2008年6月26日木曜日

長野市の平成19年度決算


 先月末にうれしい報告がありました。まだ、取りまとめ作業を進
立ち、先輩の皆さんが努力して積み立ててこられた市の積立金を取
り崩すことなく、年間の収入で支出を賄えることが確定したのです。
このことは、6月市議会定例会冒頭の、私のあいさつの中でも報告
させていただきました。

 平成19年度の当初予算の段階では、財源不足を埋めるために積
立金から29億2,000万円を取り崩すことになっていました
(ひところは60億円以上も取り崩す予算案を組まざるを得ない時
期もあり、このままでは、数年で積立金は枯渇し破産するのではな
いかと“ゾッ”としたこともありました)。
 しかし、法人市民税をはじめとする市税が当初見込みを上回る見
通しとなったほか、国からの地方交付税も堅く見積もっていた以上
に配分されましたし、予算の執行段階においても事業内容を再確認
したり、経費節減に努めたり、その中には入札差金もあったり、執
行をやめたものもあったりで、効率的な財政運営に努めてきました。
その結果、市の借金のうち217億円を予定通り返済し、新たな借
り入れは、目標としてきた100億円以内(93億円余)にとどめ
ることができました。そして、積立金を取り崩さずに決算を迎える
ことができたわけですから、大変ありがたい結果であったと思って
います。

 この決算により、市長就任以来、私が重視してきた市政運営5原
則の一つである「入りを量りて出ずるを為す」ということが、曲が
りなりにも実現できたと言えます。まあ、財政の数値は複雑なので
手放しで喜ぶわけにはいかない面はありますが、私としては、最大
の公約を実現できたという思いを強くしています。

 ただし、これは平成19年度の“決算”の話です。実は、本年度
(平成20年度)の“予算”は、まだ18億円の積立金を取り崩す
ことを前提に組んでいますから、安心はできません。しかし、“決
算”の数値は実際の結果ですから、“予算”の数値より重視すべき
であると私は考えており、財政健全化に向けた大きな壁を越えるこ
とができたと思っています。人間の体に例えれば、「長野市の財政
は、現時点では健康状態にある」と申し上げてもよいのでしょう。

 予算と決算でなぜこんなに数字が違うのか・・・皆さんは不思議
に思われるかもしれません。あるいは、いい加減に予算をはじいて
いるのではないか、と思われるかもしれませんが、決してそうでは
ないのです。

 予算を組み立てていく過程では、予算案を議案として提出する3
月市議会定例会を目指して、かなりハードな作業をしています。
 まず、前年の夏から秋口にかけて、国や県の動向をにらんだり、
補助金・交付金の可能性を調査したりしながら、市民の皆さんから
受けた要望をどう反映して、どんな施策に取り組むかを検討してい
きます。もちろん、この過程で、市議会各会派の議員さんからも、
大変多くの要望が提出されます。

 それらを総合的に勘案して、課ごとに予算を組み立てていきます。
この段階がなかなか大変で、市長は概略の方向性と方針を述べるだ
けと言ってもよいのですが、各課にはいろいろな要望が来ています
から、どうしても予算要求は肥大化する傾向になってしまいます。
それに対して財政課は、各課からの要求を査定して、市全体の予算
としてまとめるのですが、時間的な余裕がない中で、スリム化を目
指さなければならないわけですから、財政課の担当者と各課の担当
者はかなり激しい折衝を繰り広げることになります。いずれにしろ
市長が示した大枠の範囲に抑えることが至上命令ですから・・・残
業代がかさむ原因の一つになってしまっているかもしれません。

 そして、財政課の査定が終わり、予算原々案となって、最終段階
の市長査定に上がってくるわけです。毎年1月後半ごろが市長査定
です。その場で、各課は財政課に削られた部分の復活を要望してき
ますし、財政課の立場からは「それはこういう理由で駄目です」と
拒否する、それらに対して市長としても「こうすべき」という考え
があります。これでは、市長査定がいつまでも終わらなくなってし
まいますので、その場では、財政部長が「この範囲なら可能」とい
う多少の余裕を市長にそっと耳打ちしてくれます。まあ、それは、
市長の顔を立てるために、「市長は多分こう言うだろう」と、あら
かじめ予測している面も感じていますが・・・。
 そんなやりとりを重ねて市長査定が終わり、部長会議の決定を経
て、予算原案が固まりますと、市長が3月市議会定例会に提案し、
議決されれば新年度予算成立ということになります。

 予算を組む段階では、もちろんルールがあります。
 まず、支出予算ですが、公共工事の場合には、資材の単価や経費
の率などにルールがあります。しかし、事業を実施する段階では基
本的に入札を行います。
 入札では、落札価格の上限となる予定価格と下限となる最低制限
価格を、予算の範囲内で設計した事業の積算額に基づいて設定しま
す。この範囲の中で、最も低い金額を提示した事業者が落札するこ
とになります。実際に予算を執行する金額は、落札された金額によ
り決まることになりますので、場合によっては、予算額を大きく下
回ることもあるのです(入札では、現在でも低価格での落札が少な
くないことから、工事に必要な資材や人件費など、最低限の経費す
ら賄えないような価格で落札されることを防ぐために、下限の価格
となる最低制限価格を設けています)。

 また、安全率を見ざるを得ないものもあります。生活保護費や児
童手当をはじめ、特別会計の介護保険事業や国民健康保険事業など
へ支出している社会保障費については、対象となる人数など、どう
しても正確に見込むことができない数値が出てきてしまうのです。
そのため、これまでの決算などから推計して、赤字にならないよう
に見積もらざるを得ないことになります。

 収入予算では、国からの地方交付税も予算段階では、総務省など
から公表される資料を使って財政担当者が独自に積算して得た予測
値ですし、皆さんからいただく市民税も、過去の傾向や経済動向を
調べたり、各企業の聞き取り調査などを行ったりして得た情報から、
税務担当者が予測している値なのです。

 このような事情の積み重ねにより、予算と決算がピタリ一致する
ということは不可能であり、どうしても開きが生じてしまうことに
なります。そして、決算段階で収入が大きく減ったり、支出が増え
たりして、予測しなかった赤字が出る可能性があることも、常に念
頭に置いておかなくてはならないことです。でも、決していい加減
に見積もっているわけではないことはご理解いだだきたいと思いま
す。

 平成19年度は、さまざまな努力の結果として、うれしい報告が
できたのですが、国の財政もご存じの通り、単年度主義ですから、
補助金・交付金などを長期にわたって約束してくれているわけでは
ありません。しかも、国は約800兆円を超える多額の借入金を抱
えているのですから、財政再建のため「地方への補助金・交付金は
出せません」と、突然、緊縮財政の方針を示す可能性もあるのです。
 さらに、サブプライムローン問題を発端とする世界的な景気減速
感、原油や原材料、食料品、飼料の価格高騰などによる景気の先行
きの不透明さが増してきているわけですから、税収も落ちるかもし
れない・・・心配すればきりがありません。

 そのような中で、長野市では、ごみ焼却施設の建設、小・中学校
や市役所庁舎、市民会館の耐震対策、斎場の整備など、今後も大型
事業を行う必要性に迫られている状況です。
 そして、本当の意味での財政再建ができて、「安心した」と胸を
張れるのは、どういう状態をいうのか、よく分かりませんし、いつ
になるのかも分かりません。
 それゆえに、私とすれば、若干あいまいではありますが、「入り
を量りて出ずるを為す」という基本的な原則を掲げ、目指す方向だ
けは、常に明確にしておきたいと思っています。

 今回のことで気を緩めることなく、これからも、財政の見通しを
時々の状況に合わせて見直すとともに、引き続き行政改革を進め、
効率的な行財政運営に努めていきたいと考えています。

2008年6月19日木曜日

お金を「おもちゃ」にした“つけ”はどうなるの?(3)


 前回までは、サブプライムローン問題について、私が感じている
ことを書かせていただきました。今回は、少し視点を変えて、日本
国内で起きていることについて書かせていただきたいと思います。

 日本経済新聞によりますと、公募地方債を発行する地方自治体の
間で、格付け会社に依頼して格付けを取得する動きが加速している、
とのことです。平成18年の横浜市を皮切りに、すでに14都県市
が格付けを取得したと公表しているとのことであり、ある市場関係
者は「本年度は10以上の自治体が新たに格付けを取りそうだ」と
話しているそうです(地方債とは、地方自治体が公共施設の整備や
拡充などに必要な資金を借りるために発行する債券です。指定金融
機関などから個別に資金を借り入れる地方債を「縁故地方債」、不
特定の方を対象として募集する地方債を「公募地方債」と呼びま
す)。

 どうしてこのような動きが出ているのか、私にはよく理解できま
せん。
 確かに、一昨年の8月に総務省では、「地方自治体が公募地方債
を発行するに当たり、利率などの条件の決定に国がかかわって統一
的に行う従前の方式を廃止して、各自治体が個別に発行条件の決定
を行う方式に移行する」という趣旨の方針を出しました。
 これにより、市場において「安全確実な自治体である」という評
価や信認を得ることができれば、発行する地方債の金利を低く抑え
ることでき、円滑にしかも低コストで資金の借り入れができるよう
になる、という思惑が働くことは当然と言えるのかもしれません
(でも、格付け料という新たなコストが掛かるはずです。中小企業
が、金融機関から資金融資を受けようとすると「信用保証協会」の
保証を求められることが多く、その場合、保証料が必要になります。
このことは、中小企業の世界の常識です。格付け料は、この保証料
と同じ感覚なのかもしれません)。

 しかし、地方自治体が発行する地方債は、国の地方債制度の中で
安全性が確保される仕組みになっています。先月のメルマガでもご
説明したように、自治体の実質公債費比率に応じて地方債の発行が
制限されていますし、万一、自治体が財政再建団体になってしまっ
た場合でも、確実に元利金を支払えるように国が関与することにな
っています・・・言い換えれば国が保証していると解釈できるわけ
です(北海道夕張市の問題は、市が国の指導を無視し、やってはい
けないことをしたものと私は考えています)。
 加えて、総務省では、「自治体の信用力に差はない」という姿勢
を崩していないとのことですから・・・別に格付けを取得する必要
はないとも言えるのです(昨年度からはやめましたが、平成15年
度から4年間、長野市でも市民債を発行し、市民の皆さんにも購入
していただきました。この市民債も地方債制度の中で同意(許可)
が得られたからこそ発行できたのです。決して長野市の勝手な判断
で市民債を発行して資金を借りたわけではありません。市では、借
り入れ先を市民、銀行のどちらにするかを判断し、市民から借りる
ということを選択しただけなのです)。

 国から、「今後は地方へ資金をまわすことはできない。地方債に
も関与することができないから独自に資金調達しなさい」という方
針が示されているのであれば、自治体独自の判断で、地方債を発行
することは必要でしょう。でも、国ではまだ、そのような方針を示
していないのです。
 ただし、近年、国の地方債に関する考え方は、国などが用意した
公的資金ではなく、金融機関や住民公募などの民間資金を調達する
割合を高める方向に変化してきています。この傾向が今後さらに強
くなると、例えば、自治体独自の政策として、大きな資金を投入し
ていかなくてはならない事業がある場合などは、自ら資金を調達す
る必要性が出てきます。そうなれば、円滑に資金を調達するために、
長野市債も格付けを取得する必要が出てくるかもしれません(ただ、
本来の格付けは、依頼して格付けしてもらうのではなく、格付け会
社が独自に、または投資者自らが長野市の財政状況などを調べてす
ることだと思います)。

 しかし、現段階では、長野市の能力・体力・企画力・人材ともに、
これに十分に対応できるようにはなってはいません。国では地方自
治を唱えてはいますが、残念ながら、国の決めた大枠の中で動くこ
としかできないと言わざるを得ませんし、今のところは銀行に縁故
地方債として資金を貸してくださいと言えば、貸してもらえるので
す。金利は、交渉力で低く設定してもらえばよいでしょう。
 いずれ、総務省の監督下を脱して、独自の政策を競い合う時代が
来るだろう・・・とは思っていますが、現時点では長野市債の格付
けをしてもらう必要はない、というのが私の見解です。
 格付けというもっともらしい評価に頼って、お金を「おもちゃ」
にしてはいけない、サブプライムローン問題を教訓に、もっとお金
を大切に考えなくてはいけないと感じています。

 話は変わりますが、東京都が1,000億円を出資して設立した
新銀行東京が、債務超過になりそうだということで、東京都が
400億円の追加出資をする事態になりました。このことは、今年
3月の都議会で大きな問題となり、新聞報道でも賛否両論があって
にぎやかでした。

 石原都知事によってこの新銀行の構想が発表された当時は、バブ
ル崩壊の余波がまだあり、そして、金融機関が企業への融資に関す
る定義を変えて、実質的に“貸しはがし”(※)の状況が続いてい
た時期でした。私は、この構想が金融界に一石を投じる素晴らしい
施策だと感じ、「さすが」と思いひそかに拍手を送っていました。
その反面、このような施策は財政力豊かな東京都だからこそできる
ことであり、大変うらやましく思ったものです。

 ただ、意気込みは勇ましかったのですが、構想を実現していく手
段があまりにもお粗末だったと言わざるを得ない、構想を実現する
ための基本設計やシミュレーションが確立していなかったのではな
いかと思うのです。銀行の頭取や役員、従業員がどのような方々で
構成されていたのか知っているわけではないのですが、報道により
伝わってくる話では、形式だけを踏んでいて、適切な経営見通しが
なかったのではないかと思えてなりません。

 東京都が新銀行の資本として出資した1,000億円という金額
は、確かに大きな金額です。しかし、この金額だけを運用して(貸
して)収益を上げようとしても、たいしたことはできないだろう、
ということぐらいは、銀行経営の素人である私でも分かります。当
然、預金を集めたり、借り入れなどにより資金量を増やしたりして、
運用資金を大きくし、資金需要に備えなくてはならないわけで、コ
ストが掛かります。
 さらに、銀行ともなれば、頭取以下の役員報酬や従業員の給料も
それなりに高く、本支店などが入居する建物も立派で賃借料も随分
高く、店舗もかなりの数があったようです。
 しかも、営業相手は、一般の銀行から貸し渋りや貸しはがしにあ
うなど、資金調達に苦しんでいる中小企業とすれば、当然貸し倒れ
損失も見積もっておかなくてはならない・・・。

 どのくらいの資金量で、どのくらいのお客を獲得して、どのくら
いの融資を予定して、どのくらいの利益を上げるのか・・・そうい
ったシミュレーションができていたのでしょうか?できていたとし
ても、結果としては机上の空論だったというよりほかないのでしょ
う。
 もっと大事なことは、銀行ができてしばらくたてば、「これは駄
目だ!」と分かったはずです。そのとき、失敗を認めて「やめる」
という決断がなぜできなかったのか・・・経営者としての判断力が
疑問です。そして、このたびの400億円の追加出資についても、
都議会での議決を経たことであり、当然、相応の効果を見込んでの
ことだとは思いますが、きちんとしたシミュレーションがない限り
“焼け石に水”なのではないかと、私には思えてしまうのです。

 結果論ではありますが、せっかく1,000億円ものお金を使う
のであれば、かつて国が大銀行に実施した施策、すなわち「資本注
入」のように、東京都が都内の中小金融機関の資本を強化して、資
金調達に苦しんでいる中小企業にも融資できるようにするという使
い方もあったと思います。あるいは、これもバブル崩壊の時に国が
行った施策ですが、信用保証協会に出資して、協会の保証能力を拡
大することを通じて中小企業の信用力を強化し、金融機関からの円
滑な資金調達を促すという方法も考えられたはずです。これらの方
が、はるかに効果があったと私は思うのですが、いかがなものでし
ょうか。

 本来、この問題について私は発言する立場にはないとは思ったの
ですが、結局、これもお金を「おもちゃ」にした“つけ”かもしれ
ないと感じ、私の思いとして書かせていただきました。

(※)貸しはがしとは、資金融資を受けた企業などが従来どおり取
  引をしているにもかかわらず、回収に不安があるなど、融資し
  た金融機関側の理由により、融資した資金の一括返済を迫るこ
  とを言います。このようなことが起きたのは、バブル崩壊後の
  金融再生策の一環として、不良債権処理に対する金融庁の基準
  が大幅に変わったことに起因していたと記憶しています。

2008年6月12日木曜日

お金を「おもちゃ」にした“つけ”はどうなるの?(2)


 サブプライムローン問題について、前回の冒頭で次の2点がどう
しても納得できないと申し上げました。
(1)お金を貸しても、その債権を売ってしまえば、回収責任はな
  いとはどういうことなのか?まったく訳の分からないルールが
  横行しているということ。
(2)格付け会社という存在は、一体何なのだろう。何の資格があ
  って、いいかげんな“格付け”をしたのか。しかも、多くの金
  融のプロをなぜだますことができたのかということ。

 私は、市長就任以降、会社経営からは離れていますので、既に古
いタイプの経営者なのかもしれませんが、この2点は何としてもお
かしいし、正したい。サブプライムローン問題のすべての原因はこ
の2点に集約されるとも思っています。

 まず、支払い能力や信用力が低い人にローンを貸すこと自体がお
かしいと思うのですが、まあそれは経済行為ですから、良しとしま
しょう。しかし、債権管理(きちんと回収できるか、否か)は、貸
し主にとって一番重要なことでしょう。ところが借りやすい条件を
設定して(ただし、一定期間経過後は金利が高騰する)貸し付けて
しまい、借りてもらったら、直ちにその債権を売却して手数料だけ
受け取る。貸し主の義務は一切なく、あとは債権を買った人に全部
お任せ、債権管理は一切しない、責任も無い・・・こんなルールが
あるとは知りませんでした。

 借りた人にしても、何かの都合で条件を変更したり、借金を一括
返済したりしたいときはどうすればよいのでしょうか?ローンを組
んで貸してくれたローン会社と交渉しても、既に債権者ではないわ
けですから、交渉にはならないでしょう。

 少なくとも、私が会社経営をしていたころは、お客さんに商品を
買っていただいて、代金を手形で受け取った場合、その手形が期日
に現金化されるかどうかは、最も重要な管理項目でした(この手形
とは、商品を買ったお客さんが代金を支払期日に支払うことを約束
して振り出した有価証券なのですが、ある意味「形の変わったロー
ン」と言っても良いでしょう)。また、場合によっては、期日前に
私がその手形に裏書して銀行へ持って行き、手形を割って現金化す
ることもありました。ただし、その銀行が手形割引に応ずるかどう
かは、手形を振り出した会社の信用に加えて私の会社の信用を審査
した上で、決定していたはずです。割り引いた後、もしその手形が
不渡りになった場合、すなわち手形を振り出した会社が倒産した場
合などは、銀行は裏書している私に対し手形を買い戻すように要求
するはずで、私の会社はそれに応えなくてはならない。もし、応え
られなかったら(私の会社が倒産していたら)銀行が損害を受ける。
これは当たり前のルールでした(今でもこれは変わらないはずで
す)。

 また、以前、銀行の頭取から聞いた話ですが、「ハワイでホテル
をつくるというある会社に融資した。ところがそのホテルが経営不
振で倒産した。その時、銀行は「貸し手責任」を問われ、ホテルを
すべて取り壊して更地にさせられた。貸したお金が回収できないだ
けでなく、取り壊し費用まで負担させられ、ひどい損をした」とお
っしゃっていました。その時、私は初めて「貸し手責任」という言
葉を知ったのですが、今はどうなっているのでしょう。

 金融工学という、訳の分からない手法ができたせいでしょう・・・
サブプライムローン問題の本質は、ただローンを組めば手数料が入
り、責任は問われないということにあると思います。手形割引の例
で申し上げれば、私の会社の責任を免除し、銀行がすべて責任を持
つということです。それなら私はどんな危ない会社に対しても安心
して商品を売ることができ、利益を上げられます。しかも米国の政
策かもしれませんが、もともとローンの質は問わないのですから、
こんなうまい商売はありませんし、絶対にあってはならないと私は
思います。まさに金融の「貸し手のモラルハザード(倫理欠如)」
ですよね。

 もうひとつ許せないのは、そんないいかげんなローン債権に、高
い格付けをしたいわゆる「格付け会社」とは一体何なのかというこ
とです。
 何の資格があって格付けをしたのか。そして、そんな会社の格付
けを、「生き馬の目を抜く」と言われる金融界の人たちがどうして
信用したのか。格付け会社が成り立っているのは誰かが格付け料を
払っているからですが・・・それは誰なのか。払っているのは格付
けを高くしてもらわなくてはならない人たちでしょうね。

 格付けを信用して債権を購入した投資家は、自分で投資先の調査
をせずに、格付け会社の報告をうのみにしたのですから、自己責任
ということで仕方ないでしょう。しかし、本来は、格付けどおりで
なかったら、格付けをした会社がその責任を取る必要があります。
すなわち投資家に対し、何らかの補償をするのが当たり前でしょう。
格付け会社とすれば、「途中で状況が変わったので格付けランクを
下げた、当時は良い格付けが正当だった。」と言うのでしょうが、
これでは透明性も、説明責任も欠如しています。「無責任」という
以外に、表現の方法が私には思い浮かびません。
 資本主義の原点は、マックス・ウェーバーではありませんが、額
に汗して一生懸命に働くことにあるとわれわれは学びました。どう
みても現在の“金融資本主義”というような状況、すなわち、お金
を「おもちゃ」にして、もてあそんでいるのはおかしいですし、資
本主義の悪い部分のみが現れてしまっていると私は感じています。

 金融工学というものを理解していないせいかもしれませんが、私
にはどうにも不可解ですし、そんなことで社会全体がおかしくされ
ていることは、許せないのです。
 これがグローバルスタンダード(世界標準)というものだとすれ
ば、われわれは「金融鎖国」をするぐらいのことを考えても良いの
ではないでしょうか。
 ただし、「金融鎖国」と言っても、実際には貿易や為替のことも
あり、非現実的だとは思いますが、私としては、許せない気持ちで
いっぱいなのです。
 そして、この問題で、利益を上げた人がいるはずです。そういう
人には利益を還元していただきたいですし、このようなシステムを
発明した人は重罪に値すると思います。罰せられなくてはならない
のではないでしょうか。

 実は、お金を「おもちゃ」にしていると私が感じていることが、
まだあるのです。大変長くなってしまいますので、次回もう少し書
かせていただきたいと思います。

※手形割引と裏書について
 手形で支払いを受けた場合には、その手形に記載された支払期日
まで待たないと現金化できないのですが、期日前に現金にする方法
として、金融機関などにその手形を買い取ってもらう「手形割引」
という手段があります(ただし、受け取ることができるのは、手形
に記載された金額から支払期日までの利子相当額や手数料など割引
料が差し引かれた額です)。また、受け取った手形は、現金化する
だけでなく、手形のまま自己の支払いに使うことも可能です。いず
れの場合も、手形の裏面には、「裏書」として受取人が署名・押印
し、誰に手形を渡すのかを明記することになっています。その際、
手形のあて先となっている受取人と裏書した人が一致していること
が絶対条件となります。

2008年6月5日木曜日

お金を「おもちゃ」にした“つけ”はどうなるの?(1)


 数年前から、サブプライムローン問題のことが新聞紙上をにぎわ
せています。この問題については、世界中の経済学者が知恵を絞っ
ても解決策が見いだせない、そして、いまだに底が見えない、今後
まだ深刻化するとも言われています。

 この問題について、私なりに本や新聞、雑誌を読んでみました。
もちろん解決策なんて分かるはずもないので、評論家的発言になら
ざるを得ないのですが、この問題により、言ってみれば、本来ある
べき資本主義経済の社会がめちゃくちゃにされてしまうのではない
かと危惧(きぐ)しています。
 そして、次の2点がどうしても納得できません。

(1)お金を貸しても、その債権を売ってしまえば、回収責任はな
  いとはどういうことなのか?まったく訳の分からないルールが
  横行しているということ。
(2)格付け会社という存在は、一体何なのだろう。何の資格があ
  って、いいかげんな“格付け”をしたのか。しかも、多くの金
  融のプロをなぜだますことができたのかということ。

 サブプライムローンとは、所得の低い人や返済延滞を繰り返す人
など、いわゆる信用力の低い個人を対象とした米国の高金利型住宅
ローンのことです。欧米などの金融当局者は、この問題が「世界大
恐慌の引き金になるかもしれない」と心配しているようですが、こ
れまで日本への直接的な被害はあまり多くないと言われていました。
しかし、最近の報道によると、時間の経過とともに、日本国内の被
害もだんだん大きくなっていることが明らかになってきているよう
です。

 日本では、「バブル崩壊後の空白の10年」をようやく脱したの
ですが、世界中がこの問題で悲観論に陥っていることで日本も自信
を失っており、株価低落、円高など景気減速にさらされていると言
ってよいのでしょう(ただし、円高は輸出企業にとっては、大変で
すが、輸入資材が値上がりしているこの時期、一般的には歓迎すべ
きかもしれません。また、株価の変動については、多少上昇気運も
出てきているとも言われています)。

 そして、この問題の影響としてもっと深刻なことは、世界的に株
式相場が減速したため、今まで株式市場で運用されていた巨大な資
金が、より高い運用益を求めて、原油市場はもとより、資源や食料
の先物市場に流れ込んでいることです。その結果、これらの商品価
格が大変な勢いで高騰してしまいました。また、家畜の飼料の価格
も高騰していることから、酪農製品の値上がりや品不足にも拍車を
かけており、市民生活に、大きな影響を与えてきています。すなわ
ち、金融の世界だけでなく、実態経済に影響が出てきているのです。

 食料価格高騰の原因は、とうもろこしや小麦などの穀物類を、バ
イオエネルギーの原料に使うという、米国のブッシュ大統領の演説
にもあると言われています。加えて、地球温暖化の影響なのでしょ
うか、オーストラリアなどの穀倉地帯で干ばつが続いており、穀物
などの収穫量が激減していることや、経済的な発展で中国などの国
内需要が伸びて、従来の食料輸出国が食料輸入国に変わってきてい
ることなど・・・いろいろな原因が複雑に絡んでいることは確かな
ようです。
 しかし、サブプライムローン問題も、先物市場に投機資金を呼び
込んで、食料価格高騰のきっかけをつくってしまったことは、間違
いないようです。

 一体、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?この
問題には、大きくとらえて次の4つのポイントがあると私は思いま
す。

(1)支払い能力や信用力が低い人に対し、最初は低い金利で借り
  やすくし、一定期間がたつとその分金利が急激に高くなる仕組
  みの住宅ローンが組まれた(こんなローンが存在すること自体
  が、おかしいと思います。このローンの目的は、家が欲しい、
  でも所得が低いのでローンを組めない、そんな人に対する政策
  であったようです。ですから当初の目的は、収入が低くても、
  まじめに返済しようとする人向けのローンだったはずですが・
  ・・)。

(2)このローンが成立する論理の根本には、住宅価格は右肩上が
  りに上がるので、ローンが返済できなかったら担保物権の家を
  取り上げて転売すればよい、担保はしっかりしているという発
  想があった(まさに住宅バブルで、住宅価格がドンドン上がっ
  ていたときの発想です)。

(3)ローンを組んだ後、ローン会社が、このローンの債権を売り
  払った。売り払った時点で、ローン会社には債権を回収する必
  要も責任もない。このローン債権の転売という、金融工学とい
  う新しい理論を駆使して編み出したというこの手法、すなわち
  不良のローン債権を小口に分割して分からなくし、ほかの優良
  債権と組み合わせてあたかも優良な債権であるかのごときお化
  粧を施して売り出した(まさに詐欺まがい行為、それも確信犯
  ではないでしょうか)。
   さらに格付け会社と称する会社が、そのローン債権に“A”
  とか“AA”とか“AAA”とかの高いランクを付け、お墨付
  きを与えた。投資家はその格付けを信頼して債券を購入した
  (短期的には、利益が上がる仕組みではあったようです)。

(4)しかし、住宅バブルが崩壊して、下がるはずがないと信じら
  れていた住宅価格は下がってしまった(日本の土地神話と似て
  います)。家を購入しても住宅ローンを返済できない人が破産
  し、担保物権である家を追い出され、家は競売にかかる。しか
  し空き家が増えて、ますます住宅価格は下がり続けるので、債
  権を回収できないばかりか、ローン債券の価値も暴落を続け、
  投資家は莫大(ばくだい)な損害を出している。そして、いま
  だに底が見えない状況にある。

 この4点について、おかしな話、というより経済の原則を無視し
た話、少なくとも、私が会社経営をしていた7年前ごろには考えら
れなかったことがあると思えるのです。

 少し長くなってしまいますので、このことについては、次回述べ
させていただきます。