今回は、2月26日から行われる2005年スペシャルオリンピ
ックス(SO)冬季世界大会について、開催に至る経過を中心に説
明させていただきます。オリンピック・パラリンピックにも引けを
取らない素晴らしい大会と言われていますが、準備期間や宣伝期間
が短かったせいでしょうか、現段階でもうひとつ盛り上がりが足り
ないように感じます。でも、この大会によって、長野の歴史に新し
い1ページが刻まれます。
長野オリンピック・パラリンピック冬季競技大会が終了した後、
NPO法人SO日本の理事長である細川佳代子さん(細川元首相の
夫人)が長野市を訪れ、「オリンピック・パラリンピックを開催し
た場所でスペシャルオリンピックスを開催したいので力を貸してほ
しい」という申し入れを当時の塚田市長さんにされました。
そして、スペシャルオリンピックス国際本部(SOI)で「20
05年長野開催」が決定し、2003年アイルランドで開催された
夏の大会で、知事が次の開催地としてSOの旗を受け取って来られ
たことは、ご存知の方も多いと思います。
2004年2月にプレ大会として、SO国内大会が長野市を中心
に開催され、私も参加させていただきました。細川さんからは、
「障害のある子は“かわいそう”なのではない。“優しさを運んで
くれる神様の贈り物”なのです。」と教えていただきました。知的
発達障害のある皆さんの純真さ、一生懸命頑張る姿、そしてSOに
よってみんなが元気に活躍し、社会的な存在として頑張っている姿、
本当に感動的な大会でした。
しかし、課題も残りました。それは2005年の世界大会まであ
と1年しかないというのに、組織的な動きが出来ず、資金のめども
どうなっているのか分からない。国際的な大会をやる体制になって
いない・・・・簡単に言えばそういうことでした。
長野市から派遣した職員からも、同じような報告があり、大変心
配になりました。しかし、この世界大会は、すでに長野開催が決定
されており、世界的には大変評価の高い大会ですので「出来ません」
で許されることではありません。長野オリンピックは(財)長野オ
リンピック冬季競技大会組織委員会(NAOC)が行いましたが、
それを支えたのは、実質的には行政の力が大きかったと思います。
しかし、今回のSOはNPOが運営の中心になるべきということが
主張され、行政の出番は表面的には小さくすべきであると言われま
した。
そこで、とにかく大会成功に向け中心になっていただく方をお願
いし、その方のもとで、組織を作るより仕方ないということになり、
衆目の一致するところ、エプソンの安川会長さん(長野県経営者協
会会長)に白羽の矢が立ちました。県が動いてお願いしたものです。
最初は固辞しておられたようですが、最後は事の重要性をご理解い
ただき、ご就任いただくことになったわけで、私はこの時点で大会
は成功できると確信をもちました。
以降、安川会長の指導のもと、SO長野(SONA)が組織され、
資金的にはゼロックスの小林会長さんが中心になって寄付を募って
いただくことになり、いろいろ心配はありましたが、中央財界や長
野県財界からも寄付をいただけることになりました。また、公的資
金援助としては国8億円、長野県6億円、長野市2億円が決まりま
したし、県や市町村からの職員の派遣、そして、ボランティアの皆
さんも順調に集まってきていますので、大会成功に向けた大枠は決
まったと申し上げて間違いはありません。
大会準備と並行して行われたのが、SO日本が中心になって全国
で行われている「500万人トーチラン」です。熊本の阿蘇山で採
火された聖火が日本中をリレーされ、SOへの理解と関心を深めな
がら、開催機運の高揚を図ってきました。SOアスリートと市民が
一緒に走るこのトーチランは、長野市でもいろいろな所で行われま
したので参加された方も多かったと思います。この後、アテネで採
火され日本に運ばれる「スペシャルオリンピックス聖火リレー」の
聖火と統火され、県内2ルートに分かれ、長野市まで運ばれること
でさらに大会気分を盛り上げてくれます。
アスリートが長野に来て最初のプログラムは「ホストタウンプロ
グラム」です。県内外の地域がそれぞれ参加国を受け持って、アス
リートをその地域に招き、大会開催前に数日間の宿泊を伴いながら
時差調整や本番に向けての練習を行うとともに、住民との交流を図
るプログラムです。長野市は唯一、複数の11か国、約480名の
選手団を受け入れることになっています。過去の大会でも、多くの
アスリートがホストタウンプログラムで受け入れてくれた地域の皆
さんに温かく迎えられ、親切にされたことが、競技以上に印象に残
っているようです。ですから、このプログラムが競技より大切とい
う意見もあるくらい大変重要なプログラムになっています。SOは
スポーツ大会ですが、ノンスポーツプログラムも大変重視されてい
るように思います。
競技種目は、スキー、スノーボード、スケート、フロアホッケー
など、7競技79種目とたくさんあって、とてもすべてを紹介でき
ませんが、長野市内では開・閉会式会場のエムウェーブをはじめ、
ビッグハットやホワイトリングで競技が行われます。そのほか白馬
村、山ノ内町、野沢温泉村、牟礼村が競技会場となります。
また、もんぜんぷら座、JAアクティーホール、長野駅周辺では
交流施設(SOタウン長野)が設けられます。志賀や白馬にもSO
タウンが設置されるようで、きっと楽しい交流がありますよ。参加
者は、アスリート、コーチ、ファミリー、一般参加者ということで
すから、多くの皆さんが参加できます。アスリートの皆さんは長野
市内のホテルをはじめ各会場の町村に分宿されます。今回のSOで
は86の国と地域から約2700人の選手団をはじめ、アスリート
の家族、役員、ボランティアなど大勢の皆様が長野を訪れます。き
っとオリンピック時を髣髴(ほうふつ)させるようなにぎわいにな
るでしょう。期待しましょう。
また、新聞報道等によりますと、このSO開会式に皇太子ご夫妻
が出席される方向で検討を始めたということです。ご出席いただけ
れば、この大会も更に盛り上がると思いますので、大変に喜ばしい
ことです。
障害者に対するバリアフリーを推進し、障害者と健常者が分け隔
てなく生活できる社会を実現する上で、SOの精神がもたらす効果
は計り知れないものがあります。大会成功のキーワードは「市民の
参加と交流」です。多くのボランティアに支えられて、素晴らしい
大会になるように、長野市も全力をあげて応援します。どうか皆様
のご支援・ご声援をいただきますようお願いします。
スペシャルオリンピックスホームページ
http://www.2005sowwg.com/
2005年1月27日木曜日
スペシャルオリンピックス冬季世界大会がもうすぐ始まります
2005年1月20日木曜日
新年の大雪
元日の早朝、もの凄い積雪にビックリしました。前夜というより
除夜の鐘の前後、長野駅前での新長野市誕生(合併)記念カウント
ダウンイベントに参加して、深夜1時頃帰宅したときは、雪はやん
でいたのですが、朝起きたら一面真っ白。しかも相当の積雪でした。
郵便局の年賀状配達出発式など、元日は早朝からいろいろな行事が
あったので、家の前の除雪は帰省中の息子に頼んで、私は出掛けて
しまいましたが、雪片付けは大変だったようです。雪のせいでしょ
うが、毎年恒例の長野走ろう会の元旦マラソンは中止という電話連
絡が入りました。また、善光寺さんの初詣でのお客さんも例年の半
分ぐらいだったとお聞きしました。
長野気象台の発表によると、元日の積雪としては昭和56年以来
の記録で、2日間の累計値(大晦日から元日)でも、近年にない大
雪だったそうです。元日ということもあって、市民生活への影響は
かなり深刻であったと思います。積雪量が多かったこと、その後の
冷え込みがきつく、凍ってしまい、轍(わだち)や段差が残ったこ
と、除雪の初動態勢に不備があったかどうか・・・。いずれにしろ
言い訳を申し上げたくはありませんが、市民の皆さんにご不便をお
掛けする結果になったこと、申し訳なく思っています。
道路には、国道・県道・市道の3種類があり、除雪等はそれぞれ
の管理者が責任をもって行っています。路線ごとに管理者が建設業
界を中心とする事業者と委託契約をして、10~15cmの積雪が
あった場合に出動することになっています。ただ市道の場合は、幹
線道路だけでなく、細い生活道路がたくさんありますので、そこま
では手が回らず、各家庭の周辺の道路や歩道の除雪は、市民の皆さ
んにご協力をいただいているのが実情です。
建設部の維持課も市民の皆さんのお叱りを受けながら、各部署の
応援を得て必死になって取り組んでいます。また、長野市と除雪の
契約をしていただいている事業者の方々も頑張っていますのでお許
しください。今後も最大限の努力を傾注してまいります。
ただ、これだけの雪が降った場合、現状の体制での対応は無理が
あります。地震や台風のような一種の災害と考えるべきかもしれま
せん。また、家屋が連なっている市街地では、単に雪をかくだけで
なく、排雪も考えておかなくてはならないということも実感させら
れました。
いずれにしろ、高齢者が増えている現状も考えますと、除雪に関
する対応については、今後再検討が必要と思います。
話変わって雪の話題をもう一つ。スキーです。長野市は合併によ
って飯綱高原スキー場、戸隠スキー場、聖パノラマスキー場の3つ
のスキー場を抱えることになりました。昨年末は雪が足りなくて、
スキー場は大苦戦でしたが、元日の雪ですっかり息を吹き返しまし
た。市街地には迷惑な雪ですが、スキー場関係者にとっては、待ち
に待った雪となりました。
私も雪片付けに忙しい皆さんには申し訳なかったのですが、1月
2日に孫や友人と一緒に、飯綱高原スキー場へ出掛けました。雪も
タップリあって、雲ひとつ無い素晴らしい天気に恵まれ、久しぶり
に楽しい1日を過ごさせていただきました。リフトの頂上からは、
富士山がクッキリ見えましたし、煙を噴いている浅間山も見えて、
素晴らしい眺望に恵まれました。雪質が良いとスキーの滑りも良く、
上手になったような気分でしたし、レストランでビールを飲みなが
らワイワイやるのも楽しいひとときでした。
ゲレンデはスキーヤーやスノーボーダーでいっぱい、リフトには
長い行列が出来ていました。飯綱高原スキー場であんなに人がいる
のは、久しぶりのような気がします。年末滑れなかった鬱憤(うっ
ぷん)を一気に晴らした方が多かったのではないでしょうか。スキ
ーが盛んになってくれることを大いに期待し、そのための工夫をし
ていきたいと思います。
10日(月)の成人の日には、同じようなメンバーで、戸隠スキ
ー場へ行ってきました。ここは今年から長野市の経営になったわけ
ですが、素晴らしいスキー場です。リフトも50歳以上はシニア料
金となり1日券が3000円と安くなっていますし、ゲレンデも初
心者から上級者まで楽しめるようにバラエティーに富んでおり、ス
キー場従業員も親切です。皆さんぜひ一度お出掛けください。
昼食後、しばらく滑っていたら、雪が降り始めましたので、私は
早々に食堂へ引き揚げましたが、仲間はみんな元気、楽しんでいま
した。
昼食時等に思いがけない人に出会うのも、地元のスキー場ならで
はのことです。ああ、この人もスキーをやるのか・・・なんて旧交
を温め、すっかり話し込むなんてこともあります。いろいろな出会
いは、嬉しいものです。
雪国にとって、雪は迷惑な部分と恵みの部分が並存しているわけ
ですが、長野市とすれば、ぜひ積極的に雪を活用していきたいと考
えています。
2005年1月13日木曜日
三位一体改革は真の「地方の時代」への一歩になり得るか
「改革」の必要性を説くことは簡単、そしてそれは時代の風潮で
もありますし、私も市長選に立候補したときは、「未来のために長
野改革」と申し上げてきました。しかし、具体的に何を「改革」す
るのか?ということになるとかなり難しい。それこそ人によってさ
まざまなのではないでしょうか。
今日は、私の考えている「改革」について、三位一体改革に絡めて
申し上げてみたいと思います。
変化に対し、人は本能的な警戒感を持っているのではないでしょ
うか。特に自分に関わることについては・・・・。既得権を持って
いる人ほど、総論賛成・各論反対をする風潮もそんなことの現れと
いえるようです。建前は別にして本音では「人は変化を望んでいな
い。保守的である」。その心の壁を打ち破らなくては「真の改革」
は出来ない、私も含め、その覚悟を持つべき時ではないでしょうか。
地方の時代と言われたのは、いつ頃からでしょうか。
私の記憶の範囲では、昭和48年のオイルショック当時、市長が
夏目忠雄さんから柳原正之さんへバトンタッチされ、夏目さんは参
議院議員に転身されました。その時の夏目さんの主張は「地方の時
代」でした。
夏目さんが国会議員に転身するためのスローガンだったかもしれ
ませんが、今から約30年前の当時でも、それほど違和感は覚えま
せんでした。その頃の地方自治は「3割自治」と自嘲的に語られて
いたことを覚えている方もいらっしゃると思います。そのくらい地
方の自治とは程遠い存在だったということでしょう。
反面、「地方の時代、地方の自由度を上げる」というのは、まれ
でありますが、こういう表現はある地方にとっては大変なことです。
全国統一された基準で事務を行っていた方が、地方の事務は楽であ
り負担は少ないでしょう。国が決めたとおりやっていれば、文句は
言われないし、市民の基本的な平等だけは保たれるという意見もあ
りました。
そんな中、平成12年「地方分権一括法」が施行されました。そ
れまで国の出先機関として事務を行っていた地方自治体の機関委任
事務は廃止され、自治事務と法定受託事務という新たな事務区分に
整理され、国と地方の役割分担が明確になりました。自治事務では
法令に反しない限り独自の条例の制定が可能になるなど、自己決定
権が拡充し、これまで以上に地域の事情や住民ニーズを的確に反映
させた自主的な行政運営を行えるようになりました。
しかし、大きな課題もありました。ここまでの地方分権の推進の
中では、財政の権限までの踏み込みがなく、真の意味での地方自治
や地方分権となるかということです。なぜなら、現在の長野市の一
般会計における自主財源は約42%、交付税を入れても約60%強
です。小さな自治体の場合、自主財源は5%ぐらいです。これでは
いくら自立を主張しても、絵に描いた餅に過ぎないことは明白です。
そして、小泉首相の三位一体改革がスタートしました。補助金削
減、税源移譲、地方交付税改革という三位一体改革が多くの難題を
抱えていることは、最初から予測されたことですが、先に税源移譲
の枠を示すという麻生プラン(大提案)にはびっくりでした。基本
的には、地方団体の利害が異なるので、まとまらないとの予測があ
ったと思うのですが、史上初といわれた全国知事会での大議論の末、
「小異を捨てて大同につく」ということでまとまってしまった。
そして、それが他官庁や国会議員の大反対を受けながら、曲りなり
にも政府案に盛り込まれたというのが、現段階でしょう。当面、地
方の苦しさが増加することは間違いないのですが、しかし、真の地
方分権の実現に向けた財源問題にようやくメスが入ったことは一歩
前進です。苦しくとも耐えなければ地方の時代は来ないと私は思い
ます。
「地方の時代」という流れが、真に定着していくまでに何十年も
かかるのだということの事例でしょう。
真の地方分権が実現すれば、住民の皆さんと直接接する市町村は、
単なる予算の配分をするだけでなく、利害調整や優先度等を自らの
責任で決めなくてはならないし、厳しい選択を市民の皆さんに求め
なくてはならない。責任だけでなく、批判も自ら受けて立たなくて
はならないわけで、正直に言って大変です。ただ、地方自治を主張
し自由度を上げるとする以上、常に正義の看板を背負っていること
も事実です。
貧しかった時代、平均点を上げなくてはならない時代・・・・・
国の一律平等主義は効果があったと思います。でも豊かな時代、市
民の要望も多様化し、平均点では語れなくなった現在では、憲法が
保障している「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営
む権利を有する」ことと、地方自治における「地方の特色・独自性
の追求」には乖離(かいり)があり、解けない方程式の答えを求め
て悩んでいるのが現在の地方自治体の姿といってもよいでしょう。
国の関与を減らし自主性を持ちたい。それが地方の時代、そして都
市間の大競争時代なのです。
例えば、義務教育費について「義務教育費は、国が責任を持つべ
き」ということで、教職員人件費の半額国庫負担を堅持すべきだと
いう論がありますが、これは変です。それなら学校の建設費や管理
費等、全て国がやるというなら結構ですが、人件費半額だけでは納
得がいきません。税源の移譲を求め、地方自らの責任で行うべきで
しょう(ただ、この件については市教育委員会の皆さんとは意見が
違うようですから、あくまで私見です)。
私がPTAの役員を務めていた頃、当時の柳原市長さんと教育委
員会の市長部局からの独立性ということについて議論しましたが、
市長曰く、「鷲澤さんの議論を貫徹するとすれば、教育税を集めて
やってもらうより仕方ない・・・。」確かにそのとおりですが、現実
は難しいでしょう。教育の世界においても、常識を打ち破るパワー
がほしいと痛感しています。
義務教育費に限らず、地域でやるほうが効果的と思われることは、
積極的に地方が受け入れるべきであり、そこで地方自治が育つのだ
と思います。
以上、地方の時代における分権のあり方、方向性について、私見
を述べさせていただきました。
2005年1月6日木曜日
新市誕生
新年明けましておめでとうございます。
皆様には、お健やかに新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
新年の幕開けとともに、豊野町・戸隠村・鬼無里村・大岡村との
合併による新長野市がスタートしました。人口38万人余、市域約
738平方キロメートル、北の市境は新潟県に接する大きな都市の
誕生です。
本年は、長野市にとって歴史的な年であり、私は、新市のかじ取
りを担う重責に身も引き締まる思いで新年を迎えました。1月4日
の仕事始めの日、新たに長野市となった豊野、戸隠、鬼無里そして
大岡の各支所を回り、開所式を行ってきました。
新市の大方針は「都市部と中山間地が共生する美しいまち」を目
指すことです。すなわち、都市部と中山間地(必ずしも新市部分だ
けではありません)が一つのまちとして、バランス良く発展するこ
とが大切であるということです。
豊野町は、昭和41年の長野市大合併の折にも、合併しようとい
う話があった町であり、長野市とは都市計画圏が一緒になっている
など、まちづくりにはいくつもの共通点があり、もともと近い関係
にあった区域です。
戸隠村は、長野は知らなくても「戸隠」という名前は知っている
人がいるほどの有名ブランドです(元村長の横川さんの話では、昭
和の早い時期に長野市に合併を申し入れたのですが、当時は長野市
側で受け入れてくれなかったという話をしておられました。この話
は私も初耳でした)。そのほかにも戸隠神社、牧場、キャンプ場、
スキー場、そして戸隠山連山の登山コース・・・戸隠そばは全国に
知れ渡ったブランドです。
鬼無里村は、鬼のいない里の名前のとおり本当に気持ちのやさし
い人々が住んでいる地域です。そして、ギャラリーを併設したおや
き屋さんなど、村の中心にはお洒落な店があり、奥裾花ダム周辺は
水芭蕉とブナ林で有名です。また、鬼無里の祭り屋台は文句なく素
晴らしいものです。
大岡村は、なんといっても北アルプスを臨む大パノラマでしょう。
地元では日本一と言っていますが、確かに雪をかぶった北アルプス
は絶景です。長野オリンピックの開会式で有名になった芦ノ尻道祖
神は、今後も是非保存していきたい文化資産です。
以上、新しく市域になった地域のことを簡単に書いてみましたが、
いずれにしろ素晴らしい財産と住民が長野市に入ってきました。
私はそれぞれの閉町村式で「市民として、長野市が何をやってく
れるかではなく、自ら長野市民として何ができるかの気概を持って
ほしい」と語りました。そして「私たちも歓迎するから、胸を張っ
て市民になってほしい。そしてそれぞれの存在感を発揮してほしい」
とも申し上げました。各町村の長い歴史の幕が閉じるということで
の寂しさは当然ですが、新しい長野市の市民として、頑張ってほし
いものです。
閉町村式での各町村長の式辞は、いずれも過去の歴史をひもとき、
地域の偉人について、あるいは連綿とつながってきた文化を語り、
それぞれに対する感謝の言葉と誇りを持って長野市民になろう・・・
という言葉で結ばれていました。そして今までの町村運営に功労の
あった方々への感謝状の贈呈も行われました。
子どもたちの歌う高野辰之の唱歌「故郷」は印象的でした。そし
て式典の最後は、厳粛なうちに町村長をはじめとする三役と子ども
たちで行われた町旗・村旗の降納でした。折りたたんだ旗を最後に
箱に収めた町村長の思いは、察するに余りあるものがあり、目頭が
熱くなるのを感じました。
さて、市長に就任し、早くも3年余が経過し、4年間の任期も残
すところ10カ月余りとなりました。
本年は、合併後の新たなまちづくり、そして、任期4年間の集大
成の年となります。市民と行政とのパートナーシップによるまちづ
くりのために、「都市内分権」の実現を目指すとともに、皆様の要
望の高い高齢者福祉や子育て支援の充実をはじめ、教育、環境など
の重要課題の解決に向けて全力を尽くしてまいります。さらに、合
併により多くの歴史・文化・自然などの貴重な資源を保有すること
になります。そこで、都市部の更なる躍進と自然溢れる中山間地域
の資源の保全や振興に向けた施策を通して「都市と自然が調和する
多軸都市ながの」の創造に取り組んでまいりたいと考えております。
また、本年2月26日(土)から3月5日(土)まで、「スペシ
ャルオリンピックス冬季世界大会・長野」が開催され、世界約80
の国や地域から3千人余りの選手とその家族、役員が長野を訪れま
す。障害者に対する心のバリアフリーを推進し、健常者と障害者と
が分け隔てなく生活できる社会を実現する上で、スペシャルオリン
ピックスの精神がもたらす効果は計り知れないものがあります。冬
季オリンピック・パラリンピック開催都市として、本大会の成功に
向けて積極的に支援してまいります。
年頭に当たり、市民の皆様お一人おひとりのご多幸をご祈念申し
上げますとともに、本年も皆様の温かいご支援・ご協力をお願い申
し上げます。