ずいぶんと日も長くなり、春めいてきましたが、この陽気に誘わ
れて出掛けたいと思われている人も多くいらっしゃると思います。
「おいでよ長野」という誘客キャンペーンを開催しますので、今
回は観光交流について書かせていただきます。
地域の活性化に向けて、これまでもさまざまな事業を行ってきま
した。その中でも、経済波及効果の即効性が期待できるのは、やは
り観光です。
平成26年度に迫った新幹線の金沢までの延伸や、体験型・参加
型観光へのニーズの高まりなど、観光をめぐる環境の変化に迅速に
対応し、滞在型観光地としての魅力も備えた「観光立市ながの」の
確立が、長野市にとっても課題です。
新年度は、「1200万人観光交流推進プラン」の3年目に突入
します。そこで、飯綱高原と善光寺界隈(かいわい)の集中的なキ
ャンペーンを展開していきます。飯綱高原では、「オトナリ飯綱高
原」と銘打ち、自然・芸術・スポーツ・食をテーマに、近隣エリア
からの交流人口の拡大を図ります。
また、善光寺界隈では、平成21年春に開催される「善光寺御開
帳」を軸に、「再游 善光寺」と銘打ったキャンペーンを2年間に
わたって展開していきます。この「再游 善光寺」というキャッチ
フレーズは、江戸時代の僧侶「良寛さん」が、42歳のころ20年
ぶりに善光寺を参詣した折に、したためた漢詩からとったもので、
仁王門脇に石碑が建立されています。キャンペーン序盤での大イベ
ントとして、平成の大修理が終わった善光寺三門(山門)の落慶記
念事業として数十年ぶりに登楼ができるとのことで、山門の中にあ
る文殊菩薩像や修復された内壁画の観覧や、何より楼上からの眺め
を大いに期待しています。
今年度は、NHK大河ドラマ風林火山を最大限に生かした「川中
島の戦いゆかりの地」や、「戸隠イヤー」には多くの皆さんにお出
でいただきました。ただ、このにぎわいを一過性のものにしないよ
う、継続的な誘客活動に取り組み、地域ブランドを確立していくこ
とは大切なことです。
また、広域連携による誘客活動も大切な視点です。集客プロモー
ションパートナー都市協定を締結している、金沢・上越・甲府の3
市との交流事業や、「信州北回廊プロジェクト」の充実を図ってい
きたいと考えています。
そして、3月20日(木)から23日(日)の間、誘客キャンペ
ーン「おいでよ長野」を横浜市のランドマークプラザで開催します。
市制110周年記念事業として、首都圏の皆さんに長野市の観光・
物産などを積極的にPRし、交流人口の拡大につなげることを目的
にしています。
共催は、長野市農業公社、ながの観光コンベンションビューロー。
後援として、横浜市経済観光局、横浜商工会議所、横浜観光コンベ
ンション・ビューローの皆さんにもご協力いただいています。
30~40歳代のファミリー層および50~60歳代のシニア層
をターゲットに、一つは、合併後の“新しい長野市”の観光・物産
PRをして、長野市を訪れる楽しみを醸成したい。そのために、長
野市の豊富な自然を満喫する提案や、自然・名所・旧跡などの周辺
観光を提案していきます。もう一つは、長野市での生活情報「ふる
さと情報」を提供し、「こんな街に住めたらいいな」という気持ち
を醸成し、長野市に住む魅力を発信します。
具体的に言えば、この「おいでよ長野」は、豊かな自然・名所旧
跡の魅力、味、のんびり感、まち並み、温かみなどをイメージした
イベントスペース(ランドマークプラザ3階)、ガーデンスクエア
(同1階)、フェスティバルスクエア(同1階)の3会場で、「長
野市の風景を体感できるイベント」です。
イベントスペースは、「長野市ってどんなところ?」として、一
目で分かる長野市展示ゾーン。ガーデンスクエアは、長野市の春を
先取りした「花いっぱいミニ長野市」。フェスティバルスクエアは、
長野市の味・物産、観光情報、ふるさと情報が手に入る、展示・P
Rゾーンという構成です。
イベントとしては、会場内スタンプラリー、リンゴの数当てクイ
ズのほか、22日(土)には、いい街「長野」トークセッションの
ゲストとして「ふるさとNAGANO応援団」のメンバーでもある
北村晴男弁護士をお迎えします。
このようにいろいろな企画が用意されています。首都圏の皆さん
にはぜひ足を運んでいただき、また長野にお住まいの方は知人にぜ
ひPRしていただきたいと思います。
そして、長野をもっと身近に感じていただけたら、実際に春の長
野を楽しみに訪れていただきたいと思います。
最後に、この「おいでよ長野」の開催場所である横浜市と長野市
の縁について、お話しします。
横浜が国際港都市として、現在の繁栄をつくり上げた原点の一つ
として、長野市松代出身の佐久間象山先生の業績があります。
象山先生は、早くから開国と通商貿易の必要性を主張し、多くの
門下生を育てましたが、その中には、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、
橋本左内、小林虎三郎らがいました。いずれの方も皆さんご存じの
明治維新の立役者です。
天保13年(1842年)に松代藩の八代藩主真田幸貫が幕府の
海防掛老中になると、顧問として海外事情の研究を命ぜられ、「海
防八策」を提出しました。また、西洋砲術を学び、各藩からの依頼
で大砲の鋳造や演習なども行っています。
嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が浦賀沖に来航した際には、
松代藩軍議役として横浜に滞在して浦賀警護の任に当たるとともに、
幕府老中に建言書を提出しています。
特に、安政元年(1854年)に、江戸から離れた下田を開港し
ようとした幕府に反対し、横浜開港を強く主張したことは、象山先
生の先見性を表していると言っても良いでしょう。
その功を顕彰するため、昭和29年(1954年)に、開国
100年を記念して、当時の横浜市長平沼亮三氏の筆になる立派な
碑が、野毛山公園に建てられています。
そして、来年2009年は横浜港開港150周年に当たるそうで
す。
横浜市と長野市、松代藩の縁は、佐久間象山先生を通じて、今日
に続いていると言っても良いでしょう。
※次回のメールマガジンは、3月19日水曜日に配信予定です。