2006年6月1日木曜日

地産地消について私の解釈


 「地産地消」をインターネットで調べてみますと、「地域生産、
地域消費」の略語で、地域で生産された農産物や水産物を、その地
域で消費することとあります。
 地域の農産物を手軽に手に入れる場所として各地に農産物直売所
が作られたり、最近は「道の駅」も地域産品の総合的販売所として
脚光を浴びています。アグリながぬま、道の駅大岡特産センター、
鬼無里農林産物直売所・・・豊野温泉りんごの湯、新しく出来た
「湯~ぱれあ」にも、地域の方々の農産物直売所が出来ています。

 さらに調べてみると、地産地消について次のように出ていました
ので、引用させていただきますと、
長所・旬のものを新鮮なうちに食べられる。
  ・消費者と生産者の距離が近いゆえに鮮度が高い。
  ・地域経済の活性化、地域への愛着につながる。
  ・地域の伝統的食文化の維持と継承。
短所・行き過ぎた「地産地消」は排他主義や小地域ブロック経済に
   つながる恐れがある。
  ・地産農産物はフードマイレージ(食料の輸送距離)が少ない
   ため、価格競争力があり、他地域の農産物を駆逐してしまっ
   て、食における多様性が減る。
  ・それまでの農産物の輸出道県および輸出国の農業不振につな
   がる。
  ・地域における地産農産物の寡占が進むと競争力が減り、価格
   が上がる。

 短所については、最初の意見はその通りと思いますが、その他は
現状とはかけ離れすぎて、ちょっとついていけません。でも、長所
についてはその通りだなと思っています。日本農業再生の切り札に
なる可能性を秘めているのではないかと考えています。

 最近、地産地消という言葉とあわせて「身土不二」(しんどふじ)
という言葉がよく出てきます。これも調べてみますと「人(身)と
その人が生きる郷土(土)は、密接な関係があるものであり、別々
に存在するものではない(不二)という思想を表す言葉であり、転
じて「地元の食材を食べることが、人間の健康に良い影響を及ぼす」
という意味に使われているようです。

 「スローフード」という言葉も、地産地消の意味で使われること
があるようです。
 元々は「ファストフード」に対する言葉のようで、イタリアでフ
ァストフード店がチェーン展開され始めたとき、イタリアの「食」
が食いつぶされるという危機感が募り、この「スロー」を強調する
ことで、自分たちの食を見直し、守りたいという動機につなげたと
のことでした。

 消えていく恐れのある伝統的な食材や料理、質の良い食品(ワイ
ン)を守る。
 質の良い素材を提供する小生産者を守る。
 子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。

 スローフードという言葉が、そのような活動と結び付いて、伝統
の食事、素朴でしっかりした素材、有機農業、健康に良いといった
イメージが「美食」という言葉と重なって、一挙に人の注目を引く
ようになってきているようで、日本にも紹介され、導入されてきた
ようです。

 この語は、ファストフードと対立する意味で作られたわけですが、
決してファストフードを否定、排斥するものではなく、グローバリ
ズム(地球主義)には、ローカリズム(地域密着主義)を対置させ
る、その意味では村おこし運動などに、そして、地産地消にもつな
がってくるのだろうと思います。

 私は地域社会の活性化を考える時、「地産地消」を農産物に限る
ことはないと考えています。そして、現在の世界レベルの商品流通、
ナショナルブランドの商品流通が、地域社会を席巻している現状を
大変憂慮している一人です。

 昔から、家電製品をはじめとして、車等あらゆる「モノ」が大企
業によって(結果としてと言った方が正確でしょうが)開発・製造
され、流通経路の整備が進んだことで、地域産品が圧迫されてきた
のが歴史でしょう。ただそれによって私たちは安く良質な「モノ」
を持てるようになり、豊かな生活が出来るようになったことも事実
です。

 インターネットが商売に利用されるようになって、個人でも、店
を構えなくても、あるいは全国へチェーン展開しなくても、いつで
も、どこでも、誰でも、誰にも・・・「モノ」を売ったり買ったり、
あるいはアイデアを売買したり、いろいろな可能性が広がると私た
ちは思ったのですが・・・確かに現にその仕組みに取り組んで、成
功している人たちもおられることは事実ですが、すべての人がその
恩恵にあずかっているわけではありません。

 地域社会の活性化、生活圏域の確立という観点からは、現段階で
はかえって地域の衰退を招いているのが実態でしょう。少し前のメ
ルマガでも書きましたが、郵政民営化が進んで、全国レベルでの物
資の調達が進み、地方の卸問屋が苦戦しているのも、インターネッ
トのせいとは言わないまでも、その一つの現れでしょう。

 地産地消の「地産」の意味もなかなか難しい。農産物だって肥料
や農機具、種子のことを考えればすべてがその地域で作られたとは
いえません。地方卸問屋だって、仕入れは全国ベースでしょうし・
・・昔、旅先の朝市で、獲れたての魚を購入する素晴らしい経験を
しましたが、その後行ったとき、どうみてもその地域の産品とは思
われないものが多くてがっかりしたことを、思い出します。

 私は「地産」というためには、その商品の付加価値の大きな部分
が長野市に落ちるかどうかで決めるべきだと思っています。それが
雇用の増加にもつながります。
 例えば、ビールですが地ビールは別として、地元の酒屋さんはメ
ーカーや問屋さんから仕入れるわけですから、付加価値と言えるの
は売値と仕入れ値の差だけと言ってもよいでしょう。そこへいくと
日本酒は地産です。酒ビン、ラベルの印刷は、仮に県外からとして
も、酒を造るという「付加価値」の大部分は、長野市の醸造メーカ
ーである限り、長野市内に落ちるはずですから、地産と言って良い
のではないでしょうか。そして酒米も地域で生産しているならばま
さに地産です。そのことに気付いてから、私は飲み屋で酒、そして
出来れば長野市の醸造所の名前を挙げることにしています。

 付加価値が大きい産業を育てたい・・・それが長野市の産業を活
性化する元だと私は信じています。地産地消と言える長野の事業者
に期待しています。

 ただ、この発想が行き過ぎると、地産地消の短所として挙げた
「排他主義や小地域ブロック経済につながる」ことが考えられます。
でも、そうなった時は反対の方向へ動けばいいと思います。まずは、
そう言われてみたいものです。