2004年9月30日木曜日

友好都市、中国の石家庄市訪問


9月23日(木)から29日(水)にかけて、長野市と友好都市提携を
している中国の石家庄市を訪問いたしました。今週は、この訪問の
前半の部分について、日記帳に綴ったものをメールマガジンとして
お伝えしたいと思います。


9月23日(木)
 早朝、成田の日航ホテルで搭乗手続きを行い、バスで空港へ。
JL781便で北京へ向かう。3時間余のフライト。連日の疲れで、
本もほとんど読めず、眠る。

 現地時間で午後1時半ごろ北京空港に到着。石家庄市外事辯公室
副主任の王(おう)さんと通訳の耿(こう)さんが出迎えてくれる。
耿さんは、長野に1年、青森に1年、札幌に2年滞在し、生活した
とのこと。結構きちんとした日本語を話すので安心。さらに、長野
市から同行した通訳宮下さんと2人いれば心強い。

 空港からバスで移動し天壇公園を視察。私は2度目の訪問のよう
な気がする。明の初代皇帝が造った公園で、五穀豊穣の祈願に使った
とのこと(王宮は故宮博物館になっている)。丸い建物が特徴で、
回廊はぐるりと石塀に囲まれ、手を叩いてみると確かに響きは良い。
全体が広い公園で一部を散策するだけで1時間以上・・・正直疲れた。
通訳の耿さん曰く、「北京での見所は、故宮と天壇公園」とのこと。

 再び車で移動。しかし、車の混雑は予想以上。

 前回北京に来たのは、1990年のアジア大会開催中に、長野オリン
ピック招致活動の一環で訪れて以来。当時から街の様子は凄まじい
勢いで変わっている。高層ビルが沢山あり、しかも現在建築中で工
事用のタワーがニョキニョキ。ほとんどがマンションかオフィスビ
ルのようだ。北京オリンピックまでは、この建設ラッシュが続くと
の話。

 90年当時、北京は自転車天国で、人民服姿がまだ見られたし、
車がこんなには無かった。でも今は綺麗な服を着て自転車も少ない。
北京の市民の所得が上がったが故に、服装も色彩豊かになり、自家用
車が圧倒的に増えたのでしょう。でもインフラとしての道路整備が
間に合わなくて、ラッシュの大混雑になっているのであろう。長野
では今後、自転車を盛んにしようと個人的に思っているのだが、中国
はまさに自家用車の時代に突進しているわけで、ちょっと皮肉な感じ・・・。
中央分離帯のある広い道路の真ん中に、自動車とは対面交通で自転
車専用道路があって、ちょっとビックリ。

 久しぶりのラッシュ(移動にのろのろ運転で1時間以上)で疲れた。
夕食のためのレストランへ。華やかな民族衣装で出迎えられる。
美味しかったけれど、王さんと北京の二鍋頭(アルグアトウ)という
強い酒で何回も乾杯したので、かなり酔う。

 ホテルは北京市内から、かなり遠いけれど新しい華やかなホテル。
CROWNE PLAZA NORTH BEIJINNG(北京龍城皇冠酒店)。
マレーシア資本で造られ、北京一大きいホテルとのこと。

9月24日(金)
 5時起床、6時半朝食。7時半に石家庄市に向けて車で出発。
2003年に北京から石家庄市間の高速道路が完成したそうだが、
それまでは車で8時間以上かかり、当時は長野からの石家庄市への
訪中団は列車で移動していたとのこと。今は2度の休憩を挟んで、
片道4時間余りの車の旅。

 途中は柳の木が若干ある程度で、あとはポプラの木ととうもろこ
し畑が延々と続く。同じ光景の連続であまり景色が良いとは言えな
い。多分高速道路ができた当時、ポプラの木が植えられたのだろう。
成長の早い木だけにすっかり林になっている。

 北京を離れるに従い、大型のトラックやトレーラーが多くなる。
走っている車はドイツ製が多いように感じる。

 広い平原の真ん中を高速道路が走っているが、日本みたいに高速
道路を横断するトンネルや高架橋が見えない。ということは高速道
路ができた当時、地域が分断されたんだなあと思った。また、周り
の細い道路は全く舗装していないので、これからまだまだインフラ
整備が必要なんだなあと感じた。橋は架かっているが、水の流れて
いない大きな川が何本もあった。水が貴重な国。それでも一度洪水
になると大変なのだそうだが、ちょっと想像できない話だった。

 それと天気が悪いというのも2日間で感じたことのひとつ。案内
をしてくださった王さんによると「けっして空気が汚れているわけ
ではない、中国の気象条件です」とのこと。雨は降らなく、風が吹
かない、太陽がスカッと照らない等々、何となくどんよりしている
空は、車の排気ガスのせいではないのでしょうが、春先に日本まで
押し寄せてくる黄砂を思い出させるものがあった。

 石家庄市は大きな都市である。市内人口が約220万人、管轄区域
では約950万人とのことで、県クラスのまち(日本とは行政の順番
が逆になっています)が17あり、市内は6つの行政区になっている
とのこと。市の歴史は80年ということで、まだまだ若い市で歴史
はあまり無いとのこと。1968年に河北省の省都になってから、
交通の要衝として発展したまちで、薬、紡績、化学、機械等の産業
が発達しているとのことだった。

 まちの真ん中の市役所のすぐそばで、一番新しいホテル・燕春花園
酒店にチェックイン。そしてホテルの一室で、石家庄市人民政府外
事僑務辯公室主任の楊(よう)さん主宰の昼食会。中国式の接待の
仕方と思うが、よく飲み、よく食べる。そして、常に私たちに話題
を提供してくれる。

 第34中学校の視察。実際は中学校だけではなく、副校長さんか
らお聞きした話では、幼稚園・小学校・中学校・高校が一つになって
いる、とんでもない大きな学校。生徒数8千人、教職員数500人
と聞いてビックリ。1994年の設立ということだが、それまで公立
の学校だったけれど、投資家を得て、私立の学校に転換したもので、
河北省にも2校しかない英才教育校であり、現在石家庄市で一番み
んなが入りたがる学校とのことだった。まさに民間活力の導入のモ
デルみたいな話。

 英語、ロシア語、日本語を主体とした外国語教育が中心のようだが、
あらゆる科目に適応できるようで、校舎は新しく、寮や食堂も完備
している。立派な体育施設や音楽室、大会議室、パソコン教室、理
科実験室等も完備していて、日本で言えば有名私立大学のような感じ。
授業料も高いようで、正確に聞いてはいないが、中学生の授業料だ
けで年間5~6万円以上かかるとのことで、中国の給与ベースから
みればかなりの負担であろう。しかしサッカー場、陸上競技場など、
見ていて羨ましい限り。

 日本語教室を覗いたら、10人ぐらいの生徒さんがワイワイやっ
ていたが、私達をみて質問攻め。すごい意欲を感じた。ちなみに
日本語の先生は4人とのことで、長野に留学生で来ていた方もいて、
実に正確な日本語だった。

 市役所へ向かい、臧(ぞう)市長さんを表敬訪問。臧市長さんは
53歳。前に吉林省の四平市の市長を務められていたようで、
その市と須坂市が友好都市提携をしていたとのこと。

 会談では臧市長さんから「石家庄市と長野市は、友好都市提携以
来23年間、訪問団の交流、研修生の受け入れ等を通じて、友好
関係を深めてきた。特に民間交流という面で元市会議員の千野さん
が白桃の栽培法を教えてくれたこと、直富商事の木下社長が希望小
学校建設費の一部を寄付してくれたことに大変高い評価をしており、
お2人に石家庄市の名誉市民の称号を差し上げた」と報告。続いて
石家庄市の発展について話があり、今後も長野市との友好関係を発
展させたいという観点から、4つの提案があった。
1.経済・貿易面で中国はWTO(世界貿易機関)に加盟したので、
  今後両市の企業間の交流を強めることが可能ではないか。
2.文化・教育面で、毎年の中学生の交流は意義がある。石家庄市
  としても中学生の派遣、学校間交流、教師交流を行いたい。
3.スポーツ面の交流。2008年北京オリンピックが開催される。
  スポーツは国境を越えて人々の交流を促進する。石家庄市も
  市民スポーツが盛んなので、ぜひスポーツ交流を促進したい。
4.民間交流を一層盛んにしたい。日中両国は近い国、連携を深め
  たい。

 私からは、日本は現在、人口減の時代を迎え、あわせて地方分権
の流れの中にある。国も全ての市町村も、新しい仕組み作りに悩み
ながら取り組んでいる。石家庄市のように前進・発展を前提にした
都市は羨ましいというような認識を話すとともに、臧市長からの4つの
提案については、私としても非常に興味深い内容だったので、担当
の部門で今後実現に向けての検討を始めたいこと、そして最後に今
後も両市の友好関係は是非発展させたいと答える。

 その後、臧市長さんの公式レセプションということで、夕食にご
招待いただく。中国人は、声が大きく、よく喋るというのが印象で、
乾杯は聞いていたとおり、中国式でなかなかきついものがあった。
中国を代表する銘酒「茅台酒」(マオタイ)で乾杯。50度以上の
アルコールを一気に飲み干し、お互いに飲んだグラスの底を見せ合
うのは大変だった。

 食後、石家庄市芸術学校の生徒さんの舞台を観せていただく。学
校の生徒さんということで、観る前は素人芸かと思っていたが、全
くの認識不足、まさにプロ集団という印象。15歳前後の若い人が
多く、人気のある芸人もいるようで、劇場は満員だった。生徒さん
達が入り口で並んで、私達一行を熱烈歓迎してくださり、舞台で挨
拶したり、写真を撮ったり、そして素晴らしい芸を見せていただいた。
何かの折、長野市へ招待できたら素晴らしい。こんな歓迎ぶりは、
国賓級でなければ日本ではとても考えられないという印象だった。

9月25日(土)
 朝食後、市内視察に出かける。そういえば、石家庄市に到着して
インターチェンジを降りて以来、我々の乗っているバスの前を常に
パトカーが先導して移動した。交差点付近には常に警察官が待ち構
え、スムーズに通してくれる。郊外の県区域に出ると、さらに1台
地元のパトカーが先導するという状況だった。車のラッシュは、
かなり激しいので予定どおり移動するためには仕方ないとの説明
だったが、混んでいると逆の車線に入って走ったり、前に車が走って
いると強引によけさせたりして進むのは、ちょっと怖いし、申し訳
ない気持ちになってしまう・・・・。

 市街地を抜けて、石家庄市管轄のらん城県(らんの字はパソコン
にありません)に入り、神威という漢方薬の製造会社を訪問。昨日
の臧市長さんが、石家庄市の産業の中でも最初に取り上げたのが製
薬産業だったけれど、確かに我々の漢方薬のイメージを一新する大
きなオートメーション工場だった。らん城県の外事辯公室の女性主
任が挨拶。行政関係者が企業視察に付き合うというのも不思議な世
界。この県は地質が良くて、薬や農作物の生産、そして街づくりに
力を入れている、素朴な人が多い等、県の宣伝をしていた。

 この会社社長の李(り)さんの案内によると、漢方薬の研究と生
産をしている会社で、国のモデル工場に指定され、肝臓や心臓の薬、
それも錠剤、ソフト錠剤、そして注射液を作っているとのこと。
他省にも薬草の生産基地があり、国際化、産業化を目指して人材を
大切に現代的漢方薬、新製品を作っている。老人用、幼児用、抗生
物質でも国内最大の生産で、人類の健康に貢献しているという高い
理想を掲げていた。確かに清潔で素晴らしい工場という印象。

 続いて趙県へ。趙州橋を視察。1500年前の石造りの橋、当時
の技術では大変なこととの話。昔は近辺にあまり橋が無く、アーチ
式に作られたこの橋は、南北を結ぶ貴重な交通の要衝として古来有
名だったとのこと。設計した李春という人の銅像も立っていた。
そばには8仙人の像(新しいもの、日本に伝わったら七福神になっ
た?)があり、観光地の一つらしい。その後、柏林禅寺へ。大きな
お寺、金ぴかの仏様、1万体以上の仏像が並んでいる。

 石家庄市の市街地に戻って、餃子専門店で昼食。6種類の餃子を
ご馳走になった。案内の王さんは、餃子を作るのが上手で、いずれ
長野で餃子の店を開きたい・・・と言っていた。

 午後は河北省博物館。紀元前500年頃の中山国(約300年続
いた国)の遺跡、2千年前の漢時代の遺跡、そこからの出土品を見
る。次に石家庄市農業科学技術園へ。まだ未完成の施設だが、観光
と農業を結びつける施設で、野菜の水耕栽培や果物、そして胡蝶蘭
のような花の栽培は、大いに参考になった。

 夕食はテレビ塔へ移動。入り口で10月初旬長野市を訪れる「石家
庄市新聞文化代表団」の皆さんが出迎えてくださる。団長の栗建華氏
は、中国共産党石家庄市委員会の常務委員(兼宣伝部長)ということ
で、石家庄市ではかなり偉い方。テレビ局の局長さん(女性)、石家
庄市日報総編集局長等、訪日メンバー全員揃う。

 テレビ塔を視察。かなり高い塔で、途中東京のホテルニューオータニ
と同じような回転レストランがある。でもあまり高い所は好きでは
ない。その上の階のレストランで夕食。中国流の乾杯(カンペイ)!
乾杯(カンペイ)!で参った。食事の途中、石家庄市チャンネル1と
いうテレビで、昨日の臧市長との会見の様子が放映されているのを見る。


今回は、訪中前半の模様を私の日記をもとにお伝えしましたので、
いつもと様子が違っているかもしれませんがご理解ください。次週は、
訪中後半の模様をお伝えします。

2004年9月24日金曜日

長野市と石家庄市の交流について


 このメルマガを自宅で書いていますが、皆様に配信される9月24
日、私は北京から石家庄市へ移動しているはずです。本当は中国で
メルマガを書いて、配信したいと考えたのですが、通信状況がちょ
っと不安ですので、失敗して穴があいてしまうと困るということで、
事前に用意したものです。

 9月22日、9月市議会定例会終了後、成田空港の近くで宿泊し、
翌日北京空港へ向かう予定です。通信状況がよければ(これは私の
能力も含めてのことですが)来週のメルマガは日記風に送らせてい
ただきたいと考えています。

 今回、訪問する石家庄市と友好都市提携をする以前の昭和34年
3月に、アメリカのクリアウォーター市と姉妹都市提携をしていた
ことは、すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、石家庄市
と長野市の友好都市提携は、昭和56年、柳原市長さんの時でした。
当時は昭和53年の日中平和友好条約締結が刺激になって、日中友
好親善ムードが高まり、中国との友好都市提携の気運が盛り上がっ
ていきました。石家庄市との友好都市提携のきっかけは、長野県と
河北省が友好協定を結んだこと、石家庄市は河北省の省都であり、
地理的、気象的に長野市と似通っていることなどから選ばれたよう
です。

 友好都市提携以来、両市の交流事業は順調に進展してきたといえ
ます。すなわち、相互に訪問団を派遣するなど、人的交流を中心に
友好親善を深めてきており、長野市からは毎年中学生を派遣、5周
年、10周年、15周年、20周年といった節目の年には市民親善
訪中団を派遣してまいりました。石家庄市からの訪問団は、農業、
経済、教育等の視察団の派遣、そして語学、医学の研修生など、今
年までの23年間で92団、約700人の方々が長野市を訪れてい
ます。

 長野市から毎年派遣される中学生は、出発前と帰国後に、市長に
会いに来てくださいます。その帰国後の報告で子供たちは、歓迎を
受けたこと、楽しかったこと、異文化への驚き等は当然として、異
口同音に石家庄市の中学生の勉強ぶりについて、そのひたむきさ、
そして凄い集中力に感心した、しっかりしないと負けてしまうとい
う感想を述べていて、いつも中国の凄さを感じさせられています。
石家庄市は人口900万人近い大都市ですから、競争も激しいので
しょう。しかし、長野市の中学生が一様に刺激を受けて帰国するこ
とを嬉しく感じながら「日本は大丈夫か?」といつも思わせられて
います。

 動物交換も行われました。昭和60年、石家庄市からレッサーパ
ンダが長野市に贈られ、現在も篠ノ井の茶臼山動物園の人気者です。
長野市からは、チンパンジーを贈りました。

 私は市長就任以来、約3年が経過しますが、まだ一度も石家庄市
を訪問していません。。昨年春、石家庄市で論壇(意見を論述する
場)が行われるということでご招待いただきましたが、例のSARS
(重症急性呼吸器症候群)騒ぎで中止になってしまいました。今回、
長野県日中友好協会の皆さんや市会議員さんたちの強いお勧めをい
ただき、また、石家庄市の臧(ぞう)市長さんからもご招待いただ
きましたので、訪中が実現したわけです(私も何度か中国へは行っ
ているのですが、石家庄市は今回が初めてです)。

 20周年の年、臧市長さんがお寄せになった文章がありましたの
で、要約をご紹介します。

 「20年来、たゆまぬ友好交流の発展の中で、両市は各分野にわ
たり、素晴らしい成果を収めることができた。私たちは忘れません。
研修を受け入れてくれたことを。動物交換をしたレッサーパンダと
チンパンジーの子孫がそれぞれの地で元気に繁栄していることを。
石家庄市の希望小学校の建設費用を寄付してくれたことを。・・・
20年は長い歴史の中で、ほんの一瞬にすぎませんが、両市民間の
友好交流で培った友好は永遠です」

 こんな文章を寄せられた臧市長さんにお会いするのが、とても楽
しみです。

 塚田前市長さんから「石家庄市へは、5年に1回ぐらい訪問した
けれど、その度に街の発展に驚かされてきた。大きなテレビ塔があ
るよ」・・・と教えていただきました。

 しっかり友好の役目を果たしてまいります。

2004年9月16日木曜日

長野市のスポーツも元気です


 8月のアテネオリンピックでは、日本選手の活躍は素晴らしかっ
たですね。眠気を我慢してテレビで応援をした方も多かったでしょ
う。長野市からの参加は、ユースキャンプに1人だけでしたが、将
来、市民の中から多くのオリンピック選手を送り出したい、そんな
思いに駆られました。

 オリンピックの陰に隠れてしまいましたが、この夏、長野市のス
ポーツも元気でした。私が分かっている範囲でご紹介します。

 今年は、市長室にスポーツで活躍された多くの皆さんが報告に来
ていただいたという印象です。小学生のソフトボールでは、6月の
県大会で「松代ビクトリーズ」が優勝、「豊栄シャインスター」が
準優勝して全日本小学生男女ソフトボール大会にそろって出場しま
した。また、篠ノ井東中学校と篠ノ井西中学校の女子ソフトボール
部もそろって全国中学校ソフトボール大会への出場を果たしました。
この夏、長野市からの全国大会出場者は、分かっているだけでも
18の団体と11名の個人が出場しました。

 いろいろな活躍があった中での白眉は、裾花中学校女子バレーボール
部の全国中学校体育大会での全国制覇です。8年ぶり2回目の優勝
とのことですが、本当に素晴らしい快挙です。何事でも全国制覇と
いうのは偉業であります。ぜひ全国大会優勝の常連校となってもら
いたいものです。

 県大会で優勝して全国大会に出場するクラブチームや地域のチー
ムの皆さんも、市長室を訪問してくださいました。

 社会人野球では、北信越大会で優勝したNTT信越硬式野球クラ
ブの都市対抗野球大会への出場も嬉しい出来事でした。私も始球式
を兼ねて東京ドームに応援に行かせていただきました。相手の豊田
市はトヨタ自動車の企業チームで強豪でしたが、一瞬「勝った!」と
感じさせる展開で大健闘でした。試合は残念ながら負けてしまいま
したが、間違いなく来年は、全国大会で勝利する実力はあると思い
ます。

 クラブチームが活躍することは、将来のスポーツの姿を象徴して
いるのではないでしょうか。長野市のNTT信越硬式野球クラブに
はNTTという企業名がついていますが、県内の企業から選手が沢
山参加している純粋のクラブチームです。長野市の職員も参加して
います。都市対抗野球大会には、NTTが中心となって沢山の企業
や個人が、精神的にも金銭的にも援助してくださり、応援団も大勢
送り込んでくださいました。援助が無ければまだまだクラブ運営は
難しい場面がありそうです。壮行会の挨拶で、私は「NTTさん手
を引かないでください」と申し上げました。

 サッカーについても嬉しいニュースが入ってきました。長野市サ
ッカー協会代表チームの「長野エルザSC」が9月5日、長野県サ
ッカー選手権大会において3-0で日精樹脂工業(坂城町)に圧勝
して、天皇杯全日本選手権への初出場を決め、9月23日に行われ
る宮崎県対山梨県の1回戦の勝者と9月26日に2回戦を戦うこと
になっています。会場は松本市のサッカー場アルウィンとのことで
す。皆さん応援に行きましょう(私は残念ながら、中国石家庄市訪
問中の予定です)。勝ち続ければ、元旦の国立競技場が決勝です。

 長野エルザSCもNTT信越硬式野球クラブと同様、企業チーム
ではなく、クラブチームです。上手な人でエルザに入りたい人は試
験を受ければ可能性があります。既に野球のNTT信越硬式野球ク
ラブが出場した都市対抗野球大会と同じような社会人の全国大会
「第40回全国社会人サッカー選手権大会」に出場するための北信
越大会で優勝を果しており、その意味では県サッカー選手権と併せ
て、今年、二冠達成なのだそうです。そして北信越リーグでも今年
はかなりの確率で優勝すると豪語しており、県内ではJリーグに一
番近い存在と言ってよいでしょう。今後JFL、J2、そしてJ1と
階段はまだ沢山ありますが、もしかすると・・・と思わせる活躍です。

※来週のメールマガジンは24日(金)午前に配信します。

2004年9月9日木曜日

防災訓練が行われました


 9月1日は防災の日ということで、各地で防災訓練が行われまし
た。長野市でも昨年までは、毎年同じような内容で行ってきました
が、今年は少し趣きを変え、9月を防災強化期間と定め、全市的に
できるだけ多くの市民の皆さんに訓練を実践していただき、「地域
防災力」の向上を目的として計画させていただきました。

 昨年までの防災訓練は、犀川の河川敷等の広場で全市的な催しと
して行われてきました。市民は勿論ですが、消防団の皆さん、消防
署、水道局等の市職員、警察等の関係行政機関に加えて、通信、電
気、ガス、建設等の関係事業者の皆さんにも参加していただき、防
災活動の具体的体験を行ったり、それぞれの連携を確認したり、県
の消防防災ヘリコプターにも出動していただく等、言わばデモンス
トレーションの要素も大きい行事でした。それはそれなりに有意義
な訓練ではありましたが、もう少し地域防災力を養う方法を考えよ
うということで、今回の試みになったものです。

 9月4日土曜日の朝、市役所内に災害対策本部を設置し、震度6
強の地震が発生したという想定のもと、本部長(市長)以下各本部
員が集結し、30分後、1時間後、3時間後の3つのケースについ
て、それぞれどんな連携をとり、応急対策を実施するのか確認作業
を行いました。

 途中、インターネット上で公開されている総務省消防庁の「防災
・危機管理e-カレッジ」を利用し、阪神淡路大震災の際にそれぞ
れの公務員が何を感じ、どんな行動をとったか、どう行動すべきか
を見ました。大変有意義だったと思います。

※「防災・危機管理e-カレッジ」ホームページ=
    http://www.e-college.fdma.go.jp/

 本部長の講評を求められましたので、私からは

1.実際の災害に遭った時、今日のように手際よく対処できるかど
  うか心配。
2.報道によると、大被害が発生すると全国からボランティアが押
  し寄せるようだが、その受け皿をどうするか、検討しておく必
  要がある。
3.市民への広報やメディアへの対応をどうするかが、今日の訓練
  には抜けているのではないか、の3点を申し上げました。

 続いて城山小学校に移動。第二地区の防災訓練を視察しました。
学校の体育館とグラウンドに、自主防災会長さんを中心に大勢の市
民が集結し、各種の実践活動を体験しておられました。炊き出し、
建物倒壊後の救出に使う道具類の使い方、怪我人に対する手当て等
の実施体験に皆さん熱心に取り組んでいらっしゃいました。

 皆さんはご存知だったでしょうか、NTTの新しい試みだと思い
ますが、「災害用伝言ダイヤル171」です。大災害時、離れた場
所に居る家族、親戚、友人が心配して一斉に電話をしてくるために、
電話がかかりにくくなってしまうことは良く知られていますが、そ
の解消のために「171」に電話して「無事ですよ」とか「避難所
にいます」とかを30秒以内で伝言しておくと、遠隔地からでも聞
くことができるサービスで、災害時に限定してご利用可能なもので
す。

 携帯電話用の「iモード災害用伝言板」もあります。実際に災害
が起きたとき、固定電話のそばにいる可能性は100%ではありま
せんから、携帯電話の伝言板の方が有効かもしれません(今週、猛
威をふるった台風18号の際にもこれらのシステムが稼動しました)。

 いずれにしろ、多様な通信手段の確保と新しいシステムの構築は、
災害対策として大変重要なことであります。

 さて「災害は忘れた頃にやってくる」と良く言われますが、本当
にその通りだと思います。現在東海地震だけでなく、南関東、南海、
東南海、宮城沖など海溝型の大規模地震はいつ起きても不思議では
ないという状況であり、また政府発表では長野県内を縦断する糸魚
川―静岡構造線(フォッサマグナ)においてもマグニチュード8程
度の地震が今後30年以内に14%の確率で起こるという計算値を
示しております。

 加えてNBC(核・生物・化学兵器)やテロ等(現に長野県庁を
爆破するというインターネット上への書き込みがあったとの報道が
ありました)に起因する災害の恐ろしさも指摘され、こうした災害、
危機に対して、直接地域住民の生命・身体・財産の保護を預かる公
務員の実践的な対応力はもとより、危機に際しての管理能力が問わ
れる時代になったと認識しています。

 いざという時の対応の成否を最後に左右するのは、結局人間の力
量であり、災害対応の業務を遂行するためには、高度な判断力と豊
富な危機管理に関する知識の蓄積が求められます。大災害時に失敗
するのは「想像力の欠如」によるものが多く、大災害であればある
ほど、情報が入ってこないということは、阪神・淡路大震災でも明
らかです。少ない情報しか得られないあいまいな状態のなかで重要
な決定を下し得るのは、非常時の想像力です。

 米国では、大災害時の対応行動の決定には、一つの原則があり、
普段から責任ある人はこれを常に頭に叩き込んでおくべきだとされ
ているそうです。

1.疑わしいときは行動せよ。
2.最悪事態を想定して行動せよ。
3.空振りは許されるが、見逃しは許されない。

 こういう原則を踏まえながら、想像力を発揮する、ということが
大災害時には必要であります。その想像力は、常日頃からの問題意
識の蓄積により養われるものだということです。

2004年9月2日木曜日

信州大学・長野市の連携協定が調印されました


 8月27日(金)夕方、信州大学・長野市連携協定調印式が行わ
れ、信州大学側からは小宮山学長、藤沢副学長、白井理事、赤羽教
育学部長、野村工学部長、事務局の方々が出席、長野市側からは市
長、両助役、教育長・両教育次長、企画政策部長、そして事務局が
出席しました。

 この連携協定は、信州大学と長野市が包括的な連携のもと、文化、
産業、医療、教育、学術等の分野で相互に協力し、地域の発展と人
材の育成に寄与することを目的とするものです。

 式では、この協定調印に至るまでの経過について長野市側から説
明をした後、学長と市長が協定書にサインし、固い握手を交わしま
した。

 小宮山学長さんからは、「国立大学は独立行政法人になって生ま
れ変わりました。大学は地域との連携、密着を大切にし、協力関係
を構築していくことが重要であると考えています。信州大学の持つ
ノウ・ハウを地域行政に役立てていきたい」といった趣旨の挨拶が
ありました。

 私からは、「現在も信州大学とは文化、教育、学術、街づくり等
の各分野にわたり協力関係を保っているが、今回の包括的な協定締
結によって、さらに魅力と活力のある都市づくりを進める上で、学
生の教育のみならず、情報や研究開発能力など、蓄積されている信
州大学の多様な英知が、今後の施策全般に大きな可能性をもたらし、
まちの活性化に大きく寄与していただけるものと非常に期待してい
る」と申し上げました。

 具体的には、中心市街地の活性化に向けての事業協力や、公開講
座の開催等の生涯学習の推進、NPO等市民公益活動団体への支援
・協力・・・合併で大きくなる新市の経営に関するアドバイス等が
期待されると考えております。

 従来からの信州大学と長野市との関わりについて主なものを記し
てみますと、

1.産学行連携支援施設建設事業―――現在工学部内に建設中。平
  成17年4月オープン予定。企業の研究開発活動を推進し、新
  技術、新製品の開発拠点となる先端テクノロジー分野に対応す
  る施設。

2.ナノサイエンス産業都市構想―――中心市街地の遊休施設を大
  学機関が利用して、まちの活性化を図る。ナノサイエンスビジ
  ネスの地域産業を育てる等、非常に大きな将来構想プロジェク
  ト。

3.教育学部との連絡協議会の設置―――長野市の教育の発展と教
  育水準の向上及び教員養成の充実等を目的として、平成14年
  4月に設置。

 そのほか、長野市の附属機関(審議会・委員会等)への参画、市
民公開講座、コミュニティカレッジ(専門職従事者の再教育)構想、
出前講座、教員志望者の教育実践、環境学習会、歴史的遺構確認調
査など、いろいろなところで協力関係が築かれています。

 調印式終了後に1時間程度の懇談が行われ、大学側からは松本市
で行われている熟年体育大学の話、長野市側からは、スポーツを軸
としたまちづくりということで地域スポーツクラブの育成、市立高
校との連携、合併に伴う長期計画策定への参画の可能性や増加する
宿泊施設のセミナー・合宿等への利用を打診しました。研究の余地
がありそうです。

 また、本年度開催されるスペシャルオリンピックス(SO)への
ボランティア参加をお願いし、快諾していただくなど、いろいろな
話題で懇談させていただき、大変有意義な会合だったと思います。

 長野市とすれば、大学の知的資源を行政のあらゆる場面で利用さ
せていただきたい。特に長野市が独自のシンクタンクを作るという
のは財政が厳しい折、困難ですが、大学の協力をいただければ、行
政の行う施策に大きな効果を期待できそうです。

 大学としても少子化の時代の厳しさは勿論ですが、経営的にも国
の組織から独立行政法人に変わって、可能性は広がったとはいうも
のの、独自経営の責任も出てくるわけで、実績をあげる必要性、特
色ある経営の必要性、そして地域と密着した経営の必要性、を強く
意識しておられるようです。

 信州大学は、キャンパスが県内に分散していることから、過去
「たこ足大学」と言われたこともありましたが、現在は逆に分散し
ている強みが出てきているのではないでしょうか。長野市には教育
学部と工学部があることは、皆さんご存知ですが、今度の包括協定
を結ぶことで、長野市とすれば頼もしいパートナーができたと思っ
ています。

 さらに長野市には、私立の清泉女学院大、国立長野高専もありま
すし、短大もあります。長野市は大学が足りないので、若者が少な
いと言われてきました。確かにそのことは否定できません。しかし
現段階、インターネット大学院の計画も含め、高等教育機関が少し
ずつではありますが、充実してきているという実感があります。

 今後は、豊かな自然と近代的な都市部が調和する長野で学ぼうと
いう学生さんが増えていくのではないでしょうか。