「改革」の必要性を説くことは簡単、そしてそれは時代の風潮で
もありますし、私も市長選に立候補したときは、「未来のために長
野改革」と申し上げてきました。しかし、具体的に何を「改革」す
るのか?ということになるとかなり難しい。それこそ人によってさ
まざまなのではないでしょうか。
今日は、私の考えている「改革」について、三位一体改革に絡めて
申し上げてみたいと思います。
変化に対し、人は本能的な警戒感を持っているのではないでしょ
うか。特に自分に関わることについては・・・・。既得権を持って
いる人ほど、総論賛成・各論反対をする風潮もそんなことの現れと
いえるようです。建前は別にして本音では「人は変化を望んでいな
い。保守的である」。その心の壁を打ち破らなくては「真の改革」
は出来ない、私も含め、その覚悟を持つべき時ではないでしょうか。
地方の時代と言われたのは、いつ頃からでしょうか。
私の記憶の範囲では、昭和48年のオイルショック当時、市長が
夏目忠雄さんから柳原正之さんへバトンタッチされ、夏目さんは参
議院議員に転身されました。その時の夏目さんの主張は「地方の時
代」でした。
夏目さんが国会議員に転身するためのスローガンだったかもしれ
ませんが、今から約30年前の当時でも、それほど違和感は覚えま
せんでした。その頃の地方自治は「3割自治」と自嘲的に語られて
いたことを覚えている方もいらっしゃると思います。そのくらい地
方の自治とは程遠い存在だったということでしょう。
反面、「地方の時代、地方の自由度を上げる」というのは、まれ
でありますが、こういう表現はある地方にとっては大変なことです。
全国統一された基準で事務を行っていた方が、地方の事務は楽であ
り負担は少ないでしょう。国が決めたとおりやっていれば、文句は
言われないし、市民の基本的な平等だけは保たれるという意見もあ
りました。
そんな中、平成12年「地方分権一括法」が施行されました。そ
れまで国の出先機関として事務を行っていた地方自治体の機関委任
事務は廃止され、自治事務と法定受託事務という新たな事務区分に
整理され、国と地方の役割分担が明確になりました。自治事務では
法令に反しない限り独自の条例の制定が可能になるなど、自己決定
権が拡充し、これまで以上に地域の事情や住民ニーズを的確に反映
させた自主的な行政運営を行えるようになりました。
しかし、大きな課題もありました。ここまでの地方分権の推進の
中では、財政の権限までの踏み込みがなく、真の意味での地方自治
や地方分権となるかということです。なぜなら、現在の長野市の一
般会計における自主財源は約42%、交付税を入れても約60%強
です。小さな自治体の場合、自主財源は5%ぐらいです。これでは
いくら自立を主張しても、絵に描いた餅に過ぎないことは明白です。
そして、小泉首相の三位一体改革がスタートしました。補助金削
減、税源移譲、地方交付税改革という三位一体改革が多くの難題を
抱えていることは、最初から予測されたことですが、先に税源移譲
の枠を示すという麻生プラン(大提案)にはびっくりでした。基本
的には、地方団体の利害が異なるので、まとまらないとの予測があ
ったと思うのですが、史上初といわれた全国知事会での大議論の末、
「小異を捨てて大同につく」ということでまとまってしまった。
そして、それが他官庁や国会議員の大反対を受けながら、曲りなり
にも政府案に盛り込まれたというのが、現段階でしょう。当面、地
方の苦しさが増加することは間違いないのですが、しかし、真の地
方分権の実現に向けた財源問題にようやくメスが入ったことは一歩
前進です。苦しくとも耐えなければ地方の時代は来ないと私は思い
ます。
「地方の時代」という流れが、真に定着していくまでに何十年も
かかるのだということの事例でしょう。
真の地方分権が実現すれば、住民の皆さんと直接接する市町村は、
単なる予算の配分をするだけでなく、利害調整や優先度等を自らの
責任で決めなくてはならないし、厳しい選択を市民の皆さんに求め
なくてはならない。責任だけでなく、批判も自ら受けて立たなくて
はならないわけで、正直に言って大変です。ただ、地方自治を主張
し自由度を上げるとする以上、常に正義の看板を背負っていること
も事実です。
貧しかった時代、平均点を上げなくてはならない時代・・・・・
国の一律平等主義は効果があったと思います。でも豊かな時代、市
民の要望も多様化し、平均点では語れなくなった現在では、憲法が
保障している「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営
む権利を有する」ことと、地方自治における「地方の特色・独自性
の追求」には乖離(かいり)があり、解けない方程式の答えを求め
て悩んでいるのが現在の地方自治体の姿といってもよいでしょう。
国の関与を減らし自主性を持ちたい。それが地方の時代、そして都
市間の大競争時代なのです。
例えば、義務教育費について「義務教育費は、国が責任を持つべ
き」ということで、教職員人件費の半額国庫負担を堅持すべきだと
いう論がありますが、これは変です。それなら学校の建設費や管理
費等、全て国がやるというなら結構ですが、人件費半額だけでは納
得がいきません。税源の移譲を求め、地方自らの責任で行うべきで
しょう(ただ、この件については市教育委員会の皆さんとは意見が
違うようですから、あくまで私見です)。
私がPTAの役員を務めていた頃、当時の柳原市長さんと教育委
員会の市長部局からの独立性ということについて議論しましたが、
市長曰く、「鷲澤さんの議論を貫徹するとすれば、教育税を集めて
やってもらうより仕方ない・・・。」確かにそのとおりですが、現実
は難しいでしょう。教育の世界においても、常識を打ち破るパワー
がほしいと痛感しています。
義務教育費に限らず、地域でやるほうが効果的と思われることは、
積極的に地方が受け入れるべきであり、そこで地方自治が育つのだ
と思います。
以上、地方の時代における分権のあり方、方向性について、私見
を述べさせていただきました。