PTAの活動について
城山小に子供がかよっているころのある晩、子供のクラス担任の先生が家にこられて、学校PTAの副会長就任を要請されてしまいました。忙しいから駄目と何度もお断りしたのですが、それでは私は学校へ帰れないとまで言われてしまい、やむなくPTAの役職の任期は“一年”ですよねと何度も念をおして引き受けました。
30歳後半のことだったと思いますが、
ところが一年なんてとんでもない話で、城山小学校のPTA副会長を振り出しに、会長に選出され、その後、柳町中学校PTA会長、長野市PTA連合会会長、長野県PTA連合会会長・・・と次々に出世(?)させられてしまいました。PTA役員の義務、あるいは仕事そのものについては良くわからないこともあり、手さぐり状況でしたが。
市P連、県P連の役員をやっているとき、高校入試問題が大きな課題になって大論争に発展しました。すなわち高校入試について「総合選抜制度」、続いて「高校入試改善案」が県教育委員会から提案されたのです。
当時、高校入試が生徒たちの大きな負担だったこともあり、推進派の皆さんの“15の春を泣かせない”というキャッチフレーズは、なかなか衝撃的でした。しかし、私たちPTAは、内部討議をやり、先輩の意見をお聞きするなかでこの案には反対を表明、県教委と対立してしまいました。
県の案は次の二点でした。
地域指定案 (受験できる高校を制限し、有名校に受験生が集中することがないようにする、高校はすべて平等であるという前提案)
調査書重視案(中学が普段の授業・テスト等での成績を9点法で評価するいわゆる内申書・調査書と入学試験の点数を合計する案で、性質の違う数字の合計には違和感がありました)
私たちは、教育の世界は、「結果の平等を求めるべきではなく、機会の平等を求めるべきである」ことを主張しました。
この2案について、長野県内全ての地域で、PTAと県教委との間で討論会を開催し、議論になったのです。
参加者の中には一般の会員にまじって、高教組関係の人が参加していて、強硬な意見(県教委案に賛成派)が目立ったように感じました。
いずれにしても、県教委とPTA会員や高教組の間で、喧々諤々の論争を行ったこと、
おそらくPTAの史上でははじめてのことでしょう。
最後に出席者全員にアンケートに答えていただき、その結果を県教委に提出しました。PTAの主張に、賛成の方が圧倒的に多かったことはもちろんです。PTAの役員は手分けして各地の討論会に参加し、県教委さんと議論しました。私もPTA代表のパネラーとして、長野市内二か所、佐久地域で一か所、討論に参加しました。一緒に参加したPTAの役員の中には、高教組の方の強行意見にびっくりしてしまう方もいらっしゃいましたが、私は討論の過程に手ごたえを感じていました。
県教委を挟んで、高教組が一番の論争相手でしたが、地域指定案をなんとか廃案にし、「機会の平等」の大切さをなんとか守り切ったということで、PTAは自分たちの主張を通させていただいたことになります。(調査書重視はしばらく続いていたようですが、これとて調査書の評価点数と学力試験の点数を合計するという案ですから、異なった性質の数字を合計するのは、もともとおかしいと考えていました。私どもの主張は二つの数字は、相関でみるべきであるということでした。)
総合選抜制の動きは、高校の教職員組合の根強い運動があり、東京をはじめ全国でこの運動が行われ一部採用されてもいましたが、報道によりますと、本年度、総合選抜制度が全国で廃止になったということで、ようやく論争に終止符がうたれたようです。問題の性質上、“高校全入制”という言葉と混同しやすいこと、どうしても保守・革新という政治問題になることが避けられなかったのは事実です。