き付ける街の魅力と
なっているのではないかと考えています。
なお、長野市は金沢市と2007(平成19)年、市民同士の交
流を促進する目的で「集客プロモーションパートナー都市協定」を
締結しています。長野市の皆さんも、ぜひ、「文化」というコンセ
プトで街づくりをされている金沢市の雰囲気を味わっていただけれ
ばと思います。
私も先日、就任のあいさつを兼ねて、金沢市、富山市、上越市の
各市役所、商工会議所、観光協会を訪ね、観光連携を中心に平成2
7年春の新幹線金沢延伸を見据えての意見交換をしてまいりました。
機会がありましたら、このときの話を書きたいと思います。
再び話題を「都市としての目標・夢」に戻します。
昨年11月、大震災後の日本を訪問されたブータン国王ご夫妻の
ことをご記憶の方も多いと思います。その際に、国民の心理的幸福
などを指標とする「国民総幸福量(GNH)」という考え方が話題
になりました。ブータンでは国民へのアンケートに約9割の人々が
「幸福を感じている」と答えており、この結果は驚きです。
国民総生産(GNP)あるいは国内総生産(GDP)に代表される
経済的発展を求めるのではなく、国民が幸せを実感できることを全
てに優先させていくという国づくり。こういう国なら行ってみたい、
さらには暮らしてみたいと思う方も多いのではないでしょうか。
幸福大国・ブータンというコンセプトは、インドと中国とに挟ま
れた小国として、生き残りを懸けて考え抜いた、極めて戦略的なも
ののようにも感じています。
このような50年、100年の長期で取り組んでいく都市として
の目標、あるいは志といった方がふさわしい価値観をどう設定して
いくか。
長い時間軸を前提に、長野市が持つ都市としての魅力や特性をさ
らに磨き上げることのできる目標・志とは何かについて考えてみた
いと思っています。
ところで、今回初めてメールマガジンなるものを書きました。こ
れを毎週書いてきた鷲澤市長にはあらためて脱帽です。副市長のメ
ールマガジン配信は、黒田副市長と月ごとの交代となっています。
従って、2カ月に一度、私に書くチャンス(!?)が巡ってきます
ので、本日はこのくらいにしておきます。
これからも、よろしくお願いします。