2005年5月12日木曜日

クリアウォーター市 訪問記


 4月24日(日)から5月2日(月)まで、姉妹都市であるアメ
リカ合衆国クリアウォーター市を訪問しました。皆さんご存知のと
おり長野市とクリアウォーター市とは、昭和34年(1959年)
に姉妹都市提携を結びました。昨年は45周年ということで、アン
グスト市長さんをはじめ、市民など50名を超す皆さんが長野市を
訪問されたことは、昨年度のメルマガでご報告したとおりです。本
年はその答礼の意味もあって公募市民および長野市国際親善クラブ
(小出博治会長)の皆さんのご協力を得て、31名の訪問団を結成
して訪問しました。

 今回の訪問にあたり、クリアウォーター市との姉妹都市提携の経
緯について調べてみました。昭和31年頃、アメリカの国務長官が
アメリカの各都市に対し、日本の都市との姉妹都市提携を結ぶこと
を奨励し、その時、クリアウォーター市が長野市に紹介されたとの
ことで、当時の倉島市長さんが、クリアウォーター市に招待され、
一週間ぐらい滞在されたそうです。そして両市とも観光都市である
こと、クリアウォーター市が海、長野市が山という好対照であった
こと、また、当時の両市の規模が大体似通っていた等のことから、
いろいろ交渉があったのでしょうが、昭和34年に姉妹都市の提携
がなされたとのことでした。

 ユナイテッド航空で成田空港を出発、サンフランシスコ経由で、
最初にソルトレークシティーに入りました。ソルトレークシティー
は松本市の姉妹提携都市で、長野冬季オリンピックの次の2002
年冬季オリンピック開催都市であり、長野とは縁がある都市です。
2002年の冬季オリンピック当時私は市長就任直後でしたが、前
開催地市長ということで招待され、風格ある市庁舎を訪問、アンダ
ーソン市長と会談してオリンピック開催都市として協力・交流を約
束しました。

 4月25日(月)は全員でアンダーソン市長を表敬訪問し、貴賓
室で交流をしました。私からは、塚田佐前市長さんとNASL地球
環境フォーラム(NASLの「NA」は長野のNA、「SL」はソ
ルトレークのSL)の倉嶋さんから依頼を受けた「リレハンメル~
長野~ソルトレークシティーと化石燃料を使わないでメッセージを
届ける環境使節を、来年の冬季オリンピック開催地であるトリノへ
届けてほしい」ということの催促をさせていただきました。結果は、
すでに使節を派遣したとの返事を市長からいただき、大いに安心し
ました。

 コラディーニ元市長さん(長野冬季オリンピックの閉会式で塚田
前市長さんからオリンピック旗を受け取った、当時の女性市長さん)
とも会談、女子のスキージャンプ競技をオリンピックの正式種目に
する運動への協力を要請され、日本のスキー連盟へ話をつなぐ約束
をさせていただきました。

 前回の訪問時はオリンピック開催中で、大変にぎやかな街という
印象がありました。人口は100万人近い大都市と聞いていたので
すが、今回よく聞いてみると、それは周辺を含んだソルトレーク・
カウンティー(日本では郡と呼んでいますが)の話で、市の人口は
18万人とのことで、何となく納得しました。それと、さすがにモ
ルモン教の本拠地という印象は、ソルトレークシティーの商工会議
所の夕食会へ招待され、懇談した時に、乾杯が「水」であったとい
うことです。

 翌日はいよいよクリアウォーター市へ。ソルトレークシティーか
らシカゴ経由でフロリダのタンパ空港へ到着すると、ヒバード現市
長さん、アングスト前市長さん、ガービィー前々市長さん、そして
大勢のクリアウォーター市民の出迎えを受けました。タンパ空港か
らクリアウォーター市へは車で約1時間の距離です。

 クリアウォーター市での始めての夕食会はブライトハウス・ネッ
トワークス・フィールド(野球場)でした。残念ながら雨でベース
ボールは行われませんでしたが、食事をしながら球場経営のノウハ
ウをお聞きしました。大リーグのフィラデルフィア・フィリーズの
春季キャンプ地として全米一美しい球場として有名なのだそうで、
多分ネーミングライト(命名権)も利用しているようです。

 4月27日(水)、クリアウォーター市庁舎に、ヒバード市長を
表敬訪問しました。人口11万人の市で、日本とは行政の仕組みが
かなり違います。前回の訪問時にわかったことですが、市議会議員
にあたるコミッショナーは5人で、その内の1人が市長です。コミ
ッショナーとしての給与はわずかで、とても専門職の報酬ではない
ので皆さん普通の社会人として正業をもっているそうです。また、
コミッショナーとは別に、シティーマネジャーと弁護士が重要な存
在であるとのことです。

 シティーマネジャーは前回訪問時のビル・ホーン氏が引き続き務
めておられました。彼の話では市長は代わったけれど継続性を考え
て引き続き勤務を要請されたので、受諾したとのことでした。弁護
士は女性で、弁護士スタッフ4名を抱えて専属で取り組んでいると
のこと、長野市では常勤弁護士はいなく、顧問弁護士が1名だけだ
と話したら目を丸くしていました。

 私は表敬訪問でのあいさつで、ヒバード氏の市長就任への祝意、
そして昨年の市民代表団の長野訪問、長年の教師や生徒の交流事業、
3月の長野市合併記念式典にヒバード市長からビデオ・メッセージ
を贈っていただいたこと、等々についてお礼を申し上げました。さ
らに98年の冬季オリンピック・パラリンピックに続いて本年スペ
シャルオリンピックス冬季世界大会を開催したこと、1月1日に周
辺4町村と合併したことを話しました。

 感激したのは、フロリダ駐在の日本総領事が出席してあいさつし
てくれたことです。フロリダには日本と姉妹都市提携している都市
が9市あるそうですが、その中でも長野市とクリアウォーター市は
一番歴史があるそうです。

 昼食は前回と同じく、地元のロータリークラブの例会に招待され
ました。簡単なスピーチをさせていただきましたが、95~96年
の国際ロータリー会長の出身ロータリークラブで、その元会長ブラ
ウンさんからスピーチとともにバナーを贈られました。私も地元の
ロータリークラブのバナーを持って来れば良かったと反省しきりで
した。

 午後、市立図書館に両市の関係者が集まり、意見交換をしました。
両市の交流は、最初の頃は踊りやお茶といった文化交流だったよう
ですが、最近の20年ぐらいは、教師の交換にはじまり、ホームス
テイを中心にした子どもたちの相互訪問へと拡大しています。この
件についてはさらに拡充する方向で検討することで合意しました。
経済交流ができれば一番良いのですが、アクセスがスムーズにいか
ない、コストがかかりすぎる、といった問題があり、現段階では検
討課題ということでしょう。

 また、リサイクルや中心市街地の活性化の話題も出ました。リサ
イクルでは、いわゆるゴミ処理の有料化について、1カ月、1世帯
あたり22.5ドル徴収しているとのこと、かなりの金額にびっく
りしました。リサイクルについてはお互い重要であるという認識で
は一致しているのですが、この種の話題については専門家同士の話
が必要ということを痛感しました。

 地元テレビのインタビューを受けたり、姉妹都市委員会の歓迎レ
セプションではプレゼントされたハワイのアロハの様なシャツを着
たりして、リラックスした時を過ごすことができました。

 翌日早朝、私は前回できなかったホテルの前の砂浜での散歩を楽
しみました。比較的固い砂で、細かい貝がびっしりの白い砂浜は印
象的でした。それから、パフォーミング・アート・ファシリティー
(芸術学校と会館)やラルゴ中学校を視察し、ウイルコックス教育
長とも教育交流についての懇談をしました。また、ヒバード市長宅
へも招待され、忙しい中でも有意義な時間を過ごしました。

 そして最後はクリアウォーター市主催のサヨナラパーティーが行
われました。ヒバード市長さんのあいさつで始まり、マリの踊り、
訪問団員の美花さんのバイオリン演奏などがあり、私も英語でのス
ピーチに挑戦しました。おおむね好評だったということにしておき
ましょう。クリアウォーター市民の皆さんが長野市との友好を大切
にしていこうという気持ちが表れた素晴らしいパーティーでした。

 ひとつびっくりしたこと。それはヒバート市長さんの年齢が37
歳だったことです。私よりかなり若いことはわかっていましたが、
まさか30歳代とは・・・・。

 クリアウォーター市訪問を終えた翌日、再びタンパ空港からワシ
ントンDCへ向かいました。ワシントンDCではスペシャルオリン
ピックスの本部を訪問、本年の大会が成功裡に終わったことへのお
礼を申し上げることができました。残念ながらシュライバー会長さ
んはヨーロッパ滞在中ということでお留守でしたが、休日にもかか
わらず本部スタッフが大勢出向かえてくださり、長野への感謝の気
持ちを表してくださいました。また、日本大使館へも訪問し、兼原
公使からアメリカの事情についてお話を伺うことができました。

 ワシントンDCでは国会議事堂、ホワイトハウス、リンカーンメ
モリアル、ワシントンメモリアル等々、アメリカ合衆国の政治の中
心を間近に、現地ガイド・イデアトラベルの藤山さんの素晴らしい
語り口で、アメリカ建国、南北戦争、咸臨丸の渡航、明治維新との
関わり・・・等々のアメリカの歴史の一端に触れることができまし
た。私個人は何度かアメリカに来ていますが、ワシントンDCは初
めてでしたので、大変興味深く見聞きすることができました。藤山
さん曰く「ワシントンDCは、ファイナル・デスティネーション
(最終目的地)にはならない」とのことですが・・・私はワシント
ンDCに、より多くの人が訪れてみるべきだと思いました。

 ワシントンDCでの2日目の晩、訪問団全員で夕食会をしました。
忙しかった訪米も皆さんに参加していただいたおかげで、無事任務
を果すことができたと私は心からのお礼を申し上げました。皆さん
本当にありがとうございました。

 私達の直接のハプニングではありませんが、この日私達の泊まっ
たヒルトンホテルでブッシュ大統領が出席するパーティーがあり、
席上ブッシュ夫人が夫の演説に割り込むという事件(?)があった
と報道されています。私は部屋にいて知りませんでしたが、一行の
中にはテレビの実況を見て現場を視察された方もいたようです。

 5月1日(月)、朝7時ホテルを出発、テロを警戒する空港で靴
まで脱がされる厳しいチェックにあいながら、シカゴ経由で成田ま
で空の旅を続けました。成田空港に帰着したのは5月2日(火)の
午後2時でした。

 今回の訪問で、姉妹都市提携の意義を再確認するとともに、今後
さらに教育交流や経済交流を深めていきたいと感じました。