前に、公益団体や宗教団体、さらには政治団体については、私の考え方をお話しましたが、企業関係の話はほとんどしてありませんでした。でも、なんだかんだと言っても、私は企業人として生きてきているわけですから、今日はその話をしましょう。
会社組織は、自由に設置できるものであり、運営もあまり制約がないものであるべきと、私は考えていますが、いろいろな矛盾もあると感じています。即ち「株式」というのは個人や企業等が集まって、出資してつくるものですから、目的に賛同する多くの人達が出資者になることが重要です。そして出資した金額に応じて議決権を有するべき組織であるべきでしょう。
校長先生「鷲澤さんの会社の資本金はいくらですか?」
鷲澤 「2100万円です」
校長先生「株主さんは、誰ですか?
鷲澤 「名義上は良く分かりませんが、実質は私一人です。私の自由に 出来ます」
校長先生「それで、会社の売り上げは・・・・?」
鷲澤 「100億円近いでしょう」
校長先生「何故・・・そんなことができるのですか?」
鷲澤 「うーん・・・先生、そのことにお答えするためには、簿記学からはじめて・・・経営学等・・・・とても短時間では、答えられません・・・・」
私はこの先生が大好きで、折にふれていろいろな話をさせていただきましたが・・・・・正直に言って、教育の世界の常識は、経済社会とは違うなあということが多かったように思います。私の住む経済の世界の方が良いと言うわけでは、全くありませんでしたが・・・自由という立場だけは、私の方が有難いのだと思ったことは事実です。
会社を興す場合、一人、あるいはその関係者(親類など近親者)のみを出資者に限ることは、本来ではないはずですが、株式というのは物と同じで売買も出来ますし、長い間には株主間の意見の違いなどもあって、喧嘩わかれや組織が集約されていくこともあります。
自由であるべき企業活動も、徐々に規制が強まってくることは、仕方がないことでしょう。
企業は儲けることばかりでは尊敬されず、きちんと「社会の為の行動」をすべきであることも大切であるいうことが、世間一般に認識される時代になったように感じています。企業ボランテイアとかメセナとか文化活動という言葉が大切になってきています、経営者は常にそのことを意識しなければならない時代でしょう。
私が所属した長野青年会議所の目標は「明るい豊かな社会を築こう」でした。でも青年会議所の活動に熱心すぎて、会社がおかしくなった例(それだけの理由では無いでしょうが)は、枚挙にいとまがありません。まず自分の基盤をしっかりさせることも、当たり前ですが、必要です。
より良くしよう、より儲けたい、永続的な企業にしたい、より高く、大きく、誇り高い企業でありたい・・・当たり前のことですが、二つの重要ポイントがあります。
①
株式の公開をしている会社かどうか
上場会社か非上場会社かでは、大きな違いがあります。
株主総会、取締役会、議事録の整備、監査役等を整備し、組織運営をきちんとやる必要があります。
これは上場会社の場合、他人に資本を出してもらうわけですから、自分(社長)の会社という観念を捨てないといけないと思うのです。(捨てるというのは無理でしょうから私物では無いという観念でしょうか)
②
同族会社かどうかも、大きなポイントです。
会社の大小には関係なく、特定の株主の支配権が、特定の人に集中している場合(その比率は忘れました)、同族会社ということになり、普通会社と比べれば税法上は、不利な点があるようです。ただ個人経営と違って、法人経営にはそれなりに有利なことがあるのですから、感謝の気持ちを忘れてはいけません。
私は、ひと頃、自分の会社を公開して、上場会社にしたいと夢をみたことがあります。一種の株式公開ブームのようなものがあり、株式を売り出して創業者利潤で、税金が安いことを利用して、大きな資金を獲得する成功物語が、かなりあったようで、私も羨ましく思ったものでした。
株式会社ですから、多くの方に、株式を持ってもらうことは、それが可能ならばよいことでしょうし、資金的に豊かになり、大企業の仲間入りをし、有名にもなりますし、今後の投資資金も獲得できれば・・・・良いことづくめで嬉しいし、個人的にも株式売却で、お金儲けが出来ればいいなあ!・・ただ個人的な利益については具体的にあまり考えていませんでしたが、何となく憧れていたと思います。(本当かどうかは定かではありませんが、アメリカの例では、自分で会社を起業し、良い会社になったら、他人に会社を高く売り付けて、自分は、悠々自適の生活をするのが理想だという話をきいたことがあります。私には考えられない発想ですよね)
①
まず、炭平は、我が家の家業であること、他人に経営を左右される危険性があることをすべきではない。親父が戦地から引き揚げて事業を再開してしばらくして、個人事業から株式会社にしたようですが、きっかけは個人営業では税金が高くてかなわないと親父が言っていたことをなんとなく記憶しています・・・が、それだけではなかったと、今は感じています。法人化はしたけれど、・・・・何が変わったかははっきりしていませんが、実態は個人営業と変わりはありませんでした。ましてや株式公開なんて夢にも考えていなかったはずです。ただ個人営業のままでは、現在の規模には成長していなかっただろうなあとは思っています。(一番は人が集まらなかったでしょう)
②
確かに親戚や知人に、株式を持ってもらうことは考えたらしい形跡はあるのですが、実現せず、名義上の株主はいたはずですが・・・家族や少数の親戚の名前でした。私が社長になってから、この辺の整理には頭を使いました。
③
確かに株式を売り出す(出資してもらう)ことにより、多分、会社の借金はその分少なくて済んで、自前の資金(出資してもらった資金は、会社にとっては自己資金)だけで運営できれば、当面は楽ですよね。
④
ただ、他人資本に対しては、当然のこと金利に相当する配当を出さなくてはならない、意見も聞かなくてはならない・・・・自己資本とは言え、他人さまに出資していただいているのですから、配当分は税金と同じ、社外流出ですよね
⑤
借金に頼ることが不必要な体質が出来るとすれば、ありがたいけれど、そんなことをしなくても、幸い当社には、戦後の株式会社設立以後に限っても、過去の蓄えは、かなりあるし、信用度もまずまず、取引銀行との関係も良好、社員も信頼できるし、得意先とのコミュニケーションも良好、商社活動に重要な仕入れ先との関係も良好で、さしあたっての資金需要に困ることはない。・・・鷲澤個人の信用は、当時の規模の店を運営するのに、十分だったようです。
⑥
何よりも経営に他人の介入を招きたくない、自由に、自己責任で、やっていきたい。
⑦
景気は常に変動することを覚悟しておく必要がある、景気の悪い時、あるいは当社の経営が何らかの理由でピンチになったとき、他人資本がはいっていたら、迷惑をかけることになる。一番怖いのは、取引先の経営難(即ち倒産)だが、取引先の動向に注目して危険を予知する能力を磨いていく必要は、常にある。
何年か経ってから、即ち将来、株式を公開する可能性はないわけではないと感じていますが、多分それは、後継者の責任で考えることでしょう。