(財)長野県学校給食会について
次にPTA活動のなかで印象深かったのは、(財)長野県学校給食会の改革です。たまたまPTAの役員をやらせていただいていたとき、当て職で給食会の役員になっていたのですが、たまたま給食会の事務局の職員から、「現在の理事さんの運営方針が、どうしても理解できない。PTAの力を貸してほしい。」という趣旨の陳情がありました。
その一年ぐらい前に、長野市の中村教育長から「給食会の運営がでたらめだ。人を入れ替えなくては駄目」といった話があったのですが、その時点では、私は「給食会の中はしりませんが、営業をやっている組織なのですから、お役所の発想で理事を変えろというのは無理でしょう」という主旨のお話をしていました。
それが今回は事務局の方からの陳情ということでしたので、事情を調べた上で、改革のお手伝いをさせていただくことになってしまいました。
きっかけは、年度総会は三月の期末終了後、通常は5月か6月には開催すべきなのに、10月を過ぎても理事長が松本から来てくれないから開催できない。困っているというものでした。その前年もそうだったということで理事会では問題になっていたようです。
私の調査した結果の判断は次の通りです。
1)県教育委員会の監督のもとにある財団法人ですから、まずは運営をきちんとやることは常識ですが、それが出来ていないと感じました。
2)給食会には本部の土地建物以外には財産が何もない。倉庫等は全て借り物、役員も学校関係者も多いのですが、当て職の理事は順番まわりの方は別として、古くから経営に携わっている方は、学識経験者のご老人ばかり・・・、この組織は、給食センターや単独学校給食実施校に対し、食材の供給販売を行っているわけですから、安定した経営をしていくには、経済・経営がわかる人がいないとうまくいかないのではないか・・・と感じました。
3)また矛盾した話しですが、給食会から販売される食材は、県下同一価格でなければいけない・・・運賃差を無視した話しですし、販売量も考慮しない矛盾だらけの感じでした。しかも価格は入札で安くなくてはいけない・・・。給食会にとっては、学校の給食センターが一番のお得意先でしたが、ある時、市の担当課長から「学校給食会の役目は終わったので、もういらないのではないですか・・・」と言われたこともありました。
ただ、私は組織の理事である以上、職務専念義務があるわけで、いらないという意見は無視し、改革してやろうという意志を強くいたしました。
非情ではありましたが、古い役員さんには全て辞めていただくように根回しをし、理事長職は学校の先生から新たに選ぶことにして、役員に外部の経営のわかる方をいれて、強引に新しい体制をつくりました。
私はPTAの代表で給食会の役員になっていましたので、あまり遠慮することもなかったせいか、かなり強引に作業を進めさせていただきました。
激論の結果、ご老体の理事長さん方に辞めていただいたことなどについては、若干配慮が足りなかったかなあと後味の悪い思いをしたものです。
ただ監督官庁の県教委の教育長と話し合ってみると、早く辞めてもらうべく何度も職員を派遣したが、鼻であしらわれてしまって困っていたとのことでしたので、ちょっと申し訳なかったのですが荒手術に踏み切ったわけです。
理事長先生が交代して新しい活動がはじまりました。組織の整備、施設の整備です。新理事長を車にお乗せして、組織の支部や倉庫をどこに建設するか、場所の候補地を探して歩き、投資を決断していただきました。
理事長さんは「教員は借金するのが怖くて・・・」と心配そうでしたが、私は「前向きの借金は怖くない。それに個人の借金ではなく給食会の借金です。今やらなくては組織の将来に禍根を残します。もし理事会で土地購入の了解を得られなければ、私が買い取ります。それに県管轄の財団法人給食会ですが、過去、県から補助をもらって運営してきたわけではない。だから最悪の場合、県教育委員会から補助をもらってもよいはずです」とまで・・・親しい先生でしたからあんな口を効けたのでしょうが、随分乱暴なことを申し上げたものです。(結果は本部土地の買い上げ価格について、県は若干色をつけてくれたようにも感じていますが、あくまで独自団体の誇りは保ったはずです)
県庁のそばにあった本部事務所は、古い役員さんには思い出のある事務所だったようですが、県に買ってもらって(オリンピックが近づいていて、県も欲しかった土地のはずでした)、新たな土地を若穂の流通団地内に求め、長野の倉庫を兼ねて本部事務所を建設、さらに松本にも倉庫と事務所を建設しました。私がPTAの役員を辞めてからの動きは詳しくはわかりませんが、立派に経営されているはずです。
事務所と倉庫(現場)は、相互の交流がよくなるから一体でつくるべきである。というのが私の昔からの主張で、そのことを実践したもので成功だったと思います。
PTAの活動は、何もない年なら平凡に過ぎていくのでしょうが、私が会長時代、あまり平穏には終わりませんでした。総合選抜制度の動きは経済団体にも波及し、特に長野県経営者協会やJCも、PTAを応援してくれたように記憶しています。
JCの活動とは違いますが、JCメンバーは個々の立場で、PTA活動に熱心に取り組んできました。JCメンバーの年齢が子供さんの親の年代が多いのは当然で、そのためか自分のこととしてPTA活動に取り組めたようにおもいます。