先週は、地方交付税(以下「交付税」とします。)の仕組みにつ
いてお伝えさせていただきました。
さて今週は、国における財政再建の推進の中で、この交付税がど
のように変わろうとしているのかをお伝えしたいと思います。
現在、国ではこの交付税を減額しようという動きがあり、このこ
とは地方にとっては大変なことです。
小泉首相のいわゆる三位一体の改革というのは、「国の補助金・
負担金を廃止・縮減」「地方交付税の減額」「地方への税源移譲」
の3つを同時にやろうということなのです。
地方自治体にとって、補助金・負担金、そして交付税を減らされ
てもそれに見合う税源がもらえるなら別に困らないのですが、どう
もそうはならない。アドバルーン的発言とは思いますが、塩川財務
大臣が「補助金を廃止して、その70%を地方に税源移譲する」と
発言されましたが、では残りの30%はどうなるのですか?それを
減らされたら地方は立ち行かなくなる、と心配していた訳です。
確かに国の財政事情を考えれば、多少の減額は仕方ないとは思い
ますが、市町村は、国や県と違い、住民の皆さんとダイレクトに接
している訳で、現在やっている事業を止めると国や県が言っても、
市町村は「はい、そうですか」とは言えない部分があるのです。
そうした中で、先週の18日、国の経済財政諮問会議が開催され、
首相の指示により、改革は、2006年度までの3年間で、地方へ
の補助金・負担金を約4兆円削減し、その約80%を税源移譲する
こと、また、交付税は、見直しにより総額抑制するとの原案がまと
められました。しかし、具体的な内容は先送りされ、これからの予
算編成での検討ということです。
長野市の平成15年度の一般会計(当初予算)の中で、独自財源
(地方税)の占める率は43.2%ですが、小さな町村では5%前後
のところがあり(豊野町19.8%、大岡村4.9%、戸隠村8.7%、
鬼無里村5.0%)、不足分は交付税に頼っている割合が高くなる
訳です。その交付税を減らすというのですから大変です。
小さな自治体にとって、税源移譲といっても税源そのものがない
のですから、やりようがないのです。
私は、将来的に考えるならという前提ですが、小さな自治体の税
源として考えるとすれば「きれいな水」「きれいな空気」「癒し」
等を都会へ売ってやる、あるいはそういう山村の役目に対し、都会
人から負担金をもらう、といった発想しかないと考えています。
山や川、そして湖や森林が無ければ都会は成り立たないことは自
明の理だと私は思っています。ただ現段階でそれを主張しても合意
は得られないし、きちんとした法的根拠を作るのが難しいでしょう。
とすれば、当面は都市と周辺町村が合併して共存を考えることが、
一番良い解決法であろうと考える訳です。
以上、市町村合併をせざるを得ない一番の理由は、最近、国や県
が「財政再建のため、市町村へ今まで通りの財政支援は出来ません」
と言い出したことにあるということが、お分かりいただけたのでは
ないでしょうか。
2003年6月26日木曜日
地方交付税について(2)
2003年6月19日木曜日
地方交付税について(1)
(地方交付税の仕組み)
皆さんも「地方交付税」(以下、「交付税」といいます。)とい
う言葉は耳にしたことがあるかと思いますが、市町村合併を進める
上で、この交付税という制度が大変重要になっています。そこで今
回は、この交付税の制度についてご説明したいと思います。
地方財政(市町村)の根本は、国が定める標準的な市民サービス
を行うために、市民の皆さんからいただく地方独自の税金(個人・
法人の市民税、固定資産税等)だけでは足りない分を、国が交付税
で補ってくれる(最近は国もお金がないために、その分を市町村の
責任で借金しなさい、返済期に交付税で面倒をみるから、と言って
います)システムです。もちろん大企業があって、税金がたくさん
入るため、国から交付税が来ない自治体もあります。このような地
方自治体を、交付税不交付団体と呼びますが、長野県内では唯一
軽井沢町が該当しており、少し前には坂城町も不交付団体でした
(日本中では、都道府県を含めて現在約3300の自治体のうち、
105自治体が不交付団体だそうです。トヨタ自動車の本拠地の
豊田市などが有名です)。
では、交付税はどういう基準で配られているかということを説明
しましょう。
市町村を例にとって言えば、国は人口10万人の都市をモデル
(基準)として、それぞれの都市ごとの人口や面積等により必要な
補正を加え、その都市がどのくらいの行政経費がかかるかというこ
とを計算して(仮にA円とします)、そのA円まで保障します。
ですから、自治体の独自財源(仮にB円とします。主たるものは
地方税です)B円がA円より少ない場合(ほとんどの自治体はこの
場合にあたります)は、その不足分(A-B)を交付税として国が
地方自治体に配分するシステムです。
市長に就任して、このシステムを知ったとき、ホッとしたことは
事実です。なぜなら借金がある(オリンピックをやるために施設等
で大きな借金があります)長野市でも、破産することはないという
ことです。国が保障してくれているのですから・・・・・。でもよ
く考えてみると、逆に長野市が頑張って収入を増やしたとしても、
その分は交付税が減額になる訳で、長野市としては努力する甲斐
がないのではないか、と思いました。地方自治体同士が、お互い切
磋琢磨して、住民の幸せを願って競争したり、特色を打ち出したり
・・・・そういう精神が希薄になる理由だと思いました。
さて、交付税の大まかな仕組みは、以上述べたとおりですが、こ
の交付税は、地方自治体にとって一般財源として自由に使えるお金
です。でも細かい計算は財政の担当者でないと分からないというの
が正直なところです。
自主財源の少ない自治体であっても、公共施設を整備して維持管
理したり、一定の行政サービスを提供できるのは、この制度による
ところが大きい訳ですが、ただ、人口一人当たりの交付税が、自治
体によって何十倍、何百倍も違うということを聞くと、いくらなんで
も少し不公平ではないかなあ、と感じる訳です。
実は、国・県からもらうお金はこの交付税だけでなく、補助金・
負担金というのもあります。複雑で分かりにくいのですが、こちら
は使い方について細かく国が定めており、他の目的に使うことは認
められていません。見方によっては、地方自治体に対して国の省庁
が指図する力の源泉と言っても間違いではないでしょう。
来週は、この交付税というものが、「三位一体の改革」や「市町
村合併」という大きな流れの中で、どのようにかかわってくるのかと
いうことについてご説明したいと思います。
2003年6月12日木曜日
長野の春、御開帳一連の行事を振り返って
5月31日(土)、御開帳最後の行事となる結願大法要が行われ、
前立本尊の御厨子の扉が閉められました。翌6月1日(日)の前立
本尊御還座式で、御厨子は神輿に乗せられて、大勧進の北側にある
善光寺の御宝庫に納められました。7年後の御開帳時にまたお出ま
しいただくということになります。
3月30日(日)、御開帳の象徴である回向柱が、松代の皆さん
を中心とした善光寺回向柱寄進建立会から奉納される御開帳大回向
柱受入式が行われ、実質的な御開帳がスタートいたしました。
江戸時代、幕府の命によって松代藩が善光寺の再建に尽力した縁
で、以来、回向柱は恒例によって松代藩が、明治以降は松代商工会
議所が中心になって、浄財を集めて奉納するという伝統が守られて
います。
今回は、真田家第14代当主真田幸俊氏(横浜市在住)が馬に乗
って先導され、大名行列が続き、古式豊かに回向柱の賑やかな行列
が市内を練り歩き、善光寺本堂前に奉納されました。
4月6日(日)の御開帳開闢(かいびゃく)大法要までの間に大
勧進の小松玄澄大僧正が回向柱に立派な梵字(ぼんじ)を書かれ、
伝統の技法で回向柱の建立が行われました。そして、御宝庫から
前立本尊が本堂に御遷座(せんざ)されて、阿弥陀如来様の右手と
回向柱が善の綱で結ばれることにより準備が整ったわけです。
以後、5月末日までの56日間にわたり御開帳が行われ、628
万人という空前の人出となりました。
世界では、テロ、SARS、あるいは経済不況といった嫌なこと
の多い中で、善光寺さんの持つ全ての人を受け入れる包容力、平和
のイメージが、多くの方に受け入れられたのでしょう。沢山の参詣
者が長い行列をつくり、回向柱に触れて何事かを祈り、またご利益
を願っておられました。
直接的な御開帳行事だけではありませんが、この2か月間にあっ
た主なイベントを列挙してみますと、もんぜんぷら座TOMATO
食品館・楽茶れんが館・パティオ大門のオープン、長野オリンピッ
ク記念長野マラソン、天台宗中日庭儀式、ながの花フェスタ(善光
寺花回廊とインフィオラータ・イン・NAGANO)、浄土宗中日
庭儀式、屋台巡行・・・・個々の事業を数え上げれば切りがありま
せんが、この時期長野はとても元気があり、有り難いことでした。
遠くから来た友達(67歳ぐらい)が「7年後だと来れない可能
性もあるから・・・」と言ってくれた時、善光寺さんの縁だなあと
感じました。
参詣客の財布の紐は固かった、賑わいは善光寺周辺のみで全体へ
の波及効果が薄かった、バスのお客が多くて市内のメリットが少な
かった、等々の意見は聞かれますが、それは今後への反省事項とし
て検討しなくてはいけません。しかし、まずは善光寺さんの偉大さ、
素晴らしさを改めて実感したのは私だけではないと思います。この
元気が続いてほしいと心から願わずにはいられません。そしてこの
大イベントを一過性のものにしないでどう街づくりに生かすか、普
段の街の魅力をどうつくるかがこれからの課題でしょう。
来年は「エコール・ド・まつしろ」です。みんなの知恵と情熱を
結集しましょう。
2003年6月5日木曜日
もんぜんぷら座がグランドオープン
6月1日(日)、待望久しかった「もんぜんぷら座」がグランド
オープンしました。
4月4日から1階のTOMATO食品館が開店して、善光寺御開帳
の賑わいに一役買っていましたが、ようやく地下から3階までの全
施設の準備が整い、グランドオープンということになったわけです。
ご存じのとおりこのビルは、賑わいの中心だったダイエー長野店
が撤退したところを、長野市が中心市街地活性化のために取得し、
整備を進めていたものです。
全国的にも中心市街地の衰退が進む中で、長野でも大型店が相次
いで閉店や撤退をするなど、急激に中心市街地の空洞化が進行しま
した。しかし、この場所は、長野駅と善光寺、県庁と市役所を結ぶ
中間点であり、中心市街地の要となる重要な場所です。
私はこの一帯を一日も早く再生することが、長野のまち全体の活
力になると考え、整備を進めてまいりました。
おかげさまで、地域の皆様、商工会議所や商店会、そしてTMOや
ボランティアの方々のご理解、ご協力をいただき、グランドオープン
にこぎ着けることができました。
行政としても「もんぜんぷら座」の整備・活用に向け、昨年から
精一杯スピーディーに対応してきたつもりですが、平成12年末の
ダイエー長野店の撤退から、2年余の歳月が過ぎてしまいました。
この2年余の空白というものは、1階のTOMATO食品館にと
っては大変厳しい条件ではあると思います。でもそれを振り切って
頑張って欲しい。市としても、今後も中心市街地の活性化に向けて
積極的に取り組んでまいりたいと考えております。
この「もんぜんぷら座」は、市民の皆さんの要望によって出来上
がった施設であり、概要は次のとおりとなっています。
地下1階 ぷら座ホール、ぷら座BOXということで、演劇や音楽
の練習などをやっていただけます。
1階 TOMATO食品館のほか、障害者施設の自主生産品を販
売するコーナー「のんびり屋 ララ」、そして公衆トイレを
設けました。
2階 愛称「じゃん・けん・ぽん」という子どもたちの遊び場と
保護者の交流の場、ミニギャラリーや消費生活・環境関連
展示コーナー、無料休憩コーナーがあります。
3階 市民活動支援フロアということで、市民公益活動センタ
ー、NPO共同オフィス、市民ギャラリー、国際交流コー
ナー、シニアアクティブルーム、そしてもんぜんぷら座の
事務局もあります。
市民活動での利用、ギャラリーを見たり、趣味の集まりなどいろ
いろ活用していただけますし、国際交流コーナーもあって、長野に
住んでいる外国籍の方々(49カ国、3462人)の語らいの場、
そしてボランティアとの交流の場として積極的に利用していただき
たいと思います。
この施設は、行政の広報・広聴の場にもなりそうです。グランド
オープンに合わせて6月1日には、国際交流市民会議が開催され、
さっそく私も出席し懇談をいたしました。
いずれにしろ、この「もんぜんぷら座」は皆さんのご利用をいた
だきながら成長していく施設だと思っています。運営も利用者の皆
さんのご意見をお聴きするなかで進歩していくものと思いますので、
ぜひ気軽に使っていただきたいと願っていますし、中心市街地に人
通りが増え、賑わいが増すように願っています。
加えて、ビルの4階以上が空いています。地元の皆さんからは、
「ぜひ全館利用を!」と言われています。整備にお金がかかります
が、新しく造るよりは安いわけですので、何とか利用できれば良い
なあと考えています。
平成18年には、筋向いの旧長野そごうの場所に、信越放送(株)
を中心とする長野銀座A-1再開発ビルも完成する予定です。
長野オリンピック後、中心市街地空洞化のモデルと陰口も言われ
た長野市ですが、今度は再生のモデルと言われたい、ひそかにそん
な思いを抱いています。
もんぜんぷら座の情報は、http://www.monzen-plaza.com/
に掲載されています。