2004年9月30日木曜日

友好都市、中国の石家庄市訪問


9月23日(木)から29日(水)にかけて、長野市と友好都市提携を
している中国の石家庄市を訪問いたしました。今週は、この訪問の
前半の部分について、日記帳に綴ったものをメールマガジンとして
お伝えしたいと思います。


9月23日(木)
 早朝、成田の日航ホテルで搭乗手続きを行い、バスで空港へ。
JL781便で北京へ向かう。3時間余のフライト。連日の疲れで、
本もほとんど読めず、眠る。

 現地時間で午後1時半ごろ北京空港に到着。石家庄市外事辯公室
副主任の王(おう)さんと通訳の耿(こう)さんが出迎えてくれる。
耿さんは、長野に1年、青森に1年、札幌に2年滞在し、生活した
とのこと。結構きちんとした日本語を話すので安心。さらに、長野
市から同行した通訳宮下さんと2人いれば心強い。

 空港からバスで移動し天壇公園を視察。私は2度目の訪問のよう
な気がする。明の初代皇帝が造った公園で、五穀豊穣の祈願に使った
とのこと(王宮は故宮博物館になっている)。丸い建物が特徴で、
回廊はぐるりと石塀に囲まれ、手を叩いてみると確かに響きは良い。
全体が広い公園で一部を散策するだけで1時間以上・・・正直疲れた。
通訳の耿さん曰く、「北京での見所は、故宮と天壇公園」とのこと。

 再び車で移動。しかし、車の混雑は予想以上。

 前回北京に来たのは、1990年のアジア大会開催中に、長野オリン
ピック招致活動の一環で訪れて以来。当時から街の様子は凄まじい
勢いで変わっている。高層ビルが沢山あり、しかも現在建築中で工
事用のタワーがニョキニョキ。ほとんどがマンションかオフィスビ
ルのようだ。北京オリンピックまでは、この建設ラッシュが続くと
の話。

 90年当時、北京は自転車天国で、人民服姿がまだ見られたし、
車がこんなには無かった。でも今は綺麗な服を着て自転車も少ない。
北京の市民の所得が上がったが故に、服装も色彩豊かになり、自家用
車が圧倒的に増えたのでしょう。でもインフラとしての道路整備が
間に合わなくて、ラッシュの大混雑になっているのであろう。長野
では今後、自転車を盛んにしようと個人的に思っているのだが、中国
はまさに自家用車の時代に突進しているわけで、ちょっと皮肉な感じ・・・。
中央分離帯のある広い道路の真ん中に、自動車とは対面交通で自転
車専用道路があって、ちょっとビックリ。

 久しぶりのラッシュ(移動にのろのろ運転で1時間以上)で疲れた。
夕食のためのレストランへ。華やかな民族衣装で出迎えられる。
美味しかったけれど、王さんと北京の二鍋頭(アルグアトウ)という
強い酒で何回も乾杯したので、かなり酔う。

 ホテルは北京市内から、かなり遠いけれど新しい華やかなホテル。
CROWNE PLAZA NORTH BEIJINNG(北京龍城皇冠酒店)。
マレーシア資本で造られ、北京一大きいホテルとのこと。

9月24日(金)
 5時起床、6時半朝食。7時半に石家庄市に向けて車で出発。
2003年に北京から石家庄市間の高速道路が完成したそうだが、
それまでは車で8時間以上かかり、当時は長野からの石家庄市への
訪中団は列車で移動していたとのこと。今は2度の休憩を挟んで、
片道4時間余りの車の旅。

 途中は柳の木が若干ある程度で、あとはポプラの木ととうもろこ
し畑が延々と続く。同じ光景の連続であまり景色が良いとは言えな
い。多分高速道路ができた当時、ポプラの木が植えられたのだろう。
成長の早い木だけにすっかり林になっている。

 北京を離れるに従い、大型のトラックやトレーラーが多くなる。
走っている車はドイツ製が多いように感じる。

 広い平原の真ん中を高速道路が走っているが、日本みたいに高速
道路を横断するトンネルや高架橋が見えない。ということは高速道
路ができた当時、地域が分断されたんだなあと思った。また、周り
の細い道路は全く舗装していないので、これからまだまだインフラ
整備が必要なんだなあと感じた。橋は架かっているが、水の流れて
いない大きな川が何本もあった。水が貴重な国。それでも一度洪水
になると大変なのだそうだが、ちょっと想像できない話だった。

 それと天気が悪いというのも2日間で感じたことのひとつ。案内
をしてくださった王さんによると「けっして空気が汚れているわけ
ではない、中国の気象条件です」とのこと。雨は降らなく、風が吹
かない、太陽がスカッと照らない等々、何となくどんよりしている
空は、車の排気ガスのせいではないのでしょうが、春先に日本まで
押し寄せてくる黄砂を思い出させるものがあった。

 石家庄市は大きな都市である。市内人口が約220万人、管轄区域
では約950万人とのことで、県クラスのまち(日本とは行政の順番
が逆になっています)が17あり、市内は6つの行政区になっている
とのこと。市の歴史は80年ということで、まだまだ若い市で歴史
はあまり無いとのこと。1968年に河北省の省都になってから、
交通の要衝として発展したまちで、薬、紡績、化学、機械等の産業
が発達しているとのことだった。

 まちの真ん中の市役所のすぐそばで、一番新しいホテル・燕春花園
酒店にチェックイン。そしてホテルの一室で、石家庄市人民政府外
事僑務辯公室主任の楊(よう)さん主宰の昼食会。中国式の接待の
仕方と思うが、よく飲み、よく食べる。そして、常に私たちに話題
を提供してくれる。

 第34中学校の視察。実際は中学校だけではなく、副校長さんか
らお聞きした話では、幼稚園・小学校・中学校・高校が一つになって
いる、とんでもない大きな学校。生徒数8千人、教職員数500人
と聞いてビックリ。1994年の設立ということだが、それまで公立
の学校だったけれど、投資家を得て、私立の学校に転換したもので、
河北省にも2校しかない英才教育校であり、現在石家庄市で一番み
んなが入りたがる学校とのことだった。まさに民間活力の導入のモ
デルみたいな話。

 英語、ロシア語、日本語を主体とした外国語教育が中心のようだが、
あらゆる科目に適応できるようで、校舎は新しく、寮や食堂も完備
している。立派な体育施設や音楽室、大会議室、パソコン教室、理
科実験室等も完備していて、日本で言えば有名私立大学のような感じ。
授業料も高いようで、正確に聞いてはいないが、中学生の授業料だ
けで年間5~6万円以上かかるとのことで、中国の給与ベースから
みればかなりの負担であろう。しかしサッカー場、陸上競技場など、
見ていて羨ましい限り。

 日本語教室を覗いたら、10人ぐらいの生徒さんがワイワイやっ
ていたが、私達をみて質問攻め。すごい意欲を感じた。ちなみに
日本語の先生は4人とのことで、長野に留学生で来ていた方もいて、
実に正確な日本語だった。

 市役所へ向かい、臧(ぞう)市長さんを表敬訪問。臧市長さんは
53歳。前に吉林省の四平市の市長を務められていたようで、
その市と須坂市が友好都市提携をしていたとのこと。

 会談では臧市長さんから「石家庄市と長野市は、友好都市提携以
来23年間、訪問団の交流、研修生の受け入れ等を通じて、友好
関係を深めてきた。特に民間交流という面で元市会議員の千野さん
が白桃の栽培法を教えてくれたこと、直富商事の木下社長が希望小
学校建設費の一部を寄付してくれたことに大変高い評価をしており、
お2人に石家庄市の名誉市民の称号を差し上げた」と報告。続いて
石家庄市の発展について話があり、今後も長野市との友好関係を発
展させたいという観点から、4つの提案があった。
1.経済・貿易面で中国はWTO(世界貿易機関)に加盟したので、
  今後両市の企業間の交流を強めることが可能ではないか。
2.文化・教育面で、毎年の中学生の交流は意義がある。石家庄市
  としても中学生の派遣、学校間交流、教師交流を行いたい。
3.スポーツ面の交流。2008年北京オリンピックが開催される。
  スポーツは国境を越えて人々の交流を促進する。石家庄市も
  市民スポーツが盛んなので、ぜひスポーツ交流を促進したい。
4.民間交流を一層盛んにしたい。日中両国は近い国、連携を深め
  たい。

 私からは、日本は現在、人口減の時代を迎え、あわせて地方分権
の流れの中にある。国も全ての市町村も、新しい仕組み作りに悩み
ながら取り組んでいる。石家庄市のように前進・発展を前提にした
都市は羨ましいというような認識を話すとともに、臧市長からの4つの
提案については、私としても非常に興味深い内容だったので、担当
の部門で今後実現に向けての検討を始めたいこと、そして最後に今
後も両市の友好関係は是非発展させたいと答える。

 その後、臧市長さんの公式レセプションということで、夕食にご
招待いただく。中国人は、声が大きく、よく喋るというのが印象で、
乾杯は聞いていたとおり、中国式でなかなかきついものがあった。
中国を代表する銘酒「茅台酒」(マオタイ)で乾杯。50度以上の
アルコールを一気に飲み干し、お互いに飲んだグラスの底を見せ合
うのは大変だった。

 食後、石家庄市芸術学校の生徒さんの舞台を観せていただく。学
校の生徒さんということで、観る前は素人芸かと思っていたが、全
くの認識不足、まさにプロ集団という印象。15歳前後の若い人が
多く、人気のある芸人もいるようで、劇場は満員だった。生徒さん
達が入り口で並んで、私達一行を熱烈歓迎してくださり、舞台で挨
拶したり、写真を撮ったり、そして素晴らしい芸を見せていただいた。
何かの折、長野市へ招待できたら素晴らしい。こんな歓迎ぶりは、
国賓級でなければ日本ではとても考えられないという印象だった。

9月25日(土)
 朝食後、市内視察に出かける。そういえば、石家庄市に到着して
インターチェンジを降りて以来、我々の乗っているバスの前を常に
パトカーが先導して移動した。交差点付近には常に警察官が待ち構
え、スムーズに通してくれる。郊外の県区域に出ると、さらに1台
地元のパトカーが先導するという状況だった。車のラッシュは、
かなり激しいので予定どおり移動するためには仕方ないとの説明
だったが、混んでいると逆の車線に入って走ったり、前に車が走って
いると強引によけさせたりして進むのは、ちょっと怖いし、申し訳
ない気持ちになってしまう・・・・。

 市街地を抜けて、石家庄市管轄のらん城県(らんの字はパソコン
にありません)に入り、神威という漢方薬の製造会社を訪問。昨日
の臧市長さんが、石家庄市の産業の中でも最初に取り上げたのが製
薬産業だったけれど、確かに我々の漢方薬のイメージを一新する大
きなオートメーション工場だった。らん城県の外事辯公室の女性主
任が挨拶。行政関係者が企業視察に付き合うというのも不思議な世
界。この県は地質が良くて、薬や農作物の生産、そして街づくりに
力を入れている、素朴な人が多い等、県の宣伝をしていた。

 この会社社長の李(り)さんの案内によると、漢方薬の研究と生
産をしている会社で、国のモデル工場に指定され、肝臓や心臓の薬、
それも錠剤、ソフト錠剤、そして注射液を作っているとのこと。
他省にも薬草の生産基地があり、国際化、産業化を目指して人材を
大切に現代的漢方薬、新製品を作っている。老人用、幼児用、抗生
物質でも国内最大の生産で、人類の健康に貢献しているという高い
理想を掲げていた。確かに清潔で素晴らしい工場という印象。

 続いて趙県へ。趙州橋を視察。1500年前の石造りの橋、当時
の技術では大変なこととの話。昔は近辺にあまり橋が無く、アーチ
式に作られたこの橋は、南北を結ぶ貴重な交通の要衝として古来有
名だったとのこと。設計した李春という人の銅像も立っていた。
そばには8仙人の像(新しいもの、日本に伝わったら七福神になっ
た?)があり、観光地の一つらしい。その後、柏林禅寺へ。大きな
お寺、金ぴかの仏様、1万体以上の仏像が並んでいる。

 石家庄市の市街地に戻って、餃子専門店で昼食。6種類の餃子を
ご馳走になった。案内の王さんは、餃子を作るのが上手で、いずれ
長野で餃子の店を開きたい・・・と言っていた。

 午後は河北省博物館。紀元前500年頃の中山国(約300年続
いた国)の遺跡、2千年前の漢時代の遺跡、そこからの出土品を見
る。次に石家庄市農業科学技術園へ。まだ未完成の施設だが、観光
と農業を結びつける施設で、野菜の水耕栽培や果物、そして胡蝶蘭
のような花の栽培は、大いに参考になった。

 夕食はテレビ塔へ移動。入り口で10月初旬長野市を訪れる「石家
庄市新聞文化代表団」の皆さんが出迎えてくださる。団長の栗建華氏
は、中国共産党石家庄市委員会の常務委員(兼宣伝部長)ということ
で、石家庄市ではかなり偉い方。テレビ局の局長さん(女性)、石家
庄市日報総編集局長等、訪日メンバー全員揃う。

 テレビ塔を視察。かなり高い塔で、途中東京のホテルニューオータニ
と同じような回転レストランがある。でもあまり高い所は好きでは
ない。その上の階のレストランで夕食。中国流の乾杯(カンペイ)!
乾杯(カンペイ)!で参った。食事の途中、石家庄市チャンネル1と
いうテレビで、昨日の臧市長との会見の様子が放映されているのを見る。


今回は、訪中前半の模様を私の日記をもとにお伝えしましたので、
いつもと様子が違っているかもしれませんがご理解ください。次週は、
訪中後半の模様をお伝えします。