2005年5月26日木曜日

金沢市で北信越市長会が開催されました


 5月19日(木)、20日(金)、金沢市で北信越市長会が開催
されました。この市長会については、何度かメルマガでご報告して
いますが、春秋の年2回、各県持ち回りで開催しているものです。

 今回の北信越市長会での内容は、

1.各県市長会ごとに提出された国への要望事項について審議し、
北信越市長会として全国市長会へ提出する要望事項を決定しました。

2.次期開催地の決定と役員改選。次期開催地は福井県小浜市に、
次期会長は腰原長野県大町市長に決定しました。併せて山出金沢市
長の全国市長会会長再選へ向けての支援体制の確認をしました。

3.決議文の承認(被災者生活再建支援制度の拡充に関する特別決
議、真の三位一体改革の推進を求める決議、北陸新幹線の建設促進
に関する決議)。

4.総務省自治財政局の平嶋地方債課長の講演。今後の地方財政改
革について、総務省と財務省の見解の違いも含めお話しいただき、
興味深くお聞きしました。

 北信越市長会に併せて開催されたものとして、

5.北陸新幹線関係都市連絡協議会(現在の会長は森富山市長)の
開催。この協議会も市長会の開催に併せて毎年開催しているもので
す。本年は現在までの進捗状況を確認し、さらなる建設促進を国へ
働きかけることを決定し、役員改選で次期会長は長野市長が務める
ことになりました。私は就任のあいさつで、北陸新幹線が沿線住民
の長年の悲願であることを鑑み、全力をあげて取り組むことを宣言、
もうひとつは浅川治水問題が、長野市内の新幹線建設の障害になっ
ていることを率直に語りました。この話は長野県内の多くの皆さん
は知っている話ですが、他県の市長さんの中にはご存じなかった方
も多くいらっしゃいました。会議終了後、地元の新聞記者さん等に
囲まれ、細かい事情説明に追われました。

6.長野県市長会の臨時会開催。これも北信越市長会に併せて行わ
れるのが恒例になっています。長野県の組織再編問題、住基ネット
の安全認識、高校改革プラン、地球温暖化対策等が話し合われまし
た。

 金沢市内の視察では、金沢21世紀美術館を訪問しました。金沢
大学付属小・中学校の跡地へ造ったものだそうですが、まちの真ん
中に位置し特徴ある円形の建物です。平成16年秋に開館した新し
い美術館で、既に90万人の来場者があるそうです。美術館のパン
フレットにある「目指すもの」の項には「新しい文化の創造と新た
なまちの賑わいの創出」を目的とし、「21世紀という大きな歴史
の転換点にあたり、新たなまちづくりへの対応が求められています。
金沢21世紀美術館はミュージアムとまちとの共生により、新しい
金沢の魅力と活力を創出していきます」とあります。大変意欲的な
文章であり、そして通常の美術館ではないことがよく分かります。
的確な表現での説明は難しいので、皆さんご自分の目で確かめてい
ただくことが一番。とにかく新しい試みであると申し上げておきま
す。

 2日目の市長会終了後、金沢市民芸術村へ立ち寄ってみました。
ここは、紡績工場の跡地だそうですが、繁華街にほど近く、開村9
年目だそうです。マルチ工房、ドラマ工房、オープンスペース、ミ
ュージック工房、アート工房はそれぞれピットと呼ばれ、思い思い
のスタイルの演劇、音楽、美術などさまざまな創作活動ができるよ
うになっていました。防音装置も施してある工房もあり、もんぜん
ぷら座の地下のぷら座BOXを大きくしたような施設のような感じ
がしました。また、古い農家を移築した素敵な建物があって、のぞ
いたところ5人ぐらいの方がオカリナの練習をしていました。工房
の正面にはサッカー場として使えると思えるぐらいの広い芝生の広
場(災害時には防災拠点広場となる)があり、隣りには金沢職人大
学校(石工科、瓦科、左官科、造園科、大工科、畳科、建具科、板
金科、表具科、そして希少伝統産業室もありました)があり、とて
もユニークなものでした。

 金沢の文化財を保持するためには、こういう芸術家や職人を育て
る必要があるのかもしれません。逆に金沢だからこそ、こういう職
人の需要があるのかもしれません。いずれにしろ、この一帯の施設
に私は金沢のまちの持つ奥深さを感じたことは事実です。

 そういえば、市長会の懇親会のアトラクションで拝見した「金沢
素囃子」(注)も金沢ならではのものだそうで、市指定の無形文化
財だそうです。人口は約45万7千人、広さは旧長野市より少し広
いぐらいですが、さすが加賀百万石の城下町・・・一味違う文化の
薫りを感じました。

(注)金沢素囃子(かなざわすばやし)
 素囃子は、長唄、常磐津(ときわづ)、清元などの邦楽からお囃
子のみが独立した、唄の入らない演奏形式のことですが、金沢素囃
子は、三味線、太鼓、小鼓、笛、唄いがあって、立ち方、すなわち
踊りがない囃子ということのようです。金沢素囃子保存会はその演
奏をカーネギーホールで披露されたこともあるそうです。

2005年5月19日木曜日

連休以後の出来事


 4月24日(日)から5月2日(月)までのアメリカ合衆国クリ
アウォーター市訪問については先週のメルマガで報告させていただ
きましたが、帰国後、いろいろな行事に参加させていただきました
ので、今回は少し雑然としたメルマガになりそうですが、連休後半
から15日までに私が参加した行事等について、書かせていただき
ます。

「善光寺花回廊」
 4月28日(木)~5月5日(木)、「善光寺花回廊」が善光寺
表参道(中央通り)で行われました。私は3日(火)の午後、中央
通りを歩いてみました。2車線道路の片側を公共交通機関が使い、
もう片側にさまざまな花が飾られていましたが、皆さんの努力が結
集した見事な出来栄えで、多くの観客を集めていました。私は特に、
チューリップの花びらで絵を描く「花キャンバス」や須坂園芸高等
学校の生徒の皆さんが花鉢で幾何学模様を表現した「タペストリー
ガーデン」の素晴らしさに感動しました。シャトルバスも運行しま
したが、昨年と同じくらいのお客さんだったようです。

「飯綱で乗馬体験」
 来年度の北信越国民体育大会馬術競技が、飯綱高原乗馬倶楽部で
開催されることが決まり、諸々の準備が進んでいます。7日(土)、
倶楽部の理事長さん方に誘われ、視察かたがた乗馬を体験してきま
した。国体の種目である障害競走などはとても挑戦できませんが、
理事長さんの配慮で、ゆっくりと山の中を3時間ほど馬に乗ってき
ました。

 ハイランドホール飯綱の傍らから、飯綱高原スキー場を横切る林
道を通って、戸隠の宝光社の近くまで行き、帰りは戸隠古道を通っ
て「一の鳥居」の辺りまで、10数キロメートルの距離だそうです
が、のんびり、そして快適に楽しく乗せていただきました。倶楽部
から出発し周遊して倶楽部まで戻ると20キロメートルのコースに
なるそうです。

 乗馬にはエンデュランス競技というのがあるそうで、それは、
40キロメートルから160キロメートルの長い距離を速さだけで
はなく、できるだけ馬に負担をかけないで走る、馬と人間の耐久レ
ースだそうです。このレースは北海道などを中心に開催されている
とのことですが、飯綱・戸隠方面も素晴らしい環境にあり、「長野
でやれば大勢の人が集まるよ!」とアピールされました。若葉や紅
葉の季節に馬に乗ってゆったりと山の中を歩けるとすれば、冬は歩
くスキー、夏はトレッキング等との併用で確かに素晴らしい観光資
源になるかもしれません。馬の育成や馬ふんの処理などいろいろ難
しいこともあるとは思いますが・・・・。

「エルザ4連勝」
 サッカークラブ「長野エルザ」の第1戦については既にご報告し
ましたが、第2戦は4月24日(日)石川県松任市で、アウェイで
したが6対0で勝ちすっかり勢いに乗ってきました。第3戦は8日
(日)南長野運動公園で、FCアンテロープを迎え、5対0で快勝。
第4戦は15日(日)同会場で新潟経営大学を迎え、2対1で勝ち
ました。

 私も時間の許す範囲でできるだけ応援したいと思い、8日、15
日と応援に駆けつけました。現段階ではファンの皆さんの応援も順
調に増えているようで、第1戦は約600人、第3戦は約1,30
0人、第4戦は雨にもかかわらず約1,100人の皆さんの応援が
あったようです。南長野運動公園のサッカー場は約6,000人が
入れます。優勝する頃には応援のお客さんで一杯になれば(現在は
入場無料です)、そんな夢を見ています。エルザ!JFL昇格に向
けてガンバレ!

「豊野つつじ山まつり」
 8日(日)、合併した豊野地区のつつじ山へ招待されました。こ
このツツジは確かに見事なもので、全山がツツジでした。麓の富士
社の社殿横で、記念樹の植樹をさせていただき、山の頂上まで登ら
せていただきました。満開には少し早い時期でしたが、屋台店がで
きるなど、地元の皆さん総出でお祝いしておられました。萩原前町
長さん、県議会議員さん、市議会議員さん等も参加されていました。

「長野市野外彫刻賞の授賞式」
 9日(月)、昨年度の野外彫刻賞に選ばれた作家の方の授賞式を
行いました。授賞式の後、市民の皆さんをご案内して、バスで受賞
作品を作家の先生の解説付きで見て回るイベントを行いました。大
変好評で、市民の皆さんもこんな体験は初めてということで、感激
された様子とのことでした。この野外彫刻は昭和48年から長野市
独自で行っている「野外彫刻ながのミュージアム」のプロジェクト
であることは以前ご報告したとおりです。現在は市内に133点も
の彫刻があります。

「芋井・影山地区での移動市長室」
 10日(火)、影山地区で「中山間地域等直接支払制度」の実態
を視察させていただき、その後地区の皆さんと話し合いを持たせて
いただきました。現地は飯綱高原のすぐ下の場所です。湿地の多い
場所での農業ということで、いろいろ苦労があるようですが、水が
豊富で綺麗なことが素晴らしく、せりやクレソン等は長野市の担当
者によれば充分売り物になるという意見でした。ホタルも数え切れ
ないほど出るそうで、トレッキングコースにもなりそうな素晴らし
い景観もあります。せっかくの制度ですから、儲けることを考えま
しょうとお話ししました。

「総会シーズンたけなわ」
 4月・5月は、多くの団体で総会が開催されます。市長はいろい
ろな団体からご招待をいただきます。日程上とても全部は出席でき
ませんので、欠席、代理出席が多くなり申し訳なく思っています。
でもこういう総会に出席させていただくと、普段、市の担当者から
は聞けない本音や裏話を聞かせていただくことができ、私にとって
とても良い勉強になります。

 長野県弁護士会や長野県司法書士会の会合では、現在司法界が大
変動の時期になっていることを教えていただきました。不動産の登
記関係がすべてインターネットを利用したオンライン化へと進んで
いること、弁護士の数が大幅に増えること、裁判員(陪審制)制度
が始まること、裁判だけでなく一歩手前の和解も増えることが予想
されること等・・・

 長野商店会連合会の総会では、大型店の出店問題が話題になりま
した。また、北陸新幹線長野県沿線広域市町村連絡協議会の総会で
は、浅川治水問題が北陸新幹線の建設に支障を来たしていること、
開通後の長野以北並行在来線経営分離問題の検討が、県の主導でよ
うやく始まったこと等が話題になりました。そして、危険物の安全
管理と建物の防火管理などの活動を行っている長野危険物・防火管
理協会の総会にも出席しました。

「信濃毎日新聞社の本社ビル竣工式」
 12日(木)、長野県の地元新聞である信濃毎日新聞社の本社ビ
ルが完成し、その竣工式にご招待いただきました。新聞を発行しな
がらの工事で大変だったとのことですが、総ガラス張り、免震構造、
柱が見えない広いフロア、新しい設備・・・現在考えられる最高の
建物が出来たと思います。小坂社長の話では、今までの本社ビルは
大正12年から約80年間使った、今度のビルは100年は使って
ほしいとあいさつされていました。

「ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2005」
 15日(日)の夜、この「ツアー」のレセプションに出席し歓迎
のあいさつと表彰のプレゼンターを務めさせていただきました。こ
のツアーは昨年に続き2回目だそうですが、今年は長野市の合併記
念と銘打って、横浜の赤レンガ倉庫前をスタートし、山梨県の湯村
温泉を経由して、普段見られないクラシックカー70台と最新のス
ーパーカー10台余が連なって長野市まで走り、市内は合併地区の
大岡、鬼無里、戸隠、豊野はもちろん、飯綱、松代から善光寺まで、
走行してくださいました。

 長野市で泊まるに当たって、中央通りにデモンストレーションを
兼ねて駐車する案もあったのですが、なにしろ高い車は数億円もす
るという話ですので、何かあったら困るということで、ご遠慮させ
ていただきました。長野市の素晴らしい景色と新緑の信濃路を楽し
んでいただき、長野市民も大勢沿道に出て、歓迎してくださったよ
うです。

 一つだけ、残念な話。松代の大切な市指定文化財である「矢沢家
の表門」が火災にあったことです。近隣からの類焼によるものです。
本当に残念です。

 以上、15日までの近況報告です。

2005年5月12日木曜日

クリアウォーター市 訪問記


 4月24日(日)から5月2日(月)まで、姉妹都市であるアメ
リカ合衆国クリアウォーター市を訪問しました。皆さんご存知のと
おり長野市とクリアウォーター市とは、昭和34年(1959年)
に姉妹都市提携を結びました。昨年は45周年ということで、アン
グスト市長さんをはじめ、市民など50名を超す皆さんが長野市を
訪問されたことは、昨年度のメルマガでご報告したとおりです。本
年はその答礼の意味もあって公募市民および長野市国際親善クラブ
(小出博治会長)の皆さんのご協力を得て、31名の訪問団を結成
して訪問しました。

 今回の訪問にあたり、クリアウォーター市との姉妹都市提携の経
緯について調べてみました。昭和31年頃、アメリカの国務長官が
アメリカの各都市に対し、日本の都市との姉妹都市提携を結ぶこと
を奨励し、その時、クリアウォーター市が長野市に紹介されたとの
ことで、当時の倉島市長さんが、クリアウォーター市に招待され、
一週間ぐらい滞在されたそうです。そして両市とも観光都市である
こと、クリアウォーター市が海、長野市が山という好対照であった
こと、また、当時の両市の規模が大体似通っていた等のことから、
いろいろ交渉があったのでしょうが、昭和34年に姉妹都市の提携
がなされたとのことでした。

 ユナイテッド航空で成田空港を出発、サンフランシスコ経由で、
最初にソルトレークシティーに入りました。ソルトレークシティー
は松本市の姉妹提携都市で、長野冬季オリンピックの次の2002
年冬季オリンピック開催都市であり、長野とは縁がある都市です。
2002年の冬季オリンピック当時私は市長就任直後でしたが、前
開催地市長ということで招待され、風格ある市庁舎を訪問、アンダ
ーソン市長と会談してオリンピック開催都市として協力・交流を約
束しました。

 4月25日(月)は全員でアンダーソン市長を表敬訪問し、貴賓
室で交流をしました。私からは、塚田佐前市長さんとNASL地球
環境フォーラム(NASLの「NA」は長野のNA、「SL」はソ
ルトレークのSL)の倉嶋さんから依頼を受けた「リレハンメル~
長野~ソルトレークシティーと化石燃料を使わないでメッセージを
届ける環境使節を、来年の冬季オリンピック開催地であるトリノへ
届けてほしい」ということの催促をさせていただきました。結果は、
すでに使節を派遣したとの返事を市長からいただき、大いに安心し
ました。

 コラディーニ元市長さん(長野冬季オリンピックの閉会式で塚田
前市長さんからオリンピック旗を受け取った、当時の女性市長さん)
とも会談、女子のスキージャンプ競技をオリンピックの正式種目に
する運動への協力を要請され、日本のスキー連盟へ話をつなぐ約束
をさせていただきました。

 前回の訪問時はオリンピック開催中で、大変にぎやかな街という
印象がありました。人口は100万人近い大都市と聞いていたので
すが、今回よく聞いてみると、それは周辺を含んだソルトレーク・
カウンティー(日本では郡と呼んでいますが)の話で、市の人口は
18万人とのことで、何となく納得しました。それと、さすがにモ
ルモン教の本拠地という印象は、ソルトレークシティーの商工会議
所の夕食会へ招待され、懇談した時に、乾杯が「水」であったとい
うことです。

 翌日はいよいよクリアウォーター市へ。ソルトレークシティーか
らシカゴ経由でフロリダのタンパ空港へ到着すると、ヒバード現市
長さん、アングスト前市長さん、ガービィー前々市長さん、そして
大勢のクリアウォーター市民の出迎えを受けました。タンパ空港か
らクリアウォーター市へは車で約1時間の距離です。

 クリアウォーター市での始めての夕食会はブライトハウス・ネッ
トワークス・フィールド(野球場)でした。残念ながら雨でベース
ボールは行われませんでしたが、食事をしながら球場経営のノウハ
ウをお聞きしました。大リーグのフィラデルフィア・フィリーズの
春季キャンプ地として全米一美しい球場として有名なのだそうで、
多分ネーミングライト(命名権)も利用しているようです。

 4月27日(水)、クリアウォーター市庁舎に、ヒバード市長を
表敬訪問しました。人口11万人の市で、日本とは行政の仕組みが
かなり違います。前回の訪問時にわかったことですが、市議会議員
にあたるコミッショナーは5人で、その内の1人が市長です。コミ
ッショナーとしての給与はわずかで、とても専門職の報酬ではない
ので皆さん普通の社会人として正業をもっているそうです。また、
コミッショナーとは別に、シティーマネジャーと弁護士が重要な存
在であるとのことです。

 シティーマネジャーは前回訪問時のビル・ホーン氏が引き続き務
めておられました。彼の話では市長は代わったけれど継続性を考え
て引き続き勤務を要請されたので、受諾したとのことでした。弁護
士は女性で、弁護士スタッフ4名を抱えて専属で取り組んでいると
のこと、長野市では常勤弁護士はいなく、顧問弁護士が1名だけだ
と話したら目を丸くしていました。

 私は表敬訪問でのあいさつで、ヒバード氏の市長就任への祝意、
そして昨年の市民代表団の長野訪問、長年の教師や生徒の交流事業、
3月の長野市合併記念式典にヒバード市長からビデオ・メッセージ
を贈っていただいたこと、等々についてお礼を申し上げました。さ
らに98年の冬季オリンピック・パラリンピックに続いて本年スペ
シャルオリンピックス冬季世界大会を開催したこと、1月1日に周
辺4町村と合併したことを話しました。

 感激したのは、フロリダ駐在の日本総領事が出席してあいさつし
てくれたことです。フロリダには日本と姉妹都市提携している都市
が9市あるそうですが、その中でも長野市とクリアウォーター市は
一番歴史があるそうです。

 昼食は前回と同じく、地元のロータリークラブの例会に招待され
ました。簡単なスピーチをさせていただきましたが、95~96年
の国際ロータリー会長の出身ロータリークラブで、その元会長ブラ
ウンさんからスピーチとともにバナーを贈られました。私も地元の
ロータリークラブのバナーを持って来れば良かったと反省しきりで
した。

 午後、市立図書館に両市の関係者が集まり、意見交換をしました。
両市の交流は、最初の頃は踊りやお茶といった文化交流だったよう
ですが、最近の20年ぐらいは、教師の交換にはじまり、ホームス
テイを中心にした子どもたちの相互訪問へと拡大しています。この
件についてはさらに拡充する方向で検討することで合意しました。
経済交流ができれば一番良いのですが、アクセスがスムーズにいか
ない、コストがかかりすぎる、といった問題があり、現段階では検
討課題ということでしょう。

 また、リサイクルや中心市街地の活性化の話題も出ました。リサ
イクルでは、いわゆるゴミ処理の有料化について、1カ月、1世帯
あたり22.5ドル徴収しているとのこと、かなりの金額にびっく
りしました。リサイクルについてはお互い重要であるという認識で
は一致しているのですが、この種の話題については専門家同士の話
が必要ということを痛感しました。

 地元テレビのインタビューを受けたり、姉妹都市委員会の歓迎レ
セプションではプレゼントされたハワイのアロハの様なシャツを着
たりして、リラックスした時を過ごすことができました。

 翌日早朝、私は前回できなかったホテルの前の砂浜での散歩を楽
しみました。比較的固い砂で、細かい貝がびっしりの白い砂浜は印
象的でした。それから、パフォーミング・アート・ファシリティー
(芸術学校と会館)やラルゴ中学校を視察し、ウイルコックス教育
長とも教育交流についての懇談をしました。また、ヒバード市長宅
へも招待され、忙しい中でも有意義な時間を過ごしました。

 そして最後はクリアウォーター市主催のサヨナラパーティーが行
われました。ヒバード市長さんのあいさつで始まり、マリの踊り、
訪問団員の美花さんのバイオリン演奏などがあり、私も英語でのス
ピーチに挑戦しました。おおむね好評だったということにしておき
ましょう。クリアウォーター市民の皆さんが長野市との友好を大切
にしていこうという気持ちが表れた素晴らしいパーティーでした。

 ひとつびっくりしたこと。それはヒバート市長さんの年齢が37
歳だったことです。私よりかなり若いことはわかっていましたが、
まさか30歳代とは・・・・。

 クリアウォーター市訪問を終えた翌日、再びタンパ空港からワシ
ントンDCへ向かいました。ワシントンDCではスペシャルオリン
ピックスの本部を訪問、本年の大会が成功裡に終わったことへのお
礼を申し上げることができました。残念ながらシュライバー会長さ
んはヨーロッパ滞在中ということでお留守でしたが、休日にもかか
わらず本部スタッフが大勢出向かえてくださり、長野への感謝の気
持ちを表してくださいました。また、日本大使館へも訪問し、兼原
公使からアメリカの事情についてお話を伺うことができました。

 ワシントンDCでは国会議事堂、ホワイトハウス、リンカーンメ
モリアル、ワシントンメモリアル等々、アメリカ合衆国の政治の中
心を間近に、現地ガイド・イデアトラベルの藤山さんの素晴らしい
語り口で、アメリカ建国、南北戦争、咸臨丸の渡航、明治維新との
関わり・・・等々のアメリカの歴史の一端に触れることができまし
た。私個人は何度かアメリカに来ていますが、ワシントンDCは初
めてでしたので、大変興味深く見聞きすることができました。藤山
さん曰く「ワシントンDCは、ファイナル・デスティネーション
(最終目的地)にはならない」とのことですが・・・私はワシント
ンDCに、より多くの人が訪れてみるべきだと思いました。

 ワシントンDCでの2日目の晩、訪問団全員で夕食会をしました。
忙しかった訪米も皆さんに参加していただいたおかげで、無事任務
を果すことができたと私は心からのお礼を申し上げました。皆さん
本当にありがとうございました。

 私達の直接のハプニングではありませんが、この日私達の泊まっ
たヒルトンホテルでブッシュ大統領が出席するパーティーがあり、
席上ブッシュ夫人が夫の演説に割り込むという事件(?)があった
と報道されています。私は部屋にいて知りませんでしたが、一行の
中にはテレビの実況を見て現場を視察された方もいたようです。

 5月1日(月)、朝7時ホテルを出発、テロを警戒する空港で靴
まで脱がされる厳しいチェックにあいながら、シカゴ経由で成田ま
で空の旅を続けました。成田空港に帰着したのは5月2日(火)の
午後2時でした。

 今回の訪問で、姉妹都市提携の意義を再確認するとともに、今後
さらに教育交流や経済交流を深めていきたいと感じました。

2005年5月6日金曜日

上信越三極連携シンポジウムが高崎市で開催されました


 4月7日(木)、高崎市で上信越トライネット推進協議会主催の
「上信越三極連携シンポジウム」が開催され、松浦高崎市長、篠田
新潟市長、木浦上越市長、そして長野市長である私が出席し、意見
を述べ合いました。ほかにそれぞれの市から企画担当の職員、青年
会議所関係者、議会関係者・・・そして高崎市周辺の町村関係者も
出席されていたようです。

 上信越トライネット推進協議会は、三極(新潟・群馬・長野)の
経済的、文化的連携に着目し、発展の可能性を探り、複数の地方圏
が連携して東京との関係を考えながら、独自の地域を確立すること
を目的としている、あるいはそれぞれ魅力ある拠点になろうという
意志が働いている・・・そんなことを目的に平成3年から続いてい
る研究会です。

 今回のシンポジウムでは、平成の大合併の時期だけに、各市とも
合併の話が多かったことは当然です。特に新潟市は、12市町村を
編入し、既に約78万人の人口に達し、秋には巻町と合併して約8
0万9千人になるそうで、平成19年4月に、日本海側で初めての
政令市を目指しているとのこと、しかも日本最大ともいえる農業都
市で、食料自給率61%ということだそうです。びっくりしました。

 高崎市も内陸の交通結節点として存在感を高めていますし、上越
市は4月14日(木)のメルマガで紹介しましたが、13町村との
合併をしたばかりです。

 長野市長としての発言は、合併の話はもちろんですが、建設が進
んでいる北陸新幹線の意義、特に東海道新幹線の代替補完機能の役
目を強調しながら、長野県の浅川ダム建設問題で進まない長野市内
の新幹線建設工事、そして新幹線開業後の並行在来線継続問題につ
いて話をさせていただきました。

 この会議の本当の目的は何か・・・三県が連携して果敢に挑戦す
る圏域をつくろう、かつ首都圏機能の分散先となろう・・・青年会
議所が中心になって結成された1991年ころ、すなわち長野オリ
ンピックの招致が決まったころですから、今とは随分違う状況の中
で始まった会議でした。当時は各県の参加が得られなかったことで
(各県の事情を考えれば無理だったのでしょう)、いまひとつ行政
を巻き込んだ盛り上がりに欠けたということかもしれません。

 でも続けてきたことで、考えていたこととは違う面での連携の可
能性も出てきたような感じもあります。それは、いろいろ思惑はあ
るのだろうと思いますが、道州制が一つのポイントとなるかもしれ
ないということです。市町村合併が一段落すると、間違いなく議論
が道州制に移ると言われており、現に青森県、秋田県、岩手県が2
010年に北東北3県合体の実現を目指し、その後5~10年程度
で道州制へ移行という方向を出しています。

 県は合併してなくなり、州になる。そうなった時、その州として
の魅力、機能をどうつくっていくかが最重要テーマでしょうが、一
方でその州都をねらった都市間競争も激しくなってくることを感じ
させる会議でした。20年も前から、長野は関東圏か、中部圏か、
はたまた北陸信越圏か、甲信越圏かと話はされていますが・・・い
ずれ長野は難しい選択の時を迎えるのかもしれません。
20数年前、私が青年会議所を卒業するころ、このことで、「鶏口
となるも牛後となるなかれ」(注)ということを書いた覚えがあり
ます・・・・・。

(注)
小さい集団であっても、その中で長(鶏の口)となる方が、大きな
集団の中でしりに付き従う者(牛の尻尾)となるより良い、という
意味の中国のことわざです。